陛下、私はあなたの初恋ではなく、最後の失敗作です

なつめ

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第16話 去るための整理


 人は、本当に去るつもりがないうちは、整理などしない。

 どれほど傷ついても、どれほどもう駄目だと思っても、心のどこかに「まだここにいる」という前提が残っているなら、物はそのまま置かれ、人の配置も曖昧なままで、鍵はいつもの引き出しに眠り続ける。散らかしたままでも、また明日同じ場所へ戻るつもりでいるからだ。

 けれど、去ることが現実の輪郭を持ち始めた瞬間、人は驚くほど静かに片付けを始める。

 その朝、東翼の空気はひどく澄んでいた。

 昨夜の冷え込みの名残で、窓硝子は薄く白み、外庭の残雪はまだ石畳の隅へ固くこびりついている。けれど空はよく晴れていて、冬の終わりにだけある、乾いて青い高さを取り戻していた。陽は冷たい。だが明るい。その明るさが、整えられた家具の輪郭や、磨かれた金具や、白い花瓶の縁を、ひとつひとつ容赦なく浮かび上がらせている。

 セレスティアは、いつもより早い時間から起きていた。

 寝台の上で目を開けた時から、今日はやるべきことがはっきり頭の中に並んでいた。侍女の配置換え。王妃印の扱いの見直し。私物の仕分け。所領管理の整理。どれも一日で終わるものではない。だが、最初の線を引くなら今日がいいと思った。予定が比較的軽い。西棟からの急な会議もない。東翼側の帳簿確認と、午後の短い来客対応だけなら、合間に十分な時間が取れる。

 何より、今の自分には勢いが必要だった。怖いと思う前に、一つでも手をつけてしまいたかった。

「お目覚めでございますか」

 イゼルナが静かに入ってくる。朝の白湯の湯気と、清潔な布の匂いを連れて。

「ええ」
「少しお早いですね」
「今日は先に片づけたいことがあるの」
「何を」

 問われて、セレスティアは寝台から足を下ろした。床はひんやりしている。けれどその冷たさが、むしろちょうどよかった。

「いろいろよ」

 そう答えると、イゼルナはそれ以上すぐには聞かなかった。白湯を手渡し、カーテンを少しだけ開け、洗面の用意を整える。その沈黙の中に、問いを飲み込んでいる気配だけがある。

 支度を整えながら、セレスティアは今日の予定を読み上げさせた。午前の帳簿確認を繰り上げ、午後の来客は一刻だけ遅らせる。東翼内の侍女たちの交代表を持ってくるよう伝える。王妃印を預かる書記官へは昼前に時間を取らせる。私物庫の鍵も用意させる。

「王妃印の書記官も、ですか」
 
 髪をまとめながらイゼルナが問う。

「ええ。今の扱いは私へ集中しすぎているでしょう」
「それは」
「私がいるから成り立っている形は、長くは持たないわ」

 言ってから、自分でもその言葉の冷たさに気づく。だがもう引っ込めはしない。イゼルナも否定しなかった。鏡越しに目が合い、その目の奥だけが少し深くなる。

「承知いたしました」

 朝の衣装はごく簡素なものを選んだ。淡い灰色に近い青の実務用ドレス。刺繍は袖口と襟元に細く入るだけで、宝石も小さな真珠を一粒ずつに留める。今日は飾る日ではない。整える日だ。物を動かし、帳簿を見て、人を配置し直すには、このくらいの軽さがちょうどいい。

 朝食を終える頃には、東翼の小会議卓へ、侍女配置表と鍵束管理帳、来月までの行事予定表が運び込まれていた。薄い紙の匂い、墨の匂い、古い木の机の匂い。窓から差し込む朝の光が紙面を白く照らし、書き込まれた名前の列をくっきりと浮かび上がらせている。

