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第一部:『悪役令令嬢編』
第四話:戦場の王女と覚悟の証明
しおりを挟む夕闇が急速に森を支配していく。カエルス団長の号令一下、先ほどまでの弛緩した空気が嘘のように、砦はにわかに活気づいた。それは、王宮で見るような、統率の取れた美しさとは程遠い、荒々しくも機能的な喧騒だった。
「おい、そこのデブ!馬に水と豆を食わせろ!今から走らせんだ、途中でへばったら置いていくぞ!」
「誰か!予備の松明持ってこい!油はケチるなよ、どうせあのクソ貴族どもが溜め込んでる金だ!」
「傷薬は一人一つだ!無駄に使うなよ!死にかけの奴優先だ!」
飛び交う怒号は、お世辞にも上品とは言えない。しかし、その動きには一切の無駄がなかった。彼らは、いつ終わるとも知れぬ飼い殺しの日々の中で、このような不意の出撃を、渇望していたのかもしれない。錆びついた鎧の擦れる音、馬の荒々しいいななき、そして、男たちの汗と熱気が、冷え始めた夜の空気と混じり合い、むせ返るような匂いとなって立ち込める。
そんな中、私とアレクシスは、完全に、圧倒的に、場違いな存在として立ち尽くしていた。
「王女様、馬のご用意ができました」
一人の兵士が、無愛想に手綱を引いてきた。その先に繋がれているのは、馬、というよりは、人生に疲れ果てた表情で虚空を見つめる、痩せこけたロバのような生き物だった。たてがみはボサボサで、その目には「どうせ俺なんて…」という深い諦観の色が浮かんでいる。
「……これ、馬?」
「ええ。当砦で一番のおとなしい奴です。なにせ、走る気力がもう残っておりやせんので」
兵士は悪びれもせずにそう言うと、ぷいと顔をそむけた。完全に、なめられている。というか、乗馬経験ゼロ(という設定)の私への、カエルスなりの皮肉な配慮なのだろう。その隣では、アレクシスがもっとひどい状態の、もはや妖怪の類に片足をつっこんだような馬をあてがわれ、絶望的な顔で何やらブツブツと呟いていた。
「…ダメだ。この生物の重心と私の座骨の位置が、物理法則的に調和しない。落下した場合の衝撃を計算しただけで、眩暈がする…」
うるさい、黙って乗れ。
私が内心で悪態をついていると、出撃準備を終えたカエルスが、巨大な黒馬にまたがってこちらへやってきた。その姿は、まさしく魔王のようだった。
「準備はできたか、お姫様」
彼の口元には、意地の悪い笑みが浮かんでいる。
「これが戦場だ。お綺麗なドレスも、高いヒールも、ここでは何の役にも立たん。今からでも、暖かい寝室に帰りたければ、さっさと帰るんだな」
その挑発に、私はぐっと唇を噛んだ。護衛に来ていた王宮の騎士たちが、「王女様、やはりここは危険です!」と青い顔で懇願してくる。彼らの真っ白な鎧が、この泥と汗の空間では滑稽なほどに浮いていた。
私は、彼らの制止を振り切り、兵士が差し出した踏み台を使って、よろよろと、あの人生に絶望した馬の背にまたがった。スカートが邪魔で、非常に乗り心地が悪い。
「…結構よ。最後まで、見届けさせてもらうわ」
私の答えに、カエルスは一瞬だけ驚いたような顔をしたが、すぐに鼻で笑うと、高く掲げた松明を前に振り下ろした。
「野郎ども、行くぞ!獲物は盗賊団だ!今夜は祭りだ!」
「「「ウォオオオオオッ!!」」」
数十人の荒くれ騎士たちが、鬨の声を上げる。そして、地響きを立てながら、夜の闇へと駆け出していった。私の乗った絶望号も、周りの空気に流されたのか、のろのろと、しかし、かろうじて歩き始めた。私の、人生で最も長く、そして、最も恐ろしい夜が、幕を開けた。
***
夜の森は、昼間とは全く違う顔を見せていた。
月明かりが、背の高い木々の隙間から、まだらに道を照らし出す。風が木々の葉を揺らす音は、まるで何者かの囁き声のようだ。湿った土と、腐葉土の甘いような、それでいて、どこか生臭い匂いが、濃密に漂っている。時折、遠くで響く梟の声に、私の心臓は、いちいち跳ね上がった。
五感が、嫌というほど研ぎ澄まされる。生と死の境界が、曖昧になるような感覚。
先頭を行くカエルスは、時折、馬を止めては地面の痕跡を確かめ、あるいは、鼻をひくつかせて、風の匂いを嗅いでいる。その姿は、騎士というより、獲物を追う獣そのものだった。
