過労死したので来世は平穏に暮らしたい。なのに、うっかり英雄になってしまい、東では国を救った元悪役令嬢が俺の噂をしていた。

Gaku

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第四十五話:そして、新しい物語が始まる

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季節は、もう、ためらいもなく冬へと、その重い扉を開いていた。
西の果て、ユグドラシルでは、夜の間に降った新雪が、混沌の街のあらゆる音を吸い込み、世界を一枚の美しい水墨画へと変えていた。朝の光は、まだ低い角度から、弱々しく、しかし、どこまでも透明に、降り注ぐ。その光は、真っ白な雪に覆われた城の枝葉や、ドワーフの鍛冶場の屋根、獣人たちの家の前に無造作に置かれた巨大な骨などを、きらきらと、まるでダイヤモンドの粉を振りかけたかのように、輝かせていた。
空気は、ガラス細工のように、冷たく、澄み渡っている。息を吸い込むたびに、肺の奥が、きゅっと、引き締まるような、心地よい痛みが走る。厨房からは、竜族のイグニスが作る、温かいスープの、香辛料と、肉の焼ける、食欲を暴力的に刺激する香りが立ち上り、その香りが届く範囲だけ、冬の厳しい空気が、ほんの少しだけ、優しくなるかのようだった。

その、厨房から、一番、遠い場所。
城の、最上階にある、王様専用の、広大なテラス。
ユウキは、まるで、十日間の徹夜明けのような、魂の抜け殻と化した顔で、特注の、ふかふかリクライニングチェアに、ぐったりと、沈み込んでいた。
「……二度と、ごめんだ」
彼の、かすれた、呟きは、誰に、聞かれることもなく、冬の、澄んだ、空気に、吸い込まれて消えていった。
大陸諸国会議という名の、壮大な、茶番劇から、帰還して、丸一日。
彼は、その、ほとんどの時間を、眠って、過ごした。いや、正確には、眠らざるを、得なかった。
彼が、城に、戻るやいなや、待ち構えていたのは、仲間たちによる、熱狂的すぎる、歓迎の宴だったからだ。
「兄貴! あんたの、おかげで、南方の、エールが、また、飲めるようになったぜ! さあ、祝いだ、祝いだ!」
ボルガが、巨大な、酒樽を、担いで、叫ぶ。
「陛下! この、イグニス、感涙に、ございます! これで、我が、至高の、スープに、命の、息吹を、吹き込む、『幻の黒胡椒』が、手に入る! さあ、まずは、この、祝杯を!」
イグニスが、巨大な、肉塊を、掲げて、咆哮する。
「あなたねえ、少しは、自重というものを、覚えたらどうなの。まあ、結果的に、私の、矢羽の、問題も、解決したから、今回は、不問にしてあげるわ。……ほら、飲みなさいよ」
シルフィが、呆れ顔で、しかし、その、口元は、かすかに、笑みを、浮かべて、極上の、エルフの、果実酒を、勧めてくる。
「ユウキ様! あなたの、あの、予測不能な、行動パターン! 既存の、権威への、完全なる、無関心! ああ、サンプルとして、これ以上ない、貴重な、データが、取れましたわ! さあ、祝杯ですわよ、祝杯!」
リリアが、興奮で、鼻息を、荒くしながら、怪しげな、色の、液体が、入った、試験管を、突きつけてくる。
彼らの、善意と、欲望と、狂気が、ごちゃ混ぜになった、愛情表現の、嵐。
ユウキは、「俺は、寝たいんだ……」という、か細い、抵抗も、虚しく、その、カオスの、渦の、中に、飲み込まれ、意識を、失うまで、飲まされ、食わされ、そして、担がれて、ようやく、この、聖域(テラス)に、戻ってくることが、できたのだった。
(……スローライフは、遠い……)
ユウキは、雪化粧を、した、遥か、東の、山脈を、ぼんやりと、眺めた。
あの、場所。
あの、国。
そして、あの、やかましくて、理屈っぽくて、面倒くさくて、それなのに、なぜか、放っておけない、王女。
(……やれやれ。とんだ、お姫様だぜ、まったく)
彼は、悪態を、ついた。
だが、その、口元は、自分でも、気づかないうちに、穏やかに、綻んでいた。
彼の、心の中には、まだ、あの、月夜の、バルコニーで、感じた、彼女の、涙の、温かさが、消えない、小さな、灯火のように、残っていた。

