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最終章 出刃包丁と蛇の目傘
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想いを込めた銃弾は千鳥の前で地面に穴を穿つ。穿たれた穴は回転し次第に風を巻きつつ、砂利を巻き上げた。
巻き上げられた砂利と、砂よりも小さな粒が大気に撒き散らされた水を吸う。重たさを増した水滴は地面へぼたぼた落ちていき、千鳥の周りからは宙に舞っている水滴が消えた。狂気じみた笑顔のままで笑っていた千鳥の顔が曇る。
そして出刃包丁の放った剣尖を目の前にして千鳥は彦助のもとへと走った。
走りながら傘を前に向け、切っ先で剣尖をそらしながら横に回って避ける。次には駆ける勢いのまま傘を振り上げ彦助に振り下ろした。彦助はすんでのところで包丁の腹で傘を受ける。地面が割れて土くれが舞った。
「ほうら。悪いことをしたらダメって言ったでしょう。盗みもダメだと言ったよね? お姉ちゃんの邪魔をするなんてもってのほかだわ。叩いてあげる」
右手で振るった傘に千鳥は左手を沿わせて力を込める。
「もう止めてくれ姉さん。姉さんのそんな姿を見たくない! 」
叫ぶ彦助の子供が泣き出す寸前の悲壮な声が響く。彦助の声を意に返さずに千鳥は力を込めて、出刃包丁にヒビが入った。
いけない。想いの根元たる物を壊されては、彦助は消えてしまう。私が駆け出そうとした時、銀の糸が光った。彦助の後方から伸ばされた、五つの強靭な糸は彦助ごと千鳥を裂こうと伸びる。
千鳥は伸びる糸に気がつき、力を緩めた。振るわれる彦助の包丁の力を受けて空に飛んで避ける。糸は大気を薙ぎ彦助へと向かうが糸が張った。
横薙ぎの糸は軌道を変えて彦助の体を包む。包まれた彦助は振るわれた糸と共に私へと投げ出された。彦助を受け止めるとヤハズが千鳥に向かって駆け出している。
「よくも千鳥! こんなにも私の姿は汚れてしまった。そして姫を濡らした罪は万死に価する!」
激高するヤハズの声に合わせて千鳥の笑い声が響く。放たれる水弾を避け、時には糸で弾きヤハズは千鳥と対峙する。闇夜にきらめくのは水に濡れた糸がわずかばかりの光を反射する、鈍色の軌跡だけだった。
「おい大丈夫か?」
彦助を胸に抱くと、彦助は立ち上がろうとする。しかし姿勢を崩して私の胸に落ちた。
右手に持つ包丁はひび割れてる。姉であった千鳥から向けられた殺意が、刻まれていた。
「・・・翁と呼ばれていたな? 翁は物を煙に巻くだけか?」
「煙に包んで煙に巻く。そして物に新しい役割を与えるのだよ。新たな役割を与えられた物は力を増して、新しい役割をまっとうしようとする」
「そうか。物騒な力だな。なら私の出刃包丁に役割を与えることはできるのか?」
「やったことはないがな。しかし・・・その身では持たないだろう」
いいんだ。と彦助は立ち上がり私と向き合ったまま包丁の切っ先を私に向ける。
「僕は姉さんを守りたい。刻まれた記憶の奥底にある姉さんの姿を守りたい。こんな風に人を傷つけるようになった姉さんを守りたい。でもこの包丁は人の命を奪った。命を奪った包丁で人は守れるのか?」
彦助は私に包丁を向けたまま目を伏せる。かつての行いを後悔しているのだろう。命を失ってもいいほどに。痛いほど気持ちはわかった。それが新たな付喪として形を成した想いならば、祓ってやりたい。
「出刃包丁はもともと魚をさばくために作られたんだよ。刃元が太く魚の頭を切り落としことが容易だ。太い骨は断てぬとも小骨なら容易に断てる。お前が彦助だった時に抱いた想いが、出刃包丁に注がれて形を成してしまった。そもそも出刃包丁は人を守るために作られていない。目的とした相手を切り、さばくために作られたんだ。お前の想いは出刃包丁の本分を否定している。矛盾しているんだ」
