銀色九尾な孤の彼と

山法師

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学校と日常

10 旧帝都からの来訪

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「ユキ待って! ユキは何も悪くないけど待って!」

 ユキの口を左手で塞ぎ、ほぼ空になっている弁当をテーブルに素早く置いて、反射的に身を強張らせた理人の頭を撫でるように右手を乗せた。

 目を丸くしているユキと理人を交互に見て、大事な二人に安心して欲しくて、

「今のユキの質問ね、ただ気になってるだけだと思うんだ」

 理人に大丈夫だよという気持ちを込めて微笑みかけ、

「今言ったけどさ。理人がどう答えるのかなって気になってるのかなって思ったんだけど、合ってる? ユキ」

 お願いと気持ちを込めてユキに微笑みかける。

 伝わったらしく呆れた眼差しになったユキの口から、凪咲は手を離した。

「言いたいことは分かった。もとより、どう答えようとも不快に思わんし、責め苦を与えるつもりもない。才能もあるだろうが、理人の努力を買っているから問いかけた。答えたくなければ答えるな。理人のためにならないことは、凪咲のためにならないと理解した」

 その理解の仕方はどうなんだろう。

(でも、ユキ)

 呆れている表情と声だけど、少しだけ心配そうな目で理人を見ている。

 やっぱりユキは優しいなと思っていたところで、

「だが、それとは別に」
「え? え?? ユキ??」

 呆れから苛立った表情と一段低い声になったユキに右肩を引き寄せられ、座っていたまま──ユキの胸元近くに左頬を押しつけるような形で、両腕で抱きしめられるような姿勢になった。

(いや、もう、これ)

 ようなではなく、抱きしめてるよね? ユキお前、急に何?

「お前にとって親密な関係で特別な相手は、俺にとっても同様でありそれ以上だと理解しておけ。理人」

 なんでここに来て、またよく分かんない挑発をするの?

 目を白黒させる凪咲の視界に、呆気にとられていた理人が怒りを込めて笑みを作る光景が映る。

「……答えてやるよ……妖狐……」

 頭から離れてしまった凪咲の右手を、

(理人??)

 なぜか指を絡めるように握ってきた。

「一番の決め手は、お前の言動だ。妖狐」

 怒りを込めた笑みをユキに向け、握ってきた手を胸元に引き寄せ、ユキに抱きしめられている状態の凪咲の腰に腕を回してくる。
 腰に回した腕で凪咲を引き寄せようとしているようで、けれども上手くいっていないらしく、理人は凪咲に体を寄せる姿勢になった。

「ほう、俺の言動か」

 抱きしめられているので顔は見えないけど、ユキの声はさっきと同じ苛立った低い声で続きを促す。

 理人の瞳に映り込む景色からどうにか見えたユキも、理人に合わせたような笑顔だ。

(それもなんだか)

 声と同じように苛立っている様子の笑みだ。

 ユキと理人が、また。

(よく分かんない攻防を始めた……?)

 それに、と凪咲は頭の片隅で思う。

(近距離で挟まれてるよね……俺……二人ともさ……気づいてるかな……)

 背が高くて肩幅もぱっと見よりあるユキと理人の間に小柄な凪咲が居るのだと、恐らく、というか確実に、よくよく見なければ分からない状態になっているように思う。

(俺、完全に見えなくなってる気がするから)

 緊急事態でも起きて誰かが部屋に入ってきたら、笑顔で身を寄せ合ってるふうなユキと理人が誤解され────

「あっは! ごめんごめん、お邪魔しました」

 カギのかかっているドアがカギを壊す音もなく勢いをつけて開く音とほぼ同時に、明るい女性の笑い声と軽い雰囲気で謝罪する言葉が聞こえた。

(この声)

 聞こえた声にか自分たちの状況が頭に入ったのか、目を見開いて固まったユキと理人のためにも。

 何人か一緒に来たらしく、狼狽えている様子の学内関係者のためにも。

 知っているヒトである彼女が、

「失礼しました。お気の済むまでどうぞ」

 あえてだと分かる軽い口調でドアをゆっくり閉めていく間に──時間をくれている間に。

「ちょっとした誤解があるかと思います! 自分もいます! 菰田こもださん待って!」

 ユキと理人に挟まれたまま、凪咲は声を張り上げた。

 ◇

「なっちゃんが身を挺して庇ってくれたおかげで、なっちゃんが悪者みたいになっちゃったねぇ。今の心境を聞いてもいい? なっちゃんを挟んでるままのおふたりさん」

 対面のソファに座っている女性がにっこりと笑いかけると、

「凪咲には詫びて周囲へは軽く説教でもしてやりたいところだが。呼びかけもせず扉を開けたのはそちらだろう、菰毬こもまり

 左隣で書類に筆を走らせるユキは、彼女を軽く睨んだ。

「状況を分かっていて扉を開けたことには理解を示すが、そこまでの過程が雑すぎる。返事だけでなく書類も必要だとして、返事と書類だけ寄越せばいいものを、足を運んだ理由も理解しがたい」

