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天に吠える狼少女
第一章 深窓の才妃・7
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そうこうしている内に馬車は王妃の療養している屋敷に到着しようとしていた。
馬車を降り、まず目に入るのは屋敷の敷地とそれ以外を隔てる鉄格子、そしてその向こうに広がる薔薇園である。赤のみならず桃色や白の濃淡が訪れる者の目を楽しませる。手入れが行き届いているのは当然のこととして、淡い色合いの薔薇が多く咲いているためけばけばしさはまったくない。その薔薇園の奥に佇む屋敷の主の趣向なのだろう。
品種改良とラドカルミアの比較的温かな気候により、ここでは真冬以外は常に薔薇が咲き誇っている。この美しい庭園を見に、ここを訪れる者も多い。
出迎えに出てきたベテランといった風の年配の侍女に案内され、薔薇園の中へ。上品で甘い薔薇の芳香に全方位を囲まれつつも進むと、ほどなくして屋敷の門扉に辿りつく。規模はあまり大きくなく、王族の住まう家屋にしてはこじんまりとした佇まい。だが決して地味というわけではなく、注意してみればその細部に緻密な意匠が施され建築した者の技術の高さが窺える。ラドカルミアの王が過度な装飾を嫌うのは広く知られているが、その妃の住まうこの屋敷は装飾しないのではなく、目立たぬところで自然に美しさを引き出している。薔薇園の淡い色合いも屋敷との調和を意図して調整されたものだろう。
「なんか……大人な感じやなぁ……」
そんな計算された美しさも齢十四の勇者にはなんか大人な感じの一言以上でも以下でもない。まだこの小さな勇者には薔薇よりも野に咲く名もなき花の方が似合っている。
侍女に案内されるがまま、屋敷の中へ。並ぶ調度品の数々もどことなく淡い色合いが多い。その色合いのせいか、まるで絵画に描かれた幻想の世界に入り込んだかのような、どこか足元が安定せずに身体がふわふわと浮かび上がるような不思議な感覚をユウは感じた。
だがそれも一瞬、すぐにそんな感覚は露と消える。
「――警備が少ないわけだわ」
「どうした?」
独り言つセラにレイが問う。しかしセラは何も言わずに首を横に振った。
そして一同が二階の応接室へと通されると、その屋敷の女主人が出迎えた。
「ようこそ。よく来てくれましたね」
相対する者の敵意を霧散させるような優しい声色。ソファにゆったりと腰掛けた深窓の貴婦人が柔らかな微笑みを向けていた。
夫であるエルガス王は四十の始めだが、妻の彼女はまだ三十になったばかり。娘を授かった時分にはまだ二十歳にも届いていなかった。それでも王族としては遅い婚姻である。娘と同じ金を溶かしたような髪が窓辺から差し込む柔らかな陽の光を反射して煌めく。しかしその肌は日焼けを知らぬ白磁。目元がキツめの娘とは真逆に眼尻は下がりがちで、怒るところなど到底想像できないような、柔和な雰囲気を全体に纏っている。
「お母様!」
リンシアが駆け寄った。だがユウと再会した時のように抱き着いたりはしない。母の身体を気遣って娘が側にそっと寄り添うと、その頭を母が優しく撫でる。二人が並ぶと揃いの金髪碧眼もあって、血が繋がっているということがよく分かる。目元以外の顔の造形はよく似ているのだ。
「私がセルフィリア・フォン・ラドカルミア。リンシアの母です」
そういって目礼した王妃に慌ててレイは頭を垂れた。隣のセラもそれに続く。
「お目にかかれて光栄です。私は一の騎士団所属の騎士、レイ・ルーチスです」
「魔法師協会所属の戦術魔法師、セラ・リグンです」
跪く二人に王妃はゆっくりと頷いて見せる。そして視線は勇者の方へ。事前に聞いていたのか、足元のスライムに驚くこともない。
「貴女が、勇者ユウね」
「え、あ、はい!」
名前を呼ばれ、なんとなくユウは畏まった。夫のエルガス王の前に立った時にはこんなふうにならなかったというのに、だ。
決してユウがエルガス王を軽んじているわけではない。当時も今も、相変わらずユウは身分というものに無頓着だ。だが、目の前の貴婦人の碧眼に見つめられるとどうにも心の奥底まで見透かされているようで、その声は耳から身体の中心まで余すところなく浸透していくように感じられる。この人に隠し事はできない。そう直感的に分かる。その上どんな悩みでも打ち明けたくなってしまうような、海のように包容力さえ感じる。
ありていに言ってしまえば、年上の大人に対する敬意。自然と湧き上がってきたその感情にユウは従っていた。
