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第四部:偽りの英雄と本物の絆
第四十七話:民衆の英雄、その名は『レオ』
しおりを挟む世界という巨大な生き物は、時として、奇妙な熱に浮かされることがある。
それは、誰かが意図して火をつけたわけではない。乾いた季節に、どこかで生まれた小さな火種が、人々の「こうあってほしい」という切なる願いを薪にして、燎原の火のように燃え広がっていく現象だ。
その熱は、今、一人の青年の名を中心に、大陸全土を包み込もうとしていた。
彼の名は、『レオ』。
南の大陸公路を行く隊商の焚き火を囲む輪の中で、その物語は語られる。ラクダの背に揺られて眠っていた子供たちが、身を乗り出して目を輝かせる。
「聞いたかい? 英雄レオ様の話を。なんでも、ゴブリンの群れに襲われていた村に、たった一人で現れたんだそうだ。掲げた聖剣が太陽みたいに輝いたかと思うと、ゴブリンどもは悲鳴を上げる間もなく、光の中に浄化されちまったって話だ!」
語り部の商人が、身振り手振りを交えて熱弁する。その話を聞いた別の商人が、さらに尾ひれをつける。
「俺が聞いた話じゃ、もっとすごいぜ。レオ様は、その村で一番貧しい老婆の家に泊めてもらい、たった一枚の黒パンを差し出されると、涙を流して感謝したそうだ。そして翌朝、老婆の家の井戸からは、極上の葡萄酒がこんこんと湧き出していたってよ!」
北の港町、潮の香りと魚の臓物の匂いが混じり合う、薄汚れた酒場。そこでは、吟遊詩人が古びたリュートをかき鳴らし、即興の歌を歌い上げていた。
「♪金色の髪を風になびかせ~ 慈愛の瞳は蒼き空~ 聖剣の一振り悪を討ち~ その名はレオ~ 我らが光~♪」
酔客たちは、エールの泡も忘れて聞き惚れる。昨日まで自分たちの暮らしを呪い、貴族を罵っていた男たちの顔に、久しぶりに希望の色が浮かんでいた。
物語は、人々の口から口へと伝わるうちに、勝手に成長し、勝手に神格化されていく。個々の人間は、ただ「面白い話」「希望の持てる話」を隣人に伝えているだけだ。しかし、その無数の単純な情報の伝達が、大陸という巨大なネットワークの中で相互に作用し合い、誰も設計していない、あまりにも完璧な「英雄レオ」という一つの巨大な虚像を創り上げていた。
その虚像は、金色の髪をなびかせ、慈愛に満ちた瞳で民に語りかけ、掲げた聖剣はまばゆい光を放ち、悪を討つ。その姿は、計算され尽くした絵画のように完璧で、あまりにも都合が良すぎた。
人々は、自分たちの苦しい現実――思い通りにならないことの連続――から目を逸らすため、この都合の良い物語を、まるで渇いた喉で水を求めるように、貪り飲んだ。
***
ロゼンベルグ王城、ソフィアの執務室。
宰相が、苦虫を百匹ほど噛み潰したような顔で、大陸各地から集められた報告書の束を、ソフィアの机に置いた。
「王女様、これがお耳に入れておりました、例の『英雄レオ』に関する報告のまとめです。正直に申し上げて……異常です」
ソフィアは、羽根ペンを置き、その中の一枚を手に取った。そこには、吟遊詩人が歌っていたという、稚拙だが妙に耳に残る歌詞が書き留められていた。
「……確かに、少し出来すぎているようですわね」
彼女の声は、夏の終わりの湖面のように、静かで穏やかだった。しかし、その瞳の奥には、氷のような冷静な光が宿っている。
そこに、執務室の扉が、ノックもそこそこに勢いよく開かれた。
「不自然です! あまりに不自然すぎる!」
部屋に転がり込んできたのは、天才学者アレクシスだった。彼は数枚の羊皮紙を抱え、そのうちの一枚、巨大な大陸地図をソフィアの机の上に広げた。地図の上には、インクの色が違う無数の線が、まるで複雑な血管網のように走り、特定の地点で絡み合っている。
「ご覧ください、ソフィア様。これは、この一ヶ月の『レオ』に関する噂の発生地点と、その伝播ルートを時系列でプロットしたものです。もし噂が自然発生的なものならば、その流れはもっとランダムで、予測不能なパターンを描くはず。しかし、これはどうです! まるで、誰かが注意深く設計した水路を流れる水のように、あまりにも効率的に、あまりにも正確に、人口密集地帯と主要街道を繋いでいる! 自然発生的なものでは、断じてありえません!」
アレクシスの指が、地図の上を神経質に叩く。彼の目は、未知の数式を解き明かそうとする数学者のように、狂気にも似た輝きを放っていた。
そこに、もう一人、腕を組んだ大男が、呆れたように口を挟んだ。
「理屈はよく分からねえが、まあ、そういうこったろ。聖剣? 神の御使い? 反吐が出る」
最強の騎士カエルスは、報告書を一瞥しただけで、吐き捨てるように言った。
「戦場で生き抜いてきた俺の勘が言ってるぜ。物語ってのはな、もっと泥臭くて、汗臭くて、血の匂いがするもんだ。こんな風に、上から下まで綺麗事で塗り固められた話は、決まって腹の中に何か黒いもんを隠してる。いかにも、胡散臭い」
