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4 気にするな
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夏真っ盛り、晴天、午後。
小学校に上がる前年だったガキの俺は、地元の海岸近く、陽射しがカンカン照りの道端で、猫を見つけた。
ガリガリに痩せていて、ボサボサの毛もところどころ禿げている猫が。
思い返せば、成猫だった気がする猫が。
倒れていたのを、見つけた。
見つけた俺は、近くに寄ってしゃがみ込んで、
『ねこさん、だいじょぶ?』
声をかけてみた。
猫からの反応はなかった。
けれど腹がかすかに上下していたから、生きてるんだろうなと思った。
ガキだったから、そういう時のちゃんとした対処法なんて分かってなくて。
猫が食べても平気なものすら知らなくて。
『これ、おべんとうの、のこっちゃったやつ。あげる』
自分で作ると豪語して、親の手を九割以上借りながら弁当のデザートとして作ったそれ。
三口くらいで食べきってしまう小ささの使い捨てタッパーに、また親の手を借りながら詰めたそれ。
ちゃんとバニラアイスを添えたタイプのバナナフォスターと、ジーマーミ豆腐。
作ったアイスが溶けないようにと、ドライアイス以上に保冷できるとかいう保冷剤を、タッパーと一緒に保冷バッグへギチギチに詰め込み、逆に噛み砕けないほどカチカチに凍ってしまったそれ。
帰ってから食べようと思っていたそれを、横向き、左を下に倒れている猫の顔の前に置いた。
『はい、どうぞ』なんて言って、タッパーのフタを開けてみたりして。
ガリガリの猫は鳴きも威嚇もしなかったが、一瞬、チラリとこっちへ目を向けた。
反応はそれだけだった。
それでも何か良いことをした気になっていた俺は、『ねこさんじゃあね』と手を振ったりなんかして、そのまま帰った。
帰って、親に今日あったことついでに、良いことをした気分のままで猫のことを話した。
その猫さんがどの辺りに居たとか、まだ覚えてるかな? 覚えてるなら教えてもらってもいい?
聞いてきた親を、覚えてるし説明するより行くのが早いと、猫が倒れていた場所まで案内した。
案内、したけど、猫は居なくて。
空のタッパーが道の端に転がっていただけだった。
その時、急に、悪いことをしたんじゃないかと思えてきた。
あれっぽっちの食べ物だけやって、すぐに大人を呼びもしないで、良いことをした気になって。
ガリガリの、倒れて動かない、けれど生きている猫を、置いて帰った。
日陰に移動させることすらしないで。
俺は親に縋り付いて、
ねこさんだいじょぶかな、しんじゃったりしちゃったかな、どっかいっただけかな、ここにいたんだよ、あのしかくいの、おべんとうのやつだよ。
泣きながら何度も言った。
親はこういう時にいつもそうしてくれていたように、泣き出した俺を抱き上げて、背中をさすってくれながら、
元気になったんだよ、元気になったから帰れたんだよ。
そんなことを言ってくれたような記憶があるけど、泣いていたから、ちゃんと覚えていない。
でも、ガリガリの猫は本当に生きていた。
猫が生きてると知れて、再会だってできた。
けど、その再会のタイミングが、最悪だった。
◇
あれから数日経っても塞ぎ込んでいた俺を、どうにか元気づけようとしてくれたんだと思う。
親は近所の人たち、近くに住む親戚、俺の友達や友達の親や保護者たちへ声をかけ、俺を海へ連れて行ってくれた。
当時、まだ観光客にはあまり知られていなくて、地元の人間だけでのんびりできる、少し岩場が多めな海岸。
親はしっかりしてたから、俺にライフジャケットを着せてくれたのに。
他の大人たちも、危険がないか見ていてくれたのに。
俺は溺れた。
溺れて死にかける目に遭わされた。
泳ぎは得意なほうだったけど、得意でも不得意でも、防げるものじゃない。
足が攣ったとか、岩に引っかかったとか、呼吸を間違えたとかでもない。
