冤罪で処刑された悪女ですが、死に戻ったらループ前の記憶を持つ王太子殿下が必死に機嫌を取ってきます。もう遅いですが?

六角

文字の大きさ
19 / 22

第19話:王太子の末路

 ガタン、ゴトン。  ガタン、ゴトン。

 車輪が石畳を噛む音が、永遠に続いている気がした。  鉄格子の嵌められた小さな窓から見える景色は、徐々に緑を失い、荒涼とした岩肌と、白く濁った空へと変わっていく。

 寒い。  僕は薄い毛布をかき抱き、ガタガタと震えた。  かつて最高級の絹のシャツしか肌に触れさせたことのない僕の体が、ゴワゴワとした囚人服の感触に悲鳴を上げている。

「……寒い。誰か、暖房を入れてくれ。……おい、聞こえないのか」

 僕は御者台に向かって声をかけたが、返ってくるのは冷たい風の音だけだった。  護送兵たちは、僕を「殿下」とは呼ばない。  ただの「荷物」として扱っている。

 ここは、王都から遥か北。  万年雪に閉ざされた山岳地帯にある、サン・ミシェル修道院。  表向きは修道院だが、実態は王家の罪人を幽閉するための牢獄だ。  僕はそこに送られるのだ。  一生、出ることのない片道切符を持って。

「……違う。何かの間違いだ」

 僕は揺れる馬車の中で、何度も繰り返した。

「僕は王太子だぞ。国の未来を背負う男だ。そして、愛する人を救うために時を超えた英雄なんだ。こんな扱いを受けるなんて、おかしいだろう?」

 誰も答えない。  ヴィオレッタもいない。  あの泥だらけのバルコニーで、彼女は僕に何と言った?

 『貴方の愛は、太陽でした』  『私を焼き焦がすだけの暴力でした』

 ……馬鹿なことを言う。  太陽がなければ、花は育たないじゃないか。  僕は彼女を照らしてあげたんだ。輝かせてあげたんだ。  あの死神公爵の黒魔術で、彼女の目は曇ってしまったに違いない。  そうでなければ、あんな酷いことが言えるはずがない。

「待っていてくれ、ヴィオレッタ。すぐに誤解は解ける。父上もきっと、僕の正しさに気づいて迎えに来てくれるはずだ」

 馬車が停まった。  重い音を立てて扉が開かれる。  吹き込んできたのは、肺が凍りつくような冷気だった。

「降りろ。着いたぞ」

 兵士に乱暴に腕を掴まれ、僕は地面に引きずり下ろされた。  目の前に聳え立つのは、灰色の石で作られた巨大な塔。  窓はほとんどなく、まるで墓標のように空を刺している。

 ここが、僕の新しい城だというのか?

「冗談じゃない! 帰るぞ! 僕はこんなところに入りたくない!」

 抵抗しようとしたが、長旅で衰弱した体では兵士一人すら振りほどけなかった。  重い鉄の扉が開き、僕は暗い回廊へと押し込まれた。

 修道院の中は、外よりも寒かった。  石造りの床は氷のように冷たく、カビ臭い空気が充満している。  出迎えたのは、無表情な修道院長ただ一人。

「ようこそ、アレクサンダー。ここでは身分も名前も無意味です。貴方はただの『悔い改める者』として、神に祈りを捧げるのです」

「無礼者! 僕を誰だと思っている!」

「元・王太子殿下でしょう。……陛下からは、特別扱いをするなと厳命されております」

 院長は冷ややかに告げると、僕を最上階の独房へと案内した。

 独房は、王宮のトイレよりも狭かった。  粗末な木製ベッドと、小さな机。  壁には十字架が一つ掛けられているだけ。  窓には鉄格子があり、そこからは吹雪く空しか見えない。

「食事は一日二回。パンとスープのみ。私語は厳禁。一日の大半を礼拝堂での祈りに費やすこと。……以上です」

 ガチャン。  重い鍵の音が、僕の世界を閉ざした。

「出してくれ……! ここから出してくれぇッ!」

 僕は扉を叩いた。  拳から血が出るまで叩き続けた。  けれど、誰も来なかった。  侍従も、近衛兵も、そしてヴィオレッタも。

 静寂。  あの死神公爵が愛した静寂が、ここでは拷問のように僕を責め立てる。  自分の呼吸音と、心臓の音だけが響く世界。

 一日が過ぎ、一週間が過ぎ、一ヶ月が過ぎた。

 僕は痩せ衰えた。  自慢の金髪は艶を失い、無精髭が伸び放題になった。  爪は汚れ、肌は荒れた。  鏡がないのが救いだった。今の自分の姿を見たら、発狂していたかもしれない。

 毎日、夜明け前に叩き起こされ、凍えるような礼拝堂で膝をつき、祈りを捧げる。  何を祈ればいい?  罪の赦し? 誰の罪だ? 僕のか?  僕は何も間違っていないのに!