「…なぜ、俺たちのところへ来た」
しばらく進んだところで、馬の速度を緩めたカエルスが、並走しながら、ぽつりと言った。その声は、砦にいた時のような、刺々しいものではなかった。
「王宮にも、騎士はいるだろう。あんたに忠実な、綺麗で、見栄えのいい騎士どもが。なぜ、俺たちのような、泥水をすするしか能のない、はみ出し者のところに?」
「言ったでしょう。あなたたちでなければ、できないことがあるから」
私は、揺れる馬の上で必死にバランスを取りながら、答えた。
「この国は、病気なのよ。体の内側から、膿が溜まって、腐りかけている。その膿を出すには、鋭いメスが必要なの。飾り立てただけの、なまくらの剣じゃ、傷口を撫でるだけで、何も解決しない」
私の言葉に、カエルスは答えなかった。ただ、じっと、私の顔を見ていた。
[cite_start]「私は、あなたたちを変えようとは思わない。あなたたちのやり方を、否定するつもりもない。ただ、その力を、国を腐らせる貴族たちから、国を守るために使ってほしいの。あなたたちの正義を、ここで終わらせてほしくない」 [cite: 7, 8]
[cite_start]『他人を変えることはできない』 [cite: 1]。私がアレクシスとの対話で学んだことだ。カエルスの不信も、彼の正義も、彼のものだ。私ができるのは、彼の力を必要とする理由を、誠実に伝えることだけ。
「…ふん。口だけは達者だな、王女様は」
カエルスは、そう吐き捨てると、再び前を向いてしまった。しかし、その横顔が、ほんの少しだけ、和らいだように見えたのは、きっと月明かりのせいだろう。
「全員、馬から降りろ。ここから先は、歩いていく」
カエルスの命令で、私たちは森の奥深くへと足を踏み入れた。獲物の匂いを、嗅ぎつけたのだ。
***
盗賊団のアジトは、森の開けた場所にあった。かつては木こりの小屋だったのだろうか。いくつかの粗末な建物が、巨大な焚き火を囲むようにして建っている。その周りには、襲われたのであろう、無残な姿になった商人たちの馬車が転がっていた。
「女子供は殺すなよ。それ以外は、好きにしろ」
カエルスの低い声が、合図だった。
次の瞬間、静寂は破られた。カエルスの部下たちが、雄叫びを上げながら、闇の中からアジトへとなだれ込む。
そこから先は、もはや戦闘というより、一方的な蹂躙だった。
見張りをしていた盗賊たちが、悲鳴を上げる間もなく、次々と地に伏していく。彼らの戦い方は、私が想像していた剣技とは全く違った。盾で殴りつけ、足を払い、喉を掻き切り、急所を的確に潰していく。一切の無駄がなく、一切の容赦がない、ただ、敵を無力化するためだけの、効率的な暴力の連鎖。
その中心で、カエルスは、まるで嵐そのものだった。
彼の振るう巨大な両手剣は、人の体を、まるで紙のように斬り裂き、叩き潰し、吹き飛ばしていく。それは、技というより、もはや災害だった。
私は、木の陰に隠れ、ただ、その光景に震えていることしかできなかった。血の匂いと、肉の焼ける匂い、そして、男たちの断末魔の叫びが、私の理性を少しずつ削っていく。
「…なるほど。これは興味深い。個々の戦闘能力に頼るのではなく、二人一組を基本とした連携で、死角をなくし、常に数的有利な状況を作り出している。極めて合理的だ。だが、あの団長の動きだけは、合理性を超えているな。まるで…」
隣で、アレクシスが、興奮した様子で実況解説を始めた。やめろ、変態。空気を読め。私は、彼の口を塞ぎながら、この地獄が終わることだけを、ひたすらに祈っていた。
その時だった。
戦闘の火の粉が、建物の一つに燃え移り、あっという間に炎が燃え上がった。その炎の向こう側、壊れた馬車の陰に、小さな影がうずくまっているのが見えた。
子供だ。
襲われた商人の中にいたのだろうか。恐怖で動けずに、そこに隠れていたのだ。
しかし、炎は、その子のいる場所へと、容赦なく広がっていく。
騎士たちは、目の前の敵との戦闘に集中していて、誰も気づいていない。
どうしよう。
誰か、誰か助けて。
私の心は、そう叫んでいた。しかし、誰も動かない。動けない。
恐怖で、足がすくむ。体が、鉛のように重い。
(見て見ぬふりをするの?ここで、あの子を見殺しにするの?)
