銀色九尾な孤の彼と

山法師

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学校と日常

6 眼下に広がる帝都の一部

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「その『以前』がいつ頃か、正確に思い出せん」

 苛立っている彼は、銀色の髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。

「……五十、よん……三十……年、前は、なかった。ただの帝都だった、恐らく」

 ここ百年ほどは国内も国外もごたついていて、昼夜を問わず方方ほうぼうに「貸しを作る」日々だった。必然的に人間との接触は少なくなっていた。

 その期間の情報を三日で全て辿ることは困難だったし、テレビはまだ馴染みがあるが、パソコンやスマホでの情報収集には慣れていない。

「あの頃の戦で」

 この国は大勝した。世界を統べるほどの大国となった。
 また聞きに近かった情報が確かなようだと知ることはできたが、収穫はその程度。

「時期から考えて、全てを『不戦勝』で終わらせたとかいうあの戦と関係しているのだろうが……」

 手櫛で髪を適当に整えながら記憶を辿り、集めた情報と繋ぎ合わせようと試みる。
 上空から見下す──認識することが可能なのは、『帝都』である東京の一部だけ。

 凪咲が通うと言っていた学校を含めた周辺一帯が『覚えのない結界』に覆われている。
 不可視の結界を捉えることはやはり叶わず、中の様子も見えているのに認識できない。

「力が、戻れば」

 結界など壊すこともすり抜けることも、自在にできる。

 凪咲が作ってくれた弁当やオヤツは、平らげてしまった。
 やはり美味かったし、やはりあり得ないほど力を有していた。

「単純な結界なら、どうとでもなるんだが」

 この結界、と彼は忌々しく呟く。

「人間だけは易易やすやすと通す……人間以外は通るなと言っているようなもの……」

 九つある銀色の長い尾をざわざわと揺らし、銀色の耳も見せつけるように揺らす。
 力で存在を覆っているので、誰に存在を認識されるわけでもない。苛立ちと憎らしさが表に出ただけだと、彼はわかっている。