 ある日、礼拝堂の冷たい石床に額をつけながら、僕はふと思った。

 (……もう一度だ)

 そうだ。  もう一度、時間を戻せばいい。

 前回は一年前に戻った。  でも、それでは遅すぎたのだ。ヴィオレッタの心が既に壊れていた時期だったから失敗したのだ。  もっと前。  僕たちが初めて出会った頃や、婚約したばかりの頃に戻ればいい。  そうすれば、最初から完璧に彼女を愛してやれる。  あの死神につけ入る隙など与えない。

 希望の光が見えた気がした。  僕は狂ったように祈り始めた。

「神よ! 神よ、お願いです! 僕にもう一度チャンスをください! 僕の命を削っても構いません! 時間を、時間を戻してください!」

 朝も昼も夜も、祈り続けた。  食事も喉を通らない。睡眠も惜しい。  ただひたすらに、あの奇跡の感覚――世界が反転し、光に包まれるあの感覚を待ち望んだ。

 「戻れ! 戻れ! 戻れェッ!」

 叫び声は枯れ、血を吐くような祈りになった。

 しかし。  神は沈黙したままだった。  冬の嵐が窓を叩く音だけが、嘲笑うように響く。

 なぜだ。  前回はできたじゃないか。  処刑台の上で、僕があんなに後悔して祈ったら、聞き届けてくれたじゃないか。  なぜ今回はダメなんだ。  僕の愛が足りないのか? そんなはずはない!

 疲労と飢餓で、意識が朦朧としてくる。  視界が歪む。

 あ……来たか?  時が戻るのか?

 ふと、目の前に幻影が見えた。  赤いドレスを着たヴィオレッタだ。  彼女は微笑んでいる。僕の好きな、従順で、可愛らしい笑顔で。

「ヴィオレッタ……! 迎えに来てくれたのか!」

 僕は涙を流して手を伸ばした。  しかし、指先が触れようとした瞬間、彼女の首から鮮血が噴き出した。    ドサッ。  首が落ちる音。

 「ひっ……!」

 幻影が変わる。  今度は、喪服を着たヴィオレッタだ。  彼女は冷たい目で僕を見下ろし、あの言葉を吐く。

 『貴方は私の救いではありません。私の永遠の苦痛です』

「やめろ……やめてくれ……!」

 僕は頭を抱えてうずくまった。  過去が襲ってくる。  僕が切り捨てた過去と、僕が壊した現在が、混ざり合って僕を責め立てる。

 断頭台の音。  民衆の歓声。  シルヴィオ公爵の嘲笑。  ヴィオレッタの拒絶。

 それらが無限にループする。  時間は戻らないのに、僕の頭の中だけで、最悪の瞬間が何度も何度も繰り返される。

「あ、あぁ……あぁぁぁ……」

 僕は床を転げ回った。  これが罰か。  これが、時間を弄んだ代償なのか。

 過去をやり直そうとした僕は、結局、未来に進むことも許されず、壊れたレコードのように同じ場所を回り続けるしかないのか。

「ヴィオレッタ……ごめん……ごめんよ……」

 初めて、謝罪の言葉が口をついて出た。  でも、誰に対する謝罪なのか、自分でもわからなかった。  彼女に対してなのか、神に対してなのか、それとも自分自身に対してなのか。

 修道院の鐘が鳴る。  ゴーン、ゴーン。  その音は、まるで僕の人生の終了を告げる合図のようだった。

 季節は巡り、冬が終わっても、ここの雪は溶けない。  僕の心に巣食った氷も、二度と溶けることはないだろう。

 王宮では、新しい王太子を決める議論が始まっているという噂を聞いた。  僕は忘れ去られる。  歴史の汚点として。  愛に狂い、国を揺るがし、そして破滅した愚かな王子として。

 独房の窓から、鉄格子の隙間に一輪の花が見えた。  岩の裂け目に咲く、小さな白い花。  寒さに耐え、ひっそりと咲くその姿は、あの日のヴィオレッタに似ていた。

 僕は震える指を伸ばしたが、鉄格子に阻まれて届かなかった。

「……届かない」

 そうか。  最初から、届いていなかったんだ。  僕の手は、彼女を抱きしめるには熱すぎたし、掴むには乱暴すぎた。

 僕は花を見るのをやめ、再び床に額をこすりつけた。

「神よ……時間を……時間を戻してくれ……」

 虚しい祈りだけが、冷たい石壁に吸い込まれていく。  奇跡は、二度と起きない。  僕は永遠に、この「戻らない時間」という牢獄の中で、自分の影と向き合い続けるしかないのだ。

 それが、時間を裏切った男に与えられた、唯一にして絶対の救済(おわり)だった。
感想 7

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢にされたので婚約破棄を受け入れたら、なぜか全員困っています

かきんとう
恋愛
 王城の大広間は、いつも以上に華やいでいた。  磨き上げられた床は燭台の光を反射し、色とりどりのドレスが揺れるたびに、まるで花畑が動いているかのように見える。貴族たちの笑い声、楽団の優雅な旋律、そして、ひそやかな噂話が、空気を満たしていた。  その中心に、私は立っていた。  ――今日、この瞬間のために。 「エレノア・フォン・リーベルト嬢」  高らかに呼ばれた私の名に、ざわめきがぴたりと止む。

