『姉に全部奪われた私、今度は自分の幸せを選びます ~姉の栄光を支える嘘を、私は一枚ずつ剥がす~』

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第9話「誓約の抜け道」

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王宮の地下深くに設けられた特別尋問室は、冷たく湿った石壁に囲まれ、外界の光が一切届かない閉鎖的な空間だった。 ここに収容されているのは、一連の「慈善事業不正疑惑」に関与した重要参考人たちだ。 教会司祭ルドルフ、ガレオン商会長、その息子トーマス、そしてスラムの「聖女の家」院長ガストン。 彼らは皆、別々の独房に隔離され、交代で厳しい取り調べを受けている。

だが、捜査は思わぬ壁にぶつかっていた。

「……またしても、『真実』と判定されました」

尋問官が疲れ切った顔で報告書をテーブルに置いた。 私とレオンハルト様は、マジックミラー越しに尋問室の様子を観察していた。 部屋の中では、椅子に縛り付けられた司祭ルドルフが、勝ち誇ったような、それでいてどこか焦点の合わない目で天井を見上げている。 彼の前には、王宮魔術師が設置した『簡易誓約器』が置かれていた。 水晶玉のようなその装置は、被験者が嘘をつけば赤く、真実を語れば青く光る。

「『私は神と聖女セシリア様に誓って、私腹を肥やすような真似はしていない』……この証言に対し、判定は『青(真実)』です」

尋問官が頭を抱える。

「おかしいでしょう? 彼の部屋からは、横領した金貨で購入したと思われる高級美術品や、愛人への送金記録が見つかっているんです。それなのに、なぜ『私腹を肥やしていない』という言葉が真実になるんですか?」

「……簡単なことよ」

私は腕を組み、冷ややかにルドルフを見つめた。

「彼にとって、それは『私腹』ではないからよ」 「え?」 「彼は本気で信じているの。自分が受け取った金は、聖女に仕えるための『必要経費』であり、神から与えられた正当な『報酬』だと。だから、罪の意識がない。主観的な真実の前では、誓約器も無力だわ」

誓約魔術の弱点。 それは、あくまで「話者の主観」に基づいた真偽判定しかできないことだ。 本人が「空は緑色だ」と狂信的に信じていれば、誓約器はそれを「真実」と判定してしまう。 姉セシリアは、この性質を熟知している。 だからこそ、協力者たちに「自分たちは正しいことをしている」という強力な物語(ストーリー)を植え付け、洗脳に近い状態に仕上げているのだ。

「厄介だな」

レオンハルト様が低く唸った。

「ガレオン商会長も同様だ。『商取引は全て適正だった』と主張し、判定も青だ。彼の中では、水増し請求もキックバックも『商慣習の範囲内』という認識なのだろう」 「言葉の定義をずらされているんです。……このままでは、決定的な証言が得られません」

私は唇を噛んだ。 証拠書類は山ほどある。 だが、それを「セシリアの指示による組織犯罪」として立証するには、実行犯たちの口から「彼女に命じられた」という言葉を引き出し、それを誓約で固定する必要がある。 そうでなければ、姉は「彼らが勝手にやったこと」として切り捨て、逃げ切るだろう。

「……私がやります」

私は尋問室の扉に手をかけた。

「リリア? 危険だ。奴はまだ興奮状態にある」 「大丈夫です。……魔法使いには魔法使いを、詐欺師には監査官を。言葉の定義が曖昧なら、逃げ場がないように定義し直せばいいだけです」

