9 / 20
第9話「誓約の抜け道」
しおりを挟む
王宮の地下深くに設けられた特別尋問室は、冷たく湿った石壁に囲まれ、外界の光が一切届かない閉鎖的な空間だった。 ここに収容されているのは、一連の「慈善事業不正疑惑」に関与した重要参考人たちだ。 教会司祭ルドルフ、ガレオン商会長、その息子トーマス、そしてスラムの「聖女の家」院長ガストン。 彼らは皆、別々の独房に隔離され、交代で厳しい取り調べを受けている。
だが、捜査は思わぬ壁にぶつかっていた。
「……またしても、『真実』と判定されました」
尋問官が疲れ切った顔で報告書をテーブルに置いた。 私とレオンハルト様は、マジックミラー越しに尋問室の様子を観察していた。 部屋の中では、椅子に縛り付けられた司祭ルドルフが、勝ち誇ったような、それでいてどこか焦点の合わない目で天井を見上げている。 彼の前には、王宮魔術師が設置した『簡易誓約器』が置かれていた。 水晶玉のようなその装置は、被験者が嘘をつけば赤く、真実を語れば青く光る。
「『私は神と聖女セシリア様に誓って、私腹を肥やすような真似はしていない』……この証言に対し、判定は『青(真実)』です」
尋問官が頭を抱える。
「おかしいでしょう? 彼の部屋からは、横領した金貨で購入したと思われる高級美術品や、愛人への送金記録が見つかっているんです。それなのに、なぜ『私腹を肥やしていない』という言葉が真実になるんですか?」
「……簡単なことよ」
私は腕を組み、冷ややかにルドルフを見つめた。
「彼にとって、それは『私腹』ではないからよ」 「え?」 「彼は本気で信じているの。自分が受け取った金は、聖女に仕えるための『必要経費』であり、神から与えられた正当な『報酬』だと。だから、罪の意識がない。主観的な真実の前では、誓約器も無力だわ」
誓約魔術の弱点。 それは、あくまで「話者の主観」に基づいた真偽判定しかできないことだ。 本人が「空は緑色だ」と狂信的に信じていれば、誓約器はそれを「真実」と判定してしまう。 姉セシリアは、この性質を熟知している。 だからこそ、協力者たちに「自分たちは正しいことをしている」という強力な物語(ストーリー)を植え付け、洗脳に近い状態に仕上げているのだ。
「厄介だな」
レオンハルト様が低く唸った。
「ガレオン商会長も同様だ。『商取引は全て適正だった』と主張し、判定も青だ。彼の中では、水増し請求もキックバックも『商慣習の範囲内』という認識なのだろう」 「言葉の定義をずらされているんです。……このままでは、決定的な証言が得られません」
私は唇を噛んだ。 証拠書類は山ほどある。 だが、それを「セシリアの指示による組織犯罪」として立証するには、実行犯たちの口から「彼女に命じられた」という言葉を引き出し、それを誓約で固定する必要がある。 そうでなければ、姉は「彼らが勝手にやったこと」として切り捨て、逃げ切るだろう。
「……私がやります」
私は尋問室の扉に手をかけた。
「リリア? 危険だ。奴はまだ興奮状態にある」 「大丈夫です。……魔法使いには魔法使いを、詐欺師には監査官を。言葉の定義が曖昧なら、逃げ場がないように定義し直せばいいだけです」
私はレオンハルト様に目配せし、重い鉄扉を開けた。
◇
尋問室に入ると、ルドルフの視線が私に突き刺さった。 憎悪、軽蔑、そして微かな怯え。 数日前、大聖堂で私に断罪された記憶が蘇っているのだろう。
「……またお前か。悪魔め」
ルドルフが呻くように言った。 私は無視して、尋問官の席に座った。 机の上にある誓約器が、薄暗い部屋の中で青白く発光している。
「お久しぶりです、ルドルフ司祭。……神への祈りは済みましたか?」 「ふん。お前のような異端者と話す言葉はない。私は潔白だ。この誓約器が証明している!」
彼は水晶玉を顎でしゃくった。
「ええ、見ていました。貴方は『私腹を肥やしていない』と証言し、それは真実と判定されました。……では、質問を変えましょう」
私は手元の資料を広げず、真っ直ぐに彼の目を見た。 尋問の基本は、相手の「想定問答」を崩すことだ。
「貴方は、セシリア様から『命令』を受けましたか?」
