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歓びの里 [ランド、七日間の記録]編
日録15 イタチの素顔と治癒師の裏の顔
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「えろう…すんませんでした…」
しょぼんと頭を垂れたイタチが一匹。ランドの前に引っ立てられて、神妙にかしこまっている。
小さな体がさらに小さく見え、痛い思いをしたとは言え、さすがにランドも気の毒になってきた。
「あの…どうかそのくらいで」
獣の前で仁王立ちになり、厳しい面持ちで見下ろす男に、そっと声をかける。
ヤクジはちらりとランドを見ると、やれやれというように小さく吐息する。
そして「なんと人の好い」と聞こえぬぐらいの呟きをこぼすと、目鑑を指で押し上げた。
「本当なら、小一時間ほど絞りあげたいところなのですが――ソジ…他ならぬお客様のお許しが出ましたよ」
イタチ――ソジがその言葉にぱっと顔を上げた。先ほどまでの憂いは一瞬にして消え失せ、顔面に喜色が戻る。
「ほ、ほな――」
「謝罪は済みました。次はご挨拶しましょうね」
ヤクジがにっこりと口もとに笑みを浮かべる。ぶ厚い目鑑が全てを台なしにしているが、すっきりと通った鼻梁に形のいい唇といい、一つひとつの造形は他の兄弟同様、見目麗しい。
「挨拶て…」
「ちゃんと――人の姿でね」
「―――え?」
ひくりとイタチの口もとが強張る。その鼻面めがけて、ヤクジが握り込んだ拳を突き出した。
何をするつもりなのか悟ったソジが、慌てふためいて逃走を目論むも――ヤクジの口から術が放たれるのが一瞬早かった。
「“解く”」
呪を受けた途端、イタチの姿がまるで熱い湯を浴びたかのように激しく反応する。
「やめてぇ…っ――兄ちゃん…っ!」
ぐるぐると苦しげに獣がのたうちまわる。獣の輪郭がぼやけたかと思うと、人と獣の姿が交互に現れ始めた。
おそらく、強制的に変化を解かれているのだろう。
「お、俺の姿は、秘中の秘密。誰にも、明かすわけに…いかんねやっ…」
「もちろん。この兄がそんなことを知らぬはずがないでしょう。全部は剥ぎ取らないので安心なさい」
ほどなく獣の姿が、人の形になった。
ランドの目の前には、七歳くらいの男の子が、行儀よく足を揃えて、ちんまりと座っている。
こちらを見上げる、負けん気の強い瞳は黒。跳ねた髪も黒。――他の兄弟たちと色が違うのは、先ほどの会話を顧みても、きっと仮の姿なのだろう。
「ゆ、ゆっとくけど、こんな成りしとっても、俺は子供とちゃうで。俺のこと、子供や思てナメたら痛い目みるからな」
子供らしい高い声を低めて、ソジが精一杯のドスを利かせようとする。だがいかんせん、見た目の可愛さが勝っている。
ついつい口もとが緩みそうになるのを、ランドは咳払いでなんとか誤魔化した。
同じような場面でうっかり笑ってしまい、泣くは怒るはの大事になった。フェイバリットで何度も経験済みだ。
「ソジ――そうじゃないでしょう?」
ヤクジの低い声に、ソジがはっとした顔になる。いかにも渋々といった感じで、ソジが言葉を絞り出した。
「…俺の名前はソジ。よろしゅう頼んます」
そんなソジに呆れたような溜め息を吐きながら、ヤクジが言い添えた。
「こちらは末の弟、“小指”。ご覧の通りのヤンチャ者ですが、これでも里で一番の変幻の使い手なのです」
「――そやで。チャン兄もなかなかのもんやけど、俺には敵わへんねん」
ヤクジの賛辞に気を良くして、今しがたの仏頂面はどこへやら、子供は鼻高々でふんぞり返る。
「お客様と会わないだろうと申し上げましたが、こちらの小指は、とにかく色々なところに首を突っ込みたがるのが玉に瑕でして…」
「それが俺の仕事やからな! 俺に入り込めんとこなんて、この世にないねん。どんだけ警備を厳重にしても、俺にしてみたら赤子の手をひねるようなもんや」
よく口の回る獣は、人の姿になってもお喋りなところは変わらなかった。
