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第四部:偽りの英雄と本物の絆
第五十五話:黒幕の嘲笑
しおりを挟む『奇跡』の解体ショーから数日、大陸の空気は劇的に変化していた。
ロゼンベルグの街は、偽りの神話からの解放を祝う、熱狂的な歓喜に包まれていた。酒場では、吟遊詩人が「英雄レオ」をこき下ろす滑稽な歌を歌い、民衆はそれに腹を抱えて笑っている。聖教会の権威は地に落ち、「ソフィア姫様こそ、我らを真実に導いてくださった聖女だ」と、新たな、しかし今度は地に足の着いた熱狂が生まれていた。
勝利の報は、魔法水晶を通じて大陸中に駆け巡り、人々は長く続いた情報戦の終結と、訪れるであろう平和に、安堵のため息をついていた。
その、誰もが勝利を信じて疑わなかった、穏やかな昼下がり。
異変は、前触れもなく訪れた。
「……なんだ?」
市場で買い物をしていた一人の市民が、ふと空を見上げて呟いた。
突き抜けるような青空だったはずが、いつの間にか、西の地平線から、インクを垂らしたかのように、禍々しい紫色が滲み出すように広がってきていた。それは雲ではない。空そのものの色が、ありえない色へと変質していく、悪夢のような光景だった。
歓声に満ちていた街のざわめきが、徐々に困惑の囁きへと変わっていく。
そして。
―――ウウウオオオオオオオオオォォォォ…………
地平線の彼方から、地響きと共に、おぞましい鬨(とき)の声が響き渡った。
それは、人間の声ではなかった。怒りでも、喜びでも、闘志ですらない。ただ、純粋な飢えと渇き、そして破壊衝動だけを練り上げて音にしたかのような、魂を直接削り取られるような不快な絶叫だった。
街の歓声は、一瞬にして恐怖の悲鳴へと変わった。
その頃、グランツ帝国の薄暗い玉座の間。
アルバ公爵は、床に散らばったチェスの駒を、まるでゴミでも見るかのような目で見下ろしていた。
「奇跡がトリック?結構。物語が崩れた?ああ、そうだとも。実に陳腐な結末だった。第一幕としては、まあまあの出来だったがね」
彼は、手にしたワイングラスを、ゆっくりと床に傾ける。血のように赤い液体が、大理石の上に広がっていく。
「だが、観客というものは、いつまでも同じ芝居を見せられては飽きてしまうのだよ、ソフィア嬢。ハッピーエンドに飽きた彼らが次に求めるものは、いつの時代も決まっている」
彼は、空になったグラスを、無造作に床へと叩きつけた。ガラスの砕ける甲高い音が、玉座の間に響き渡る。
「理屈の通じない、純粋な『暴力』という名の、スペクタクルショーを、だ。さあ、始めようか。最終幕の、始まりだ」
ロゼンベルグの城壁の上で、見張り兵が絶叫した。
「て、敵襲ーっ!グランツ帝国軍!数が…数が多すぎる!」
地平線を埋め尽くす、黒い津波。それは、数万の帝国兵だった。しかし、その様子は明らかに異常だった。彼らの瞳は、人間のものではない、爛々とした赤い光を宿し、口からは涎を垂らし、獣のような雄叫びを上げながら、人間とは思えぬ速度で城壁へと殺到してきていた。
「陣形を組め!迎撃せよ!」
カエルスは、即座に騎士団を率いて城門へと向かう。しかし、彼もすぐに敵の異常さに気づいた。
放たれた矢が帝国兵の胸を貫く。しかし、兵士は顔をしかめるでもなく、突き刺さった矢を無造作に引き抜くと、さらに速度を上げて突進してくる。騎士の槍が腹を貫いても、その槍を掴み、騎士ごと引きずり倒そうとする。
痛みも、恐怖も、彼らには存在しない。あるのはただ、目の前の敵を破壊し尽くすという、原始的な本能だけ。
禁忌とされた古代魔術。それは、術者の生命力を対価に、兵士から理性と恐怖心を奪い、代わりに超人的な身体能力と治癒力を与える、狂戦士化の呪法。アルバ公爵は、数万の兵士を、思考する人間から、ただ破壊のためだけに動く生ける災害へと変貌させたのだ。
ロゼンベルグが誇る騎士団の、統制された美しい陣形は、狂戦士たちの、無軌道で、予測不能で、圧倒的な物量の前に、いとも容易く食い破られていく。
やがて、轟音と共に城門が破られた。
なだれ込む狂戦士の津波。市街地には火の手が上がり、平和を謳歌していた人々の悲鳴が、地獄のBGMのように響き渡る。
希望は、あまりにも唐突に、絶対的な絶望へと塗り替えられた。