「……いいえ」
水晶が青く光る。 真実。 やはり、姉は直接的な「命令」を下していない。
「では、貴方はセシリア様の『願い』を聞きましたか?」
「……はい」
青。 ここが入り口だ。
「その『願い』とは、『困っている子供たちのために、もっと資金が必要だ』という内容でしたか?」
「……はい。聖女様は心を痛めておられた。国からの支援が足りないと」
「なるほど。では、その『願い』を叶えるために、貴方は会計書類の数字を……『調整』しましたか?」
ルドルフが一瞬言葉に詰まった。 「改竄」や「偽造」と言えば、彼は「していない」と答えるだろう。彼の中では正義の行いだからだ。 だから私は、官僚的な言葉を選んだ。
「……調整、した。神の恵みを正しく配分するために」
青。 かかった。
「その『調整』の結果、貴方の手元には、本来受け取るべき額以上の金銭が残りましたか? イエスかノーで」
「……イエスだ。だが、それは活動費として……」 「活動費。わかりました。では、その『活動費』を使って、貴方は先月、宝石店でダイヤモンドのネックレスを購入しましたか?」
「っ……!」
ルドルフの目が泳いだ。 これは事実確認だ。思想や信条は関係ない。
「……購入した」 青。
「そのネックレスは、誰に渡しましたか? 貧しい孤児ですか? それとも、貴方が懇意にしている踊り子、ミナ嬢ですか?」
「…………」
沈黙。 脂汗が額を伝う。 彼は答えられない。 嘘をつけば赤く光り、誓約違反のペナルティとして激痛が走る。 真実を言えば、彼の「聖職者としての正義」が崩壊する。
「答えてください。……神が見ていますよ」
私が冷たく告げると、ルドルフはガタガタと震え出した。
「わ、渡した……ミナに……。でも、あれは……彼女を救うために……!」 「救済。なるほど。……では、その購入資金の出所は、孤児院への『暖房費』として計上された公金ですね?」
「……違う! あれは……神からの……!」
カッ! 水晶玉が真っ赤に染まった。 同時に、ルドルフが「ぐあぁっ!」と悲鳴を上げてのけ反った。 誓約の反動。 精神的なショックが神経を焼き切るような苦痛を与える。
「嘘ですね。……貴方は知っていたはずです。それが本来、凍える子供たちのために使われるべき金だったことを」
「はぁ、はぁ……うぐぅ……」
「セシリア様は仰ったのでしょう? 『あなたの献身には、報いが必要よ』と。……それを貴方は、自分の欲望を満たす許可だと解釈した。違いますか?」
ルドルフはもはや反論できなかった。 赤く明滅する光の前で、彼の「正義の物語」は粉々に砕け散った。 私は尋問官に合図を送った。
「記録して。『被告人は、使途が限定された公金を私的な遊興費に流用したことを認めた』。……次は、その指示系統についてです」
私はルドルフの耳元に顔を寄せた。
「貴方が泥を被るのは勝手ですが……セシリア様は、貴方を助けてくれませんよ。だって彼女は、『命令』なんてしていないのですから。貴方が勝手に『願い』を忖度して、勝手に横領した。……そういう筋書きになっています」
「……あ、あの女……!」
ルドルフの目から、信仰の色が消え、どす黒い憎悪が浮かび上がった。 洗脳が解ける瞬間だ。 愛が深ければ深いほど、裏切られた時の憎しみは深い。
「証言しますか? 彼女が具体的に、どのような言葉で、貴方をこの道へ誘い込んだのか。……『契約の抜け道』を、貴方の口から塞いでください」
「……話す。全部話す……! あいつだけ、綺麗なままでいさせるものか……!」
ルドルフは憑き物が落ちたように、あらいざらい話し始めた。 姉がいかにして教会の予算を操作させたか。 架空の孤児院の名義をどうやって用意したか。 そして、その印章を誰が作ったか。
「印章は……私が作ったのではない。セシリア様から『完成品』を渡されたのだ」 「完成品?」 「ああ。特殊な魔石で作られた、波形を自由に変えられる印章だ。……あれを使えば、誰の署名でも偽造できる」
波形可変の印章。 そんな高度な魔道具、王宮の研究所でも試作段階のはずだ。 それを姉が持っている?