こんな子供が間諜など、にわかには信じられないが、それよりも間諜にしてはお喋りが過ぎるようにランドは思う。
自らの生業を隠しもせず語り続けるソジに、さすがにヤクジの表情が苦笑を通り越して苦々しいものになる。
はぁっと大きく吐息すると、ついに「ソジ」と待ったをかけた。
「それ以上はいけませんよ――お客様の口を封じさせるつもりですか?」
とんでもない科白に、ランドがぎょっとヤクジを見る。ソジはしばらくポカンとしていたが、はっとランドを振り仰いだ。
「――さてはコイツ! 俺を気持ちよう喋らせて、情報を盗もうとする不埒な輩なんか?!」
「――そんなわけないでしょう。イタチ並のことしか喋れないようなら、もうイタチとして生きていきますか?」
「なんなら手伝いますよ」と朗らかに言うと、嘘か真か、ヤクジがすっと片手を差し上げる。
それを見て、ソジが引きつった笑顔を浮かべた。
「い…ややなあ~。ヤク兄ちゃんったら、冗談キツイわ~…」
と言いつつ、若干、子供の腰が引けている。生意気を言うものの、屈折したところがなく感情がわかりやすいのは、元々の性格が素直なのだろう。
「――隠密としてこのお喋りは、致命的なのですが…これでもソジの腕は確かです」
その言葉に乗っかろうと、ソジが頬を紅潮させて再び口を開きかけるも。ヤクジの冷えた一瞥に、慌てて口を噤む。
「もう片方の小指は、これとは全く正反対の性格で、用向きがなければいっかな外に出ようとせず、必要がなければ誰とも喋りません。これまた扱いが難しい。ですがどちらの小指も、こと潜入においては一流の腕の持ち主です」
初対面の自分が、ここまで聞いていいものだろうか。そう思いながらも、ランドは黙って頷くばかりだ。
「どうかこのことはご内密にお願いしますね」
先手を打って、ヤクジがにっこりと笑う。どうやら、下手に隠すよりも、抱き込んだ方が早いと判断したらしい。
治癒師だと本人は名乗っていたが、先ほどまで穏やかに見えていた優しげな面差しが、急に老獪な策士のそれに見えてきた。
どちらが真の姿なのかは、わからない。
ただ一つ言えることは、ランドに出来ることは頷くこと――その一択だけということだ。
治癒師が放つ圧に耐え切れず、ランドは無言でこっくりと頷いた。気がつけば手の平に、じっとりと汗をかいている。
視界の隅で、ソジがこちらをじっと見ているのに気づき、ランドはちらりとそちらを盗み見る。
そこには、黒目がちな目をきらきらと輝かせるソジの顔があった。目が合うと、さも嬉しそうにニンマリと笑って、ひそりと耳打ちする。
「どや。ヤク兄はめちゃめちゃ怖いねんど~。――ええ気味やな」
そう言うと、キキキっと白い歯を見せて笑う。見た目相応の子供っぽい仕草に、ランドは怒りどころか微笑ましく感じて、目を細めた。
「――ソジ」
「ん?」
不意に声をかけられて、なんの警戒もなくソジはヤクジを見る。
「自分はもう終わったみたいな顔をしていますが、大間違いですよ?」
「――んえ? な、なんで?」
「聞きたいことがあります」
ヤクジが静かに告げると、みるみるうちに、黒髪の少年から顔色が失せていく。ランドはそっと目を伏せて、彼に心からの同情を寄せた。
「あなた、お嬢さんの部屋に無断で忍び込んだばかりか、妙なことを口走ってましたね?」
「な、なんのことやろ…? 俺、最近ちょっと物忘れがひどいから――…」
「“悪女”でしたっけ?」
皆まで言わせなかった。
「彼女が“稀代の悪女”だとは――初耳でした。他にも、いくつか興味深い言葉を聞いたように思います」
「き、気のせいちゃう、かなぁ…?」
厚い玻璃に遮られ、見えないはずの瞳が、すうっと細くなるのが、ランドにも見えた気がした。恐怖におののくソジは、もはや声も出ない。
「さて――ソジ。しっかり話を聞かせてもらいましょうか」
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読んでいただき、ありがとうございます。
大変、申し訳ありませんが、
数話を準備できた時は、後書きにて
3日後の更新予告をお知らせします。
