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「フォーブス様がいらっしゃいました」
ノックに続き声がかけられドアが開くと、そこには背の高い美丈夫が立っていた。
黒曜石の様な瞳と同じ色味のサラサラとした黒髪は、魔力が相当高い事を表している。
その頭には僕にはない獣の耳が付いていた。
「ようこそいらっしゃいました。どうぞこちらへ——」
立ち上がり着席を促した僕に大股で近づいてくる。
その敏捷な動きに戸惑っていると、腕をぐっと掴まれた。
「きみ……名前は?」
「失礼しました、マドック様の助手のノアと申します」
「ノア……素敵な名前だ」
甘い声でそう言うと、熱を帯びた瞳でこちらを見ていた。
居心地が悪くて目を逸らそうとすると、彼はとんでもないことを言い出した。
「ノア、きみは俺の番だ。どうか結婚してくれないか?」
番。人間の僕には分からないが本当なのだろうか。
冗談にしてはたちが悪い。
「か、揶揄うのはやめてください」
「揶揄ってなどいない。俺は本気で——」
「でも、僕はあなたの事をあまり知りませんし、貴方も僕の事なんて全く知らないでしょう。ただ番だとだけ言われても……困ります」
本気だったら尚更悪い。英雄の番が色無しの僕だなんてあってはならない。
「失礼、気が急いてしまった。ではまずお互いをよく知ることから始めよう。城下町に行きつけのカフェがあるんだ。今から行こう」
「待ってください、僕は——」
「この後予定でも?」
「いえ、ですがマドック様が——」
「マドック殿には俺の方から伝えておくから気にしなくて良い」
兄様には粗相がないよう、と言い含められている。
ここで断るのは角が立つだろう。
「……分かりました。ご一緒させて頂きます」
フォーブス様に連れられ、馬車に乗る。
久々の外出だ。2年ぶりくらいだろうか。
馬車から見る街並みは活気にあふれており、僕みたいな異物がいて良い空間じゃないように思えた。
道ゆく人々を見ていると、前回外に出たときの事が頭を過ぎり胸がチクチクしてきた。
暑くもないのにじわりと汗が出てくる。
「乗り物酔いか?」
「いえ、……はい。気分が優れなくて。ですからもう——」
帰る、と言おうとしたところでフォーブス様は馬車を止めさせた。
「カフェまではもう少しだ。ここからは歩いていこう」
フォーブス様は僕の手を取り馬車から下ろすと、僕の肩を抱いて歩き出した。
道を歩くとみんなが隣のフォーブス様を見てうっとりする。その後僕を見て変な顔をする。
なぜこんな奴がと思われているのだろう。僕だってそう思う。
髪を見られないよう、固くフードを握りしめた。
「フォーブス様、お待ちしておりました」
人気の多いカフェの正面を避けて裏口から入ると、個室へ通された。
フォーブス様はいつも個室を使うらしい。
普通の席だと人だかりができてしまいゆっくり出来ないからと、苦笑していた。
人気者は大変だ。でも別の意味で、個室は僕にとっても都合が良かった。
「好きなものを頼むと良い」
メニュー表を受け取るが僕は料理の名前なんてパンとスープしか知らない。案の定メニューには聞いたことのない名前ばかりが並んでいて全く想像がつかなかった。
「この店で一番人気のメニューは何ですか?」
「看板メニューはハンバーグだな。だが……」
「ではそれでお願いします」
ハンバーグが何かは知らないが、人気メニューならそれを頼んでもおかしくないだろう。
フォーブス様は何か言いたげだったが、結局何も言わずにハンバーグを注文した。
「これがハンバーグ……」
思わず口の中で小さく呟いた。
運ばれてきたのは僕の予想の斜め上を行くものだった。
てっきり菓子の類いかと思ったが、これは食事だ。
昼食時間もすっかり過ぎた今の時間にはあまり相応しくない。
だが、固形物に飢えていたのとあまりに美味しそうなその匂いにつられ、僕はごくりと唾を飲み込んだ。
「もしかして昼食がまだだったか?いっぱい食べると良い」