「その印章は今どこに?」 「……セシリア様が回収していった。『メンテナンスが必要だから』と言って」
回収済み。 証拠隠滅の手際が良すぎる。 だが、重要な情報だ。 姉は「偽造印章」を作る技術、あるいはルートを持っている。
◇
ルドルフの自白を皮切りに、他の容疑者たちも次々と口を割り始めた。 ガストン院長は、子供たちへの虐待が「セシリア様の教義」に基づいたものだと泣きながら証言した。 商会長は、最後まで抵抗したが、息子トーマスの「二重帳簿の解読」によって逃げ場を失い、観念した。
尋問室を出た私は、廊下で待っていたレオンハルト様に深く息を吐いてみせた。 疲労がどっと押し寄せてくる。 人の悪意と、歪んだ善意に触れ続けるのは、精神を削られる作業だ。
「お疲れ様。……見事だった」 レオンハルト様が、冷えた缶コーヒーのようなボトル――魔力で冷却された強壮剤――を渡してくれた。
「ありがとうございます。……でも、核心部分には届いていません」 「印章の製造ルートか」 「はい。ルドルフの話では、姉は『完成品』を持っていた。……ガレオン商会が加工していた『青い硝子の欠片』。あれが素材だとしても、それを『魔道具』に組み上げる技術者が別にいるはずです」
私はボトルを握りしめた。 姉はプロデューサーだ。 絵を描き、金を集め、人を動かす。 だが、実際に手を動かす「職人(エンジニア)」が、まだ闇の中にいる。
「……心当たりがあるのか?」 レオンハルト様が問う。
「……一人だけ。王宮内で、それだけの技術を持ち、かつ姉の息がかかっている可能性のある人物」
私は記憶を探った。 三年前。 私が追放される原因となった「宝飾紛失事件」。 あの時、保管庫の鍵を管理し、警備システムを熟知していた人物。 そして、事件直後に「責任を感じて」辞職したはずの……。
「元・宮廷魔導師長、クレイグ」
レオンハルト様の眉が動いた。
「クレイグ……? あの偏屈な老魔導師か。彼は引退して田舎に隠居したはずだが」 「本当に隠居したのでしょうか? もし、姉が彼を囲い込んでいたとしたら?」
技術者には金が必要だ。研究費、素材、そして静かな環境。 姉が横領した莫大な資金。 それが流れる先として、これほど合致する相手はいない。
「……調査させよう。カミュの部下を走らせる」 「お願いします。……それと、もう一つ気になっていることが」
私は鞄から、第3話でレオンハルト様が見せてくれた「入退室管理表」の写しを取り出した。 三年前の事件当夜、白薔薇の間にいた人物。 『侍女長マーサ』と『司祭ルドルフ』。
「ルドルフは自白しました。あの日、彼は姉に呼び出されて部屋に入った。でも、そこには既に『誰もいなかった』と」 「誰もいなかった?」 「ええ。宝飾品は既に消えていた。姉は泣いていて、そばに侍女長マーサが立っていた。……そしてルドルフは、姉に頼まれて『リリアが部屋から出てくるのを見た』という偽証をするよう誓約させられた」
つまり、ルドルフが部屋に入った時点で、犯行は終わっていたのだ。 実行犯は彼ではない。
「残る容疑者は、侍女長マーサ……そして、セシリア本人」
私は呟いた。 マーサは、姉の手足となって動く忠実な下僕だ。 先日、カミュ団長の報告によれば、彼女は深夜に裏通りの魔道具屋に出入りしていた。 彼女が「青い硝子」の運搬役だったとしたら? そして、あの夜、宝飾品を持ち出したのも彼女だとしたら?