前世の、しがないOLだった私の、平凡な良心が、胸の奥で悲鳴を上げた。
特別な力なんてない。正義感なんて、大それたものもない。
ただ、目の前で、小さな命が失われようとしているのを、見過ごすことなんて、できなかった。
「…っ!」
私は、ほとんど無意識のうちに、木の陰から飛び出していた。
燃え盛る炎と、剣がぶつかり合う、戦場の真ん中へ。
「王女様!?」
アレクシスの、驚愕の声が聞こえた気がした。
そんなことは、どうでもよかった。私は、ただ、一心不乱に、子供の元へと走った。
「…大丈夫よ。もう、大丈夫だから」
震える子供を抱きしめる。その瞬間、パチパチと音を立てていた梁が、私たちの頭上へと、崩れ落ちてきた。
ああ、ここまでか。
短い、悪役令嬢としての人生だったな。
目を、固く閉じた。
しかし、来るべき衝撃は、いつまでたってもやってこなかった。
恐る恐る目を開けると、私の目の前には、巨大な背中があった。カエルスだった。
彼は、崩れ落ちてくる燃える梁を、その巨体と、両手剣で、受け止めていた。
「…この、馬鹿者が…!」
絞り出すような、彼の声。
「死んだら、元も子もねえだろうが…!」
彼は、そう言うと、渾身の力で梁を弾き飛ばし、私と子供を、その太い腕で抱えて、炎の外へと飛び出した。
***
夜が明け、東の空が白み始める頃、戦闘は終わっていた。
アジトは、煙を上げてくすぶり、そこには静寂だけが残っていた。夜の冷気と、血と鉄の匂い、そして、朝の澄んだ光が混じり合った、奇妙な空気が、あたりを支配していた。
私は、助け出された商人たちから、涙ながらに感謝の言葉をかけられていた。抱きしめた子供は、母親の腕の中で、すやすやと寝息を立てている。
そこに、カエルスがやってきた。
その顔は、煤と返り血で汚れていたが、その目は、砦で会った時とは、明らかに違う色をしていた。
「…無茶をしやがる」
ぶっきらぼうに、彼は言った。その声には、もう、剥き出しの敵意はなかった。
「怖かったわ。死ぬかと思った。でも、足が勝手に…」
正直に、そう答える。
カルトが、ふん、と鼻を鳴らした。
「…王女様が、聞いて呆れる。だが…」
彼は、一度、言葉を切った。
「…だが、口先だけの、お飾りじゃないことだけは、分かった」
それは、不器用な、しかし、彼なりの最大の賛辞だった。
[cite_start]「砦に戻るぞ。話の続きは、それからだ」 [cite: 15]
その言葉は、彼が、私たちの交渉のテーブルにつくことを、意味していた。
朝日を浴びながら、砦へと帰る道。
疲労は、限界だった。体中が痛くて、今すぐにでも眠ってしまいたい。
でも、私の心は、不思議と、晴れやかだった。
先頭を行くカエルスの背中が、来た時よりも、ほんの少しだけ、頼もしく見えた。
[cite_start]疑心暗鬼のチーム結成まで、あと一歩。 [cite: 15]
私たちの、本当の戦いは、まだ始まったばかりだ。
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