【完結】消えた姉の婚約者と結婚しました。愛し愛されたかったけどどうやら無理みたいです

金峯蓮華
恋愛
侯爵令嬢のベアトリーチェは消えた姉の代わりに、姉の婚約者だった公爵家の子息ランスロットと結婚した。 夫とは愛し愛されたいと夢みていたベアトリーチェだったが、夫を見ていてやっぱり無理かもと思いはじめている。 ベアトリーチェはランスロットと愛し愛される夫婦になることを諦め、楽しい次期公爵夫人生活を過ごそうと決めた。 一方夫のランスロットは……。 作者の頭の中の異世界が舞台の緩い設定のお話です。 ご都合主義です。 以前公開していた『政略結婚して次期侯爵夫人になりました。愛し愛されたかったのにどうやら無理みたいです』の改訂版です。少し内容を変更して書き直しています。前のを読んだ方にも楽しんでいただけると嬉しいです。

【本編,番外編完結】私、殺されちゃったの? 婚約者に懸想した王女に殺された侯爵令嬢は巻き戻った世界で殺されないように策を練る

金峯蓮華
恋愛
侯爵令嬢のベルティーユは婚約者に懸想した王女に嫌がらせをされたあげく殺された。 ちょっと待ってよ。なんで私が殺されなきゃならないの? お父様、ジェフリー様、私は死にたくないから婚約を解消してって言ったよね。 ジェフリー様、必ず守るから少し待ってほしいって言ったよね。 少し待っている間に殺されちゃったじゃないの。 どうしてくれるのよ。 ちょっと神様! やり直させなさいよ! 何で私が殺されなきゃならないのよ! 腹立つわ〜。 舞台は独自の世界です。 ご都合主義です。 緩いお話なので気楽にお読みいただけると嬉しいです。

幼馴染が最優先な婚約者など、私の人生には不要です。

たると
恋愛
シュタイン伯爵家の長女エルゼは、公爵子息フィリップに恋をしていた。 彼の婚約者として選ばれた時は涙を流して喜んだが、その喜びもいまは遠い。 『君は一人でも大丈夫だろう。この埋め合わせは必ずする。愛している』 「……『愛している』、ですか」 いつも幼馴染を優先するアルベルトに、恋心はすっかり冷めてしまった。

【完結】冤罪で殺された王太子の婚約者は100年後に生まれ変わりました。今世では愛し愛される相手を見つけたいと思っています。

金峯蓮華
恋愛
どうやら私は階段から突き落とされ落下する間に前世の記憶を思い出していたらしい。 前世は冤罪を着せられて殺害されたのだった。それにしても酷い。その後あの国はどうなったのだろう? 私の願い通り滅びたのだろうか? 前世で冤罪を着せられ殺害された王太子の婚約者だった令嬢が生まれ変わった今世で愛し愛される相手とめぐりあい幸せになるお話。 緩い世界観の緩いお話しです。 ご都合主義です。 *タイトル変更しました。すみません。

【完結】転生したぐうたら令嬢は王太子妃になんかになりたくない

金峯蓮華
恋愛
子供の頃から休みなく忙しくしていた貴子は公認会計士として独立するために会社を辞めた日に事故に遭い、死の間際に生まれ変わったらぐうたらしたい!と願った。気がついたら中世ヨーロッパのような世界の子供、ヴィヴィアンヌになっていた。何もしないお姫様のようなぐうたらライフを満喫していたが、突然、王太子に求婚された。王太子妃になんかなったらぐうたらできないじゃない!!ヴィヴィアンヌピンチ! 小説家になろうにも書いてます。

「黙れ」と一度も言わなかった令嬢が、正論だけで公爵家を詰ませた件

歩人
ファンタジー
伯爵令嬢リーゼロッテは法学を修めた才媛だが、婚約者の第一王子レオンハルトに 「お前は退屈だ」と婚約を破棄される。彼女は一言も反論せず深く礼をした。 しかしその裏で、王子が横領した予算や成果の偽装を全て法廷記録から文書化していた。 謁見の間での公開弁論。声を荒げず、淡々と事実と法を並べていくリーゼロッテに、 王子は「黙れ」と叫ぶしかない。 「それが殿下の唯一の反論ですか?」——正論だけで公爵家を詰ませた令嬢の物語。

醜い私は妹の恋人に騙され恥をかかされたので、好きな人と旅立つことにしました

つばめ
恋愛
幼い頃に妹により火傷をおわされた私はとても醜い。だから両親は妹ばかりをかわいがってきた。伯爵家の長女だけれど、こんな私に婿は来てくれないと思い、領地運営を手伝っている。 けれど婚約者を見つけるデェビュタントに参加できるのは今年が最後。どうしようか迷っていると、公爵家の次男の男性と出会い、火傷痕なんて気にしないで参加しようと誘われる。思い切って参加すると、その男性はなんと妹をエスコートしてきて……どうやら妹の恋人だったらしく、周りからお前ごときが略奪できると思ったのかと責められる。 会場から逃げ出し失意のどん底の私は、当てもなく王都をさ迷った。ぼろぼろになり路地裏にうずくまっていると、小さい頃に虐げられていたのをかばってくれた、商家の男性が現れて……