「そうか。ならどうしたらいい?」
「姉を切るんだよ。包丁の本分をまっとうさせてやるんだ。お前の姉を守りたいという気持ちに塗られて、本来の想いが隠されてしまった出刃包丁に。新しい役割ではなく本来の役割を叶えさせてやる。まるでお前の姉は水をまとった魚のようじゃないかい?」
「詭弁だな。守るために僕は姉を殺すのか?」
「結果は同じだろう? それで彦助の望まない姉の姿は見なくていい」
「足りないのは覚悟だったんだな。いくら変わっても僕は姉が想いをあらためてくれると思っていた。でも・・・遅かったんだな」
「あぁ。遅かったんだ」
言葉は彦助に対してか、それとも自分自身にかける言葉だったのかはわからない。ただ彦助は心を決めたように私を見た。そして私も彦助を見る。私も心を決めたから。
思えば蛇の目傘も雨から人を守るための物だ。人を傷つける物ではない。
人を傷つけることのできる刃物が人を守ろうとし、人を守ろうとする傘が人を傷つける。人の想いが物をこうまで狂わせる。良きにも悪きにも狂わせてしまうのだ。
付喪之人になり、形を得てしまうとその想いも変質していく。良きにも悪気にも。
私はキセルの吸い口を口元に当て、紫煙を燻らし出刃包丁に当てる。包丁は水泡にも似た淡い光に包まれていく。
出刃包丁は脈動し、彦助と鼓動を同じにしていた。彦助が形を奪った開襟シャツの男もまた千鳥への、蛇の目傘への殺意を覚えている。
出刃包丁の歩んできた長い時にはいかなる想いを受けたのだろう。出刃包丁としての本分を取り戻し、姉を守りたいという思いで塗られた想いが殺意となって今、想いを共にした。人と物が想いを共にしているのだ。
「さぁ。彦助よ。姉を殺そう。切り裂きさばいて・・・息の根を止めることで苦しみから救ってやろう。ひとつの出刃包丁としてな」
巻き上げられた砂利と、砂よりも小さな粒が大気に撒き散らされた水を吸う。重たさを増した水滴は地面へぼたぼた落ちていき、千鳥の周りからは宙に舞っている水滴が消えた。狂気じみた笑顔のままで笑っていた千鳥の顔が曇る。
そして出刃包丁の放った剣尖を目の前にして千鳥は彦助のもとへと走った。
走りながら傘を前に向け、切っ先で剣尖をそらしながら横に回って避ける。次には駆ける勢いのまま傘を振り上げ彦助に振り下ろした。彦助はすんでのところで包丁の腹で傘を受ける。地面が割れて土くれが舞った。
「ほうら。悪いことをしたらダメって言ったでしょう。盗みもダメだと言ったよね? お姉ちゃんの邪魔をするなんてもってのほかだわ。叩いてあげる」
右手で振るった傘に千鳥は左手を沿わせて力を込める。
「もう止めてくれ姉さん。姉さんのそんな姿を見たくない! 」
叫ぶ彦助の子供が泣き出す寸前の悲壮な声が響く。彦助の声を意に返さずに千鳥は力を込めて、出刃包丁にヒビが入った。
いけない。想いの根元たる物を壊されては、彦助は消えてしまう。私が駆け出そうとした時、銀の糸が光った。彦助の後方から伸ばされた、五つの強靭な糸は彦助ごと千鳥を裂こうと伸びる。
千鳥は伸びる糸に気がつき、力を緩めた。振るわれる彦助の包丁の力を受けて空に飛んで避ける。糸は大気を薙ぎ彦助へと向かうが糸が張った。
横薙ぎの糸は軌道を変えて彦助の体を包む。包まれた彦助は振るわれた糸と共に私へと投げ出された。彦助を受け止めるとヤハズが千鳥に向かって駆け出している。
「よくも千鳥! こんなにも私の姿は汚れてしまった。そして姫を濡らした罪は万死に価する!」