 セレスティアは椅子へ腰を下ろし、最初の帳を開いた。

「まず、夜番の見直しをするわ」
「夜番、でございますか」

 控えていた第二侍女のミレーナが少し驚いたように目を瞬く。彼女はまだ若いが、手の速い娘だ。王妃の私室付きとしては二年目になる。

「今のままだと、イゼルナに負担が偏りすぎています」
 
 セレスティアは淡々と言った。
「急ぎの伝達も、王妃印の臨時使用も、夜の来客対応も、ほぼすべて一人で見ているでしょう」
「それは……筆頭侍女ですので」
「だからといって、一人で抱えすぎればいつか綻ぶわ」

 ミレーナは口を閉ざした。正しい叱責だと分かったのだろう。イゼルナは横で何も言わない。こういう時の沈黙は、反論ではなく受容だ。

「今夜から、夜番の二番手へ確認権を移す項目を増やします。王妃不在時の来客の断り、東翼内の鍵の控え、緊急時の医師呼び出し」
「医師まで?」
「ええ。私かイゼルナがいないと何も動かない形はやめるの」

 その一言に、部屋の空気がほんの少し止まる。

 私かイゼルナがいないと。
 いない時を、あまりに自然に前提へ置いたからだろう。

 ミレーナが不安そうに目を伏せた。別の侍女が帳面を持つ手をわずかに強くする。だがセレスティアはそこへ何の説明も足さない。ただ紙へ新しい線を引き、名前の横へ印を移していく。

「ミレーナ、あなたは夜番の二番手に」
「かしこまりました」
「ラシェ、来客対応の引き継ぎを今日から。断る時の文言は後で紙にします」
「はい」
「シーナは薬箱の位置と使用帳を覚えて。医師が来るまでの初期対応だけでいいわ」
「承知いたしました」

 指示は短く、無駄がない。いつも通りの王妃の声だ。だから表面上、これはただの東翼運営の見直しとして進んでいく。春に向けた整理。人事の均し。そう見えなくもない。実際、その理屈だけでも十分に通る。

 けれどイゼルナだけは、その紙の動きの意味を正しく読んでいた。

 王妃が不在でも困らぬように。
 筆頭侍女がいなくても、夜が止まらぬように。
 少しずつ、静かに、自分が抜けた後の形へ近づけている。

 会議卓の上に新しい配置表が二枚できた頃には、もう午前の日がかなり上がっていた。窓の外の残雪が少しずつ溶け、光の反射がやわらいでいる。

「これで一度回してみて。問題が出たら、その箇所だけ直しましょう」
 
 セレスティアがそう言うと、若い侍女たちは一斉に礼をした。どの顔にもまだ軽い戸惑いが残っている。だがそれも当然だった。変化はいつだって、最初は小さな不安を伴う。

 人を下がらせ、部屋にイゼルナだけが残る。

 しばらく誰も声を出さなかった。新しい配置表が机の上で白く乾いている。墨の匂いがまだ薄く立つ。

「殿下」
 
 イゼルナがようやく口を開く。
「急ぎすぎではございませんか」
「そうかしら」
「……東翼の者は、まだ事情を知りません」
「知る必要はないわ」
「ええ。ですが」

 イゼルナは言いかけ、少しだけ息を止める。

「いなくなる前提で、ここまで一度に」

 その続きは言葉にならなかった。セレスティアはわずかに目を細める。

「一度にやらなければ、途中でためらうもの」
「殿下」
「私が、よ」

 そう言って、セレスティアは次の帳簿へ手を伸ばした。王妃印の管理帳だ。

 東翼で使われる印は幾つもある。日常の確認に用いる小印、施療院や学舎への正式返書に使う中印、そして王妃の名で出る正式文書へ押される王妃印。本来なら厳格に段階があるが、実際にはセレスティアがほとんどすべてを自分の手元で最終確認してきた。細かい誤りを見逃さず、余計な混乱を防ぐには、その方が早かったからだ。

 だが、それもまた「セレスティアがいる」こと前提の流れだった。

「印の預かり文言を変えます」
「どのように」
「中印までは東翼書記官の判断で使用可。王妃印のみ、必ず筆頭侍女か副筆頭侍女の立ち会いを」
「副筆頭侍女を正式に置くのですね」
「ええ」