恐る恐るナイフで切れ目を入れると、中から透明な汁が溢れ出てくる。ソースと共に口に運ぶと、ぎゅっと詰まった旨味と甘味、香ばしさが口いっぱいに広がった。
二口、三口、手が止まらない。
付け合わせの野菜で拭ってソースの一滴まで残さず食べた。
「……美味しかった……」
「気に入ってくれて嬉しい」
はっとして正面を向くと、フォーブス様はにこにことこちらを見ていた。
フォーブス様の前には飲み物しか置かれていない。
はしたなくも僕だけが食べ物を貪っていたのだとようやく気付いた。
「す、すみません」
「いや、良い食べっぷりで見ている方もスカッとするほどだ」
恥ずかしく思いながらも笑ってそう言ってくれたことに安堵した。
「この店はケーキも絶品なんだが、甘いものは嫌いか?」
「いえ、ですが——」
断ろうとする僕を差し置いて、フォーブス様はさっさと注文していた。
ケーキは昔一度だけ食べた事がある。来客が手土産として持ってきたそれは、白いクリームに包まれた苺の乗ったケーキだった。
甘くて柔らかくて世の中にこんな美味しいものがあるのかと感動したものだ。
しばらくして、僕の前に紅茶と茶色いケーキが置かれた。横にはクリームが添えられており、ミントの葉が飾られていた。
「チョコレートを使ったケーキだ。この店のもう一つの名物だよ」
チョコレートとは何だろうか。
疑問に思いつつもフォークで切り分け口に運ぶ。
濃厚な舌触りで蕩けるような食感。まったりとした甘みと後に残る僅かな酸味と苦味が、クリームのまろやかさに溶けていった。
前のケーキとはまた違った美味しさをうっとりと味わう。
「美味いか?」
コクコクと頷くとフォーブス様は笑みを深めた。
ケーキを食べながらハイポーションについての話をした。
フォーブス様は戦場で僕の作ったハイポーションを使い、その効果にとても驚いたらしく、一般的なポーションとの違いについてさまざまな質問を投げかけてきた。
隠しているわけではないので製法を説明すると、すぐに理解して次の質問をしてくる。
魔法薬に造詣が深いというのは本当らしい。
久々に兄様以外の人と話せて、しかも魔法薬についての話が出来て、とても楽しい時間を過ごした。
不意に会話が途切れ、フォーブス様と見つめ合った。
美しい人だと改めて思う。
すっと通った鼻筋に少し薄めの唇、切長の目は黒曜石の瞳を湛えている。
その目が細められたかと思うと、フォーブス様の手がこちらへ伸びてきた。
「クリームが付いてる」
フォーブス様は僕の口端を親指で拭うと、そのまま舐めた。
突然の甘い雰囲気に心臓が跳ねた。
「ノア……今話しただけでもきみが利発で思慮深く、初対面の俺に対しても心優しく接してくれるような誠実な人だとわかった。会ったばかりで信じられないかもしれないが、やはり俺はきみを愛している。それに俺たち獣人にとって番とは何ものにも代え難い、かけがえのないものなんだ。戸惑う気持ちも分かるが、どうかこの気持ちを受け入れ……出来れば応えてほしい」
美しい瞳が真っ直ぐこちらを見つめてくる。
その目を見ていられずに、僕は目を伏せた。
この髪を見せたら、きっと考えも変わるはず。
「僕は……色無しなんです」
俯いたままはらりとフードを取り去る。
あの目が軽蔑の目に変わるのが怖くてフォーブス様の顔が見れなかった。
この髪を見た人はみんな同じ反応をする。
これまでずっとそうだった。
嫌な記憶が蘇ってきた。
あれは今から2年くらい前、街へ薬草を買いに出た時の事だった。
あの頃はフードで髪を隠しながら度々街に出ていた。
薬草を買い終わり、帰路に着く。
伯爵家との関係を知られないよう、移動は全て徒歩だ。
裏道を歩いている時、目の前の子供が転んだ。
「大丈夫?」
子供は膝から血を流し、今にも泣きそうだった。
僕が偶然持っていた新作の傷薬を塗ってあげると、キラキラと光りながら傷が消えていった。
「すごーい!おにいちゃん……しろいかみ、めずらしいね」
白い髪、の声に周りが騒つく。
子供の低い目線からはフードの中の僕の髪が見えてしまったのだろう。