「……マーサを確保しなければなりません。彼女こそが、姉と『技術者』を繋ぐパイプ役です」
その時だった。 廊下の向こうから、慌ただしい足音が近づいてきた。 近衛騎士の一人が、息を切らせて駆け寄ってくる。
「ほ、報告します! 緊急事態です!」 「どうした、騒々しい」 レオンハルト様が咎める。
「侍女長マーサが……消えました!」 「何だと?」
「先ほど、彼女の部屋を確認に行ったところ、もぬけの殻でした。……争った形跡はありません。ですが、机の上に……これが」
騎士が差し出したのは、一通の手紙だった。 封筒には、私の名前が記されている。 まただ。 姉からの、メッセージ。
私は震える手で封を開けた。 中には、短くこう書かれていた。
『詮索好きな妹へ。 私の可愛いマーサをいじめないで。 彼女は今、少し遠いところで「休暇」を楽しんでいるわ。 ……そうそう、あなたが探している「三年前の答え」も、そこにあるかもしれないわね。 追いつけるかしら?』
「……逃げられた」
私は唇を噛み締めた。 一足遅かった。 姉は、私たちがマーサに辿り着くことを予期して、先手を打って彼女を逃したのだ。 いや、「逃した」だけならまだいい。 「消した」可能性もある。
「行き先は?」 レオンハルト様が手紙を奪い取り、検分する。
「……微かに、潮の匂いがする。それに、このインク……北方の港町特有の染料だ」 「港町……?」 「おそらく、国境に近い『ルナ・ポート』だ。あそこなら、国外へ逃亡する船も、身を隠す倉庫もいくらでもある」
ルナ・ポート。 王都から馬車で半日。 姉の勢力圏からは離れているが、逆に言えば法の目が届きにくい場所だ。
「追いましょう。……マーサを国外へ逃がせば、永遠に『実行犯』の証言は得られなくなります」 「ああ。……カミュに精鋭を招集させる。私も行く」 「レオンハルト様も?」 「宰相補佐として、重要参考人の確保指揮を執る。……それに、君を一人で行かせるわけにはいかない」
彼の瞳に、強い意志が宿っていた。 私は頷いた。
「ありがとうございます。……行きましょう」
◇
王宮を出る準備をしている最中、私はふと、ある違和感を覚えた。 姉の手紙。 『追いつけるかしら?』という挑発的な文言。 なぜ、わざわざヒントを残したのか? マーサを黙って消せば、それで済むはずなのに。 まるで、私をそこへ「誘い込んでいる」ような……。
「……罠、かもしれない」
私は馬車の窓から、セシリアの住む「月の塔」を見上げた。 最上階の窓に、人影が見える気がした。 彼女は今、どんな顔をしてこちらを見ているのだろう。 余裕の笑みか。それとも、計画通りに進む盤面を眺める棋士の顔か。
「でも、行くしかない」
罠だとわかっていても、飛び込むしかない時がある。 そこにしか、真実への道がないなら。 私は手帳を開き、『嘘のリスト』を確認した。
『偽造された印章』 『波形可変の魔道具』 『消えた宝飾品』 『侍女長マーサ』 『協力者:元宮廷魔導師長クレイグ(推測)』
すべての矢印が、一つの場所……ルナ・ポートへ向かっている。 あそこで、何かが待っている。 姉が用意した、最後の「舞台」が。
「出発だ!」 カミュ団長の号令と共に、馬車が動き出す。 石畳を蹴る蹄の音が、高らかに響く。 王都の門をくぐり、街道へ。 空は低く垂れ込め、遠くで雷鳴が轟いていた。
だが、捜査は思わぬ壁にぶつかっていた。
「……またしても、『真実』と判定されました」
尋問官が疲れ切った顔で報告書をテーブルに置いた。 私とレオンハルト様は、マジックミラー越しに尋問室の様子を観察していた。 部屋の中では、椅子に縛り付けられた司祭ルドルフが、勝ち誇ったような、それでいてどこか焦点の合わない目で天井を見上げている。 彼の前には、王宮魔術師が設置した『簡易誓約器』が置かれていた。 水晶玉のようなその装置は、被験者が嘘をつけば赤く、真実を語れば青く光る。
「『私は神と聖女セシリア様に誓って、私腹を肥やすような真似はしていない』……この証言に対し、判定は『青(真実)』です」
尋問官が頭を抱える。
「おかしいでしょう? 彼の部屋からは、横領した金貨で購入したと思われる高級美術品や、愛人への送金記録が見つかっているんです。それなのに、なぜ『私腹を肥やしていない』という言葉が真実になるんですか?」
「……簡単なことよ」
私は腕を組み、冷ややかにルドルフを見つめた。