 それは今まで、あえて曖昧にしてきた部分だった。イゼルナがあまりにも有能で、実質的に二番手を必要としていなかったからだ。だが必要としていなかったことと、制度として不要であることは違う。

「副筆頭はミレーナで」
「……承知しました」

 イゼルナの返答は短かった。だがそこには、驚きよりも理解の方が濃い。ミレーナが適任であることも、今その決定を急ぐ理由も、彼女には分かっているのだ。

 書記官が呼ばれ、王妃印の扱いについて新しい手順が伝えられる。男は最初こそ戸惑った顔をしたが、王妃自らの指示とあっては従うしかない。彼は几帳面な字で新しい文言を控え、確認のため同じ内容を読み上げる。

「王妃印はこれまで通り殿下の最終確認を要する。殿下ご不在時は、筆頭侍女または副筆頭侍女の立ち会いのもと、仮封のみ可」
「ええ」
「中印は東翼書記官が仮判断の上、日内処理可」
「その通りです」
「小印は侍女長権限に委譲」
「はい」

 男が下がったあと、セレスティアは少しだけ背を預けた。大した動作ではない。だがそれだけで、身体の奥に小さな疲れが広がる。ここ数日、夜会の立ちくらみ以降は無理を抑えているつもりだった。けれど気を抜くと、じわじわと蓄積した重さが戻ってくる。

「少しお休みを」

 イゼルナがすぐに茶を差し出した。白い湯気。やわらかな苦みの匂い。

「ありがとう」

 カップを手に取る。温かい。だが、その温かさが胸の奥まで届くには少し時間がかかった。

「午後には私物庫を」
「ええ。昼を挟んだらね」

 私物庫。

 その一語で、胸のあたりが少しだけ違う重さを持つ。人の配置や印の扱いと違い、私物の整理はもっと個人的だ。目に見える形で、自分の持ちものを分けていくことになる。

 昼食は簡素に済ませた。温かなスープと柔らかいパン、それに薄く煮た果実。胃に負担をかけぬよう、イゼルナが厨房へ先に言っておいたのだろう。王妃としてではなく、疲れた女として扱われている気配に、少しだけ助けられる。

 午後、私物庫の扉が開いた時、セレスティアは思わず一歩だけ立ち止まった。

 そこは東翼の奥にある、小さな保管室だった。王妃の私物と、侯爵家から持参した持参品、個人的な書簡、衣装小物、宝飾箱、幼い頃の本、母から受け継いだレース、兄が一度だけ贈ってきた書見台。王宮での日々の中で増えたものも、最初から持ち込んだものも、混ざり合って整然と収まっている。

 樟脳の匂い。古い絹の匂い。紙箱の乾いた匂い。扉を開けただけで、時間そのものが少しだけ止まったようだった。

「今日は、分類だけでよろしいかと」
 
 イゼルナが控えめに言う。
「ええ。それだけで十分よ」

 セレスティアは部屋の中央へ入り、小さな宝飾箱へまず触れた。蓋を開ける。白布の上に、指輪、髪飾り、細い鎖、式典用ではない小ぶりな耳飾りが整然と並んでいる。

「これは侯爵家からの持参品」
 
 彼女は一つずつ指先で示した。
「これは王家から。これは東翼の季節贈与。これは……」

 指が一度止まる。細い銀の髪飾り。王妃となって最初の冬、建国祭の前日に西棟から届けられたものだ。贈り主の名は記されていなかったが、側近経由の届け方からして王の意向だろうと誰もが理解していた。装飾は少なく、実用的で、王の美意識らしい簡素さがあった。