子供の母親は慌てた様子で僕から子供を引き離した。
「おい——」
後ろからフードを掴まれ、僕の髪が露わになる。
「——色無しだ!」
「不吉だわ!近づかないでちょうだい!」
「はやくどっか行け!」
次々と投げかけられる言葉に身がすくむ。
誰かが投げた石が額に当たり血が出た。
僕はフードを被り直し、走ってその場を逃げ去った。
あれから僕は、屋敷から一歩も出ていない。
空気が動き、頭に手が近づくのが分かった。
——殴られる
怖くなって強く目を瞑りながら、衝撃を待った。
しかし、その手は優しく髪を撫でると、そのひと房を持ち上げた。
「魔力が無いなんて些細な事だ。それにこの白い髪も雪のように美しい」
そんな風に言ってもらったのは初めてだった。
喜びが湧き上がるのと同時に、心が冷えていく。
この優しく、美しい人は僕がたまたま番だったからこう言っているだけだ。
番の本能というのは、こんな僕にまで優しくしてしまうほど、強く、抗えないものなのかと。
「……すみません。今日はもう帰らないと」
「次はいつ会える?」
「それは……マドック様に聞いてみないと……」
もう会ってはいけない。
僕はこの人に相応しくない。
それにあの薬が完成すれば、僕なんか目もくれないだろう。
「せめて手紙を書かせてくれないか?」
フォーブス様が切望するように僕の手を取った。
会ってはいけないと分かっているけれども。
「……それくらいなら良いですよ」
手紙を交わすくらいは許してほしい。
あの薬が出来るまでで良いから。
フォーブス様は嬉しそうに笑うと、1冊の本を取り出した。
「これを使って文通しよう。こうやって撫でると……」
フォーブス様がページを1枚ちぎり円を描くように撫でると、鳥のような形に変化して溶けるように消えた。
その紙はフォーブス様の上着のポケットに入っていた。
「俺の元に直接届くようになる。魔力がなくても使えるから安心してほしい」
この本が僕とフォーブス様を繋いでくれる。
僕は本を受け取ると、大事に抱きしめた。
ノックに続き声がかけられドアが開くと、そこには背の高い美丈夫が立っていた。
黒曜石の様な瞳と同じ色味のサラサラとした黒髪は、魔力が相当高い事を表している。
その頭には僕にはない獣の耳が付いていた。
「ようこそいらっしゃいました。どうぞこちらへ——」
立ち上がり着席を促した僕に大股で近づいてくる。
その敏捷な動きに戸惑っていると、腕をぐっと掴まれた。
「きみ……名前は?」
「失礼しました、マドック様の助手のノアと申します」
「ノア……素敵な名前だ」
甘い声でそう言うと、熱を帯びた瞳でこちらを見ていた。
居心地が悪くて目を逸らそうとすると、彼はとんでもないことを言い出した。
「ノア、きみは俺の番だ。どうか結婚してくれないか?」
番。人間の僕には分からないが本当なのだろうか。
冗談にしてはたちが悪い。
「か、揶揄うのはやめてください」
「揶揄ってなどいない。俺は本気で——」
「でも、僕はあなたの事をあまり知りませんし、貴方も僕の事なんて全く知らないでしょう。ただ番だとだけ言われても……困ります」
本気だったら尚更悪い。英雄の番が色無しの僕だなんてあってはならない。
「失礼、気が急いてしまった。ではまずお互いをよく知ることから始めよう。城下町に行きつけのカフェがあるんだ。今から行こう」
「待ってください、僕は——」
「この後予定でも?」
「いえ、ですがマドック様が——」
「マドック殿には俺の方から伝えておくから気にしなくて良い」
兄様には粗相がないよう、と言い含められている。
ここで断るのは角が立つだろう。
「……分かりました。ご一緒させて頂きます」
フォーブス様に連れられ、馬車に乗る。
久々の外出だ。2年ぶりくらいだろうか。
馬車から見る街並みは活気にあふれており、僕みたいな異物がいて良い空間じゃないように思えた。
道ゆく人々を見ていると、前回外に出たときの事が頭を過ぎり胸がチクチクしてきた。
暑くもないのにじわりと汗が出てくる。
「乗り物酔いか?」
