冤罪で処刑された悪女ですが、死に戻ったらループ前の記憶を持つ王太子殿下が必死に機嫌を取ってきます。もう遅いですが?

六角

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第15話:開戦の狼煙

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 それは、この国の歴史が覆る瞬間だった。

 シルヴィオ公爵が召喚した青白い光の群れは、夜空を埋め尽くすほどの数に膨れ上がっていた。  数百、いや数千。  ベルンシュタイン領の地下深くに眠っていた歴代の王族、英雄、そして名もなき忠臣たちの魂が、具現化して宙に浮いている。

 彼らは武器を手にしているわけではない。  ただ、その存在の「重み」だけで、生者の軍隊を圧倒していた。

「ひ、ひいいっ……!」 「あ、あれは……建国の英雄王、レオニダス様!?」 「馬鹿な、銅像が動き出したのか!?」 「俺のお祖父様がいる! 戦死したはずの!」

 包囲していた騎士たちの間に、パニックが伝染した。  剣を握る手が震え、膝が笑う。  いくら訓練された精鋭騎士といえど、自国の伝説的な英雄や、自分の肉親の霊魂に刃を向けられる者などいない。

 物理的な恐怖ではない。  畏敬の念と、罪悪感。  「自分たちは、踏み込んではいけない聖域を犯しているのではないか」という根源的な問いが、彼らの戦意を根こそぎ削ぎ落としていく。

「総員、退却だ! これは戦いではない! 罰当たりだ!」 「祟られるぞ! 逃げろ!」

 一人が武器を捨てて逃げ出すと、それは雪崩のようになった。  五百人の軍勢が、蜘蛛の子を散らすように崩壊していく。  墓守たちが掘った落とし穴にハマり、互いにぶつかり合い、阿鼻叫喚の地獄絵図となる。

 その光景を、私はバルコニーから呆然と眺めていた。

「……すごいですわ」

 言葉が出ない。  シルヴィオ公爵は、杖を一振りしただけで軍隊を壊滅させたのだ。  一滴の血も流すことなく。

「彼らは、騒がしいのが嫌いなだけだ」

 シルヴィオ公爵は、逃げ惑う兵士たちを冷ややかに見下ろした。

「死者は静寂を好む。それを土足で踏み荒らそうとした報いだ。……さて、問題は」

 彼の視線が一点に固定された。

「あれだけ脅しても、まだ退かない馬鹿が一人いることだな」

 兵士たちが逃げ去った後、ガランとした屋敷の正面広場に、たった一騎、取り残された人影があった。  王太子アレクサンダー殿下だ。

 彼の乗っていた白馬は、霊魂の威圧に怯えて彼を振り落とし、とっくに逃げ去っていた。  泥まみれの地面に立ち尽くす彼は、王族とは思えないほど無様だった。  だが、その目だけは異様に爛々と輝いている。

 彼は目の前に浮かぶ、かつての曾祖父にあたる国王の霊魂を指差し、叫んだ。

「幻影だ! こんなもの、全部まやかしだ!」

 彼は錯乱していた。

「どいつもこいつも逃げるな! 戻れ! これは死神が見せている幻覚なんだ! 僕たちの愛を試しているんだぞ!」

 殿下は剣を振り回し、虚空を切った。

「消えろ! 消えろ亡霊ども! 僕は未来の王だぞ! 過去の遺物が、僕の邪魔をするな!」

 彼の剣が、青白い霊体をすり抜ける。  物理的な攻撃は通用しない。  霊体たちは、ただ哀れむような目で、狂った子孫を見つめているだけだ。

「……哀れだな」

 シルヴィオ公爵がポツリと漏らした。

「彼は自分の見たいものしか見ない。だから、目の前の『歴史』すらも否定する。過去を否定する者に、未来を語る資格などないというのに」

 殿下の暴走は止まらない。  彼は周囲に誰もいなくなったことに気づくと、標的を屋敷の扉へと定めた。

「ヴィオレッタ! 待っていてくれ! 僕が今行く! この手で君を救い出す!」

 彼は懐から、高価な魔石を取り出した。  王家に伝わる、攻撃魔法が封じられた魔道具だ。

「あいつが何重に結界を張ろうとも、僕の愛の力(物理)でぶち破る!」

 カッ!