「彼にとって、それは『私腹』ではないからよ」 「え?」 「彼は本気で信じているの。自分が受け取った金は、聖女に仕えるための『必要経費』であり、神から与えられた正当な『報酬』だと。だから、罪の意識がない。主観的な真実の前では、誓約器も無力だわ」
誓約魔術の弱点。 それは、あくまで「話者の主観」に基づいた真偽判定しかできないことだ。 本人が「空は緑色だ」と狂信的に信じていれば、誓約器はそれを「真実」と判定してしまう。 姉セシリアは、この性質を熟知している。 だからこそ、協力者たちに「自分たちは正しいことをしている」という強力な物語(ストーリー)を植え付け、洗脳に近い状態に仕上げているのだ。
「厄介だな」
レオンハルト様が低く唸った。
「ガレオン商会長も同様だ。『商取引は全て適正だった』と主張し、判定も青だ。彼の中では、水増し請求もキックバックも『商慣習の範囲内』という認識なのだろう」 「言葉の定義をずらされているんです。……このままでは、決定的な証言が得られません」
私は唇を噛んだ。 証拠書類は山ほどある。 だが、それを「セシリアの指示による組織犯罪」として立証するには、実行犯たちの口から「彼女に命じられた」という言葉を引き出し、それを誓約で固定する必要がある。 そうでなければ、姉は「彼らが勝手にやったこと」として切り捨て、逃げ切るだろう。
「……私がやります」
私は尋問室の扉に手をかけた。
「リリア? 危険だ。奴はまだ興奮状態にある」 「大丈夫です。……魔法使いには魔法使いを、詐欺師には監査官を。言葉の定義が曖昧なら、逃げ場がないように定義し直せばいいだけです」
私はレオンハルト様に目配せし、重い鉄扉を開けた。
◇
尋問室に入ると、ルドルフの視線が私に突き刺さった。 憎悪、軽蔑、そして微かな怯え。 数日前、大聖堂で私に断罪された記憶が蘇っているのだろう。
「……またお前か。悪魔め」
ルドルフが呻くように言った。 私は無視して、尋問官の席に座った。 机の上にある誓約器が、薄暗い部屋の中で青白く発光している。
「お久しぶりです、ルドルフ司祭。……神への祈りは済みましたか?」 「ふん。お前のような異端者と話す言葉はない。私は潔白だ。この誓約器が証明している!」
彼は水晶玉を顎でしゃくった。
「ええ、見ていました。貴方は『私腹を肥やしていない』と証言し、それは真実と判定されました。……では、質問を変えましょう」
私は手元の資料を広げず、真っ直ぐに彼の目を見た。 尋問の基本は、相手の「想定問答」を崩すことだ。
「貴方は、セシリア様から『命令』を受けましたか?」
「……いいえ」
水晶が青く光る。 真実。 やはり、姉は直接的な「命令」を下していない。
「では、貴方はセシリア様の『願い』を聞きましたか?」
「……はい」
青。 ここが入り口だ。
「その『願い』とは、『困っている子供たちのために、もっと資金が必要だ』という内容でしたか?」
「……はい。聖女様は心を痛めておられた。国からの支援が足りないと」
「なるほど。では、その『願い』を叶えるために、貴方は会計書類の数字を……『調整』しましたか?」
ルドルフが一瞬言葉に詰まった。 「改竄」や「偽造」と言えば、彼は「していない」と答えるだろう。彼の中では正義の行いだからだ。 だから私は、官僚的な言葉を選んだ。
「……調整、した。神の恵みを正しく配分するために」
青。 かかった。
「その『調整』の結果、貴方の手元には、本来受け取るべき額以上の金銭が残りましたか? イエスかノーで」
「……イエスだ。だが、それは活動費として……」 「活動費。わかりました。では、その『活動費』を使って、貴方は先月、宝石店でダイヤモンドのネックレスを購入しましたか?」
「っ……!」
ルドルフの目が泳いだ。 これは事実確認だ。思想や信条は関係ない。
「……購入した」 青。
「そのネックレスは、誰に渡しましたか? 貧しい孤児ですか? それとも、貴方が懇意にしている踊り子、ミナ嬢ですか?」
「…………」
沈黙。 脂汗が額を伝う。 彼は答えられない。 嘘をつけば赤く光り、誓約違反のペナルティとして激痛が走る。 真実を言えば、彼の「聖職者としての正義」が崩壊する。
「答えてください。……神が見ていますよ」
私が冷たく告げると、ルドルフはガタガタと震え出した。
「わ、渡した……ミナに……。でも、あれは……彼女を救うために……!」 「救済。なるほど。……では、その購入資金の出所は、孤児院への『暖房費』として計上された公金ですね?」
「……違う! あれは……神からの……!」