「だからああ言ったのか? お人好しの凪咲」

 歯が牙に変わり、瞳孔が縦長になり、獣のように低く唸る。

「何をもってして『人間』か。結界の本質の穴を突けば、それこそ力業でどうとでもなる」

 獣のように低く唸る彼は、唸るのをやめる代わりに笑った。
 この世の全てに怒りを向け、そんな自分に怒りと不甲斐なさを向けて、嘲笑にも似た笑い声を空に響かせる。

「俺が力業で結界を通り抜けたとして、お前が喜ばないことは理解している。……凪咲よ」

 嘲り笑う声がやみ、感情を抑え込んでいるような静かな低い声が、昼過ぎの春空に吸い込まれていく。

「この俺を」

 心の底から優しいと伝えてくる、お人好しで世間知らずで阿呆な凪咲。

「お前を苦しめているものは、俺と住まうあの家だけではないだろう?」

 静かな低い声に、抑え込んでいた感情の一部──遣る瀬無さが混じる。

「あの家も、その他のことも。お前を苦しめる全てを、お前は知られたくないらしいな」

 腕を組み、舌打ちをする。

「その中身が気に食わん」

 知られたら、大切な存在を苦しめ、不幸にする。
 だから知られたくない。

 僅かに取り戻した力でもはっきりと読み取れるほど──読み取れと言うように強く願う想いまで、読み取れた。

「気に食わん上に、俺の力は無きに等しい状態だ。お前のためにできることなど、たかが知れている」

 自分は無力で非力な存在だと、『どこぞの誰か』は涙を流して悔いていた。

「……お人好しの凪咲。俺は、」

 無力で非力な自分を今すぐにでも殺してしまいたいが、そんな考えはお前のためにも誰のためにもならない。

 それでも望んでしまったのは───…………

「……俺を助けると言っただろう、凪咲。俺を助けるために、助けられろ。たかが知れている力でも、お前のためにできることはあるはずだ」

 結界を睨みつけて遣る瀬無く呟いたユキは、銀色の長い髪を風に煽られながら、結界に手を伸ばした。

 ◇

「やっと起きたか、馬鹿」

 おぼろげに見えた景色──白い天井が一等階級保健室の天井で、聞こえた声が誰のものであるかも頭が回った凪咲は、

「そうかいちょ、──ッ!」

 反射的に体を起こしかけ、痛みに呻いてベッドへ倒れ込む。

「俺が許可して保健医が施したのは応急処置と着替えのみ、応急処置に含まれる軽い鎮痛剤もとっくに切れてるんだ。どうせ痛みで目を覚ましたんだろ。下手に動くな、馬鹿」

 左側を下に倒れ込んだベッドのすぐ横、頭側にある椅子に座って冷淡な眼差しを向けてくる理人を、凪咲は仰ぎ見るように見つめ返した。

「……すみません。ご迷惑をおかけしました。入学式は、」
「何の問題もなく終わった。終わって新入生も下校してから一時間以上経ってる。時々様子を見に来てたが、仕事を終えてから30分近く待機してた。だから「やっと起きたか」って言ったんだよ、馬鹿」

 ため息を吐いた理人に謝罪を重ねようとした凪咲は、

「ほどほどにしとけって言ったよな」

 屈み込むように顔を寄せ、頬に手を当ててきた理人の責めるような雰囲気に口をつぐむ。

 ベッドを囲むカーテンは締め切られていて、近くに人の気配はない。部屋のカギも閉まっているんだろう。

 これからすることのために、二人きりの空間を作る必要がある。

 いつものこと、いつもの行為。

(なのに、なんだろ)

 また何か、いつも通りではない『何か』が、日常を遠く感じさせる。

 内側に存在する『何か』が、日常と凪咲じぶんの間にある『別の何か』を拒むような。

 まるで、護ってくれているような。

「お前はなんだ? 馬鹿」

 茶色の瞳に冷たく見据えられ、モヤがかかる思考を巡らせる凪咲は、ぼんやりしたまま口を動かす。

「松崎凪咲です」

 眼前にある茶色の瞳がどこか戸惑ったように揺れるのを、凪咲は不思議に思いながら見つめ返す。

「……お前と俺は、はたから見てどういう関係だ?」

 冷淡さの中に淀んだ感情を僅かに滲ませる理人に、問いかけられた。

「自分は最初、総会長に『松崎家』を売り込むために近づきました」
「それで? 姿勢、直せ」

 自分で仰向けに戻る痛みもどこか遠く、着替えた服──理人のジャージの前を開けられることより、理人がいつも通りではないことに意識がいく。

「ですが、総会長の人柄に惹かれました。松崎家を売り込みたいのもありますが、総会長と友人になれたらと願って行動しています」

 こういう時の理人は自分に冷たい態度を見せるのに、今は淀んだ雰囲気をまとって、何かに戸惑っている。

 どうしたんだろう。

 モヤがかかる頭で考えながら、凪咲は続きを話していく。

「総会長は懐が深く優しい方なので、自分を気にかけてくださいます。周囲のストレス発散の役目を担い、仕事をこなした分だけ、総会長に傷を癒やしてもらえます」

 上半身はジャージ以外着ていない。凪咲の胸や腹に触れる理人の手が、凪咲が受けた傷を『癒やして』いく。
 鷹司家が受け継いだ神の力の一つ。
 その力で癒やされる。……癒やされるというのは、こんな感覚だったっけ。

(だったも何も、これしか知らないだろ)

 頭の片隅で疑問を浮かべる自分に、凪咲は事実を述べる。

「総会長はやらかした自分を見捨てないでくれました」

 どこかで誰かが泣いている。遠いのに、やけにはっきりと聴こえる。

(どこからだろ)

 遠いけど、近い。
 すぐそばに居る遠い存在が、昔のように泣いている。

 そう思う自分は、どうかしてしまったのだろうか。

 鷹司理人が泣いている場面に、松崎凪咲は出くわしたことなどない。

「いつか総会長と友人に、友人以上になれたらと願う自分を、総会長は許してくれて──」
「もういい黙れ、何も喋るな」

 淀んでいる雰囲気の理人に泣きそうな表情で睨みつけられた凪咲の心に、

 ──鷹司も帝国も俺も、あなたを壊し続ける全部、みんな全部壊れちまえ。

 理人の〝声〟が届いた。

 泣いている理人の『あなた』は、凪咲自分だ。

(……俺、また)

 助けてもらってたのか、ユキに。

「理人、ごめん。黙りたくない」

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