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第四十一話:帝国の水面下の逆襲
しおりを挟む大陸の北方に座する、グランツ帝国。その地では、冬が、支配者だった。
空は、まるで感情を失ったかのように、厚く、重い、鉛色の雲に、常に覆われている。太陽は、その存在をかろうじて示すだけの、弱々しい光の染みとなり果て、地上に、色ではなく、ただ、濃淡の違う、灰色の影を、落とすだけだった。
風は、もはや、肌を刺すという、生易しいものではない。それは、まるで、無数の、目に見えない、氷の刃となって、吹き荒れ、剥き出しになった、岩肌を、削り、黒々とした、針葉樹の森を、呻かせ、そして、そこに、生きる者たちの、体温と、気力を、根こそぎ、奪い去っていく。
帝城アイゼンガルドは、そんな、過酷な、自然環境と、完全に、同化していた。
黒い、花崗岩を、寸分の、狂いもなく、切り出し、組み上げて、作られた、その、巨大な、城は、華美な、装飾を、一切、持たない。ただ、天を、突き刺すかのような、鋭い、尖塔と、分厚い、城壁だけが、この、帝国が、持つ、揺るぎない、力と、何者にも、屈しないという、冷徹な、意志を、無言のうちに、語っていた。
その、帝城の、地下深く。
外部の、光も、音も、一切、届かない、皇帝の、秘密執務室。
揺らめく、燭台の、炎だけが、壁に、掛けられた、巨大な、大陸地図と、そこに、立つ、一人の、男の、顔を、不気味に、照らし出していた。
グランツ帝国皇帝、ジークハルト・フォン・グランツ。
彼は、玉座の間の、荘厳な、姿とは、全く、違う、まるで、手負いの、獣のような、荒々しい、空気を、まとっていた。
その、鷲のように、鋭い、灰色の瞳は、今、憎悪と、屈辱と、そして、それらを、遥かに、上回る、冷たい、恐怖の色に、染まっていた。
彼の、脳裏に、繰り返し、再生される、光景。
中立都市の、あの、華やかな、会議場。
あの、やる気の、欠片も、感じさせない、気の抜けた、顔の、男。
そして、その男が、まるで、子供の、悪戯のように、指を、弾いた、次の、瞬間。
音も、衝撃も、なく、ただ、静かに、砂のように、崩れ落ちていった、巨大な、大理石の、柱。
あれは、魔法では、ない。
ジークハルトは、長年の、経験と、直感で、それを、理解していた。
魔法とは、もっと、派手で、わかりやすい、エネルギーの、発露だ。爆発があり、衝撃があり、熱がある。
だが、あれは、違った。
あれは、まるで、世界の、ルールブックを、勝手に、書き換えるような、冒涜的で、理解不能な、「現象」そのものだった。
(力では、勝てない)
ジークハルトは、生まれて、初めて、その、事実を、認めざるを、得なかった。
帝国が、誇る、最強の、騎士団も、長年、研究を、重ねてきた、攻城兵器も、あの、男の前では、意味を、なさないだろう。
城壁も、鎧も、兵士の、命さえも、あの、男が、指を、弾けば、ただの、砂の山に、変わるかもしれないのだ。
その、圧倒的な、恐怖が、しかし、同時に、彼の、心の、奥底に、凍てついていた、帝王としての、冷徹な、思考を、呼び覚ました。
(……そうだ。力で、勝てないのなら、力で、戦わなければ、いい)
盤面を、見誤っていたのだ。
自分は、あの男を、敵国の、「王」という、駒として、見ていた。だから、その駒を、どう、盤上から、取り除くか、ということばかり、考えていた。
違う。
あの男は、駒では、ない。
あれは、この、盤面そのものを、ひっくり返しかねない、規格外の、「災害」だ。
台風や、地震と、同じ。
ならば、対処法も、自ずと、変わってくる。
台風そのものを、殴りつけても、意味はない。地震そのものを、斬りつけても、無駄だ。
やるべきことは、ただ、一つ。
その、災害が、もたらす、被害を、最小限に、食い止め、そして、その、エネルギーが、向かう先を、巧みに、誘導し、自滅させること。
「……誰か、いるか」
ジークハルトの、低い、声が、静かな、執務室に、響いた。
すると、まるで、壁の、影そのものが、剥がれ落ちたかのように、一人の、男が、音もなく、姿を、現した。
全身を、黒い、衣で、覆い、その、顔は、深い、フードの、影に、隠れて、見えない。ただ、その、影の、奥から、感情というものが、完全に、抜け落ちた、二つの、冷たい、光が、皇帝を、見つめていた。
帝国の、影。諜報機関「シュヴァルツ・オルデン(黒の教団)」を、束ねる、男。その、本名を、知る者は、皇帝以外には、いない。
「ここに」
男の、声は、まるで、墓石を、爪で、引っ掻くような、乾いた、音だった。