カッ! 水晶玉が真っ赤に染まった。 同時に、ルドルフが「ぐあぁっ!」と悲鳴を上げてのけ反った。 誓約の反動。 精神的なショックが神経を焼き切るような苦痛を与える。
「嘘ですね。……貴方は知っていたはずです。それが本来、凍える子供たちのために使われるべき金だったことを」
「はぁ、はぁ……うぐぅ……」
「セシリア様は仰ったのでしょう? 『あなたの献身には、報いが必要よ』と。……それを貴方は、自分の欲望を満たす許可だと解釈した。違いますか?」
ルドルフはもはや反論できなかった。 赤く明滅する光の前で、彼の「正義の物語」は粉々に砕け散った。 私は尋問官に合図を送った。
「記録して。『被告人は、使途が限定された公金を私的な遊興費に流用したことを認めた』。……次は、その指示系統についてです」
私はルドルフの耳元に顔を寄せた。
「貴方が泥を被るのは勝手ですが……セシリア様は、貴方を助けてくれませんよ。だって彼女は、『命令』なんてしていないのですから。貴方が勝手に『願い』を忖度して、勝手に横領した。……そういう筋書きになっています」
「……あ、あの女……!」
ルドルフの目から、信仰の色が消え、どす黒い憎悪が浮かび上がった。 洗脳が解ける瞬間だ。 愛が深ければ深いほど、裏切られた時の憎しみは深い。
「証言しますか? 彼女が具体的に、どのような言葉で、貴方をこの道へ誘い込んだのか。……『契約の抜け道』を、貴方の口から塞いでください」
「……話す。全部話す……! あいつだけ、綺麗なままでいさせるものか……!」
ルドルフは憑き物が落ちたように、あらいざらい話し始めた。 姉がいかにして教会の予算を操作させたか。 架空の孤児院の名義をどうやって用意したか。 そして、その印章を誰が作ったか。
「印章は……私が作ったのではない。セシリア様から『完成品』を渡されたのだ」 「完成品?」 「ああ。特殊な魔石で作られた、波形を自由に変えられる印章だ。……あれを使えば、誰の署名でも偽造できる」
波形可変の印章。 そんな高度な魔道具、王宮の研究所でも試作段階のはずだ。 それを姉が持っている?
「その印章は今どこに?」 「……セシリア様が回収していった。『メンテナンスが必要だから』と言って」
回収済み。 証拠隠滅の手際が良すぎる。 だが、重要な情報だ。 姉は「偽造印章」を作る技術、あるいはルートを持っている。
◇
ルドルフの自白を皮切りに、他の容疑者たちも次々と口を割り始めた。 ガストン院長は、子供たちへの虐待が「セシリア様の教義」に基づいたものだと泣きながら証言した。 商会長は、最後まで抵抗したが、息子トーマスの「二重帳簿の解読」によって逃げ場を失い、観念した。
尋問室を出た私は、廊下で待っていたレオンハルト様に深く息を吐いてみせた。 疲労がどっと押し寄せてくる。 人の悪意と、歪んだ善意に触れ続けるのは、精神を削られる作業だ。
「お疲れ様。……見事だった」 レオンハルト様が、冷えた缶コーヒーのようなボトル――魔力で冷却された強壮剤――を渡してくれた。
「ありがとうございます。……でも、核心部分には届いていません」 「印章の製造ルートか」 「はい。ルドルフの話では、姉は『完成品』を持っていた。……ガレオン商会が加工していた『青い硝子の欠片』。あれが素材だとしても、それを『魔道具』に組み上げる技術者が別にいるはずです」
私はボトルを握りしめた。 姉はプロデューサーだ。 絵を描き、金を集め、人を動かす。 だが、実際に手を動かす「職人(エンジニア)」が、まだ闇の中にいる。
「……心当たりがあるのか?」 レオンハルト様が問う。
「……一人だけ。王宮内で、それだけの技術を持ち、かつ姉の息がかかっている可能性のある人物」
私は記憶を探った。 三年前。 私が追放される原因となった「宝飾紛失事件」。 あの時、保管庫の鍵を管理し、警備システムを熟知していた人物。 そして、事件直後に「責任を感じて」辞職したはずの……。
「元・宮廷魔導師長、クレイグ」
レオンハルト様の眉が動いた。
「クレイグ……? あの偏屈な老魔導師か。彼は引退して田舎に隠居したはずだが」 「本当に隠居したのでしょうか? もし、姉が彼を囲い込んでいたとしたら?」
技術者には金が必要だ。研究費、素材、そして静かな環境。 姉が横領した莫大な資金。 それが流れる先として、これほど合致する相手はいない。
「……調査させよう。カミュの部下を走らせる」 「お願いします。……それと、もう一つ気になっていることが」