「いえ、……はい。気分が優れなくて。ですからもう——」
帰る、と言おうとしたところでフォーブス様は馬車を止めさせた。
「カフェまではもう少しだ。ここからは歩いていこう」
フォーブス様は僕の手を取り馬車から下ろすと、僕の肩を抱いて歩き出した。
道を歩くとみんなが隣のフォーブス様を見てうっとりする。その後僕を見て変な顔をする。
なぜこんな奴がと思われているのだろう。僕だってそう思う。
髪を見られないよう、固くフードを握りしめた。
「フォーブス様、お待ちしておりました」
人気の多いカフェの正面を避けて裏口から入ると、個室へ通された。
フォーブス様はいつも個室を使うらしい。
普通の席だと人だかりができてしまいゆっくり出来ないからと、苦笑していた。
人気者は大変だ。でも別の意味で、個室は僕にとっても都合が良かった。
「好きなものを頼むと良い」
メニュー表を受け取るが僕は料理の名前なんてパンとスープしか知らない。案の定メニューには聞いたことのない名前ばかりが並んでいて全く想像がつかなかった。
「この店で一番人気のメニューは何ですか?」
「看板メニューはハンバーグだな。だが……」
「ではそれでお願いします」
ハンバーグが何かは知らないが、人気メニューならそれを頼んでもおかしくないだろう。
フォーブス様は何か言いたげだったが、結局何も言わずにハンバーグを注文した。
「これがハンバーグ……」
思わず口の中で小さく呟いた。
運ばれてきたのは僕の予想の斜め上を行くものだった。
てっきり菓子の類いかと思ったが、これは食事だ。
昼食時間もすっかり過ぎた今の時間にはあまり相応しくない。
だが、固形物に飢えていたのとあまりに美味しそうなその匂いにつられ、僕はごくりと唾を飲み込んだ。
「もしかして昼食がまだだったか?いっぱい食べると良い」
恐る恐るナイフで切れ目を入れると、中から透明な汁が溢れ出てくる。ソースと共に口に運ぶと、ぎゅっと詰まった旨味と甘味、香ばしさが口いっぱいに広がった。
二口、三口、手が止まらない。
付け合わせの野菜で拭ってソースの一滴まで残さず食べた。
「……美味しかった……」
「気に入ってくれて嬉しい」
はっとして正面を向くと、フォーブス様はにこにことこちらを見ていた。
フォーブス様の前には飲み物しか置かれていない。
はしたなくも僕だけが食べ物を貪っていたのだとようやく気付いた。
「す、すみません」
「いや、良い食べっぷりで見ている方もスカッとするほどだ」
恥ずかしく思いながらも笑ってそう言ってくれたことに安堵した。
「この店はケーキも絶品なんだが、甘いものは嫌いか?」
「いえ、ですが——」
断ろうとする僕を差し置いて、フォーブス様はさっさと注文していた。
ケーキは昔一度だけ食べた事がある。来客が手土産として持ってきたそれは、白いクリームに包まれた苺の乗ったケーキだった。
甘くて柔らかくて世の中にこんな美味しいものがあるのかと感動したものだ。
しばらくして、僕の前に紅茶と茶色いケーキが置かれた。横にはクリームが添えられており、ミントの葉が飾られていた。
「チョコレートを使ったケーキだ。この店のもう一つの名物だよ」
チョコレートとは何だろうか。
疑問に思いつつもフォークで切り分け口に運ぶ。
濃厚な舌触りで蕩けるような食感。まったりとした甘みと後に残る僅かな酸味と苦味が、クリームのまろやかさに溶けていった。
前のケーキとはまた違った美味しさをうっとりと味わう。
「美味いか?」
コクコクと頷くとフォーブス様は笑みを深めた。
ケーキを食べながらハイポーションについての話をした。
フォーブス様は戦場で僕の作ったハイポーションを使い、その効果にとても驚いたらしく、一般的なポーションとの違いについてさまざまな質問を投げかけてきた。
隠しているわけではないので製法を説明すると、すぐに理解して次の質問をしてくる。
魔法薬に造詣が深いというのは本当らしい。
久々に兄様以外の人と話せて、しかも魔法薬についての話が出来て、とても楽しい時間を過ごした。
