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"友達"で居てくれる……?
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流石に数日も経つと、このうんざりする満員電車はさておき、やたら複雑な乗り換えにも、気のいいやつの多いクラスにも大分馴染むことが出来た。
散々勧誘された部活に入るかどうかはまだ決めかねているが、初日に一緒に昼飯食べたメンバーとはとても気があって、いつの間にか4人で行動するようになっていた。
篁と人生初のタピオカ飲んだって言ったらそりゃもう色んな意味で突っ込まれたけど、あれ以上俺と篁の事をとやかく言われることは無かったし、志村はどこかほっとした顔をしていた。
今度は4人でタピオカ飲みに行く約束もした。
部活に入ってる3人とは行きや帰りの時間が一緒になることは無いが、散策と称して街の色んな所を見て回るのはとても刺激的で楽しい。
都会に対して憧れが強かった訳ではないと思っていたが、見たことの無いものや経験したことの無い事が多すぎて、好奇心が刺激されてたまらない。
その俺の、引っ越して一番最初の好奇心の矛先となっていた篁と、一緒に放課後を過ごしたあの日以来、あいつとは二人きりになることは無かった。
朝はギリギリに登校してきて休憩時間はいつも伏せて寝ているし、さっきまでそこにいたかと思えば気がつけばふらっと居なくなっているし、何なら登校して来ない日だってある。
クラスメイトも教師達も、どこか腫れ物に触れるように篁に接する上、あいつ自身も必要以上に誰かとコミュニケーションを取らないようにしているようで、俺が声をかける隙すら見せてくれない。
お陰で俺は、男1人では行きづらいあのタピオカの店に再び行くことが、まだ出来ないでいる。
「今日はあいつ、来んのかな」
朝の通学電車。揺れに倒れないように捕まった吊革を握り直す。流石にどの車両が階段に近いとか混んでないとか、そういうのはまだ掴めない。
次の駅が近づいて電車が減速したかと思えば、扉が開いて人の群れが大きく蠢いた。人波に流されないようにしっかりと踏ん張っていると、背中に誰かが思い切りぶつかった。
「っ、すみません」
「あ、いえ」
結構な勢いでぶつかってきたその人の小さな声が聞こえて振り向くと、さっきまで思い浮かべていた篁が居た。
「篁」
「え……健斗くん?」
人に押されて背中に密着した篁の頭は丁度胸元くらいにあって、自然と俺を見上げる形になる。丁度今思案のうちにいた相手から、後ろから抱きつかれているような状況になっていることに多少の気まずさを感じた。
「た、篁もこの電車なんだ」
「……うん、たまたま、ちょっと早めにしてみただけだけど」
ぼそぼそと答える篁の声は辛うじて聞き取れる程度の小ささで、喋る度に背中に吐息を感じる。
篁も喋りずらいだろうと思い、どうにか身をよじって身体ごと篁に向き合うと、丁度その身体をすっぽり抱えるような形になり、何故かまたどきりとした。
「ごめん、近いね」
「や、別に篁のせいじゃないだろ」
篁は俺の言葉に小さく頷いた。
また話したいと思っていたのに、いざこうして話せるシチュエーションになってみると、何をどう切り出していいのかわからない。そもそも、名前以外には連絡先も何一つ知らない相手なのだ。
どうしたもんかと考えながら篁をちらりと見下ろす。
視線の先にある篁のふわふわとした紫のカールヘアからは、ヘアワックスの香りだろうか、甘いような涼やかなような、そんな香りがしてくるように感じた。
間近でみるパステルパープルの髪の毛は毛先から旋毛に至るまでが艶やかで、連想してしまったのが包装用のリボンっていう貧相さっていうのが申し訳なくなってくる。
この手の明るい髪は触れるとキシキシに傷んでいるイメージだったから、その触り心地が気になって仕方ない。
「なぁ、これって染めてんの」
「……ぁ、え、髪?」
「うん。染めてるんなら、その割に傷んでねぇなって」
「そりゃ、まぁ……色々と」
歯切れ悪く答える篁は全くこちらを見ない。久々に話せたんだし、もうあと3駅先の学校に着いてこいつがまたどこかへ行ってしまう前にもっと話してみたかった。