私は鞄から、第3話でレオンハルト様が見せてくれた「入退室管理表」の写しを取り出した。 三年前の事件当夜、白薔薇の間にいた人物。 『侍女長マーサ』と『司祭ルドルフ』。
「ルドルフは自白しました。あの日、彼は姉に呼び出されて部屋に入った。でも、そこには既に『誰もいなかった』と」 「誰もいなかった?」 「ええ。宝飾品は既に消えていた。姉は泣いていて、そばに侍女長マーサが立っていた。……そしてルドルフは、姉に頼まれて『リリアが部屋から出てくるのを見た』という偽証をするよう誓約させられた」
つまり、ルドルフが部屋に入った時点で、犯行は終わっていたのだ。 実行犯は彼ではない。
「残る容疑者は、侍女長マーサ……そして、セシリア本人」
私は呟いた。 マーサは、姉の手足となって動く忠実な下僕だ。 先日、カミュ団長の報告によれば、彼女は深夜に裏通りの魔道具屋に出入りしていた。 彼女が「青い硝子」の運搬役だったとしたら? そして、あの夜、宝飾品を持ち出したのも彼女だとしたら?
「……マーサを確保しなければなりません。彼女こそが、姉と『技術者』を繋ぐパイプ役です」
その時だった。 廊下の向こうから、慌ただしい足音が近づいてきた。 近衛騎士の一人が、息を切らせて駆け寄ってくる。
「ほ、報告します! 緊急事態です!」 「どうした、騒々しい」 レオンハルト様が咎める。
「侍女長マーサが……消えました!」 「何だと?」
「先ほど、彼女の部屋を確認に行ったところ、もぬけの殻でした。……争った形跡はありません。ですが、机の上に……これが」
騎士が差し出したのは、一通の手紙だった。 封筒には、私の名前が記されている。 まただ。 姉からの、メッセージ。
私は震える手で封を開けた。 中には、短くこう書かれていた。
『詮索好きな妹へ。 私の可愛いマーサをいじめないで。 彼女は今、少し遠いところで「休暇」を楽しんでいるわ。 ……そうそう、あなたが探している「三年前の答え」も、そこにあるかもしれないわね。 追いつけるかしら?』
「……逃げられた」
私は唇を噛み締めた。 一足遅かった。 姉は、私たちがマーサに辿り着くことを予期して、先手を打って彼女を逃したのだ。 いや、「逃した」だけならまだいい。 「消した」可能性もある。
「行き先は?」 レオンハルト様が手紙を奪い取り、検分する。
「……微かに、潮の匂いがする。それに、このインク……北方の港町特有の染料だ」 「港町……?」 「おそらく、国境に近い『ルナ・ポート』だ。あそこなら、国外へ逃亡する船も、身を隠す倉庫もいくらでもある」
ルナ・ポート。 王都から馬車で半日。 姉の勢力圏からは離れているが、逆に言えば法の目が届きにくい場所だ。
「追いましょう。……マーサを国外へ逃がせば、永遠に『実行犯』の証言は得られなくなります」 「ああ。……カミュに精鋭を招集させる。私も行く」 「レオンハルト様も?」 「宰相補佐として、重要参考人の確保指揮を執る。……それに、君を一人で行かせるわけにはいかない」
彼の瞳に、強い意志が宿っていた。 私は頷いた。
「ありがとうございます。……行きましょう」
◇
王宮を出る準備をしている最中、私はふと、ある違和感を覚えた。 姉の手紙。 『追いつけるかしら?』という挑発的な文言。 なぜ、わざわざヒントを残したのか? マーサを黙って消せば、それで済むはずなのに。 まるで、私をそこへ「誘い込んでいる」ような……。
「……罠、かもしれない」
私は馬車の窓から、セシリアの住む「月の塔」を見上げた。 最上階の窓に、人影が見える気がした。 彼女は今、どんな顔をしてこちらを見ているのだろう。 余裕の笑みか。それとも、計画通りに進む盤面を眺める棋士の顔か。
「でも、行くしかない」
罠だとわかっていても、飛び込むしかない時がある。 そこにしか、真実への道がないなら。 私は手帳を開き、『嘘のリスト』を確認した。
『偽造された印章』 『波形可変の魔道具』 『消えた宝飾品』 『侍女長マーサ』 『協力者:元宮廷魔導師長クレイグ(推測)』
すべての矢印が、一つの場所……ルナ・ポートへ向かっている。 あそこで、何かが待っている。 姉が用意した、最後の「舞台」が。
「出発だ!」 カミュ団長の号令と共に、馬車が動き出す。 石畳を蹴る蹄の音が、高らかに響く。 王都の門をくぐり、街道へ。 空は低く垂れ込め、遠くで雷鳴が轟いていた。
13