ソフィアは、二人の最強の仲間――知性のアレクシスと、直感のカエルス――の言葉に、静かに頷いた。
一人は、情報の「流れ方」という構造から、その異常性を見抜いた。
もう一人は、物語の「綺麗すぎる」という内容から、その欺瞞を嗅ぎ取った。
見ている角度は違えど、二人が指し示している本質は同じ。これは、誰かの明確な「意図」によって作られた、巨大な虚構である、と。
そしてソフィアは、さらにその奥を見据えていた。なぜ、人々はこんなにも簡単に、この胡散臭い物語を信じてしまうのか。
それは、人々が愚かだからではない。人々が、救いを求めているからだ。自分たちの苦しみの「原因」をどこか外部に求め、それを打ち破ってくれる分かりやすい「解決策」を渇望しているからだ。この物語は、その人々の心の隙間に、完璧に寄り添うように作られている。
「……厄介なことになりそうですわね」
ソフィアの呟きは、誰に聞かせるでもなく、静かな執務室の空気に溶けていった。
***
その頃、大陸の西の果て、ユグドラシル。
ロゼンベルグの張り詰めた空気など、まるで別世界の出来事のように、そこにはどこまでも平和で、どこまでも気の抜けた時間が流れていた。
城のテラスでは、王であるユウキが、相変わらずリクライニングチェアで惰眠を貪っている。その傍らでは、竜族の料理長イグニスが、眉間に深いシワを寄せながら、小さな器に入った、ふるふると震える黄金色の何かを、真剣な眼差しで睨みつけていた。
「ううむ……ラーメンの出汁をベースにした茶碗蒸し、というコンセプトは画期的だと思ったんだがな……。麺つゆの塩気と、卵の甘みが、互いの良さを殺し合っている……。兄貴、どう思う?」
「……ぐー」
「だよな! やはり、ここはキノコの餡をかけることで、第三の勢力を投入し、味の三国志を平定するべきか……!」
自己完結したイグニスの隣では、ドワーフのリーダー、ボルガが、愛用の巨大な戦斧を、赤子をあやすかのように丁寧に布で磨いていた。時折、斧の刃に自分の顔を映しては、「うむ、今日も男前だ」と満足げに頷いている。
その、絵に描いたような平和な光景を、一人の男の悲鳴が引き裂いた。
「た、た、大変ですぅううう! 陛下ぁあああ!」
息も絶え絶えにテラスに駆け込んできたのは、この国の気弱な宰相アーサーだった。その手には、ロゼンベルグにもたらされたものと同じ、例の噂に関する報告書が握られている。
「大陸に、新たな英雄が……! 聖剣を手に、民を救う、伝説の……!」
その言葉に、それまで死んだように眠っていたユウキが、カパッ、と効果音がつきそうな勢いで目を開いた。そして、次の瞬間、リクライニングチェアが悲鳴を上げるほどの勢いで身を起こした。
「なにぃ! それは本当か、アーサー君!」
その、今まで見たこともないような真剣な眼差しに、アーサーは(ついに陛下も、この国の未来と大陸の情勢に危機感を……!)と、感動に打ち震えた。これで、この国もまともな国家運営ができるかもしれない。長年の苦労が、ついに報われる……!
だが、その淡い期待は、ユウキの次の言葉によって、木っ端微塵に粉砕されることになる。
「やった! ついに、ついに現れたんだな! 俺の代わりに、世界平和とかいう面倒事を全部引き受けてくれる、正義の味方が!」
ユウキは、満面の笑みで、アーサーの両肩をガッシリと掴んだ。その瞳は、子供の頃にサンタクロースの存在を信じていた、あの頃のように、純粋な喜びにキラキラと輝いていた。
「よし、アーサー君! 早速、彼に使者を送ってくれ! 丁重にな! 『世界のことは、全部、あなたに任せました。俺は、今日を以て、心置きなく隠居します。今後の連絡は不要です』ってな!」
本気だった。
この男は、心の底から、歓喜していた。
自分の王としての責任と義務、その全てを、どこかの馬の骨とも知れない、噂の中の英雄に丸投げできる。その事実が、彼を至上の幸福へと導いていた。
これ以上ないほどの完璧な「苦(面倒事)」からの解放。彼にとって、この英雄の出現は、仏の救いにも等しい、最高の吉報だったのだ。
アーサーは、その場で白目を剥いて崩れ落ちそうになった。
イグニスは、あまりの衝撃に、試作品の茶碗蒸しを取り落とした。
ボルガは、磨き上げた斧の刃で、自分の目を疑うように、何度もユウキの顔をまじまじと見つめた。
そして、三人は、まるで示し合わせたかのように、一つの完璧なハーモニーを奏でた。
「「「いや、なんでだよぉおおおおおおおおっ!!」」」
その盛大なツッコミは、ユグドラシルの青く、どこまでも高い空へと、虚しく吸い込まれていった。
大陸の東で芽生え始めた深刻な危機感と、西で爆誕した究極の他力本願。
世界の歯車は、二人の転生者の、あまりにも対照的な思惑を乗せて、確実に、そしてどこかコミカルに、狂い始めていた。
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