 閃光が走った。  爆発音が轟き、屋敷の重厚な正門が吹き飛ばされた。  木っ端微塵になった木片が舞い散る。

「……やりやがった」

 シルヴィオ公爵が舌打ちをした。

「私の屋敷の玄関は、樹齢三百年の黒檀製だったんだぞ。あの美的センスの欠片もない破壊活動……許せん」

 彼は怒っていた。  王権への反逆とか、身の危険とかではなく、「屋敷の美観を損ねたこと」に対して。

「ヴィオレッタ、中へ入ろう。ここからは直接対決だ」

 彼は私の肩を抱き、バルコニーから部屋の中へと戻った。  一階のエントランスホールへ向かう。  そこが、最後の舞台になる。

 広間の中央にある大階段。  その踊り場に、私たちは立った。  まるで、舞踏会の主役が登場するように。

 下では、破壊された扉から土足で踏み込んできた男が一人。  王太子アレクサンダー殿下。  彼は肩で息をし、髪は振り乱れ、目は血走っていた。  かつての「太陽の貴公子」の面影はない。  そこにいるのは、愛に飢えた亡者だった。

「ハァ……ハァ……見つけた……」

 殿下が私たちを見上げ、歪んだ笑みを浮かべた。

「ようやく会えたね、ヴィオレッタ。……さあ、おいで。悪い夢はもう終わりだ」

 彼は血のついた手を差し出した。  その手の向こうに、幸せな未来などない。  あるのは、窒息するような束縛と、永遠の孤独だけ。

 私は、震えなかった。  以前のような恐怖はもうない。  私の隣には、最強の「闇」がいるのだから。

「……お断りします」

 私は冷たく言い放った。  階段の上から、ゴミを見るような目で彼を見下ろす。

「殿下。貴方は何もわかっていない。私が求めているのは、貴方の腕の中ではありません」

「まだ言うか! 洗脳が解けていないようだな!」

 殿下は階段を一段、また一段と登り始めた。  剣を引きずり、金属音が不快な音を立てる。

「シルヴィオ! 貴様のせいだ! 貴様が彼女を誑かした! 死にたくなければ彼女を離せ!」

 シルヴィオ公爵は、優雅に杖をついたまま動じない。

「離す? お断りだ」

 彼は私の腰に手を回し、さらに強く引き寄せた。

「彼女は自らここに来た。そして、私の棺を選んだ。生者の貴方に、口を出す権利はない」

「黙れェェェッ!」

 殿下が吠えた。  理性は完全に崩壊していた。  彼は剣を振り上げ、私たちに向かって突進してくる。

 距離が縮まる。  あと十メートル。五メートル。

 シルヴィオ公爵が杖を構えた。  王太子が剣を振り下ろす。

 その瞬間。

「おやめなさい!!」

 凛とした声が、広間に響き渡った。  私でも、シルヴィオ公爵でもない。  もっと威厳のある、聞き覚えのある声。

 殿下の動きが止まった。  全員の視線が、破壊された玄関の方へと向く。

 土煙の向こうから現れたのは、多数の近衛兵に守られた、一人の初老の男性だった。  頭上には王冠。  身に纏うのは王のマント。

 この国の国王陛下。  そして、私の父である公爵も、青ざめた顔でその隣に控えていた。

「ち、父上……?」

 殿下が剣を下ろし、呆然と呟いた。

「なぜここに……? 僕は今、反乱分子を鎮圧して……」

「黙りなさい、愚か者!!」

 国王陛下の怒号が、雷のように落ちた。  殿下がビクリと肩を震わせる。

「神聖なる葬儀卿の屋敷を襲撃し、あまつさえ歴代の王の御霊に剣を向けるとは! 余の顔に泥を塗る気か!」

「ち、違います! これは正義の戦いです! ヴィオレッタが誘拐されたから!」

「誘拐ではありません!」

 その時、私の父が声を上げた。  父は震えながらも、毅然とした態度で進み出た。

「私の娘は、自分の意志で家を出ました。……ここに、彼女からの書き置きがあります」

 父が掲げたのは、私が部屋を出る時に残してきた手紙だった。  そこには、『私は自分の意志で、シルヴィオ公爵の元へ参ります。探さないでください』と、はっきりと記してある。

「そ、そんな……」

 殿下の顔から血の気が引いていく。  彼の作り上げた「可哀想な被害者ヴィオレッタと、それを救うヒーローの僕」という脚本が、音を立てて崩れ去った。

「茶番は終わりだ、アレクサンダー」

 シルヴィオ公爵が静かに告げた。  彼は私をエスコートし、階段をゆっくりと降りていく。  王太子とすれ違いざま、私は立ち止まり、彼を直視した。

 これが、最後だ。  この男との因縁を、ここで完全に断ち切る。

「殿下」

 私はかつての婚約者に、慈悲のない言葉を贈った。

「貴方の愛は、『太陽』でした。明るすぎて、熱すぎて、私を焼き焦がすだけの暴力でした」

 殿下が何か言おうと口を開くが、声にならない。

「私はもう、日向には戻りません。シルヴィオ様のくださる『月』のような静寂だけが、私の心を癒やしてくれるのです。……さようなら、私の死刑執行人様」

 決定的な拒絶。  公衆の面前で、国王と父の前で、私は王太子を振ったのだ。

 殿下はその場に膝から崩れ落ちた。  手から剣が滑り落ち、乾いた音を立てる。

 物理的な戦いは終わった。  しかし、本当の断罪はここから始まる。  国王陛下の冷ややかな視線が、うなだれる息子へと注がれていた。
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