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢ですが、断罪した側が先に壊れました
あめとおと
恋愛
三日後、私は断罪される。
そう理解したうえで、悪役令嬢アリアンナは今日も王国のために働いていた。
平民出身のヒロインの「善意」、
王太子の「優しさ」、
そしてそれらが生み出す無数の歪み。
感情論で壊されていく現実を、誰にも知られず修正してきたのは――“悪役”と呼ばれる彼女だった。
やがて訪れる断罪。婚約破棄。国外追放。
それでも彼女は泣かず、縋らず、弁明もしない。
なぜなら、間違っていたつもりは一度もないから。
これは、
「断罪される側」が最後まで正しかった物語。
そして、悪役令嬢が舞台を降りた“その後”に始まる、静かで確かな人生の物語。
皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?
水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。
日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。
そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。
一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。
◇小説家になろう、ベリーズカフェにも掲載中です!
◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています
家が没落した時私を見放した幼馴染が今更すり寄ってきた
今川幸乃
恋愛
名門貴族ターナー公爵家のベティには、アレクという幼馴染がいた。
二人は互いに「将来結婚したい」と言うほどの仲良しだったが、ある時ターナー家は陰謀により潰されてしまう。
ベティはアレクに助けを求めたが「罪人とは仲良く出来ない」とあしらわれてしまった。
その後大貴族スコット家の養女になったベティはようやく幸せな暮らしを手に入れた。
が、彼女の前に再びアレクが現れる。
どうやらアレクには困りごとがあるらしかったが…
お前など家族ではない!と叩き出されましたが、家族になってくれという奇特な騎士に拾われました
蒼衣翼
恋愛
アイメリアは今年十五歳になる少女だ。
家族に虐げられて召使いのように働かされて育ったアイメリアは、ある日突然、父親であった存在に「お前など家族ではない!」と追い出されてしまう。
アイメリアは養子であり、家族とは血の繋がりはなかったのだ。
閉じ込められたまま外を知らずに育ったアイメリアは窮地に陥るが、救ってくれた騎士の身の回りの世話をする仕事を得る。
養父母と義姉が自らの企みによって窮地に陥り、落ちぶれていく一方で、アイメリアはその秘められた才能を開花させ、救い主の騎士と心を通わせ、自らの居場所を作っていくのだった。
※小説家になろうさま・カクヨムさまにも掲載しています。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
婚約破棄された令嬢は、もう誰の答えも借りません
鷹 綾
恋愛
「君との婚約は破棄する。――君は、もう必要ない」
王太子から一方的に突きつけられた婚約破棄。
その理由は、新たに寵愛する令嬢の存在と、「君は優秀すぎて扱いづらい」という身勝手な評価だった。
だが、公爵令嬢である彼女は泣かない。
怒りに任せて復讐もしない。
ただ静かに、こう告げる。
「承知しました。――もう、誰の答えも借りませんわ」
王国のために尽くし、判断を肩代わりし、失敗すら引き受けてきた日々。
だが婚約破棄を機に、彼女は“助けること”をやめる。
答えを与えない。
手を差し伸べない。
代わりに、考える機会と責任だけを返す。
戸惑い、転び、失敗しながらも、王国は少しずつ変わっていく。
依存をやめ、比較をやめ、他人の成功を羨まなくなったとき――
そこに生まれたのは、静かで確かな自立だった。
派手な断罪も、劇的な復讐もない。
けれどこれは、
「奪われたものを取り戻す物語」ではなく、
「もう取り戻す必要がなくなった物語」。
婚約破棄ざまぁの、その先へ。
知性と覚悟で未来を選び取る、静かな逆転譚。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる