ただ君だけを

伊能こし餡

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酒場の喧騒

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「ほらほら! お前も飲め!」
「マスター!酒持ってこい! こんなんじゃ足りねえよ!」

  アブリフがトルキスタンから帰ってきて三日、酒場は大盛り上がりで一向に気分が下がる気配がない。それもそのはず、この大地に生きる人間は、みんな酒が大好物だ。
  マスターは売り上げが上がって嬉しいだろうが、私は今までにないほどのハイペースでこの三日間歌ってきたので喉がはち切れそうなほど痛い。アブリフがギターを弾く手も辛そうだし、ムージャは、変わらず元気に踊っているけれど・・・・・・。みんな私たちと同じように生活が苦しいはずなのに、どこにそんなお金があるのか。

  あの兵隊さんも、ここ三日は姿を見ていない。総督府が攻撃されたとなれば、流石に軍も動くだろうとは思っていたけれど、もしかしたらあの兵隊さんも現地に行っているのかもしれない。

  少しだけ、寂しいな・・・・・・。あの兵隊さんは他の貴族連中とは違う、真剣に、今のロシアについて考えている。なんとなくだけどそんな気がする。

「姉ちゃん・・・・・・」
「ん? アブリフか、なんだい?」
「兄ちゃんが兵隊をぶん殴ったって・・・・・・大丈夫? 目を付けられたりしてない?」

  アブリフは私やムージャと違って気弱で話し声も小さい。この酒場の喧騒の中では、聞き取るので精一杯だ。
  一体どこから聞いたのか、思春期の弟は一丁前いっちょまえに、兄の心配をしているようだ。

  いや、兄だけではない。今はこの店は反体制派の組織の隠れみのになっている。もし万が一軍に目を付けられようものなら、今までよりももっと慎重に動かなければならなくなる。アブリフは子供ながらにそこまで考えているに違いない。

「大丈夫、あいつが殴った相手は、そんなことで私たちを恨んだりはしないよ。それに、アブリフが頑張ってきてくれたおかげで、今頃軍はてんてこ舞いだろうから、ここ数日は姿も見てないしね。私たちを恨む暇はないと思うよ」

  なにかと心配性なこの子に、負担をかけまいと優しくさとすと安心したように顔をほころばせた。流石私の弟、可愛い。お父さん似のムージャと違って、お母さんに似たアブリフは丸顔で、笑うと笑い皺ができてまるで小さい子供みたいな可愛さがある。

「あんたも帰ってきてロクに休んでないし疲れたろ? マスターに早めに上がれるように頼んでみるよ」
「うん・・・・・・あ、でも」

  アブリフがおもむろに私の額に左手を当ててきた。ヒンヤリ冷たいと同時に、少し鉄くさい。ずっとギターを弾いてきたからだ。

「姉ちゃんも早く上がりなよ、熱っぽいし。それに、看板娘が倒れたらみんな悲しむよ」

  アブリフはそう言って、また笑い皺を作ってみせた。その無邪気な笑顔は、疲れ切った私の心までも癒してくれる。

「ありがとう・・・・・・お前の気持ちだけで姉ちゃんは元気だよ。私はまだまだ歌えるさ」

  この子に、好きなことをさせてあげられるだけのお金があれば・・・・・・。
  重い税に苦しむことのない国になれば・・・・・・。
  
  そのためには、皇帝を倒し労働者の国家を作る。ムージャの言っていることは間違ってない・・・・・・。だけど・・・・・・だけど、他にやり方はないの? こんな暴力で、本当に国が変わるの? 暴力で国が変わったとしてその先には一体なにがあるの?

  俯いてしばらく考え込んでいると、ガラガラと店の戸が開く音がした。客だ、反射的にそっちを見る。客の姿を瞳に映し、いつもの営業スマイルに切り替える。アブリフが言ったように、私はここの看板娘だ。湿っぽい顔は見せてられない。

「いらっしゃい、兵隊さん」
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