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天に吠える狼少女
第一章 深窓の才妃・10
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「かいみゃく?」
聞き慣れない単語にユウが聞き返す。魔法に疎いレイが知らないのは当然として、セラも聞いたことがない単語だった。
「“界脈”とは文字通り世界の脈動。世界が大きく動いた時、変化した運命が世界全体に行き渡る脈拍の余波。分かりやすく言えば、界律魔法が行使された際に発生する現象です。勇者召喚の時にも確認されていますよ」
「やっぱり……」
小さく呟いたのはセラ。ユウの力は界律魔法並みのものではないかと彼女は以前から疑っていた。
だが本当に界律魔法だと分かった衝撃は計り知れない。それは本来、準備に何年もかけ、王国屈指の魔法師が数人がかりで行使する術なのだから。
「ではやはり、スライムや小鬼族が大人しくなったのは勇者の力で間違いないわけですね。魔物、魔族を種族全体ごと大人しくする界律魔法……それを行使できるのが勇者の力……」
感極まったようにレイはそう溢した。いまだ確証のなかった希望が、眩いばかりの光を放ちだす。魔族との争いが終結し、人々が恐怖に怯えることなく生を謳歌できる、そんな夢物語のような未来への道が拓かれた。
だが、騎士であるレイ以上にそれを望んでいるはずの王妃は否定の言葉を紡いだ。
「いいえ。勇者の力が界律魔法を行使できるということは確かでしょうが、それの効力は魔族を大人しくする、といったものではないでしょう」
おそらくラドカルミアでもっとも界律魔法に詳しいであろう魔法師が続ける。
「界律魔法は運命に作用する魔法。目に見えない大いなるものに作用する力なのです。そんな目に見えた効力はありません」
だからこそ、そんな曖昧模糊としたものだからこそ、今まで乱用されることがなかったのであり、魔族がそれを用いることもない。
「運命を変える、とは言いかえるならば“可能性”を生み出す、とも言いかえる事ができます。――勇者ユウ」
不意に名を呼ばれたユウがびくんとして身構える。しかし、セルフィリアの視線はユウの顔から落ち、その膝の上へ。
いつも勇者の側にいて、決して暴れることのない彼女の異形の友人、さくらもちへと。
「貴女はそのスライムを抱いたとき、そして“勇者特区”にいる小鬼族の母と手を結んだ時、何を想いましたか?どのような“可能性”を願い、求めましたか?それを生み出す力が貴女の力なのではないかと、私は思います」
ユウも視線を落してさくらもちを見やった。相変わらずその友人は時折プルプルと震えるだけで何も語らない。語る術を持たない。
最初は、生き物への慈愛以上の感情はなかった。生きていると思ったから、死んでほしくなった。だが今は違う。この薄桃色の中には確かな意思があるとユウは確信している。言葉も多少は理解しているのではないかと思っている。ユウがさくらもちへ抱いている感情はもはや慈愛ではなく愛情であり親愛だ。
湖のスライム達がセラの魔法によって駆除されようとしている時、ユウは嘆いた。命を奪う以外の方法はないのかと、人間とスライムが仲良く生きていける方法はないのだろうかと探し求めた。
そう、ユウは仲良くしたかったのだ。それこそが善いことだと信じているから。
であるならば、あの時、ユウが願った可能性は――
その時、控えめに扉がノックされると年配の侍女がしずしずと入室し、セルフィリアに耳打ちした。
一つ頷いたセルフィリアがユウ達に向き直る。
「今日は招きに応じてくれてありがとう。とても興味深い話を聞けたわ。でももうお開きね。屋敷に籠っていても、公務は隙間風のように忍び寄ってくるの。リンシア」
と、母が隣の娘を見やると、金髪が同じテンポで前後に揺れていた。退屈で舟を漕いでいるようだ。
「え、あ、寝てないわよ?」
名前を呼ばれたことで覚醒したのか、慌てて取り繕うが母は苦笑しつつ窘める。
「いけませんよ。王族である以上、上辺だけで何も心の籠っていない賛辞を何時間も聴かされることもあります。そういう時、今のように舟を漕いでいては相手の心象を悪くしますよ。……それはともかく、今日はもう貴女の友達は返します。好きに遊ぶといいでしょう。それと、せっかくだから今日は泊まっていきなさい。久しぶりに貴女の寝顔を見せてちょうだい。もちろん友達もね」
