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第四部:偽りの英雄と本物の絆
第五十話:英雄、ユグドラシルへ
しおりを挟む真夏の太陽が、容赦なく大地を焼き付けていた。乾いた街道を舞い上がる土埃は、まるで黄金の霧のように、進軍する一行を包み込んでいる。
その中心にいるのは、一人の青年だった。
純白の駿馬にまたがり、陽光を反射してきらめく金色の髪を風になびかせる。その腰に佩いた剣は、鞘に収まってなお、神聖な光のオーラを放っているように見えた。
彼の名は、レオ。民衆が待ち望んだ、本物の『英雄』。
彼の背後には、老若男女、様々な人々が、まるで巡礼者のように続いていた。彼らは、レオが圧政から解放した村の者たちであり、彼の言葉に希望を見出した者たちであり、彼の物語に心酔した者たちだった。彼らの顔には疲労の色もあったが、それ以上に、狂信的なまでの熱が宿っていた。口々にかつて聖教会が歌っていた聖歌を口ずさみ、その行進は、もはや軍隊というよりは、一つの巨大な宗教的ムーブメントのようだった。
アルバ公爵が設計した「物語」という名の見えざる水路を、人々は自らの意志で流れていると信じ込み、一つの巨大なうねりとなって、西の果ての異形の国、ユグドラシルへと迫っていた。
やがて一行は、様々な文化が混在する、カオスだが活気に満ちたユグドラシルの城門前へと到達した。
レオは馬から降り立つと、城壁の上にいるユグドラシルの民と、噂を聞きつけて集まった野次馬たちに向かって、朗々と、しかし力強く語り始めた。その声は、不思議なカリスマ性を帯びて、人々の耳に心地よく響いた。
「ユグドラシルの民よ! 聞いてほしい!」
演説は、まず共感から始まった。
「私は、諸君らが虐げられてきた各種族の者たちであると聞いている! 人間たちの身勝手な欲望によって故郷を追われ、安住の地を求めてこの場所に流れ着いた、心優しき者たちであると!」
ざわめきが起こる。その言葉は、確かに彼らの過去の痛みに寄り添っていた。
「しかし! 諸君らは、本当に救われたと言えるのか!? 一人の絶対的な力を持つ『王』の気まぐれに、常に怯えながら生きるその日々が、真の平和と呼べるのか!」
声のトーンが、徐々に熱を帯びていく。
「私は見た! 彼が、何の罪もない山脈を、戯れに消し去る光景を! その力は、世界を守るためのものではない! 世界を己の意のままにする、混沌と破壊の力だ! 諸君らは、檻から逃れたと思いきや、さらに強大な、一人の暴君の檻に囚われているに過ぎないのだ!」
群衆の心が、巧みな言葉によって揺さぶられる。不安という名の種が、次々と蒔かれていく。
「私は、この混沌の王に囚われた、哀れな民を解放するために来た! 恐怖による支配は、終わらせなければならない! さあ、共に立ち上がろうではないか! 真の平和と、神の下の秩序を取り戻すために!」
レオが天に拳を突き上げると、彼の支持者たちが「うおおおっ!」と熱狂的な歓声を上げた。
その熱は、伝染する。
ユグドラシルの一部の民衆が、その声に同調し始めた。特に、移住して日の浅い人間たちだった。
「そ、そうだ……! 俺たちは、いつ王様の気まぐれで消されるか分からない生活は、もう嫌だ!」
「城門を開けろ! 英雄様を入れて差し上げろ!」
「そうだ! 我々にも、英雄様の話を聞く権利がある!」
内部からの崩壊。それは、いかなる軍隊による攻撃よりも、恐ろしいものだった。
城門の上で指揮を執っていた宰相アーサーは、その光景を目の当たりにして、血の気が引いていくのを感じた。彼が、ユウキに代わって、こつこつと築き上げてきた多種族共存のシステムが、たった一人の青年の、甘く、力強い言葉によって、いとも簡単に崩壊しようとしている。