 以前なら、その髪飾りを見るたびに胸のどこかが少しだけあたたまった。今は違う。ただ、これはどちらへ分類すべきかを考える。

「……王家からのものは残していきます」
「承知しました」

 イゼルナは一切表情を変えずに頷いた。彼女はこの分類の痛さを分かっている。それでも手を止めさせないため、余計な感情を挟まない。

 次は書簡箱だった。侯爵家からの季節の便り。領地の収穫報告。学舎からの寄付礼状。王宮に入ってから受け取った公式の書簡。そして、個人的なものは驚くほど少ない。王からの私的な手紙など、一通もなかった。その事実は昔から知っていたはずなのに、こうして箱の中を見渡すと、改めて言葉にならない空白として迫ってくる。

 セレスティアは一度だけ箱の中へ指を入れ、それから静かに蓋を閉めた。

「これはそのまま」
「はい」
「東の丘へ送るものと、王宮へ残すもの、分けましょう」
「承知しました」

 東の丘。

 兄が返してきた旧離宮の名を心の中でそう呼ぶたび、そこが現実だと分かる。鍵はもう机の抽斗にある。使いも明日には先に出せる。行こうと思えば、本当に行ける。

 私物の仕分けは、想像以上に心を削った。衣装そのものより、日々の小物がいけない。薄い栞の挟まった本。王都の地図。古い手袋。母から譲られた香盒。兄の字で「高さを合わせておけ」とぶっきらぼうに彫られた書見台。どれも大げさな記念品ではない。だからこそ、生活そのものがそこに宿っている。

「これは離宮へ」
「はい」
「これは残す」
「承知しました」
「これは……」

 小さなガラス瓶で指が止まる。中にはもうほとんど香油は残っていない。白百合に似た淡い香り。王妃になって最初の春、王宮の香油係が「陛下のお部屋にはこのくらいの香りがよく馴染みます」と勧めてきたものだった。

 勧められるまま使い続けた。
 王の隣に立つにふさわしい香りだと思って。

 今、その小瓶を持つ手が少しだけ冷たくなる。

 これもまた、誰かの「合うでしょう」の結果だったのだろうか。あの王妃教育の延長に、こういう細かな選択まで連なっていたのかもしれない。そう思うと、急に持っているのが嫌になった。

「……処分して」
「かしこまりました」

 イゼルナは一切問わず、専用の布袋へそれを納める。

 日が傾き始める頃には、部屋の中央に三つの箱が並んでいた。

 東の丘へ送るもの。
 王宮へ残すもの。
 処分するもの。

 たったそれだけの分類なのに、世界が少しずつ分かれていくようだった。今ここにある生活が、一つのままではなく、別の場所へ繋がる部分と、ここへ置いていく部分と、終わらせる部分へ切り分けられていく。

「殿下」

 イゼルナが低く呼ぶ。

「少し、座られた方が」
「ええ」

 さすがに疲れが脚へ来ていた。長く立ち続け、古い箱の埃を吸い、細かなものを仕分けるのは、思ったより神経を使う。セレスティアは窓辺に置かれた小椅子へ腰を下ろした。外はもう夕暮れに近い。残雪の白が薄紫に沈み、王宮の屋根の向こうへ夕陽の色が少しだけ滲んでいる。

 イゼルナが無言で膝掛けをかけた。その動作のやさしさが、ひどく沁みた。

「……こんなふうに分けてしまうと、本当に行くみたいね」
 
 セレスティアがぽつりと言う。
「はい」
「まだ決めたわけではないのに」
「ええ」
「でも、こうしておかないと、決めた時にきっとまた迷うのでしょうね」

 イゼルナはそれにすぐには答えなかった。代わりに、窓の外へ一瞬視線を向けてから、ゆっくりと言う。

「殿下は、迷ってはいけないとお思いですか」
「……」
「迷うこと自体は、悪いことではございません」
「でも、迷って立ち止まっているあいだにも、王宮は動くでしょう」
「はい」
「なら、私の方は先に整えておかないと」

 それは半分、本心で。半分は、自分を急かすための理屈でもあった。

 迷えば、まだ王の方を向いてしまうかもしれない。
 整え始めてしまえば、後戻りしにくくなる。
 だから先に片づける。
 去るための現実を、物の配置と書類の流れで先に作る。