 言いたいことを全部言った合図のようにキレのいい舌打ちをしたユキは、殴り書きのような気迫なのに丁寧に筆を走らせ続ける。

「神使としての狐も妖狐も、こういう者ばかりだから一目で分かるし嫌なんだ」

 右隣でソファに背を預け、腕と足を組んでいる理人は、

「周囲に罰則を与えるのはこちらの役目であって、凪咲にどう詫びるのかも不安がある。不審者ではないと認められても、部外者であることには変わりないからな。引っ込んでろ、この場で堂々と身元証明書を書いている築城幸」

 ユキが菰毬と呼んだ彼女ではなくユキを厳しく睨みつけて、咎めるようにユキが書き込んだ名前でユキを呼んだ。

 対面に座る見た目の年齢はユキと同じくらいに思えるドレススーツ姿の彼女は、緩くウェーブがかかった背中まである黒髪を揺らすように首を傾け、金茶色のつぶらな瞳を楽しそうに細めて笑みを深める。

 彼女の表情や仕草は、これから凪咲も含めてどうなるかを見定めているように思えた。

(俺が)

 二人に伝えるべきだよね。二人とも分かってるんだろうけど。

「あの、ユキ。菰毬さん、人間として来てるからさ。誰か来たら、人間のほうの『菰田真理亜まりあ』さんっていう名前で呼んでね。なるべくでいいから」

 筆で書類を裁いていくユキに、遠慮気味に声をかける。

 彼女の金色の狐耳は人間の耳だし、八本ある金色の尻尾も『仕舞って』いる。
 伏見のヒトが帝都に来る時は、基本的に人間の姿を取って人間として振る舞う。

「人間の名が菰田真理亜だとして、縮めて呼んでいるようなものだと言いたいが。凪咲のためにならないようだな、心がけよう」

 書類を裁きながら不貞腐れた声で、

(すごい理由付けされて言われたけど)

 今はもう、それでいいです。

 どういう繋がりで知り合っていたかなんて、それこそ人ではないヒトのネットワークがあるから、驚かないし深掘りも良くないと分かっている。
 伏見の神使狐である彼女とユキが知り合いなのは、狐同士なのもあって驚きも少ない。

 それに、彼女が人間としての名前を持っている理由は──

「理人もね、菰田さんが伏見の纏め役なの忘れてないんだろうけど」

 人間社会と深く関わる人でないヒトたちは、人間社会に合わせてくれて『人間としての名前』を使うことも多い。
 天帝や帝国と古くから関わりがある伏見の纏め役だからと、菰毬も人間としての名前を使っている。

「誰か来たら総会長の理人になってね、できるだけ。あと、ユキはこれから部外者じゃなくなるっぽいのも、分かってる……よね……? あれ? 分かってなかった?」

 驚いたように見つめ返してきた理人に、凪咲が首を傾げた時。

「伏見からの派遣でここの職員に任命する旨の書類がある。凪咲はそれについてを言っているんだ、理人」

 全部を記入し終えたらしく筆を置いたユキの言葉を聞いて、

「は?!」

 本当に分かっていなかったらしい理人が目を丸くした。

「俺にとって都合が良いので承諾するが、それと別に気になることを凪咲が言ったな。菰毬が伏見を治めているのか? 書類上は違うようだが。老獪ろうかいどもはどうした?」

 顔を上げたユキは不愉快そうな、それでいて素直そうな雰囲気で、菰毬に疑問を投げかけた。

(老獪呼びするんだ……)

 伏見のヒトたちと折り合いが悪いのかな。

(だとしても)

 菰毬さんとは仲が良いみたいだな。

(そういや)

 菰毬の髪に目がいった凪咲は、頭の片隅で考える。

(黒髪、だよな)

 でもあの時とユキの雰囲気が全く違うし、別の黒髪の誰かが。

(ユキの)

 大切な誰かなのかな。

 頭の片隅に居る凪咲じぶんが、凪咲に問いかけてくる。

 なんで今、そのことを考えた?

(なんでって)

 そんなの、決まってる。

 ユキの大切な誰かがまだ存在する相手なら、彼は──

「複数で纏めて役割分担してるの。あたしもそのひとりで、あたしは表に出る役割を担うことが多いのよ」

 ユキに微笑んだ菰毬の明るい声で、凪咲は我に返った。

(俺、今)

 何を考えて。

「あたしひとりでここまで来るの、結構面倒だったのよ? 主に書類上のコイツのせいで」

 苦笑を浮かべて証明書を引き寄せた菰毬の言葉と、

「面倒か。どういう意味で面倒だったんだ?」

 呆れたような表情と声になり、銀色の瞳がどことなく嬉しそうに揺れたユキの言葉で、

(あのヒトが)

 彼が月白雪の大切な存在なのだと確信した凪咲は口を開いた。

「俺と居たら漆柘榴しつざくろさんに会えないよ、ユキ」
 
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