50代無職、エルフに転生で異世界ざわつく

かわさきはっく

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第六章 ロルディアの動乱

第128話 闇の痕跡、断ち切れぬ呪縛

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 隔離された兵士たちの部屋は砦の裏手にある小屋を改装した臨時病室だった。
 扉を開けた瞬間、ツンと鼻をつく薬草の匂いと、よどんだ空気が俺たちを出迎えた。

 粗末な寝台に横たわる数人の兵士たち。
 外傷の手当ては済んでいる。だが、どの顔も蝋人形のように生気がなく、虚ろに開かれた目は天井の一点を凝視したまま動かない。

 その異様な静けさに肌が粟立つのを感じた。

「うぅ……空気が重い……」

 ルナが俺の背中に隠れるようにして顔をしかめる。

「この部屋、なんかすっごくイヤな感じがする。肌にべとってするみたいな……変な鳥肌たっちゃった」

 本能が鋭い彼女には、ここに充満する残留思念のようなものが感じ取れるのだろう。俺はルナの肩を抱き寄せ、安心させるように軽く叩いてから、一人の兵士のそばに膝をついた。

「おい、聞こえるか? ……どうして仲間を襲った?」

 努めて冷静に呼びかける。だが、兵士は瞬きひとつせず、虚空を見つめるだけだ。
 呼吸はしている。けれど、そこにあるはずの「人としての光」が消え失せている。

「……エルン、頼めるか」

「はい」

 エルンもまた、痛ましげに顔を歪めながらも、覚悟を決めたように兵士の額に指先を添えた。
 風のように流れる魔力が慎重に兵士の精神へと浸透していく。
 数秒後、エルンの指がビクリと震えた。

「……っ!」

 彼女は弾かれたように手を離し、荒い息を吐いた。

「大丈夫か!?」

「ええ……でも、これは……」

 エルンは青ざめた顔で自身の胸元を握りしめる。

「あるわ。かすかに、だけど……こびりついている。これは精神干渉の痕跡よ。普通の催眠や暗示とは違う。もっと、心の柔らかい部分を無理やりこじ開けられたような……汚れた泥を流し込まれたような感触……」

「やっぱり……ネフィラの仕業か」

「断定はできないわ。でも……この干渉は対象の心を壊すことを何とも思っていない者の手によるものよ。何度も何度も、心を削られた跡があるの」

「……え、なにそれ怖い」

 ルナが自分の腕を抱きしめるようにしてさすった。

「心の中に他人の指がズブズブって……うぅ、気持ち悪いし、ゾッとするよ……」

 その言葉に俺の中で静かな怒りが沸き上がった。
 戦場で命を落とすのとは違う。これは人の尊厳を踏みにじる行為だ。

 俺は兵士の顔を覗き込み、再度問いかけた。

「夢を見たか? 誰かに命令された覚えは?」

 俺の声が届いたのか、兵士の唇が微かに震え始めた。焦点の合わない瞳から、一筋の涙が伝う。

「……お……おちる……くろい、……ふかい……」

「なんだって?」

「深い……闇に、……引き……ずられる……」

 それだけをうわごとのようにつぶやいて、兵士は再び深い沈黙へと沈んでいった。まるで、闇の底に引き戻されたかのように。

「夢のような記憶……。精神に干渉された痕跡と一致するわ」

「……ただの洗脳じゃないな。これは魂に刻まれた恐怖だ」

 俺は拳を握りしめた。爪が食い込む痛みで、自分自身の怒りを制御する。

 ルナがぎゅっと俺の袖をつかんだ。

「ねえ、カイン……これって、ほっといたら、もっとヤバいことになっちゃうんじゃない? もう、こういうの見るのイヤだよ」

 その目は怯えていた。あの悪夢の世界を思い出しているのかもしれない。だからこそ、俺は優しく、力強くうなずいた。

「ああ、わかってる。絶対に止める。俺たちで」

 その後、俺たちは副将のもとへ向かった。

 報告を聞く副将の顔には隠しきれない苦悩の色が浮かんでいた。

「兵士の精神に闇の干渉があった……それは確かなのか?」

「はい。明確な物体としての証拠はありません。ですが、精霊感知による診断結果は明白です」

 エルンが前に出て、毅然きぜんと語る。

「通常の戦闘ストレスでは説明できない、悪意ある侵入の跡。何者かが意図的に彼らの精神を壊し、操り人形にしたのです」

 副将は深く息を吐くと、机の上の報告書を無言で閉じた。

 彼もまた、部下を愛する指揮官だ。自分の兵が道具のように扱われたことに腹わたが煮えくり返る思いなのだろう。

「……なるほど。証拠にはならぬが、これ以上見過ごすこともできぬ。……だが、部隊の主力を割く余裕はない。分かっているだろう?」

「だからこそ、俺たちに調査を続けさせてください」

 俺は一歩前に出た。

「俺たちは軍の命令下にあるわけじゃない。自由に動ける遊撃の立場です。軍が動けないなら、俺たちが動く。今のうちにネフィラがこの砦を狙っている確証を掴まなければ手遅れになります」

 副将は俺の目をじっと見つめ返した。そして、肩の力を抜くように息をついた。

「……その調査に軍としての公的な協力はできんぞ。何かあっても、助けは出せん」

「それで十分です」

 俺の即答にルナが横から口を挟んだ。

「カインはね、こう見えて頑固だし、正義感強いし、ちょっとおせっかいだけど……人のためなら、マジで突っ走っちゃうんだよ。だから、止められないの」

「……そんな補足いらん」

 俺が軽くルナの頭を小突くと、副将の口元に、ようやくかすかな笑みが浮かんだ。張り詰めていた空気が少しだけ緩む。

「……いいだろう。だがくれぐれも無理はするな。死なれたら元も子もない」

「はい、ありがとうございます」

 ***

 その夜。
 俺は宿舎の机に向かい、今日の記録を書き留めていた。ペンの走る音だけが静かな部屋に響く。
 ネフィラ・ヴァレリオ――姿は見せず、闇に紛れて精神を蝕む者。
 俺は考えた。彼女の目的はやはり俺という存在の排除だ。そのために、俺たちの力となる「精霊との絆」そのものを断ち切ろうとしているのではないか。

「……だったら、ここで止めないといけない」

 つぶやいたその時、背後から視線を感じた。

 振り返るとルナが毛布を頭からかぶったまま、じっとこっちを見ていた。

「ねー、まだ起きてんの? 寝よ? 明日もまた忙しいんだからさー」

 ぶっきらぼうな口調だが、その瞳には心配の色がある。俺が根を詰めすぎないよう、見張っていたのだろう。

「ああ……すぐ行くよ」

 俺は記録帳を閉じ、ランプの火を消した。
 部屋が闇に包まれる。だが、そこには仲間の寝息という温かい音があった。

 闇はすぐそこにある。けれど俺たちはもう、それに怯えて立ち止まりはしない。
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