冤罪で処刑された悪女ですが、死に戻ったらループ前の記憶を持つ王太子殿下が必死に機嫌を取ってきます。もう遅いですが?

六角

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第13話:カタコンベの逃避行

 ズズズン……!

 背後の闇の奥から、再び重低音が響いてきた。  岩盤が軋み、天井からパラパラと砂埃が落ちてくる。  王太子アレクサンダー殿下が放っている魔法か、あるいは近衛騎士団が物理的に壁を破壊している音か。

 どちらにせよ、それは「死者の安眠」を蹂躙する、野蛮な破壊の音だった。

「……品性がないな」

 私の手を引いて闇の中を駆けるシルヴィオ公爵が、冷ややかに吐き捨てた。

「王族が率先して先祖の眠る地下墓地を破壊するとは。歴史への冒涜にも程がある」

「ええ。あの方は、自分の欲しいものを手に入れるためなら、歴史も国も燃やせる人ですわ」

 私は息を切らせながら答えた。  足元の道は悪く、泥と石ころだらけだ。  普段なら数メートルも歩けば音を上げるような悪路だが、不思議と足は止まらなかった。  繋がれたシルヴィオ公爵の手から、冷たいけれど力強いエネルギーが流れ込んでくる気がしたからだ。

「ヴィオレッタ、足元に気をつけろ。ここは古い区画だ。床が抜けている場所がある」

「はい」

「頭上注意だ。棺が崩れ落ちてくるかもしれない」

「はい」

 まるで遠足の引率者のように、彼は的確に指示を出し、私を危険から守りながら進んでいく。  ランタンの薄暗い光が、左右の壁に並ぶ無数の頭蓋骨を照らし出す。  空洞の瞳が、私たちを見つめている。

 普通なら、発狂しそうな光景だ。  何千という死体に囲まれて、迷路のような地下道を逃げ回るなんて。  けれど、私にはここが王宮の回廊よりもずっと居心地がよかった。

 この骸骨たちは、私を値踏みしない。  「悪女」と罵ることも、「愛している」と喚くこともない。  ただ静かに、そこにあるだけ。  それは、私が求めてやまない「無」の境地だ。

「……ヴィオレッタァァァーッ!!」

 不意に、背後から絶叫が聞こえた。  風の唸り声ではない。  明らかに、人の声だ。

 距離はまだ遠い。  けれど、その声に含まれる執着の粘度は、この距離を一瞬で縮めてきそうなほど濃密だった。

「ひっ……!」

 私は反射的に肩をすくめた。  声を聞くだけで、首の傷が疼く。胃が縮む。

「どこだ! どこにいる! 僕のヴィオレッタ! 隠れていないで出ておいで! 暗いだろう? 怖いだろう? 今すぐ僕が太陽の光で照らしてあげるからねぇッ!」

 反響する声は、もはや人間のそれではなく、地獄の底から這い上がってくる悪霊のようだった。  彼は本気で、私が「怖がっているから助けに行く」と思っているのだ。私が彼から逃げているとは、微塵も考えていない。  その思考回路の断絶が、何より恐ろしい。

「……うるさい男だ」

 シルヴィオ公爵が足を止め、舌打ちをした。  彼はランタンを床に置き、懐から何かを取り出した。  小瓶に入った、透明な液体だ。

「少し、足止めをするか」

 彼は小瓶の蓋を開け、通路の壁際に垂らした。  そして、何やら短い呪文のような言葉を呟く。

 すると、液体を垂らした場所から、白っぽい霧がもくもくと立ち込め始めた。  霧は瞬く間に通路を充満し、視界を遮っていく。

「これは?」

「死霊術の一種……と言いたいところだが、ただの科学実験だ。特殊な薬品を反応させて、濃霧と強烈な腐臭を発生させる」

 シルヴィオ公爵は悪戯っ子のように口の端を上げた。

「この霧の中に入れば、視界はゼロ。しかも鼻が曲がるほどの死臭がする。あの潔癖症の王太子には効果覿面だろう」

「……ふふっ」

 私は思わず吹き出した。  死臭の煙幕。  薔薇の香水を浴びるほどつけている殿下には、これ以上ない嫌がらせだ。

「性格が悪いですわ、シルヴィオ様」

「貴女を守るためなら、私はいくらでも性悪になろう。さあ、今のうちに距離を稼ぐぞ」

 再び私たちは走り出した。  霧の向こうからは、「うぐっ! なんだこの臭いは! くそっ、前が見えない!」という殿下の怒号と咳き込む声が聞こえてきた。  ざまぁみろ、と胸がすく思いだ。