私はレオンハルト様に目配せし、重い鉄扉を開けた。

          ◇

尋問室に入ると、ルドルフの視線が私に突き刺さった。 憎悪、軽蔑、そして微かな怯え。 数日前、大聖堂で私に断罪された記憶が蘇っているのだろう。

「……またお前か。悪魔め」

ルドルフが呻くように言った。 私は無視して、尋問官の席に座った。 机の上にある誓約器が、薄暗い部屋の中で青白く発光している。

「お久しぶりです、ルドルフ司祭。……神への祈りは済みましたか?」 「ふん。お前のような異端者と話す言葉はない。私は潔白だ。この誓約器が証明している!」

彼は水晶玉を顎でしゃくった。

「ええ、見ていました。貴方は『私腹を肥やしていない』と証言し、それは真実と判定されました。……では、質問を変えましょう」

私は手元の資料を広げず、真っ直ぐに彼の目を見た。 尋問の基本は、相手の「想定問答」を崩すことだ。

「貴方は、セシリア様から『命令』を受けましたか?」

「……いいえ」

水晶が青く光る。 真実。 やはり、姉は直接的な「命令」を下していない。

「では、貴方はセシリア様の『願い』を聞きましたか?」

「……はい」

青。 ここが入り口だ。

「その『願い』とは、『困っている子供たちのために、もっと資金が必要だ』という内容でしたか?」

「……はい。聖女様は心を痛めておられた。国からの支援が足りないと」

「なるほど。では、その『願い』を叶えるために、貴方は会計書類の数字を……『調整』しましたか?」

ルドルフが一瞬言葉に詰まった。 「改竄」や「偽造」と言えば、彼は「していない」と答えるだろう。彼の中では正義の行いだからだ。 だから私は、官僚的な言葉を選んだ。

「……調整、した。神の恵みを正しく配分するために」

青。 かかった。

「その『調整』の結果、貴方の手元には、本来受け取るべき額以上の金銭が残りましたか? イエスかノーで」

「……イエスだ。だが、それは活動費として……」 「活動費。わかりました。では、その『活動費』を使って、貴方は先月、宝石店でダイヤモンドのネックレスを購入しましたか?」

「っ……!」

ルドルフの目が泳いだ。 これは事実確認だ。思想や信条は関係ない。

「……購入した」 青。

「そのネックレスは、誰に渡しましたか? 貧しい孤児ですか? それとも、貴方が懇意にしている踊り子、ミナ嬢ですか?」

「…………」

沈黙。 脂汗が額を伝う。 彼は答えられない。 嘘をつけば赤く光り、誓約違反のペナルティとして激痛が走る。 真実を言えば、彼の「聖職者としての正義」が崩壊する。

「答えてください。……神が見ていますよ」

私が冷たく告げると、ルドルフはガタガタと震え出した。

「わ、渡した……ミナに……。でも、あれは……彼女を救うために……!」 「救済。なるほど。……では、その購入資金の出所は、孤児院への『暖房費』として計上された公金ですね?」

「……違う! あれは……神からの……!」

カッ! 水晶玉が真っ赤に染まった。 同時に、ルドルフが「ぐあぁっ!」と悲鳴を上げてのけ反った。 誓約の反動。 精神的なショックが神経を焼き切るような苦痛を与える。

「嘘ですね。……貴方は知っていたはずです。それが本来、凍える子供たちのために使われるべき金だったことを」

「はぁ、はぁ……うぐぅ……」

「セシリア様は仰ったのでしょう? 『あなたの献身には、報いが必要よ』と。……それを貴方は、自分の欲望を満たす許可だと解釈した。違いますか?」

ルドルフはもはや反論できなかった。 赤く明滅する光の前で、彼の「正義の物語」は粉々に砕け散った。 私は尋問官に合図を送った。

「記録して。『被告人は、使途が限定された公金を私的な遊興費に流用したことを認めた』。……次は、その指示系統についてです」

私はルドルフの耳元に顔を寄せた。

「貴方が泥を被るのは勝手ですが……セシリア様は、貴方を助けてくれませんよ。だって彼女は、『命令』なんてしていないのですから。貴方が勝手に『願い』を忖度して、勝手に横領した。……そういう筋書きになっています」