 そんな自分がひどく冷たい女に思えることもある。だが、もう情だけで残れる場所ではないのだと知っている。ならば、自分の足元だけでも先に固めておくしかない。

「所領管理の帳簿を持ってまいります」
 
 イゼルナが言った。
「今夜も?」
「ええ。今日のうちに入口だけでも」

 領地管理は王妃個人のものというより、持参地と婚姻後に割り振られた所領の境目にある微妙な領域だ。セレスティアは今までその多くを王宮の書記官経由で確認していた。だがもし東の丘の離宮へ移るなら、そこに紐づく人員と費目を別に切らねばならない。つまり、所領管理もまた「ここにいる前提」では済まなくなる。

 帳簿が運ばれ、夕暮れの灯りの中で新しい整理が始まる。

「東の丘の離宮維持費は、現状では本邸勘定へ吸収されております」
 
 イゼルナが帳簿を開きながら説明する。
「ですが管理権が殿下へ戻った以上、別立てへ」
「ええ。兄に負担を戻したくないわ」
「庭師は」
「そのままでいい。けれど、増員はしないで」
「暖炉番と寝具係は」
「常駐は一人で十分でしょう。必要があれば、その都度」

 言葉にするたび、離宮での生活が少しずつ具体的になる。庭師。暖炉番。寝具係。食材の納入。池の掃除。温室の換気。王宮では当たり前すぎて意識しない細部が、東の丘では全部、小さな現実として立ち上がる。

 怖い。

 やはりそう思う。
 けれど同時に、その怖さはもう空想のものではない。現実に手で触れられる怖さだ。そして触れられる怖さは、触れられない絶望より少しだけましだった。

 帳簿整理を終えた頃には、外は完全に暮れていた。部屋には灯りが増やされ、暖炉の火も少しだけ強くなっている。木の焼ける匂いと、古い布の匂いと、紙の匂い。私物庫の中はどこか別の家のようで、王宮の一室であることを忘れそうになる。

 セレスティアは最後に、東の丘へ送る箱の上に手を置いた。

 木箱は思ったよりあたたかい。部屋の熱を吸っているのだろう。

「イゼルナ」
「はい」
「明日、使いを出して」
「離宮へ」
「ええ。暖炉の具合と、寝具と、温室の硝子も」
「承知しました」

 即答だった。

 それだけで、また一歩、戻れないところへ近づく。だがもう恐れだけではない。少しだけ、息がしやすい気もする。王の外にある未来が、箱と鍵と帳簿を持って、初めて現実の形をしているからだ。

 イゼルナはそこで、しばらくセレスティアの背を見ていた。

 王妃としての背だ。細く、まっすぐで、美しい。疲れていても崩れない。人の配置を整え、印を預け、物を分け、所領を切り直し、何一つ取り乱さず、ただ静かに去る準備を進める背中。

 その背中に、イゼルナは一瞬、何か言おうとした。けれど言葉が出なかった。

 止めるべきなのか。
 労うべきなのか。
 ここまで一人で整えてしまう人へ、いったい何を差し出せばいいのか。

 言葉を持たないまま、ただ見ていることしかできない。その無力さが、胸の奥へひどく重く沈んだ。

 セレスティアは振り返らない。箱の上に置いた指先をゆっくりと離し、淡々と次の指示を口にする。

「この箱は仮封まで。まだ送らないで」
「……はい」
「帳簿は明日、もう一度見直します」
「承知しました」
「それから、王妃印の副筆頭登録も、明日午前のうちに」
「はい、殿下」

 声はいつも通りだ。穏やかで、揺れず、正確だ。だからこそ、その背中に宿る決意の深さが恐ろしい。

 去るための整理は、泣きながらはできない。
 怒っていても続かない。
 美しく、静かに、正気のまま、少しずつ自分の痕跡を分けていくしかない。

 その痛みを、今のセレスティアは誰にも見せない。
 イゼルナだけが、その背中に言葉を失っていた。


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