今回は、来週水曜に更新予定です。
次回更新も頑張りますので、
どうぞよろしくお願いします。
しょぼんと頭を垂れたイタチが一匹。ランドの前に引っ立てられて、神妙にかしこまっている。
小さな体がさらに小さく見え、痛い思いをしたとは言え、さすがにランドも気の毒になってきた。
「あの…どうかそのくらいで」
獣の前で仁王立ちになり、厳しい面持ちで見下ろす男に、そっと声をかける。
ヤクジはちらりとランドを見ると、やれやれというように小さく吐息する。
そして「なんと人の好い」と聞こえぬぐらいの呟きをこぼすと、目鑑を指で押し上げた。
「本当なら、小一時間ほど絞りあげたいところなのですが――ソジ…他ならぬお客様のお許しが出ましたよ」
イタチ――ソジがその言葉にぱっと顔を上げた。先ほどまでの憂いは一瞬にして消え失せ、顔面に喜色が戻る。
「ほ、ほな――」
「謝罪は済みました。次はご挨拶しましょうね」
ヤクジがにっこりと口もとに笑みを浮かべる。ぶ厚い目鑑が全てを台なしにしているが、すっきりと通った鼻梁に形のいい唇といい、一つひとつの造形は他の兄弟同様、見目麗しい。
「挨拶て…」
「ちゃんと――人の姿でね」
「―――え?」
ひくりとイタチの口もとが強張る。その鼻面めがけて、ヤクジが握り込んだ拳を突き出した。
何をするつもりなのか悟ったソジが、慌てふためいて逃走を目論むも――ヤクジの口から術が放たれるのが一瞬早かった。
「“解く”」
呪を受けた途端、イタチの姿がまるで熱い湯を浴びたかのように激しく反応する。
「やめてぇ…っ――兄ちゃん…っ!」
ぐるぐると苦しげに獣がのたうちまわる。獣の輪郭がぼやけたかと思うと、人と獣の姿が交互に現れ始めた。
おそらく、強制的に変化を解かれているのだろう。
「お、俺の姿は、秘中の秘密。誰にも、明かすわけに…いかんねやっ…」
「もちろん。この兄がそんなことを知らぬはずがないでしょう。全部は剥ぎ取らないので安心なさい」
ほどなく獣の姿が、人の形になった。
ランドの目の前には、七歳くらいの男の子が、行儀よく足を揃えて、ちんまりと座っている。
こちらを見上げる、負けん気の強い瞳は黒。跳ねた髪も黒。――他の兄弟たちと色が違うのは、先ほどの会話を顧みても、きっと仮の姿なのだろう。
「ゆ、ゆっとくけど、こんな成りしとっても、俺は子供とちゃうで。俺のこと、子供や思てナメたら痛い目みるからな」
子供らしい高い声を低めて、ソジが精一杯のドスを利かせようとする。だがいかんせん、見た目の可愛さが勝っている。
ついつい口もとが緩みそうになるのを、ランドは咳払いでなんとか誤魔化した。
同じような場面でうっかり笑ってしまい、泣くは怒るはの大事になった。フェイバリットで何度も経験済みだ。
「ソジ――そうじゃないでしょう?」
ヤクジの低い声に、ソジがはっとした顔になる。いかにも渋々といった感じで、ソジが言葉を絞り出した。
「…俺の名前はソジ。よろしゅう頼んます」
そんなソジに呆れたような溜め息を吐きながら、ヤクジが言い添えた。
「こちらは末の弟、“小指”。ご覧の通りのヤンチャ者ですが、これでも里で一番の変幻の使い手なのです」
「――そやで。チャン兄もなかなかのもんやけど、俺には敵わへんねん」
ヤクジの賛辞に気を良くして、今しがたの仏頂面はどこへやら、子供は鼻高々でふんぞり返る。
「お客様と会わないだろうと申し上げましたが、こちらの小指は、とにかく色々なところに首を突っ込みたがるのが玉に瑕でして…」
「それが俺の仕事やからな! 俺に入り込めんとこなんて、この世にないねん。どんだけ警備を厳重にしても、俺にしてみたら赤子の手をひねるようなもんや」
よく口の回る獣は、人の姿になってもお喋りなところは変わらなかった。
こんな子供が間諜など、にわかには信じられないが、それよりも間諜にしてはお喋りが過ぎるようにランドは思う。
自らの生業を隠しもせず語り続けるソジに、さすがにヤクジの表情が苦笑を通り越して苦々しいものになる。
はぁっと大きく吐息すると、ついに「ソジ」と待ったをかけた。
