『姉に全部奪われた私、今度は自分の幸せを選びます ~姉の栄光を支える嘘を、私は一枚ずつ剥がす~』

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第4話「検印灯が示す波形」

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王宮の朝は早い。 だが、その日の私は、太陽が昇るよりも早く目を覚ましていた。 薄暗い執務室の窓際で、私は昨夜手に入れた情報を反芻する。

『侍女長マーサ』と『司祭ルドルフ』。 三年前、宝飾品紛失事件の夜に「白薔薇の間」へ入っていた二人の人物。 レオンハルト様が命がけで――というのは大袈裟かもしれないが、宰相補佐としての立場を危うくしてまで示してくれたヒントだ。これを無駄にするわけにはいかない。

「……でも、これだけでは足りない」

私は机の上に広げた数枚の羊皮紙を見つめた。 それは、第2話で印章庫から持ち帰った『慈善事業助成金』の領収書と、支出命令書の写しだ。 そこには、姉セシリアの代理署名と、鮮やかな赤色の印章が押されている。 一見すると、何の変哲もない正規の書類に見える。 姉が承認し、金が支払われた。それだけの記録だ。

だが、私の直感が告げている。 『姉は、自分の手を汚さない』 あの用心深い姉が、架空の孤児院への送金という明白な横領の証拠に、これほど堂々と自分の印章を残すだろうか? もしこれが、姉の意思で行われたものではなく、姉の「名前」を使った別の誰かの仕業だとしたら? あるいは、姉が承認したように「見せかけた」偽造だとしたら?

「確かめる必要があるわ」

私は羊皮紙を指で弾いた。 肉眼では、印章のインクの赤色しか見えない。 だが、この世界には『印章魔術』という行政システムが存在する。 公的な印章には、所有者固有の魔力パターン――『波形』が記録される。 それを読み取ることができれば、この印章が「本物のセシリアの印章」なのか、それとも「精巧に作られた偽物」なのか、あるいは「誰かがセシリアの印章を勝手に使った」のかが判明するはずだ。

そのためには、特殊な魔道具が必要になる。 『検印灯(けんいんとう)』。 印章に込められた魔力の残滓を可視化する、監査官の必須アイテム。 しかし、その管理は厳重で、臨時監査官の私には貸し出し権限がない。

「……行くしかないわね」

私は決意を固め、羊皮紙を鞄にしまうと、部屋を出た。 権限がないなら、作るまでだ。 あるいは、こじ開けるか。 私の脳裏に、頼もしい――そして少々乱暴な――協力者の顔が浮かんでいた。

          ◇

魔道具管理課は、王宮の北塔、魔法研究所の一角にあった。 ひんやりとした石造りの廊下には、薬品の混じった独特の臭気が漂っている。 すれ違う研究員たちは皆、分厚い眼鏡をかけ、ブツブツと数式を唱えながら歩いている。 数字と論理の世界。 会計院とは違う意味で、私にとっては馴染み深い空気感だ。

受付のカウンターには、神経質そうな若い女性職員が座っていた。 私が検印灯の貸し出しを申し出ると、彼女はマニュアル通りの無表情で首を横に振った。

「申し訳ありませんが、検印灯は『上級監査官』以上の権限をお持ちの方にのみ貸し出ししております。リリア様の身分証では、認証が通りません」 「そこを何とかなりませんか。緊急の調査なのです。王妃陛下からの特命で……」 「特命であれ何であれ、規則は規則です。例外を認めると、管理システムにバグが生じますので」

彼女は冷たく言い放ち、手元の書類に視線を戻した。 予想通りの反応だ。 この国のお役所仕事は、融通が利かないことで有名だ。 特に魔道具管理課は、宰相府の予算で運営されているため、私の邪魔をするよう圧力がかかっている可能性も高い。

「……そうですか。では、こうしましょう」

私は一歩も引かずに、カウンターに両手をついた。

「私がここで申請書を書き、あなたがそれを却下する。その『却下した記録』を、正式な文書として発行してください。日付と、あなたの署名入りで」 「は? 何のためにそんなものを……」 「『監査に必要な機材の提供を拒否されたため、不正の摘発が遅れ、国庫に甚大な損害が出た』……その責任の所在を明らかにするためです」