激高するヤハズの声に合わせて千鳥の笑い声が響く。放たれる水弾を避け、時には糸で弾きヤハズは千鳥と対峙する。闇夜にきらめくのは水に濡れた糸がわずかばかりの光を反射する、鈍色の軌跡だけだった。
「おい大丈夫か?」
彦助を胸に抱くと、彦助は立ち上がろうとする。しかし姿勢を崩して私の胸に落ちた。
右手に持つ包丁はひび割れてる。姉であった千鳥から向けられた殺意が、刻まれていた。
「・・・翁と呼ばれていたな? 翁は物を煙に巻くだけか?」
「煙に包んで煙に巻く。そして物に新しい役割を与えるのだよ。新たな役割を与えられた物は力を増して、新しい役割をまっとうしようとする」
「そうか。物騒な力だな。なら私の出刃包丁に役割を与えることはできるのか?」
「やったことはないがな。しかし・・・その身では持たないだろう」
いいんだ。と彦助は立ち上がり私と向き合ったまま包丁の切っ先を私に向ける。
「僕は姉さんを守りたい。刻まれた記憶の奥底にある姉さんの姿を守りたい。こんな風に人を傷つけるようになった姉さんを守りたい。でもこの包丁は人の命を奪った。命を奪った包丁で人は守れるのか?」
彦助は私に包丁を向けたまま目を伏せる。かつての行いを後悔しているのだろう。命を失ってもいいほどに。痛いほど気持ちはわかった。それが新たな付喪として形を成した想いならば、祓ってやりたい。
「出刃包丁はもともと魚をさばくために作られたんだよ。刃元が太く魚の頭を切り落としことが容易だ。太い骨は断てぬとも小骨なら容易に断てる。お前が彦助だった時に抱いた想いが、出刃包丁に注がれて形を成してしまった。そもそも出刃包丁は人を守るために作られていない。目的とした相手を切り、さばくために作られたんだ。お前の想いは出刃包丁の本分を否定している。矛盾しているんだ」
「そうか。ならどうしたらいい?」
「姉を切るんだよ。包丁の本分をまっとうさせてやるんだ。お前の姉を守りたいという気持ちに塗られて、本来の想いが隠されてしまった出刃包丁に。新しい役割ではなく本来の役割を叶えさせてやる。まるでお前の姉は水をまとった魚のようじゃないかい?」
「詭弁だな。守るために僕は姉を殺すのか?」
「結果は同じだろう? それで彦助の望まない姉の姿は見なくていい」
「足りないのは覚悟だったんだな。いくら変わっても僕は姉が想いをあらためてくれると思っていた。でも・・・遅かったんだな」
「あぁ。遅かったんだ」
言葉は彦助に対してか、それとも自分自身にかける言葉だったのかはわからない。ただ彦助は心を決めたように私を見た。そして私も彦助を見る。私も心を決めたから。
思えば蛇の目傘も雨から人を守るための物だ。人を傷つける物ではない。
人を傷つけることのできる刃物が人を守ろうとし、人を守ろうとする傘が人を傷つける。人の想いが物をこうまで狂わせる。良きにも悪きにも狂わせてしまうのだ。
付喪之人になり、形を得てしまうとその想いも変質していく。良きにも悪気にも。
私はキセルの吸い口を口元に当て、紫煙を燻らし出刃包丁に当てる。包丁は水泡にも似た淡い光に包まれていく。
出刃包丁は脈動し、彦助と鼓動を同じにしていた。彦助が形を奪った開襟シャツの男もまた千鳥への、蛇の目傘への殺意を覚えている。
出刃包丁の歩んできた長い時にはいかなる想いを受けたのだろう。出刃包丁としての本分を取り戻し、姉を守りたいという思いで塗られた想いが殺意となって今、想いを共にした。人と物が想いを共にしているのだ。
「さぁ。彦助よ。姉を殺そう。切り裂きさばいて・・・息の根を止めることで苦しみから救ってやろう。ひとつの出刃包丁としてな」
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