「……あ、あの女……!」

ルドルフの目から、信仰の色が消え、どす黒い憎悪が浮かび上がった。 洗脳が解ける瞬間だ。 愛が深ければ深いほど、裏切られた時の憎しみは深い。

「証言しますか? 彼女が具体的に、どのような言葉で、貴方をこの道へ誘い込んだのか。……『契約の抜け道』を、貴方の口から塞いでください」

「……話す。全部話す……! あいつだけ、綺麗なままでいさせるものか……!」

ルドルフは憑き物が落ちたように、あらいざらい話し始めた。 姉がいかにして教会の予算を操作させたか。 架空の孤児院の名義をどうやって用意したか。 そして、その印章を誰が作ったか。

「印章は……私が作ったのではない。セシリア様から『完成品』を渡されたのだ」 「完成品?」 「ああ。特殊な魔石で作られた、波形を自由に変えられる印章だ。……あれを使えば、誰の署名でも偽造できる」

波形可変の印章。 そんな高度な魔道具、王宮の研究所でも試作段階のはずだ。 それを姉が持っている?

「その印章は今どこに?」 「……セシリア様が回収していった。『メンテナンスが必要だから』と言って」

回収済み。 証拠隠滅の手際が良すぎる。 だが、重要な情報だ。 姉は「偽造印章」を作る技術、あるいはルートを持っている。

          ◇

ルドルフの自白を皮切りに、他の容疑者たちも次々と口を割り始めた。 ガストン院長は、子供たちへの虐待が「セシリア様の教義」に基づいたものだと泣きながら証言した。 商会長は、最後まで抵抗したが、息子トーマスの「二重帳簿の解読」によって逃げ場を失い、観念した。

尋問室を出た私は、廊下で待っていたレオンハルト様に深く息を吐いてみせた。 疲労がどっと押し寄せてくる。 人の悪意と、歪んだ善意に触れ続けるのは、精神を削られる作業だ。

「お疲れ様。……見事だった」 レオンハルト様が、冷えた缶コーヒーのようなボトル――魔力で冷却された強壮剤――を渡してくれた。

「ありがとうございます。……でも、核心部分には届いていません」 「印章の製造ルートか」 「はい。ルドルフの話では、姉は『完成品』を持っていた。……ガレオン商会が加工していた『青い硝子の欠片』。あれが素材だとしても、それを『魔道具』に組み上げる技術者が別にいるはずです」

私はボトルを握りしめた。 姉はプロデューサーだ。 絵を描き、金を集め、人を動かす。 だが、実際に手を動かす「職人(エンジニア)」が、まだ闇の中にいる。

「……心当たりがあるのか?」 レオンハルト様が問う。

「……一人だけ。王宮内で、それだけの技術を持ち、かつ姉の息がかかっている可能性のある人物」

私は記憶を探った。 三年前。 私が追放される原因となった「宝飾紛失事件」。 あの時、保管庫の鍵を管理し、警備システムを熟知していた人物。 そして、事件直後に「責任を感じて」辞職したはずの……。

「元・宮廷魔導師長、クレイグ」

レオンハルト様の眉が動いた。

「クレイグ……? あの偏屈な老魔導師か。彼は引退して田舎に隠居したはずだが」 「本当に隠居したのでしょうか? もし、姉が彼を囲い込んでいたとしたら?」

技術者には金が必要だ。研究費、素材、そして静かな環境。 姉が横領した莫大な資金。 それが流れる先として、これほど合致する相手はいない。

「……調査させよう。カミュの部下を走らせる」 「お願いします。……それと、もう一つ気になっていることが」

私は鞄から、第3話でレオンハルト様が見せてくれた「入退室管理表」の写しを取り出した。 三年前の事件当夜、白薔薇の間にいた人物。 『侍女長マーサ』と『司祭ルドルフ』。

「ルドルフは自白しました。あの日、彼は姉に呼び出されて部屋に入った。でも、そこには既に『誰もいなかった』と」 「誰もいなかった?」 「ええ。宝飾品は既に消えていた。姉は泣いていて、そばに侍女長マーサが立っていた。……そしてルドルフは、姉に頼まれて『リリアが部屋から出てくるのを見た』という偽証をするよう誓約させられた」

つまり、ルドルフが部屋に入った時点で、犯行は終わっていたのだ。 実行犯は彼ではない。

「残る容疑者は、侍女長マーサ……そして、セシリア本人」

私は呟いた。 マーサは、姉の手足となって動く忠実な下僕だ。 先日、カミュ団長の報告によれば、彼女は深夜に裏通りの魔道具屋に出入りしていた。 彼女が「青い硝子」の運搬役だったとしたら? そして、あの夜、宝飾品を持ち出したのも彼女だとしたら?