私が微笑むと、女性職員の眉がピクリと動いた。 責任。 官僚が最も恐れる言葉だ。

「……脅迫ですか?」 「いいえ、リスク管理です。あなたにとっても、上司の命令で断ったという証拠があった方が、後々身のためではありませんか?」

彼女の瞳に動揺が走る。 だが、それでも彼女は首を縦には振らなかった。 宰相府の圧力の方が、今のところは怖いのだろう。

「……規則ですので、発行できません。お引き取りください」

頑なな拒絶。 やはり、言葉だけでは限界があるか。 私が次の手を考えようとした、その時だった。

「おいおい、堅苦しいことを言うなよ。嬢ちゃんが困ってるだろうが」

野太い声が、静かな廊下に響き渡った。 ドスン、ドスンと、床を揺らすような足音。 振り返るまでもない。 この王宮で、これほどの存在感を放つ人間は一人しかいない。

「カミュ団長……」

近衛騎士団長、カミュ。 今日も銀色の甲冑をガチャガチャと言わせながら、熊のような笑顔で現れた。 片手には、何やら高価そうな菓子折りの箱がぶら下がっている。

「よう、リリア監査官。ここに来るって聞いたもんでな。……ほらよ、差し入れだ」 「はあ……ありがとうございます」 「で? ここの姉ちゃんが、意地悪をしてるってわけか?」

カミュはカウンターに身を乗り出し、女性職員を覗き込んだ。 巨大な影が落ち、職員が「ひっ」と小さな悲鳴を上げる。 物理的な威圧感が凄まじい。

「い、意地悪ではありません! 規則で……!」 「規則、規則か。お前さんたちは本当にそれが好きだなあ。だがな、俺も規則には詳しいんだぜ? 特に『緊急避難措置』ってやつにはな」

カミュはニヤリと笑い、腰の剣に手をかけた。 抜くわけではない。ただ、柄を指でコツコツと叩いただけだ。 だが、その音は鉄の重みを感じさせるに十分だった。

「今、俺は『王宮内の治安維持』のために、この監査官に協力する必要があるんだ。もし機材がなくて犯人を逃したら……それは治安維持への協力義務違反になるんじゃねえか? ええ?」 「そ、それは……」 「なあに、簡単なことだ。俺の名義で借りればいい。近衛騎士団長には、捜査用魔道具の無制限使用権がある。そうだろ?」

カミュがウインクをする。 女性職員は青ざめた顔で、ガクガクと頷いた。 規則の壁も、筋肉と階級(ランク)の暴力の前には無力だった。 数分後、私の手には重厚な金属製のケースに入った『検印灯』が握られていた。

「……ありがとうございます、カミュ団長。いつも助けられてばかりで」 「気にするな。俺は王妃様から『お前を守れ』って言われてるし、何より……」

カミュは声を潜め、真剣な眼差しになった。

「昨日頼まれた『マーサ』の件。……ちょいと、きな臭いことになってる」 「え?」 「奴さん、昨日の夜中にこっそり屋敷を抜け出してな。……『裏通り』の魔道具屋に入っていったのを見た部下がいる」 「魔道具屋……?」

私の背筋に冷たいものが走った。 侍女長が、なぜ裏通りの店に? それも、深夜に。

「そこで何を買ったかは不明だ。だが、店を出てきた時、奴は懐に『何か』を大事そうに抱えていたそうだ。……気をつけろよ、リリア。奴ら、証拠隠滅か、あるいはもっとヤバイ準備を始めてるかもしれん」

「……はい」

私は検印灯のケースを強く握りしめた。 急がなければならない。 相手も動いている。 こちらが決定的な証拠を掴む前に、逃げ切るつもりだ。

          ◇

執務室に戻った私は、すぐに窓のカーテンを閉め切り、部屋を暗闇にした。 検印灯は、暗所で使用することでその真価を発揮する。 机の上には、問題の領収書と支出命令書が並べられている。

「……起動」

私が魔力を流し込むと、無骨な筒状の装置――検印灯の先端から、青白い光が放たれた。 『紫外線』に近い、目に見えない魔力の波長を可視化する光だ。 私はその光を、書類の右下に押された「セシリアの承認印」へと当てた。

「!」

闇の中で、赤い印章が青白く発光した。 インクの上に、複雑な幾何学模様が浮かび上がる。 これが『魔力波形』だ。 指紋や声紋と同じように、魔術を行使した個人を特定するためのID。 正規の印章であれば、この波形は美しく均整の取れた円形を描くはずだ。 だが、目の前に浮かび上がった波形は、異様だった。

ギザギザとしたノイズが走り、円の一部が歪んでいる。 まるで、無理やり別の形に押し込められたような不自然さ。

「……汚い波形ね」

私は呟き、手元のメモ用紙にその形状をスケッチし始めた。 私は魔術師ではない。 波形を見ただけで「これは誰の魔力だ」と判別する能力はない。 だが、私には『数字』がある。 波の高さ、周期、歪みの角度。 それらを数値化し、データとして分析することはできる。

「周期0.4……振幅のブレが右肩上がり……基底波形は王家標準タイプB……でも、ここに異物が混入している」

私は検印灯の光を微調整しながら、波形の細部を観察した。 セシリアの魔力波形は、王家の教育を受けているため、滑らかで優雅な曲線を描くのが特徴だ。 だが、この波形には、その滑らかな曲線の「下」に、もっと鋭角的で、棘のような鋭い波形が隠されていた。 二重写し。 いや、オーバーライト(上書き)だ。