「俺したことねぇんだけど、こういう色のカラー剤?ってどこで売ってんの?」
「売ってる、ってか、ちゃんと調べて、上手いところでしてもらってるから」
「マジで?美容院とかどれくらいすんの?」
「別に……普通に2万くらい」
「マジで?!俺1000円なんだけど!」
驚きから大きな声が出てしまって、周りの視線を集めてしまう。
俯きがちだった篁までもこっちを見ていて、それは少し嬉しかった。
「だろうと思った」
「はは……はっず」
「ふふふ、ーーーッ」
「ん?篁?」
ひそめられた篁の笑い声が不自然に途切れる。不思議に思って問いかけると、目を合わせないまま微笑み返してくる。
「や、別に、なにも」
「……そうか?」
しかしその後途端に静かになった篁はまた俯いていて、鞄を抱えるその手は小刻みに震えていた。
嫌な予感が背筋を這う。周囲を見回すと、元凶はすぐに分かった。
目の前が真っ赤に染まる。なんですぐに気づいてやれなかったんだ。いつの間にか素知らぬ顔で篁の真後ろに張り付き、チラチラと、しかし確実にこいつを狙う、眼のギラギラしたおっさんの前髪を思い切り掴む。
「っ、い゙!?った、ぁ゙!、な、なにするっ」
「惚けてんなよおっさん、お前今こいつに」
怒りのままに発した声は自分が思っていた以上に低くて、おっさんが少し怯むのが分かった。
「っけ、健斗くん!!」
しかし呻くおっさんを糾弾しようとするのを、なんでか篁が止める。俺の袖を掴むその手はやっぱり震えていて、こいつがまた痴漢の被害にあっていたことはほぼ確定だ。
「なんだよっ、今からこいつ突き出して」
「い、いい、いいから、おねが、やめて」
「っ、なんで!」
カタカタとどんどん震えが酷くなる篁に返す声が思わず大きくなってしまう。その隙をついたように暴れだしたおっさんに、強引に腕を振り払われた。
「っクソ!!死ねクソガキ!!」
「あっおい待て!!」
今度はもう逃がさない。そう思っていたのに、篁が俺の裾を引っ張る弱い力が、俺を踏みとどまらせた。
「っ、篁!あいつ追って警察に突き出さねぇと!!」
「……いい、いいから、お、お願い、健斗くん、行かないで」
「っ、篁?」
篁の震えはどんどん強くなっていって、次第にその呼吸すら乱れ初めていた。ひゅうひゅうと普通じゃない吐息が漏れ聞こえて、思わず狼狽えてしまう。
「はぁ、ッ、はっ、おね、おねが、っ、はっ」
「おい、篁、大丈夫かよ、なぁ」
尋常じゃない様子の篁に、遠巻きに俺達のことを見ていた他の乗客もざわつき始める。
しゃがみこもうにもそれが出来ない中で、篁を支えようと肩を掴むと、一際大きく怯えた震えを掌に感じる。
タイミングよく次の駅に着くアナウンスが流れた。
扉が開くのに合わせて、足を縺れさせながら篁が電車から出る。
「ちょ、おい篁!待てって!」
顔面蒼白のままホームに下りる篁を追って俺も電車から飛び出す。
ホームにある自販機の影で蹲る篁を見つけ駆け寄るが、身を縮めて怯えきった篁にかける言葉が浮かばない。
「っ、ふ……う……ッ、うぅ……」
「……」
その場にしゃがみこみ、篁に手を伸ばす。
しかし先程の篁の怯えようを思い出してすぐに手を引いた。
「……よし」
鞄を脇に置き、篁の目の前に胡座をかいて座り込む。
周りの人間にジロジロ見られているのをありありと感じるが、今はそんなもの無視だ。
俺の声に反応した篁が、少しだけ顔を上げた。
「……は、ッ、ぅ……けん、と、く……?」
「俺ここで待ってるから、ゆっくり呼吸してろよ」
篁が小さく頷いて、また蹲る。乱れた呼吸の間に、鼻水を啜る音も聞こえた。
しばらくはまだ呼吸も整わないようだったが、5分も待てば少しずつ呼吸の感覚が元に戻っていく。
篁はまだ俯いている。声をかけることなく見守っていると、小さい声で篁が話し始めた。
「俺さ、昔レイプされたんだよ」
「……え、は?」
唐突に衝撃的な事を語り始めた篁に思わず生返事を返してしまう。
俺の反応を無視して、篁はゆっくりと、やはり小さな、震えた声で続けた。
「中等部んとき、すげぇ良くしてくれてた教師に、無理やり犯されて……元々ひょろくて女顔なのは自覚してたし、さっきみたいな痴漢なんて、それまでもよくあったんだけど……でも、やっぱり怖くて、助けて、って、っ、言った……のに……」