 さらに進むと、道が二手に分かれていた。  右は広くて歩きやすそうな道。  左は狭く、水没しかけている道。

 シルヴィオ公爵は迷わず左を選んだ。

「ドレスが汚れるが、我慢してくれ。こちらの道は古い水路跡で、私の屋敷の地下貯蔵庫に直結している」

「構いません。泥だらけになるのは慣れました」

 私たちはくるぶしまで水に浸かりながら進んだ。  水は氷のように冷たく、足の感覚が麻痺してくる。  ドレスの裾が重くまとわりつく。

 ふと、私の足が何かに取られた。  水底の泥か、瓦礫か。

「あっ」

 バランスを崩し、前につんのめる。  冷たい水の中に倒れ込む――その寸前で、強い腕が私の腰を抱き留めた。

「おっと」

 シルヴィオ公爵だ。  彼は私を軽々と抱き起こし、そのまま横抱きにお姫様抱っこをしてしまった。

「え、あ……シルヴィオ様!?」

「足元が悪いと言っただろう。それに、貴女の足はもう限界だ」

 彼は平然と言った。

「自分で歩けます! 重いですわ!」

「軽いものだ。骨の重さしかない」

 彼は私の抗議を無視して、スタスタと水の中を歩き始めた。  その胸元からは、ひんやりとした冷気と、防腐剤の清潔な香りがする。  心音が聞こえないのではないかと思うほど静かだが、耳を澄ますと、トクトクと落ち着いたリズムが響いているのがわかった。

 王太子に抱きしめられた時の、あの焼けるような不快感はない。  むしろ、氷枕に抱きついているような心地よさで、火照った私の体を冷やしてくれる。

「……申し訳ありません」

 私は抵抗を諦め、彼の首に腕を回した。

「いいや。役得というやつだ」

 彼が低く笑う振動が、胸越しに伝わってくる。

「こんな暗くてジメジメした場所で、死臭漂う中での逢瀬……。普通の恋人たちなら最悪のデートコースだろうが」

「私にとっては、最高のデートコースです」

 私は心からそう答えた。  シャンデリアの下でのワルツより、泥水の中の逃避行の方が、何百倍もロマンチックだ。

「貴女という人は……本当に、私の棺桶に入るために生まれてきたような女性だ」

「ええ。予約は済ませてありますもの」

 軽口を叩き合いながら、私たちは闇の中を進む。  背後の追手の音は、もう聞こえなくなっていた。  霧と複雑な迷路が、彼らを巻いたようだ。

 やがて、前方に微かな風の流れを感じた。  そして、石段が見えてきた。  上へと続く、長い長い螺旋階段。

「着いたぞ。この上が、私の屋敷の地下室だ」

 シルヴィオ公爵は私を下ろさず、そのまま階段を登り始めた。  一段、また一段。  登るにつれて、空気が乾燥してくる。

 そして、最後の扉を押し開けた瞬間。

 フワッ、と懐かしい匂いがした。  あの応接間の香りだ。

 私たちは、薄暗い部屋に出た。  そこは、ワインではなく、大量の棺桶が保管されている地下貯蔵庫だった。  大小様々な、美しい棺が並ぶ静謐な空間。

「……帰ってきましたわ」

 私は安堵の溜息をついた。  ここはまだ地下だけれど、ここは彼の領域だ。  守られている場所だ。

 シルヴィオ公爵は私をそっと床に下ろした。  私のドレスは泥と水でぐしゃぐしゃだったが、彼は気にする様子もなく、自分のコートを脱いで私の肩にかけてくれた。

「まだ安心はできない。屋敷の外は、王太子の軍隊が包囲しているはずだ」

 彼は表情を引き締めた。

「ここからが正念場だ。裏口から抜け出し、森を抜けて隣国へ逃れるか……あるいは」

 あるいは?  彼が言葉を濁した時、頭上でドカドカという荒々しい足音が聞こえた。  一階だ。  誰かが屋敷の中に侵入している。

「シルヴィオ! どこだ! 出てこい!」 「公爵! 神妙に縛につけ!」

 騎士たちの声だ。  やはり、屋敷は制圧されている。

「……包囲網は完成しているようだな」

 シルヴィオ公爵は天井を見上げ、冷徹な目で笑った。

「逃げるのは不可能か。ならば、迎え撃つしかない」

「迎え撃つ……? どうやって?」

 多勢に無勢だ。  彼には私兵(墓守たち)がいるといっても、国の正規軍相手では勝ち目がない。

 しかし、シルヴィオ公爵は余裕の表情を崩さなかった。  彼は貯蔵庫の壁にかかっていた一本の杖――漆黒の木で作られ、先端に骸骨の彫刻が施された杖を手に取った。

「ヴィオレッタ。私は言ったはずだ。『死者を冒涜する者は、死者に足をすくわれる』と」

 彼は私の手を取り、貯蔵庫の出口へと誘った。

「見せてあげよう。葬儀卿ベルンシュタイン家が、なぜ何百年もの間、この国で畏れられてきたのか。その本当の理由を」

 私たちは地下から一階へと上がる。  そこは、戦場になるはずの場所。    王太子は地下で煙に巻かれているが、地上には彼の軍隊が待っている。  挟み撃ちの絶体絶命。  けれど、私の心は踊っていた。

 この死神公爵が、どんな「葬儀」を執り行ってくれるのか。  その期待に胸が高鳴り、私は泥だらけの喪服を翻して彼の隣に並んだ。

 いざ、開戦の時だ。
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