「誰かが、セシリアの印章を使った後で、その痕跡を誤魔化そうとして別の魔力を重ねた? ……いいえ、逆だわ」

私はハッとした。 波形の重なり方をよく見ると、鋭角的な波形の方が「古い」。 つまり、最初に別の印章が押され、その上からセシリアの印章に見えるような偽装工作(マスキング)が施されているのだ。

「……じゃあ、この『元の波形』は誰のもの?」

私はスケッチの手を速めた。 鋭角的な波形。 規則正しく、厳格で、どこか冷たい印象を与えるパターン。 私の記憶の引き出しが、カチリと音を立てて開く。 このパターン、どこかで見たことがある。 監査官の教本にあった『組織別魔力傾向』のページ。 王家の波形は「円」。 軍部の波形は「剣(直線)」。 そして、この鋭角的な三角形の連続は……。

「……『教会』」

聖職者たちが使う、祈祷と契約の魔術。 神への誓いを立てる際に使われる、厳格な『誓約魔術』の波形に酷似している。

「嘘でしょう……?」

私は震える手で検印灯を置いた。 教会。 この国の精神的支柱であり、貧しき者を救う聖なる組織。 その関係者が、王妃代理の印章を偽造し、公金を横領している? いや、状況証拠は揃っている。 姉の慈善事業。 架空の孤児院。 そして、三年前の事件現場にいた司祭ルドルフ。

「……繋がった」

バラバラだったピースが、一つの絵を描き出す。 姉セシリアは、教会の誰かと手を組み、国の金を「慈善」という名目で吸い上げている。 姉は「名声」を得て、教会側は「資金」を得る。 そして、その不正の帳尻を合わせるために、印章の偽造が行われている。 三年前、私が濡れ衣を着せられたのも、私がこの「金の流れ」に気づきかけたからではないか? 当時の私は、家の帳簿を見ながら「教会への寄付が多すぎる」と父にこぼしたことがあった。 あれが、引き金だったのか。

「……許さない」

怒りが、冷たい炎となって胸を満たす。 彼らは神の名を騙り、弱者の名を騙り、私利私欲を貪っている。 そして、その罪を私になすりつけた。

コンコン。

不意に、ドアがノックされた。 私は慌てて検印灯の光を消し、カーテンを開けた。 まぶしい西日が差し込む。 いつの間にか、夕方になっていたようだ。

「……はい」 「失礼します。お手紙をお預かりしました」

入ってきたのは、見知らぬ下級職員だった。 彼が差し出したのは、無記名の白い封筒。

「誰から?」 「わかりません。廊下に置いてあったと、清掃係が」

嫌な予感がする。 私は礼を言って彼を下がらせると、封筒を開封した。 中に入っていたのは、一枚のカード。 そこには、タイプライターで打たれた無機質な文字が並んでいた。

『波形を見るな。深淵を覗けば、お前もまた飲み込まれる。  ――忠告者より』

脅迫状だ。 私が検印灯を使っていることを、誰かが知っている。 部屋の外から見張っていたのか、それとも情報が漏れているのか。 カミュ団長が言っていた「きな臭い動き」とは、このことか。

「……ふふ」

私は思わず笑ってしまった。 恐怖ではない。 むしろ、安堵だ。 敵が反応したということは、私が「正解」に触れたという証明だからだ。

「忠告、ありがとう。でも遅いわ」

私はカードを破り捨て、ゴミ箱に放り込んだ。 そして、スケッチした波形のメモを、手帳の「最重要証拠」のページに挟み込む。

『犯人は、教会の魔術を使う者。そして、それを隠蔽できる立場にある者』

ターゲットは絞られた。 司祭ルドルフ。 彼が持っているはずの『教会印』と、この波形を照合すれば、動かぬ証拠になる。 だが、司祭の印章を確認するには、彼に「誓約」を行わせるか、あるいは大聖堂の保管庫に侵入するしかない。 どちらも、今の私にはハードルが高い。

「……いいえ、あるわ。もう一つ、彼が印章を使う場所が」

私は窓の外、夕焼けに染まる王都を見下ろした。 遠くに見える、尖塔のシルエット。 ルミナ大聖堂。 明日、あそこで『聖女セシリアによる、定例の炊き出し』が行われるはずだ。 そこでは、物資の受け渡しのために、必ず『受領印』が押される。  そこなら、彼も油断して「いつもの印章」を使うかもしれない。

「待っていて、ルドルフ司祭。あなたの神聖な印章が、どれほど汚れているか……私が白日の下に晒してあげる」

私は検印灯をケースに戻し、パチンとロックをかけた。 その音は、私の心の中で鳴り響く、反撃の開始の合図のように聞こえた。
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