水の巫覡と炎の天人は世界の音を聴く

井幸ミキ

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3章

罠に掛かった獣は

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 ラドゥ様の言葉に、僕とレオリムは、はい、と答えて、互いの顔を見た。
 レオリムの笑顔はすっきりとしている。真っ直ぐで、純粋で、昔からずっと僕の知っているレオリムの笑顔そのままで。僕はほっとして、でも、鼻の奥が、ツンとした。

 僕は、レオリムの愛情が、とても真っ直ぐで躊躇いがないことを知っていた。
 今までは、ちょっと他の人より情熱的だな、くらいに思っていたけど、今は、レオリムの抱える不安の裏返しもあったと感じている。
 レオリムの不安の正体。

 自分ではない自分の記憶と、生まれ変わる前の記憶を持たない僕。
 一向に思い出さない僕のそばにいて、レオはきっと僕が思うより、色々な思いを抱えて不安だったろうと思う。
 自分の想いは、自分が炎の天人の生まれ変わりだからじゃないのか。
 シーラン・マウリである僕を、レオリム・サンタナとして好きなのか。
 炎の天人が水の巫覡を愛する気持ちに引き摺られているだけじゃないのか。
 自分自身の想いにも疑心暗鬼になったことがあったり、前世の記憶を思い出さない僕がその答えじゃないのかと不安になったり、きっとしたよね。

 でもすべての不安を飲み込んで、ただレオは、自身が、僕を愛していると言ってくれた。
 僕は、レオが今までどんな想いで、僕のそばにいてくれたのか、それをもっと知りたい。
 そのためには、思い出せたら、いいな。
 そういう潔い所も、大好きだって、そういうレオだから、好きになったんだよって、見つめるだけで伝わったらいいのに。

 じっとレオリムを見つめていると、蒼い瞳が輝いて吸い込まれそうで、くらりとする。

 どきりと心臓が跳ねる。

 分かってるよって。そのままの僕でいいよって言われてるみたいで、胸の中と、ほっぺたが、熱くなった。





 どのくらいそうしていたのか。あー、こほん、というラドゥ様の咳払いで、はっとして、顔を前に向けた。父さんは、目を瞑ってじっとしている。どういう感情?
 ラドゥ様に、もう少し話をしたいのだけどいいかな、と言われて、慌てて、どうぞ!と僕は言ったけど、レオリムは、シーラからキスしてくれそうだったのに、とスン、となった。しないよ?! それと今、小さく舌打ちした?!
 ラドゥ様、仲が良くて何よりだ、という前置きは必要ですか?

「とはいえ、今回、巫覡殿の魔石の欠片は使っていない。だが、天人の魂を持つ者が二人もいると、結界を張っていても漏れてしまうね。それを敢えて隠さなかった。魔獣は鼻が効く。姿を隠したままずっと後を着いてきていた。完璧に遮蔽することも出来るが、それはなかなか骨が折れるからね」

 誘い出して狩る方が楽なんだ、と何のこともないように、ラドゥ様は、ははは、と笑った。

「魔獣は貪欲だ。あれらに協調性はない。マリーアを出立して最初に遭った魔獣が、後を着いて来ながら、道中の魔獣をすべて取り込んで一体となった」

 ラドゥ様は、背筋を伸ばすと、窓の外へ顔を向けた。

「精霊湖で巫覡殿の魂と確信したのだろう。他の魔獣を取り込んで、気も大きくなって、ようやく姿を現してくれたよ」

 ラドゥ様は、僕たちの顔を一人ひとり見て、寂しげに笑った。

「罠に掛かった獣は、憐れだね」

 僕はその言葉を聴いて、塵となって消えて行く魔獣の姿が浮かんだ。

 胸の奥が、小さく軋んだ。

 闇から生まれた魔は、どこへ消えるのだろうか。
 魔に憑りつかれた獣は、討伐されることが、救いだろうか。





 それからしばらくして、騎士さんの一人が馬車のそばにやってきて、馭者さんへ話し掛けるのが窓越に見えた。
 馭者台裏の小窓が叩かれて、ラドゥ様が小窓を開けると、馭者さんが、恙無く、と短く告げた。
 ラドゥ様は、分かった、少し待て、と返事をして、小窓を閉め、馬車の扉を開けた。
 馬車の外では騎士さんが、手綱を持って馬の横に立ち、たてがみを撫でていた。ラドゥ様が扉を開くと、頭を下げた。
 すっと前へ進み出て、何かをラドゥ様に差し出した。
 ラドゥ様はそれを指で摘んで受け取ると、顔の前に翳した。

 魔石だ。闇色の。
 馬車の外の空は、既に闇が迫っている。
 群青の空に、溶けてしまいそうな色だった。

「ご苦労だった。良き働きに感謝する。次の宿駅はすぐだ。よろしく頼む」

 ラドゥ様は、魔石を手の中に握ると、馬車の踏み台まで出て、声を張り上げた。
 騎士さんの、はっ!という声に、少し離れたところから声が重なった。ラドゥ様は鷹揚に頷くと馬車の中へ戻ってきた。
 コツコツと馭者台裏の小窓を叩くと、すぐに馬車は動き出した。

 ラドゥ様は、しばらく馬車の窓から外の様子を伺っていたけれど、大きく頷くと、僕たちの方へ向きを変えた。

「もう大丈夫。ね、私の騎士たちは、優秀だろう?」

 えっと…。
 終わったんだ?

 父さんも、レオリムも、僕も、ほっと息を吐いた。
 ラドゥ様の得意気な顏を見たら、肩に入っていた力が一気に抜けた。
 不安はなかったけれど、魔獣という存在に、僕の中で何かが緊張をしていたみたい。

「ラドゥ殿、ありがとうございます」

 父さんがそう言うと、いや、何も言わなかったことで不安にさせた、悪かったねと首を振った。

「これを見ると、そう大きな魔獣ではない。南海州の魔獣は可愛いものだ」

 ラドゥ様が開いた手の平の上で、闇色の魔石が、ころりと転がった。
 指先で摘めるほど、指輪くらいの大きさの魔石が、濡れたように瞬いた。
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