「持ちこたえなさい!ここを抜かれてはならない!」
ソフィアは、崩れかけた城壁の上で、自ら剣を抜き、必死に指揮を執っていた。頬には煤がつき、その声は硝煙と砂埃で掠れている。
しかし、兵士たちの士気は、見る見るうちに下がっていく。目の前の敵は、倒しても倒しても、まるでゾンビのように起き上がり、襲いかかってくるのだ。仲間が、目の前で獣のように引き裂かれていく。その光景は、屈強な騎士たちの心をも、確実に蝕んでいった。
「姫様!もう限界です!」
「撤退を!」
絶望の色が、戦場全体を覆い尽くそうとしていた。
その、混乱と絶望の極みにある、彼女の背後に。
ふ、と。
まるで最初からそこにいたかのように、アルバ公爵が、空間を歪めて音もなく現れた。
周囲の喧騒が嘘のように、彼の周りだけが、不気味なほどの静寂に包まれていた。
「素晴らしい」
彼の声は、地獄の戦場にはあまりにも不似合いな、穏やかで、愉悦に満ちたものだった。
「実に素晴らしい顔だ、ソフィア嬢。その絶望!その苦悶!ああ、それこそが、物語を彩る最高のスパイスだ!君は、本当に、最高の役者だよ」
ソフィアは、振り向きざまに剣を構えた。しかし、アルバはそれをまるで意にも介さず、崩れゆく城壁と、必死に戦う兵士たちを、まるで舞台演劇でも見るかのように、優雅に指し示した。
「見てごらん。彼らの努力、絆、愛、憎しみ。その全てが、なんと美しく、そして滑稽なことか。もし、その全てが、私のような『観客』を楽しませるためだけに用意された、壮大な筋書きの一部だとしたら、君は、どう思うかね?」
「…何を、言っている」
ソフィアの声は、怒りと疲労で震えていた。
アルバは、その反応を楽しむかのように、ゆっくりと彼女に顔を寄せ、囁いた。その声は、悪魔の甘言のように、彼女の魂に直接染み込んでくる。
「ユウキ君の、あの理不尽なほどの力も。そして、君の、その若さには全く不釣り合いなほどの、前世の記憶を持つという知性も。すべては、この退屈な世界という名の舞台を、より面白く、より刺激的に盛り上げるために用意された、実に出来の良い『キャラクター設定』に過ぎないのだよ」
「……キャラクター、設定…?」
「そうとも。強い力を持つ、やる気のない魔王。知恵と勇気で国を救う、悲劇の王女。そして、聖剣を手に人々を導く、偽りの英雄。どうだね?実に王道で、実に面白い配役だろう?君たちは、最高の駒だ。私の、そして、我々『観客』の、退屈を紛らわすための、ね」
アルバの言葉は、もはや単なる比喩ではなかった。
それは、この世界が、超越的な存在によって創造され、娯楽として操作されている「ゲーム」であることを、残酷なまでに、明確に、示唆していた。
ソフィアの思考が、停止した。
血の滲むような努力も。
何度も心が折れそうになりながら、それでも民を信じ、国を再建したあの日々も。
仲間たちと笑い、泣き、育んできた、かけがえのない絆も。
そして、あの朴念仁(ユウキ)と出会い、初めて感じた、あの温かい感情さえも。
すべてが。
最初から。
仕組まれていた、茶番だった。
彼女の脳裏に、前世の記憶がフラッシュバックする。
日本の、しがないOLだった自分。理不尽な上司、終わらない残業、すり減っていく心。それでも、歯を食いしばって頑張れば、いつかきっと報われる日が来ると、信じていた。
しかし、この世界では、その「頑張り」すら、誰かの娯楽として、エンターテインメントとして、ただ、消費されるだけだったというのか。
「あ……ぁ……」
意味のある言葉にならない、乾いた声が、彼女の唇から漏れた。
彼女の瞳から、為政者としての強い光が、希望の光が、急速に失われていく。後に残ったのは、全てを諦めきった、空虚な、底なしの闇だけだった。
身体から、力が抜けていく。
誇りも、意志も、尊厳も、全てが粉々に砕け散った。
ソフィアは、まるで糸の切れた人形のように、その場に、膝から、ゆっくりと崩れ落ちた。
その、絶望の淵に突き落とされた彼女の姿を、アルバ公爵は、舞台の終幕を観る観客のように、心からの満足感を浮かべた笑みで、静かに見下ろしていた。
物語は、最悪の形で、一度、その幕を下ろした。
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