「た、篁、無理に話さなくていいって」
しゃくりあげはじめた篁を宥めるように声をかける。
それでもまだ震え続ける肩を見て、背中をさすろうとした手を引いた。
「っ、レイプ、されたのも怖くて、マジでいやだったけど……その事が周りに知られて……それから、皆俺の事、責めたり、距離置いたり、変な目で見てきて……っ、おれ、それ思い出すと、だめで……ッ」
途端に泣き出してしまった篁の言葉を、俺は黙って聞いていることしか出来ない。
さっき篁が俺の言動を制したのは、きっとこの事を、声を上げることによって向けられてしまう、穿った視線を思い出してしまったからだ。
泉や志村が言っていた言葉、恐らくこのことを知っているのであろう、そして有らぬ誤解を少なからず抱いているのであろうクラスメイト達を思い出す。
まだ編入して数日しか経っていないが、その間にも抱き続けていた違和感の招待はこれだ。腑に落ちた。
「……俺、こんな顔だし……で、でも、悔しくて……ッ……なら、いっそ、思い切り振り切って……自己主張、激しい格好してたら、変なこと、もうされないかな、って、思って……好きだと思った格好、してたのに……みんなも、なにも……変わん、なくて……よく知らない、先輩、とかまで……ッ」
「もういいよ、篁、な?」
「……ねぇ」
篁の華奢な指先が俺の小指を弱々しく掴む。
顔を上げて漸く視線があった篁の顔は、今までに見た事ない、痛々しくて、切なくて、綺麗な泣き顔だった。
「健斗くん、は、俺と……"友達"でいてくれる……?」
友達。その言葉に引っ掛かりを感じるのは、きっと篁の今までの経緯を聞いてきたからだろう。
ゴシップの広がるスピードなんて、こうしてみたらどこか閉鎖的な田舎より都会の方が酷いのかもしれない。きっと色んな詮索やあらぬ噂に晒されて、ひょっとしたら、もっと傷つけられるようなことをされてきたのかもしらない。それでも負けたくないのに、篁の心の傷は、まだ癒えていない。
なら、俺は絶対に篁に触れちゃだめだ。
「もう"友達"に決まってんだろ」
「……っ、ぅん……!」
無理矢理に口角を上げて頷く篁を、抱き締めたくてしかたなかった。
でもダメだ、俺は篁ときちんと友達にならなきゃいけない。
どくどくと高鳴って、痛いぐらいにしめつけられるこんな心臓は、無視しなきゃいけないんだ。
散々勧誘された部活に入るかどうかはまだ決めかねているが、初日に一緒に昼飯食べたメンバーとはとても気があって、いつの間にか4人で行動するようになっていた。
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今度は4人でタピオカ飲みに行く約束もした。
部活に入ってる3人とは行きや帰りの時間が一緒になることは無いが、散策と称して街の色んな所を見て回るのはとても刺激的で楽しい。
都会に対して憧れが強かった訳ではないと思っていたが、見たことの無いものや経験したことの無い事が多すぎて、好奇心が刺激されてたまらない。
その俺の、引っ越して一番最初の好奇心の矛先となっていた篁と、一緒に放課後を過ごしたあの日以来、あいつとは二人きりになることは無かった。
朝はギリギリに登校してきて休憩時間はいつも伏せて寝ているし、さっきまでそこにいたかと思えば気がつけばふらっと居なくなっているし、何なら登校して来ない日だってある。
クラスメイトも教師達も、どこか腫れ物に触れるように篁に接する上、あいつ自身も必要以上に誰かとコミュニケーションを取らないようにしているようで、俺が声をかける隙すら見せてくれない。
お陰で俺は、男1人では行きづらいあのタピオカの店に再び行くことが、まだ出来ないでいる。
「今日はあいつ、来んのかな」
朝の通学電車。揺れに倒れないように捕まった吊革を握り直す。流石にどの車両が階段に近いとか混んでないとか、そういうのはまだ掴めない。
次の駅が近づいて電車が減速したかと思えば、扉が開いて人の群れが大きく蠢いた。人波に流されないようにしっかりと踏ん張っていると、背中に誰かが思い切りぶつかった。
「っ、すみません」
「あ、いえ」