「ずっと前からお話したかったんだけど、最近は忙しそうだったから頃合いを待っていたの。すでにいろいろと話は聞いているけれど、貴女に直接話を聞かないと分からないことも多いと思って。今日は沢山お話しましょうね」
馬車を降り、まず目に入るのは屋敷の敷地とそれ以外を隔てる鉄格子、そしてその向こうに広がる薔薇園である。赤のみならず桃色や白の濃淡が訪れる者の目を楽しませる。手入れが行き届いているのは当然のこととして、淡い色合いの薔薇が多く咲いているためけばけばしさはまったくない。その薔薇園の奥に佇む屋敷の主の趣向なのだろう。
品種改良とラドカルミアの比較的温かな気候により、ここでは真冬以外は常に薔薇が咲き誇っている。この美しい庭園を見に、ここを訪れる者も多い。
出迎えに出てきたベテランといった風の年配の侍女に案内され、薔薇園の中へ。上品で甘い薔薇の芳香に全方位を囲まれつつも進むと、ほどなくして屋敷の門扉に辿りつく。規模はあまり大きくなく、王族の住まう家屋にしてはこじんまりとした佇まい。だが決して地味というわけではなく、注意してみればその細部に緻密な意匠が施され建築した者の技術の高さが窺える。ラドカルミアの王が過度な装飾を嫌うのは広く知られているが、その妃の住まうこの屋敷は装飾しないのではなく、目立たぬところで自然に美しさを引き出している。薔薇園の淡い色合いも屋敷との調和を意図して調整されたものだろう。
「なんか……大人な感じやなぁ……」
そんな計算された美しさも齢十四の勇者にはなんか大人な感じの一言以上でも以下でもない。まだこの小さな勇者には薔薇よりも野に咲く名もなき花の方が似合っている。
侍女に案内されるがまま、屋敷の中へ。並ぶ調度品の数々もどことなく淡い色合いが多い。その色合いのせいか、まるで絵画に描かれた幻想の世界に入り込んだかのような、どこか足元が安定せずに身体がふわふわと浮かび上がるような不思議な感覚をユウは感じた。
だがそれも一瞬、すぐにそんな感覚は露と消える。
「――警備が少ないわけだわ」
「どうした?」
独り言つセラにレイが問う。しかしセラは何も言わずに首を横に振った。
そして一同が二階の応接室へと通されると、その屋敷の女主人が出迎えた。
「ようこそ。よく来てくれましたね」
相対する者の敵意を霧散させるような優しい声色。ソファにゆったりと腰掛けた深窓の貴婦人が柔らかな微笑みを向けていた。
夫であるエルガス王は四十の始めだが、妻の彼女はまだ三十になったばかり。娘を授かった時分にはまだ二十歳にも届いていなかった。それでも王族としては遅い婚姻である。娘と同じ金を溶かしたような髪が窓辺から差し込む柔らかな陽の光を反射して煌めく。しかしその肌は日焼けを知らぬ白磁。目元がキツめの娘とは真逆に眼尻は下がりがちで、怒るところなど到底想像できないような、柔和な雰囲気を全体に纏っている。
「お母様!」
リンシアが駆け寄った。だがユウと再会した時のように抱き着いたりはしない。母の身体を気遣って娘が側にそっと寄り添うと、その頭を母が優しく撫でる。二人が並ぶと揃いの金髪碧眼もあって、血が繋がっているということがよく分かる。目元以外の顔の造形はよく似ているのだ。
「私がセルフィリア・フォン・ラドカルミア。リンシアの母です」
そういって目礼した王妃に慌ててレイは頭を垂れた。隣のセラもそれに続く。
「お目にかかれて光栄です。私は一の騎士団所属の騎士、レイ・ルーチスです」
「魔法師協会所属の戦術魔法師、セラ・リグンです」
跪く二人に王妃はゆっくりと頷いて見せる。そして視線は勇者の方へ。事前に聞いていたのか、足元のスライムに驚くこともない。
「貴女が、勇者ユウね」
「え、あ、はい!」
名前を呼ばれ、なんとなくユウは畏まった。夫のエルガス王の前に立った時にはこんなふうにならなかったというのに、だ。
決してユウがエルガス王を軽んじているわけではない。当時も今も、相変わらずユウは身分というものに無頓着だ。だが、目の前の貴婦人の碧眼に見つめられるとどうにも心の奥底まで見透かされているようで、その声は耳から身体の中心まで余すところなく浸透していくように感じられる。この人に隠し事はできない。そう直感的に分かる。その上どんな悩みでも打ち明けたくなってしまうような、海のように包容力さえ感じる。
ありていに言ってしまえば、年上の大人に対する敬意。自然と湧き上がってきたその感情にユウは従っていた。
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