何かに足を、しかも両足を掴まれて、海の底へ引きずり込まれそうになった。
両足を掴まれた瞬間、反射的にそちらを見て、ゾッとしたのを覚えている。
いつもはそれほど深くもない海の底が、数メートル数十メートル数百メートル、それ以上。
どこまで続いているか分からないほど深くなっていた。
その奥、真っ暗な海の底へ自分は引きずり込まれるのだと、理解してしまったから。
咄嗟に岩にしがみついて、海面ギリギリで必死に声を上げ、助けを求めた。
大人たちも友達も、たぶんその場の全員が気づいてくれたけど。
ガキの腕力も握力もたかが知れているし、俺の足を掴んだ『何か』は、全力で岩にしがみつく俺より強い力で自分を引っ張った。
俺の手は呆気ないくらい簡単に岩から剥がされ、海の底、本当に海の底かも分からない場所へと、『何か』によって引きずり込まれかけて。
悲鳴のような音を聞いた。海の中で。
足を掴んでいた『何か』が、足を離した。
足から、自分から離れていく。
急に、何が起こったのか。
引きずり込まれそうになったせいで溺れかけ、遠のきかけていた意識で、そちらへ顔を向け、見えたのは。
自分を掴んでいたんだろう『何か』へ爪を、牙を立てている、猫だった。
あの、ガリガリの猫だった。
いきてた。
最初に思ったのは、それ。
なんでいるんだろ、ねこってみず、きらいじゃなかったっけ。
次に浮かんだのは、素朴な疑問。
それ、あぶないよ。
ねこさん、あぶないよ。
やっと危険性に気が回って。
ねこさん、しんじゃう。
だめだよ。
いきてたんでしょ、しんじゃだめだよ。
うち、きなよ。
たぶん、ねこさん、いっしょにくらせるから。
ガリガリのねこさんじゃなくできるから。
だから、だから。
自分の代わりに行っちゃだめだ。
死んじゃ駄目だ。
戻ってきて。
そこから離れて。
死んじゃ駄目だ。
死なないで。
行かないで。
深く暗い海の底へ逃げ込む『何か』に爪と牙を立てたまま、ガリガリの猫がこっちを見た。
チラリと、あの時と同じように、あの時とは違う意味の、目を向けた。
──気にするな。アレが案外、口に合っただけだ。
ガリガリの猫は、目だけで言って。
果てのない海の底へ逃げ込む『何か』へ爪と牙を立てたまま、ともに海の底へ行ってしまった。
◇
溺れかけた俺は、親や大人たちと、118番110番119番全部呼んでそこから来てくれた人たちと、──ガリガリの猫のおかげで助かった。
それから何回も、何回も何回も、去年だって。
海に入れる時期は毎日のように、同じ場所へ行って、潜って、確認して探し回ったけど。
深くて、真っ暗で、果てのない穴のような海の底は存在しないし、ガリガリの猫を見つけ出すことも、とうとうできなかった。
成果らしい成果と呼べるのは。
親からきちんと、一から十まで教わって覚えた、バナナフォスターと、バナナフォスターに欠かせないバニラアイスと、ジーマーミ豆腐。
完璧だよと、親に言ってもらったそれらの出来と。
『猫でも食べられる』バナナフォスターもどき(バニラアイス抜き)と、バニラアイスもどきと、ジーマーミ豆腐もどきとを、色んな人の力を借りながら、一応の形にしたくらい。
そんなことをしながら、猫も含めた動物の保護活動に参加したり。
猫についてのあらゆることを、周囲に沢山助けてもらいながら、調べられるだけ調べたり。
その関係で決めた大学を受験して合格して、無事に進学できることになって。
地元の団体と協力関係にある、主な活動地域は首都圏の保護活動団体へと、異動みたいな形で所属して。
保護動物を一時預かりできるようにと、保護団体の人たちも何人か同じ理由で住んでいる、ペット可のアパートへ引っ越した先で。
コイツと出会った。
ガリガリじゃない、体毛もボサボサじゃないし禿げてる訳でもない。
毛色も瞳の色も記憶と違う……というか、こんな色の体毛を持つ猫なんて見たことも聞いたこともないし、頭の良さはともかく、大きさがファンタジー過ぎる。
片手に収まる大きさの猫って何?