不意に会話が途切れ、フォーブス様と見つめ合った。
美しい人だと改めて思う。
すっと通った鼻筋に少し薄めの唇、切長の目は黒曜石の瞳を湛えている。
その目が細められたかと思うと、フォーブス様の手がこちらへ伸びてきた。
「クリームが付いてる」
フォーブス様は僕の口端を親指で拭うと、そのまま舐めた。
突然の甘い雰囲気に心臓が跳ねた。
「ノア……今話しただけでもきみが利発で思慮深く、初対面の俺に対しても心優しく接してくれるような誠実な人だとわかった。会ったばかりで信じられないかもしれないが、やはり俺はきみを愛している。それに俺たち獣人にとって番とは何ものにも代え難い、かけがえのないものなんだ。戸惑う気持ちも分かるが、どうかこの気持ちを受け入れ……出来れば応えてほしい」
美しい瞳が真っ直ぐこちらを見つめてくる。
その目を見ていられずに、僕は目を伏せた。
この髪を見せたら、きっと考えも変わるはず。
「僕は……色無しなんです」
俯いたままはらりとフードを取り去る。
あの目が軽蔑の目に変わるのが怖くてフォーブス様の顔が見れなかった。
この髪を見た人はみんな同じ反応をする。
これまでずっとそうだった。
嫌な記憶が蘇ってきた。
あれは今から2年くらい前、街へ薬草を買いに出た時の事だった。
あの頃はフードで髪を隠しながら度々街に出ていた。
薬草を買い終わり、帰路に着く。
伯爵家との関係を知られないよう、移動は全て徒歩だ。
裏道を歩いている時、目の前の子供が転んだ。
「大丈夫?」
子供は膝から血を流し、今にも泣きそうだった。
僕が偶然持っていた新作の傷薬を塗ってあげると、キラキラと光りながら傷が消えていった。
「すごーい!おにいちゃん……しろいかみ、めずらしいね」
白い髪、の声に周りが騒つく。
子供の低い目線からはフードの中の僕の髪が見えてしまったのだろう。
子供の母親は慌てた様子で僕から子供を引き離した。
「おい——」
後ろからフードを掴まれ、僕の髪が露わになる。
「——色無しだ!」
「不吉だわ!近づかないでちょうだい!」
「はやくどっか行け!」
次々と投げかけられる言葉に身がすくむ。
誰かが投げた石が額に当たり血が出た。
僕はフードを被り直し、走ってその場を逃げ去った。
あれから僕は、屋敷から一歩も出ていない。
空気が動き、頭に手が近づくのが分かった。
——殴られる
怖くなって強く目を瞑りながら、衝撃を待った。
しかし、その手は優しく髪を撫でると、そのひと房を持ち上げた。
「魔力が無いなんて些細な事だ。それにこの白い髪も雪のように美しい」
そんな風に言ってもらったのは初めてだった。
喜びが湧き上がるのと同時に、心が冷えていく。
この優しく、美しい人は僕がたまたま番だったからこう言っているだけだ。
番の本能というのは、こんな僕にまで優しくしてしまうほど、強く、抗えないものなのかと。
「……すみません。今日はもう帰らないと」
「次はいつ会える?」
「それは……マドック様に聞いてみないと……」
もう会ってはいけない。
僕はこの人に相応しくない。
それにあの薬が完成すれば、僕なんか目もくれないだろう。
「せめて手紙を書かせてくれないか?」
フォーブス様が切望するように僕の手を取った。
会ってはいけないと分かっているけれども。
「……それくらいなら良いですよ」
手紙を交わすくらいは許してほしい。
あの薬が出来るまでで良いから。
フォーブス様は嬉しそうに笑うと、1冊の本を取り出した。
「これを使って文通しよう。こうやって撫でると……」
フォーブス様がページを1枚ちぎり円を描くように撫でると、鳥のような形に変化して溶けるように消えた。
その紙はフォーブス様の上着のポケットに入っていた。
「俺の元に直接届くようになる。魔力がなくても使えるから安心してほしい」
この本が僕とフォーブス様を繋いでくれる。
僕は本を受け取ると、大事に抱きしめた。
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