そう言ってユウに微笑みかけるセルフィリアは、深窓の才妃という仰々しい肩書きなどない、初めて娘が友達を家に連れてきたことを喜ぶ母親以上の何者でもなかった。
聞き慣れない単語にユウが聞き返す。魔法に疎いレイが知らないのは当然として、セラも聞いたことがない単語だった。
「“界脈”とは文字通り世界の脈動。世界が大きく動いた時、変化した運命が世界全体に行き渡る脈拍の余波。分かりやすく言えば、界律魔法が行使された際に発生する現象です。勇者召喚の時にも確認されていますよ」
「やっぱり……」
小さく呟いたのはセラ。ユウの力は界律魔法並みのものではないかと彼女は以前から疑っていた。
だが本当に界律魔法だと分かった衝撃は計り知れない。それは本来、準備に何年もかけ、王国屈指の魔法師が数人がかりで行使する術なのだから。
「ではやはり、スライムや小鬼族が大人しくなったのは勇者の力で間違いないわけですね。魔物、魔族を種族全体ごと大人しくする界律魔法……それを行使できるのが勇者の力……」
感極まったようにレイはそう溢した。いまだ確証のなかった希望が、眩いばかりの光を放ちだす。魔族との争いが終結し、人々が恐怖に怯えることなく生を謳歌できる、そんな夢物語のような未来への道が拓かれた。
だが、騎士であるレイ以上にそれを望んでいるはずの王妃は否定の言葉を紡いだ。
「いいえ。勇者の力が界律魔法を行使できるということは確かでしょうが、それの効力は魔族を大人しくする、といったものではないでしょう」
おそらくラドカルミアでもっとも界律魔法に詳しいであろう魔法師が続ける。
「界律魔法は運命に作用する魔法。目に見えない大いなるものに作用する力なのです。そんな目に見えた効力はありません」
だからこそ、そんな曖昧模糊としたものだからこそ、今まで乱用されることがなかったのであり、魔族がそれを用いることもない。
「運命を変える、とは言いかえるならば“可能性”を生み出す、とも言いかえる事ができます。――勇者ユウ」
不意に名を呼ばれたユウがびくんとして身構える。しかし、セルフィリアの視線はユウの顔から落ち、その膝の上へ。
いつも勇者の側にいて、決して暴れることのない彼女の異形の友人、さくらもちへと。
「貴女はそのスライムを抱いたとき、そして“勇者特区”にいる小鬼族の母と手を結んだ時、何を想いましたか?どのような“可能性”を願い、求めましたか?それを生み出す力が貴女の力なのではないかと、私は思います」
ユウも視線を落してさくらもちを見やった。相変わらずその友人は時折プルプルと震えるだけで何も語らない。語る術を持たない。
最初は、生き物への慈愛以上の感情はなかった。生きていると思ったから、死んでほしくなった。だが今は違う。この薄桃色の中には確かな意思があるとユウは確信している。言葉も多少は理解しているのではないかと思っている。ユウがさくらもちへ抱いている感情はもはや慈愛ではなく愛情であり親愛だ。
湖のスライム達がセラの魔法によって駆除されようとしている時、ユウは嘆いた。命を奪う以外の方法はないのかと、人間とスライムが仲良く生きていける方法はないのだろうかと探し求めた。
そう、ユウは仲良くしたかったのだ。それこそが善いことだと信じているから。
であるならば、あの時、ユウが願った可能性は――
その時、控えめに扉がノックされると年配の侍女がしずしずと入室し、セルフィリアに耳打ちした。
一つ頷いたセルフィリアがユウ達に向き直る。
「今日は招きに応じてくれてありがとう。とても興味深い話を聞けたわ。でももうお開きね。屋敷に籠っていても、公務は隙間風のように忍び寄ってくるの。リンシア」
と、母が隣の娘を見やると、金髪が同じテンポで前後に揺れていた。退屈で舟を漕いでいるようだ。
「え、あ、寝てないわよ?」
名前を呼ばれたことで覚醒したのか、慌てて取り繕うが母は苦笑しつつ窘める。
「いけませんよ。王族である以上、上辺だけで何も心の籠っていない賛辞を何時間も聴かされることもあります。そういう時、今のように舟を漕いでいては相手の心象を悪くしますよ。……それはともかく、今日はもう貴女の友達は返します。好きに遊ぶといいでしょう。それと、せっかくだから今日は泊まっていきなさい。久しぶりに貴女の寝顔を見せてちょうだい。もちろん友達もね」
そう言ってユウに微笑みかけるセルフィリアは、深窓の才妃という仰々しい肩書きなどない、初めて娘が友達を家に連れてきたことを喜ぶ母親以上の何者でもなかった。
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