ジークハルトは、地図の、前に、進み出ると、二つの、地点を、指し示した。
西の、ユグドラシル。そして、東の、ロゼンベルグ。
「あの、規格外の、化け物……ユウキ王は、それ、単体では、ただの、無気力な、隠居だ。奴が、恐ろしいのは、その、隣に、あの、ロゼンベルグの、小娘が、いるからだ」
皇帝の、分析は、冷徹で、的確だった。
「あの、小娘、ソフィアは、化け物の、力を、どう、使えば、最も、効果的かを、理解している。彼女が、『頭脳』となり、化け物が、『拳』となる。その、二つが、結びついた時、初めて、帝国を、脅かす、脅威と、なる。ならば、答えは、簡単だ」
ジークハルトは、ロゼンベルグ王国を、指していた、指先で、とん、と、地図を、叩いた。
「―――頭脳を、潰せ」
その、言葉の、意味を、影の男は、正確に、理解した。
「……暗殺、ですな」
「そうだ。だが、ただの、暗殺では、ない。大陸の、裏社会を、牛耳る、暗殺者ギルド、『サイレンティウム』。彼らに、依頼しろ。報酬は、言い値で、構わん。条件は、ただ、一つ。『完璧な、事故』に見せかけることだ。病死、あるいは、不慮の、事故。決して、帝国の、影を、感じさせては、ならん」
影の男は、静かに、頷いた。
「承知、いたしました」
「だが、それだけでは、足りん」
ジークハ-ルトは、続けた。
「肉体を、滅ぼすだけでは、不十分だ。あの、小娘は、すでに、民の、心を、掴み始めている。死して、なお、聖女として、崇められては、意味がない。彼女の、『名誉』も、同時に、殺すのだ」
皇帝の、瞳が、氷のように、冷たい、光を、放った。
「エルリア法皇国に、潜ませている、『信徒』に、告げよ。新たな、『神託』を、下す時が、来たと」
エルリア法皇国。大陸の、精神的な、支柱として、絶大な、影響力を、持つ、宗教国家。その、神託は、時に、王の、首さえも、刎ねるほどの、力を持つ。
「神託の、内容は、こうだ。『東に、古の、蛇の、血を、引く、偽りの、王女、現る。西に、人の、理を、超えし、混沌の、王、現る。二つの、災厄、交わりし時、世界は、闇に、覆われん』……とでも、しておけ」
それは、あまりにも、悪辣で、そして、効果的な、策だった。
ソフィアを、民を、惑わす、魔女として。
ユウキを、世界を、破壊する、悪魔として。
人々の、心に、深く、根ざした、神への、信仰心と、未知なる、ものへの、恐怖心を、巧みに、利用し、二つの、国を、国際社会から、完全に、孤立させる。
肉体と、名誉。物理的な、暗殺と、社会的な、抹殺。
二つの、凶刃が、今、静かに、鞘から、抜かれようとしていた。
「……よろしいですな?」
影の男の、問いに、ジークハルトは、満足げに、頷いた。
「やれ。そして、決して、しくじるな」
「御意」
影の男は、再び、音もなく、影の中へと、溶けるように、消えていった。
一人、残された、ジークハルトは、燭台の、炎に、照らされた、大陸地図を、見下ろした。
彼は、二つの、駒を、手に取った。
一つは、黒く、塗られた、短剣の、駒。
もう一つは、白く、輝く、十字架の、駒。
彼は、その、二つの、駒を、ゆっくりと、ロゼンベルグ王国の、地図の、上に、置いた。
(小娘よ。化け物よ。思い知るがいい。この、世界という、盤面は、我々の、ルールの上で、動いているのだということを)
彼の、口元に、歪んだ、しかし、確かな、勝利を、確信する、笑みが、浮かんだ。
その、笑みが、どれほど、浅はかで、そして、どれほど、致命的な、見当違いで、あるのかを、この時の、彼は、まだ、知る由も、なかった。
彼は、自分が、ただの、災害だと、思っていた、男が。
その、実、災害を、遥かに、超える、この、世界の、理そのものを、捻じ曲げる、存在で、あることを。
そして、何よりも。
その男が、何よりも、嫌うものが、「面倒事」であり、そして、彼が、何よりも、優先するものが、「知り合いの、安否」である、という、その、単純な、事実を。
彼は、まだ、知らなかった。
北の、帝城で、放たれた、二本の、毒矢は、静かに、しかし、確実に、その、標的に、向かって、飛翔を、始めていた。
そして、その、毒矢が、もたらすものが、帝国の、勝利では、なく、眠れる、厄災の、逆鱗に、触れるだけの、愚行で、あることを、まだ、誰も、知らなかった。
大陸の、水面下で、静かに、始まった、帝国の、逆襲。
それは、やがて、大陸全土を、巻き込む、巨大な、嵐の、最初の、兆候に、過ぎなかった。
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