結構な勢いでぶつかってきたその人の小さな声が聞こえて振り向くと、さっきまで思い浮かべていた篁が居た。
「篁」
「え……健斗くん?」
人に押されて背中に密着した篁の頭は丁度胸元くらいにあって、自然と俺を見上げる形になる。丁度今思案のうちにいた相手から、後ろから抱きつかれているような状況になっていることに多少の気まずさを感じた。
「た、篁もこの電車なんだ」
「……うん、たまたま、ちょっと早めにしてみただけだけど」
ぼそぼそと答える篁の声は辛うじて聞き取れる程度の小ささで、喋る度に背中に吐息を感じる。
篁も喋りずらいだろうと思い、どうにか身をよじって身体ごと篁に向き合うと、丁度その身体をすっぽり抱えるような形になり、何故かまたどきりとした。
「ごめん、近いね」
「や、別に篁のせいじゃないだろ」
篁は俺の言葉に小さく頷いた。
また話したいと思っていたのに、いざこうして話せるシチュエーションになってみると、何をどう切り出していいのかわからない。そもそも、名前以外には連絡先も何一つ知らない相手なのだ。
どうしたもんかと考えながら篁をちらりと見下ろす。
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この手の明るい髪は触れるとキシキシに傷んでいるイメージだったから、その触り心地が気になって仕方ない。
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「……ぁ、え、髪?」
「うん。染めてるんなら、その割に傷んでねぇなって」
「そりゃ、まぁ……色々と」
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「俺したことねぇんだけど、こういう色のカラー剤?ってどこで売ってんの?」
「売ってる、ってか、ちゃんと調べて、上手いところでしてもらってるから」
「マジで?美容院とかどれくらいすんの?」
「別に……普通に2万くらい」
「マジで?!俺1000円なんだけど!」
驚きから大きな声が出てしまって、周りの視線を集めてしまう。
俯きがちだった篁までもこっちを見ていて、それは少し嬉しかった。
「だろうと思った」
「はは……はっず」
「ふふふ、ーーーッ」
「ん?篁?」
ひそめられた篁の笑い声が不自然に途切れる。不思議に思って問いかけると、目を合わせないまま微笑み返してくる。
「や、別に、なにも」
「……そうか?」
しかしその後途端に静かになった篁はまた俯いていて、鞄を抱えるその手は小刻みに震えていた。
嫌な予感が背筋を這う。周囲を見回すと、元凶はすぐに分かった。
目の前が真っ赤に染まる。なんですぐに気づいてやれなかったんだ。いつの間にか素知らぬ顔で篁の真後ろに張り付き、チラチラと、しかし確実にこいつを狙う、眼のギラギラしたおっさんの前髪を思い切り掴む。
「っ、い゙!?った、ぁ゙!、な、なにするっ」
「惚けてんなよおっさん、お前今こいつに」
怒りのままに発した声は自分が思っていた以上に低くて、おっさんが少し怯むのが分かった。
「っけ、健斗くん!!」
しかし呻くおっさんを糾弾しようとするのを、なんでか篁が止める。俺の袖を掴むその手はやっぱり震えていて、こいつがまた痴漢の被害にあっていたことはほぼ確定だ。
「なんだよっ、今からこいつ突き出して」
「い、いい、いいから、おねが、やめて」
「っ、なんで!」
カタカタとどんどん震えが酷くなる篁に返す声が思わず大きくなってしまう。その隙をついたように暴れだしたおっさんに、強引に腕を振り払われた。
「っクソ!!死ねクソガキ!!」
「あっおい待て!!」
今度はもう逃がさない。そう思っていたのに、篁が俺の裾を引っ張る弱い力が、俺を踏みとどまらせた。
「っ、篁!あいつ追って警察に突き出さねぇと!!」
「……いい、いいから、お、お願い、健斗くん、行かないで」
「っ、篁?」
篁の震えはどんどん強くなっていって、次第にその呼吸すら乱れ初めていた。ひゅうひゅうと普通じゃない吐息が漏れ聞こえて、思わず狼狽えてしまう。
「はぁ、ッ、はっ、おね、おねが、っ、はっ」
「おい、篁、大丈夫かよ、なぁ」
尋常じゃない様子の篁に、遠巻きに俺達のことを見ていた他の乗客もざわつき始める。