「それ以上はいけませんよ――お客様の口を封じさせるつもりですか?」
とんでもない科白に、ランドがぎょっとヤクジを見る。ソジはしばらくポカンとしていたが、はっとランドを振り仰いだ。
「――さてはコイツ! 俺を気持ちよう喋らせて、情報を盗もうとする不埒な輩なんか?!」
「――そんなわけないでしょう。イタチ並のことしか喋れないようなら、もうイタチとして生きていきますか?」
「なんなら手伝いますよ」と朗らかに言うと、嘘か真か、ヤクジがすっと片手を差し上げる。
それを見て、ソジが引きつった笑顔を浮かべた。
「い…ややなあ~。ヤク兄ちゃんったら、冗談キツイわ~…」
と言いつつ、若干、子供の腰が引けている。生意気を言うものの、屈折したところがなく感情がわかりやすいのは、元々の性格が素直なのだろう。
「――隠密としてこのお喋りは、致命的なのですが…これでもソジの腕は確かです」
その言葉に乗っかろうと、ソジが頬を紅潮させて再び口を開きかけるも。ヤクジの冷えた一瞥に、慌てて口を噤む。
「もう片方の小指は、これとは全く正反対の性格で、用向きがなければいっかな外に出ようとせず、必要がなければ誰とも喋りません。これまた扱いが難しい。ですがどちらの小指も、こと潜入においては一流の腕の持ち主です」
初対面の自分が、ここまで聞いていいものだろうか。そう思いながらも、ランドは黙って頷くばかりだ。
「どうかこのことはご内密にお願いしますね」
先手を打って、ヤクジがにっこりと笑う。どうやら、下手に隠すよりも、抱き込んだ方が早いと判断したらしい。
治癒師だと本人は名乗っていたが、先ほどまで穏やかに見えていた優しげな面差しが、急に老獪な策士のそれに見えてきた。
どちらが真の姿なのかは、わからない。
ただ一つ言えることは、ランドに出来ることは頷くこと――その一択だけということだ。
治癒師が放つ圧に耐え切れず、ランドは無言でこっくりと頷いた。気がつけば手の平に、じっとりと汗をかいている。
視界の隅で、ソジがこちらをじっと見ているのに気づき、ランドはちらりとそちらを盗み見る。
そこには、黒目がちな目をきらきらと輝かせるソジの顔があった。目が合うと、さも嬉しそうにニンマリと笑って、ひそりと耳打ちする。
「どや。ヤク兄はめちゃめちゃ怖いねんど~。――ええ気味やな」
そう言うと、キキキっと白い歯を見せて笑う。見た目相応の子供っぽい仕草に、ランドは怒りどころか微笑ましく感じて、目を細めた。
「――ソジ」
「ん?」
不意に声をかけられて、なんの警戒もなくソジはヤクジを見る。
「自分はもう終わったみたいな顔をしていますが、大間違いですよ?」
「――んえ? な、なんで?」
「聞きたいことがあります」
ヤクジが静かに告げると、みるみるうちに、黒髪の少年から顔色が失せていく。ランドはそっと目を伏せて、彼に心からの同情を寄せた。
「あなた、お嬢さんの部屋に無断で忍び込んだばかりか、妙なことを口走ってましたね?」
「な、なんのことやろ…? 俺、最近ちょっと物忘れがひどいから――…」
「“悪女”でしたっけ?」
皆まで言わせなかった。
「彼女が“稀代の悪女”だとは――初耳でした。他にも、いくつか興味深い言葉を聞いたように思います」
「き、気のせいちゃう、かなぁ…?」
厚い玻璃に遮られ、見えないはずの瞳が、すうっと細くなるのが、ランドにも見えた気がした。恐怖におののくソジは、もはや声も出ない。
「さて――ソジ。しっかり話を聞かせてもらいましょうか」
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読んでいただき、ありがとうございます。
大変、申し訳ありませんが、
数話を準備できた時は、後書きにて
3日後の更新予告をお知らせします。
今回は、来週水曜に更新予定です。
次回更新も頑張りますので、
どうぞよろしくお願いします。
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