「ひぃぃ……! み、皆さん、落ち着いてください! 陛下は、そのようなお方では……!」
ガンツやイグニスも必死に叫ぶが、一度火がついた群衆心理の波は、もはや誰にも止められなかった。
「も、もうダメですぅううう……わ、私には、国をまとめるなんて、壮大な業務は、無理だったんですぅううう……」
アーサーは、ついにその場で泣き崩れ、白目を剥いて気絶寸前になった。ユグドラシルは、建国以来、最大の危機を迎えていた。
***
その全ての騒ぎの音は、分厚い城壁と、長い長い階段を上った先にある、城の最上階のテラスにまで、微かに届いていた。
そこは、下界の混乱が嘘のような、静かで、完璧な平穏に満ちた空間だった。
柔らかな木漏れ日が、計算され尽くしたかのような完璧な角度でリクライニングチェアを照らし、心地よい風が、頬を優しく撫でていく。
ユウキは、その完璧な環境の中で、完璧な昼寝を、満喫していた。
しかし、その完璧な静寂は、下界から響いてくる、不協和音のような騒音によって、無慈悲にも破られた。
「……うるさいな……」
ユウキは、眉間に深いシワを寄せ、ゆっくりと目を開けた。
最初は、単なる不快感だった。イグニスがまた厨房で爆発でも起こしたのか、あるいはボルガが鍛冶場で何かやらかしたのか。その程度の、日常的な騒音だと思っていた。
彼は、億劫そうに身を起こし、テラスの柵から下界の混乱を見下ろした。
そして、見た。
城門前で、聖者のように演説する、キラキラした金髪の男。
その言葉に熱狂し、我を忘れて叫ぶ、無数の人々。
そして、その波に抗うように、必死の形相で民を説得している、ガンツやイグニス、ボルガたちの、悲痛な顔。
泡を吹いて倒れかけている、アーサーの哀れな姿。
その光景が、ユウキの脳裏で、別の記憶の引き金を引いた。
――― 鳴り止まない、電話のコール音。
――― 深夜まで続く、終わりの見えない会議。
―――「悪い、休日だけど、ちょっとだけ出てこれないか?」という、上司からの無慈悲な連絡。
――― やっと手に入れた、ほんの束の間の休息。それを、いとも簡単に奪っていく、理不尽な世界のノイズ。
前世で、彼が最も憎み、最も恐れたもの。それは、彼の「平穏」を侵害する、あらゆる種類の「面倒事」だった。
ユウキは、静かに呟いた。
「なるほどな」
彼の瞳から、眠気の残滓が、完全に消え去っていた。
そこに宿っていたのは、これまで仲間たちですら見たことのない、絶対零度の光だった。
世界の平和のためでもない。
民のためでもない。
仲間を救うためですらない。
彼の動機は、どこまでも個人的で、どこまでも矮小で、そして、どこまでも純粋だった。
「要するに」
ユウキは、ゆっくりと、しかし確かな足取りで、部屋の中へと戻っていく。
「あそこの、マイクパフォーマンス野郎を黙らせれば、俺の安眠は、また、戻ってくる、と」
その静かな怒りは、地殻の奥深くで、ゆっくりとマグマを溜め込む火山のように、底知れないエネルギーを秘めていた。
彼は、もう、逃げない。
面倒事を避けるのではない。
面倒事の、根本原因を、「排除」する。
社畜として三十年間で培われた、唯一にして最強のスキル。問題解決能力。
そのスキルが、今、最悪の形で、発動されようとしていた。
彼は、豪華な装飾が施された城の階段を、一段、また一段と、確かな足取りで降りていく。その一歩一歩が、まるで世界の終わりを告げるカウントダウンのように、静かな城内に、重く、響き渡っていた。
彼の完璧なスローライフを邪魔する奴は、たとえ神だろうと、英雄だろうと、容赦しない。
ただ、それだけのために。
王は、ついに、その重い腰を上げた。
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