同じ、頃。
遥か、東、ロゼンベルグ王国の、王城。
ソフィアの、執務室は、静かな、活気に、満ちていた。
窓の、外では、この冬、初めての、雪が、まるで、天からの、祝福のように、音もなく、舞い降りていた。その、白い、結晶は、まだ、地面に、積もるほどでは、なく、ただ、冷たい、空中で、きらきらと、輝いては、消えていく。
部屋の、中では、暖炉の、炎が、ぱち、ぱちと、心地よい、音を、立てて、燃え盛り、壁に、掛けられた、タペストリーの、複雑な、模様を、暖かく、照らし出している。
机の、上には、うず高く、書類が、積まれている。
交易路の、再開に、伴う、関税の、調整。ユグドラシルとの、正式な、友好条約の、草案。グランツ帝国から、独立を、画策する、諸侯たちからの、秘密の、親書。
大陸の、情勢は、あの、会議を、境に、大きく、動き始めていた。複雑に、絡み合った、無数の、糸が、ほつれ、そして、新たな、模様を、織りなそうとしている。まさに、複雑系の、相転移。その、中心に、今、彼女は、いた。
やるべきことは、山積みだ。
だが、不思議と、彼女の、心は、嵐の前の、海のように、穏やかだった。
彼女は、ふと、ペンを、置くと、机の、上に、ちょこんと、置かれた、一つの、石に、そっと、指先で、触れた。
何の変哲もない、ただの、丸い石。
ユウキが、去り際に、「道端で、拾った」と、ぶっきらぼうに、手渡してきた、贈り物(?)。
石は、ひんやりとしていた。だが、その、奥に、まるで、彼の、魂の、一部が、宿っているかのように、確かな、温もりを、感じた。
彼女は、その石を、慈しむように、見つめ、そして、くすり、と、笑みを、漏らした。
(……本当に、面倒な、王様ですこと)
彼女の、脳裏に、あの、夜の、出来事が、鮮やかに、蘇る。
絶望の、淵から、自分を、救い出してくれた、あの、無骨な、背中。
不器用な、言葉の、裏に、隠された、不器用な、優しさ。
彼もまた、自分と、同じ、孤独を、知る者。
そして、彼もまた、自分と、同じ、この、世界の、理不尽に、抗う、転生者。
その、確信が、彼女の、胸の、中に、あった。
まだ、互いに、その、最大の、秘密を、打ち明けたわけでは、ない。
だが、魂の、深い、場所で、二つの、孤独な、魂は、確かに、共鳴し、そして、結ばれていた。
この、石が、その、揺るぎない、証だった。

その、頃。
大陸の、北の、果て。
グランツ帝国の、帝城、アイゼンガルド。
玉座の、間は、墓場のような、静寂と、氷点下の、空気に、支配されていた。
皇帝、ジークハルトは、その、黒曜石の、玉座に、身を、沈め、ただ、虚空を、見つめていた。
あの日の、屈辱。あの日の、恐怖。
柱が、砂と、なって、崩れ落ちる、光景が、彼の、脳裏に、焼き付いて、離れない。
彼の、帝王としての、誇りは、完全に、打ち砕かれていた。
その、彼の、前に、まるで、闇そのものが、人の、形を、取ったかのように、一人の、男が、音もなく、姿を、現した。
「―――皇帝陛下。ご安心を」
その、声は、どこまでも、穏やかで、しかし、蛇が、這うような、不気味な、響きを、持っていた。
ジークハルトが、ゆっくりと、顔を、上げる。
そこに、立っていたのは、かつて、ソフィアが、その、牙城を、崩したはずの、男。
ロゼンベルグ王国の、大貴族、アルバ公爵だった。
「アルバ……! 貴様、生きていたのか……!」
「もちろんですとも」
アルバは、優雅に、一礼した。
「駒は、まだ、ございます。いえ、むしろ、ここからが、本番ですな」
彼の、瞳が、狂的な、光を、宿して、きらりと、光った。
「『山を消す王』。人の、理を、超えた、混沌の、化身。
『再建の王女』。秩序を、愛し、システムを、構築する、天才。
そして、ようやく、舞台に、上がる、準備が、整いました。エルリア法皇国が、その、存在を、保証し、民が、その、到来を、待ち望む、伝説の、『英雄』が」
アルバは、まるで、壮大な、オペラの、クライマックスを、語る、指揮者のように、両手を、広げた。
「役者が、揃いましたな。さあ、始めましょうぞ。この、大陸を、盤上とした、我々のための、新しい、物語を」
彼の、不気味な、笑い声が、だだっ広い、玉座の、間に、響き渡った。
それは、これから、始まる、本当の、戦いの、序曲だった。
二人の、転生者の、ささやかな、平穏を、求める、願いとは、裏腹に。
世界の、歯車は、今、より、大きく、そして、より、残酷な、方向へと、きしみを、上げて、回り始めた。
彼らの、本当の、物語は、まだ、始まったばかりだった。
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