「……マーサを確保しなければなりません。彼女こそが、姉と『技術者』を繋ぐパイプ役です」

その時だった。 廊下の向こうから、慌ただしい足音が近づいてきた。 近衛騎士の一人が、息を切らせて駆け寄ってくる。

「ほ、報告します! 緊急事態です!」 「どうした、騒々しい」 レオンハルト様が咎める。

「侍女長マーサが……消えました!」 「何だと?」

「先ほど、彼女の部屋を確認に行ったところ、もぬけの殻でした。……争った形跡はありません。ですが、机の上に……これが」

騎士が差し出したのは、一通の手紙だった。 封筒には、私の名前が記されている。 まただ。 姉からの、メッセージ。

私は震える手で封を開けた。 中には、短くこう書かれていた。

『詮索好きな妹へ。  私の可愛いマーサをいじめないで。  彼女は今、少し遠いところで「休暇」を楽しんでいるわ。  ……そうそう、あなたが探している「三年前の答え」も、そこにあるかもしれないわね。  追いつけるかしら?』

「……逃げられた」

私は唇を噛み締めた。 一足遅かった。 姉は、私たちがマーサに辿り着くことを予期して、先手を打って彼女を逃したのだ。 いや、「逃した」だけならまだいい。 「消した」可能性もある。

「行き先は?」 レオンハルト様が手紙を奪い取り、検分する。

「……微かに、潮の匂いがする。それに、このインク……北方の港町特有の染料だ」 「港町……?」 「おそらく、国境に近い『ルナ・ポート』だ。あそこなら、国外へ逃亡する船も、身を隠す倉庫もいくらでもある」

ルナ・ポート。 王都から馬車で半日。 姉の勢力圏からは離れているが、逆に言えば法の目が届きにくい場所だ。

「追いましょう。……マーサを国外へ逃がせば、永遠に『実行犯』の証言は得られなくなります」 「ああ。……カミュに精鋭を招集させる。私も行く」 「レオンハルト様も?」 「宰相補佐として、重要参考人の確保指揮を執る。……それに、君を一人で行かせるわけにはいかない」

彼の瞳に、強い意志が宿っていた。 私は頷いた。

「ありがとうございます。……行きましょう」

          ◇

王宮を出る準備をしている最中、私はふと、ある違和感を覚えた。 姉の手紙。 『追いつけるかしら?』という挑発的な文言。 なぜ、わざわざヒントを残したのか? マーサを黙って消せば、それで済むはずなのに。 まるで、私をそこへ「誘い込んでいる」ような……。

「……罠、かもしれない」

私は馬車の窓から、セシリアの住む「月の塔」を見上げた。 最上階の窓に、人影が見える気がした。 彼女は今、どんな顔をしてこちらを見ているのだろう。 余裕の笑みか。それとも、計画通りに進む盤面を眺める棋士の顔か。

「でも、行くしかない」

罠だとわかっていても、飛び込むしかない時がある。 そこにしか、真実への道がないなら。 私は手帳を開き、『嘘のリスト』を確認した。

『偽造された印章』 『波形可変の魔道具』 『消えた宝飾品』 『侍女長マーサ』 『協力者:元宮廷魔導師長クレイグ(推測)』

すべての矢印が、一つの場所……ルナ・ポートへ向かっている。 あそこで、何かが待っている。 姉が用意した、最後の「舞台」が。

「出発だ!」 カミュ団長の号令と共に、馬車が動き出す。 石畳を蹴る蹄の音が、高らかに響く。 王都の門をくぐり、街道へ。 空は低く垂れ込め、遠くで雷鳴が轟いていた。
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