子猫でもないのに。
ガリガリの猫の声だって知らないから、似ているかの比較もできない。
そもそも、コイツが猫かも分からない。
小学校に上がる前年だったガキの俺は、地元の海岸近く、陽射しがカンカン照りの道端で、猫を見つけた。
ガリガリに痩せていて、ボサボサの毛もところどころ禿げている猫が。
思い返せば、成猫だった気がする猫が。
倒れていたのを、見つけた。
見つけた俺は、近くに寄ってしゃがみ込んで、
『ねこさん、だいじょぶ?』
声をかけてみた。
猫からの反応はなかった。
けれど腹がかすかに上下していたから、生きてるんだろうなと思った。
ガキだったから、そういう時のちゃんとした対処法なんて分かってなくて。
猫が食べても平気なものすら知らなくて。
『これ、おべんとうの、のこっちゃったやつ。あげる』
自分で作ると豪語して、親の手を九割以上借りながら弁当のデザートとして作ったそれ。
三口くらいで食べきってしまう小ささの使い捨てタッパーに、また親の手を借りながら詰めたそれ。
ちゃんとバニラアイスを添えたタイプのバナナフォスターと、ジーマーミ豆腐。
作ったアイスが溶けないようにと、ドライアイス以上に保冷できるとかいう保冷剤を、タッパーと一緒に保冷バッグへギチギチに詰め込み、逆に噛み砕けないほどカチカチに凍ってしまったそれ。
帰ってから食べようと思っていたそれを、横向き、左を下に倒れている猫の顔の前に置いた。
『はい、どうぞ』なんて言って、タッパーのフタを開けてみたりして。
ガリガリの猫は鳴きも威嚇もしなかったが、一瞬、チラリとこっちへ目を向けた。
反応はそれだけだった。
それでも何か良いことをした気になっていた俺は、『ねこさんじゃあね』と手を振ったりなんかして、そのまま帰った。
帰って、親に今日あったことついでに、良いことをした気分のままで猫のことを話した。
その猫さんがどの辺りに居たとか、まだ覚えてるかな? 覚えてるなら教えてもらってもいい?
聞いてきた親を、覚えてるし説明するより行くのが早いと、猫が倒れていた場所まで案内した。
案内、したけど、猫は居なくて。
空のタッパーが道の端に転がっていただけだった。
その時、急に、悪いことをしたんじゃないかと思えてきた。
あれっぽっちの食べ物だけやって、すぐに大人を呼びもしないで、良いことをした気になって。
ガリガリの、倒れて動かない、けれど生きている猫を、置いて帰った。
日陰に移動させることすらしないで。
俺は親に縋り付いて、
ねこさんだいじょぶかな、しんじゃったりしちゃったかな、どっかいっただけかな、ここにいたんだよ、あのしかくいの、おべんとうのやつだよ。
泣きながら何度も言った。
親はこういう時にいつもそうしてくれていたように、泣き出した俺を抱き上げて、背中をさすってくれながら、
元気になったんだよ、元気になったから帰れたんだよ。
そんなことを言ってくれたような記憶があるけど、泣いていたから、ちゃんと覚えていない。
でも、ガリガリの猫は本当に生きていた。
猫が生きてると知れて、再会だってできた。
けど、その再会のタイミングが、最悪だった。
◇
あれから数日経っても塞ぎ込んでいた俺を、どうにか元気づけようとしてくれたんだと思う。
親は近所の人たち、近くに住む親戚、俺の友達や友達の親や保護者たちへ声をかけ、俺を海へ連れて行ってくれた。
当時、まだ観光客にはあまり知られていなくて、地元の人間だけでのんびりできる、少し岩場が多めな海岸。
親はしっかりしてたから、俺にライフジャケットを着せてくれたのに。
他の大人たちも、危険がないか見ていてくれたのに。
俺は溺れた。
溺れて死にかける目に遭わされた。
泳ぎは得意なほうだったけど、得意でも不得意でも、防げるものじゃない。
足が攣ったとか、岩に引っかかったとか、呼吸を間違えたとかでもない。
何かに足を、しかも両足を掴まれて、海の底へ引きずり込まれそうになった。
両足を掴まれた瞬間、反射的にそちらを見て、ゾッとしたのを覚えている。