しゃがみこもうにもそれが出来ない中で、篁を支えようと肩を掴むと、一際大きく怯えた震えを掌に感じる。
タイミングよく次の駅に着くアナウンスが流れた。
扉が開くのに合わせて、足を縺れさせながら篁が電車から出る。
「ちょ、おい篁!待てって!」
顔面蒼白のままホームに下りる篁を追って俺も電車から飛び出す。
ホームにある自販機の影で蹲る篁を見つけ駆け寄るが、身を縮めて怯えきった篁にかける言葉が浮かばない。
「っ、ふ……う……ッ、うぅ……」
「……」
その場にしゃがみこみ、篁に手を伸ばす。
しかし先程の篁の怯えようを思い出してすぐに手を引いた。
「……よし」
鞄を脇に置き、篁の目の前に胡座をかいて座り込む。
周りの人間にジロジロ見られているのをありありと感じるが、今はそんなもの無視だ。
俺の声に反応した篁が、少しだけ顔を上げた。
「……は、ッ、ぅ……けん、と、く……?」
「俺ここで待ってるから、ゆっくり呼吸してろよ」
篁が小さく頷いて、また蹲る。乱れた呼吸の間に、鼻水を啜る音も聞こえた。
しばらくはまだ呼吸も整わないようだったが、5分も待てば少しずつ呼吸の感覚が元に戻っていく。
篁はまだ俯いている。声をかけることなく見守っていると、小さい声で篁が話し始めた。
「俺さ、昔レイプされたんだよ」
「……え、は?」
唐突に衝撃的な事を語り始めた篁に思わず生返事を返してしまう。
俺の反応を無視して、篁はゆっくりと、やはり小さな、震えた声で続けた。
「中等部んとき、すげぇ良くしてくれてた教師に、無理やり犯されて……元々ひょろくて女顔なのは自覚してたし、さっきみたいな痴漢なんて、それまでもよくあったんだけど……でも、やっぱり怖くて、助けて、って、っ、言った……のに……」
「た、篁、無理に話さなくていいって」
しゃくりあげはじめた篁を宥めるように声をかける。
それでもまだ震え続ける肩を見て、背中をさすろうとした手を引いた。
「っ、レイプ、されたのも怖くて、マジでいやだったけど……その事が周りに知られて……それから、皆俺の事、責めたり、距離置いたり、変な目で見てきて……っ、おれ、それ思い出すと、だめで……ッ」
途端に泣き出してしまった篁の言葉を、俺は黙って聞いていることしか出来ない。
さっき篁が俺の言動を制したのは、きっとこの事を、声を上げることによって向けられてしまう、穿った視線を思い出してしまったからだ。
泉や志村が言っていた言葉、恐らくこのことを知っているのであろう、そして有らぬ誤解を少なからず抱いているのであろうクラスメイト達を思い出す。
まだ編入して数日しか経っていないが、その間にも抱き続けていた違和感の招待はこれだ。腑に落ちた。
「……俺、こんな顔だし……で、でも、悔しくて……ッ……なら、いっそ、思い切り振り切って……自己主張、激しい格好してたら、変なこと、もうされないかな、って、思って……好きだと思った格好、してたのに……みんなも、なにも……変わん、なくて……よく知らない、先輩、とかまで……ッ」
「もういいよ、篁、な?」
「……ねぇ」
篁の華奢な指先が俺の小指を弱々しく掴む。
顔を上げて漸く視線があった篁の顔は、今までに見た事ない、痛々しくて、切なくて、綺麗な泣き顔だった。
「健斗くん、は、俺と……"友達"でいてくれる……?」
友達。その言葉に引っ掛かりを感じるのは、きっと篁の今までの経緯を聞いてきたからだろう。
ゴシップの広がるスピードなんて、こうしてみたらどこか閉鎖的な田舎より都会の方が酷いのかもしれない。きっと色んな詮索やあらぬ噂に晒されて、ひょっとしたら、もっと傷つけられるようなことをされてきたのかもしらない。それでも負けたくないのに、篁の心の傷は、まだ癒えていない。
なら、俺は絶対に篁に触れちゃだめだ。
「もう"友達"に決まってんだろ」
「……っ、ぅん……!」
無理矢理に口角を上げて頷く篁を、抱き締めたくてしかたなかった。
でもダメだ、俺は篁ときちんと友達にならなきゃいけない。
どくどくと高鳴って、痛いぐらいにしめつけられるこんな心臓は、無視しなきゃいけないんだ。
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