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貴方のものだと思えるから

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 実際あの事件以後、かつて住んでいたアパートに程近いこの町に、ひとりで足を踏み入れるのは初めてで。
 あれ以来いつも誰かと一緒に動いていた私だったけれど、今日はそこも乗り越えてみたいって思ったの。


 始めこそあの町が近付いてくると思ったら、少し怖くなって動悸がしたりもしたけれど、バスに乗っていても、恐ろしい経験をしたこの町にひとり降り立ってみても、私は何とか立ち止まらずに前へ向かって歩くことが出来た。


***


 鳥飼とりかい小児科医院の裏口から、予め教えられていた暗証番号でキーロックを解除して院内へ入ると、ロッカールームに荷物を置く。

 少し迷ったけれど、もうじき閉院時刻だし、今日はバイトに入るわけではないから支給されたナース服には着替えないことにする。

 別に看護師ではないけれど、みんなと同じ制服を渡されたことで、雑用係の私もここの一員だと認めてもらえたみたいで嬉しくなったのを思い出す。

 そっとナース服に触れてじんわり温かな気持ちになってから、静かにロッカーを閉ざした。


***


「お疲れ様です」

 皆さんの業務の邪魔にならないよう、診察室や処置室が並ぶ空間に顔を覗けてそっと挨拶をしてから、いつも仕事をしている定位置――休憩室の机に向かう。

 そこから一応「休憩室で待っています」と奏芽かなめさんにメッセージを入れて。


 私は机の引き出しから折り紙を取り出した。

 バイトに入っていない時も、奏芽かなめさんをここで待たせていただく間は少し作業を進めるのが常。
 何もしないでぼんやりしているより、何かしながらの方が時間が経つのが早いから。


 院長先生である奏芽さんのお父さまと、若先生である奏芽さんの2人体制で診察が行われている鳥飼とりかい小児科医院は、診察後に子供達に渡されるご褒美――折り紙のコマやぴょんぴょんカエルなど――がすぐになくなってしまう。
 折り紙のおもちゃが間に合わない時は出入りの製薬会社ぎょうしゃなどからもらえるシールを渡すことも多かったらしいのだけれど、私が通うようになってからは手作りのおもちゃが尽きることが殆どなくなってすごく助かってる、って奏芽さんが話してくれた。

 それだけでも私、ここにいる存在意義がある気がして。

 席についてせっせと折り紙――今日は女の子向けの指輪と、男の子向けの腕時計――作りに勤しんでいたら、休憩室のドアがノックされた。
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