いつもはそれほど深くもない海の底が、数メートル数十メートル数百メートル、それ以上。
どこまで続いているか分からないほど深くなっていた。
その奥、真っ暗な海の底へ自分は引きずり込まれるのだと、理解してしまったから。
咄嗟に岩にしがみついて、海面ギリギリで必死に声を上げ、助けを求めた。
大人たちも友達も、たぶんその場の全員が気づいてくれたけど。
ガキの腕力も握力もたかが知れているし、俺の足を掴んだ『何か』は、全力で岩にしがみつく俺より強い力で自分を引っ張った。
俺の手は呆気ないくらい簡単に岩から剥がされ、海の底、本当に海の底かも分からない場所へと、『何か』によって引きずり込まれかけて。
悲鳴のような音を聞いた。海の中で。
足を掴んでいた『何か』が、足を離した。
足から、自分から離れていく。
急に、何が起こったのか。
引きずり込まれそうになったせいで溺れかけ、遠のきかけていた意識で、そちらへ顔を向け、見えたのは。
自分を掴んでいたんだろう『何か』へ爪を、牙を立てている、猫だった。
あの、ガリガリの猫だった。
いきてた。
最初に思ったのは、それ。
なんでいるんだろ、ねこってみず、きらいじゃなかったっけ。
次に浮かんだのは、素朴な疑問。
それ、あぶないよ。
ねこさん、あぶないよ。
やっと危険性に気が回って。
ねこさん、しんじゃう。
だめだよ。
いきてたんでしょ、しんじゃだめだよ。
うち、きなよ。
たぶん、ねこさん、いっしょにくらせるから。
ガリガリのねこさんじゃなくできるから。
だから、だから。
自分の代わりに行っちゃだめだ。
死んじゃ駄目だ。
戻ってきて。
そこから離れて。
死んじゃ駄目だ。
死なないで。
行かないで。
深く暗い海の底へ逃げ込む『何か』に爪と牙を立てたまま、ガリガリの猫がこっちを見た。
チラリと、あの時と同じように、あの時とは違う意味の、目を向けた。
──気にするな。アレが案外、口に合っただけだ。
ガリガリの猫は、目だけで言って。
果てのない海の底へ逃げ込む『何か』へ爪と牙を立てたまま、ともに海の底へ行ってしまった。
◇
溺れかけた俺は、親や大人たちと、118番110番119番全部呼んでそこから来てくれた人たちと、──ガリガリの猫のおかげで助かった。
それから何回も、何回も何回も、去年だって。
海に入れる時期は毎日のように、同じ場所へ行って、潜って、確認して探し回ったけど。
深くて、真っ暗で、果てのない穴のような海の底は存在しないし、ガリガリの猫を見つけ出すことも、とうとうできなかった。
成果らしい成果と呼べるのは。
親からきちんと、一から十まで教わって覚えた、バナナフォスターと、バナナフォスターに欠かせないバニラアイスと、ジーマーミ豆腐。
完璧だよと、親に言ってもらったそれらの出来と。
『猫でも食べられる』バナナフォスターもどき(バニラアイス抜き)と、バニラアイスもどきと、ジーマーミ豆腐もどきとを、色んな人の力を借りながら、一応の形にしたくらい。
そんなことをしながら、猫も含めた動物の保護活動に参加したり。
猫についてのあらゆることを、周囲に沢山助けてもらいながら、調べられるだけ調べたり。
その関係で決めた大学を受験して合格して、無事に進学できることになって。
地元の団体と協力関係にある、主な活動地域は首都圏の保護活動団体へと、異動みたいな形で所属して。
保護動物を一時預かりできるようにと、保護団体の人たちも何人か同じ理由で住んでいる、ペット可のアパートへ引っ越した先で。
コイツと出会った。
ガリガリじゃない、体毛もボサボサじゃないし禿げてる訳でもない。
毛色も瞳の色も記憶と違う……というか、こんな色の体毛を持つ猫なんて見たことも聞いたこともないし、頭の良さはともかく、大きさがファンタジー過ぎる。
片手に収まる大きさの猫って何?
子猫でもないのに。
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