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天に吠える狼少女
第四章 招かれざる者・9
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「―――――」
ディナがそれを考えている暇はなかった。ラチラサが圧縮言語による詠唱を開始したのだ。
今魔法を撃たれれば回避できない。受けるしかない。練魔行で防御できるのは一カ所のみ。どこを守るべきか。即死を免れるために首?いや、それ以外が全て切り刻まれれば結果は同じ。
防げない――
ディナが死を覚悟した瞬間、すぐ背後から裂帛の気合いが迸った。
「グルアアアアアッ!!」
聴く者の精神を根本から揺るがすようなおぞましい咆哮。ディナのそれを上回る練魔行の筋力強化によって黒い閃光と化した狼人族が音に迫る速度で娘の横を奔り抜けた。
未だ残る魔力の壁をその速度と巨体で粉砕、生きるため、そして護るためにしか振るわれない黒い剛腕が、絶対的上位存在であるはずの長指族の胸部を刈り取った。
「――ッ!?」
不意に凄まじい衝撃を受けた華奢な身体が盛大に吹っ飛んだ。そのまま後方の木々に激突、意識が途切れる。が、胸と背中を襲う激痛に無理矢理現実に引き戻された。
「あ、グァ……!?」
木に背中を預けるようにずるずると座り込む。激突の瞬間に肺の中の空気が全て外に出てしまい、新たな酸素を求めて口を開くが上手く呼吸ができない。吐き出す空気もないのに咳き込むと空気の代わりに赤黒い血が口腔に溢れた。身体は動く、背骨は折れていない。が、肋骨が何本か折れているようだ。身じろぎする度に激痛が走る。吹っ飛んでいる最中に背中から魔力を放出して激突の衝撃を和らげていたからこの程度で済んだ。
「なぜ、動け……まさか……!」
口の端から紅い筋を流しながら、ラチラサの瞳が見開かれる。
「まさか、狼人族がこれほどまで愚かな種族だったとは……!せいぜい人間共に尻尾を振って、滅びへの道を歩むがいい……!」
ラチラサが小さく呪文を呟く。次の瞬間にはその身体がすぅっと空気に溶けるように姿が消えた。
「……匂いが遠ざかっていく。立ち去ったか」
その言葉を聞いた瞬間、ふっとシェサの意識が途切れた。張りつめていた緊張の糸が切れたのだ。その小さな身体をテヴォの大きな身体が優しく抱き留めた。
「は、はは!なんだよ親父!心配させやがって!ぴんぴんしてんじゃねぇか!」
そう気安く言うが、ディナの表情は嬉しいやら安堵したやらで泣き笑いだ。実際のところ、不安で不安で仕方なかったのだ。
シェサを早く助けねばという焦燥、父親が死んでしまうのではないという恐怖。それらから解放された今、早く父の胸に飛び込んでその温もりを肌で感じたかった。
「――ディナ」
だが、抱きしめられるほど近くへやってきた娘を父が抱きしめようとはしなかった。
「シェサ連れて、こっから離れろ」
「は?」
テヴォの言葉に意味が分からないとディナは首を傾げた。もう危険は去ったのだ。この場を離れる必要などどこにあるのか。
「早く、しろ……!」
何かを堪えるように小刻みに震えだすテヴォ。その切羽詰まった声色にますます訳が分からずディナはその顔を覗き込む。
「親父……?」
すぐ側にやってきたディナにテヴォは強引に気を失っているシェサを押し付けた。
荒い呼吸がかかるまで近づいたディナは、ようやっと、気付く。
「――親父、怪我、どこだ……?」
その黒い毛皮には紅い鮮血がまとわりついている。が、あれほど激しく動いたというのに新しい血潮が流れている様子がない。何より、毛の薄い箇所に見えていたはずの傷口が、ない。
「に……逃げろォ!ディナア、あ、あ!?」
血走った眼で痙攣する父のただならぬ様子に、娘は一つ思い至る。
それは、練魔行を教わっている時に耳にタコができるほど聞かされた話。絶対に犯してはならないと嫌という程教えられた禁忌。
「親父、親父まさか!?」
――まさか、狼人族がこれほどまで愚かな種族だったとは……!
先ほど長指族が言った言葉は、このことを言っていたのだ。なぜならそれは、魔力を扱う者にとって何よりも恐れるべき越えてはならない境界線を示しているからだ。
「ガあぁあアアぁアアァアあアあアッ!?」
テヴォが天に向かって絶叫した。まるで、神を冒涜するかのように。
ボコリ、と。
テヴォの腕の一部が盛り上がり、そして、破裂した。
ディナがそれを考えている暇はなかった。ラチラサが圧縮言語による詠唱を開始したのだ。
今魔法を撃たれれば回避できない。受けるしかない。練魔行で防御できるのは一カ所のみ。どこを守るべきか。即死を免れるために首?いや、それ以外が全て切り刻まれれば結果は同じ。
防げない――
ディナが死を覚悟した瞬間、すぐ背後から裂帛の気合いが迸った。
「グルアアアアアッ!!」
聴く者の精神を根本から揺るがすようなおぞましい咆哮。ディナのそれを上回る練魔行の筋力強化によって黒い閃光と化した狼人族が音に迫る速度で娘の横を奔り抜けた。
未だ残る魔力の壁をその速度と巨体で粉砕、生きるため、そして護るためにしか振るわれない黒い剛腕が、絶対的上位存在であるはずの長指族の胸部を刈り取った。
「――ッ!?」
不意に凄まじい衝撃を受けた華奢な身体が盛大に吹っ飛んだ。そのまま後方の木々に激突、意識が途切れる。が、胸と背中を襲う激痛に無理矢理現実に引き戻された。
「あ、グァ……!?」
木に背中を預けるようにずるずると座り込む。激突の瞬間に肺の中の空気が全て外に出てしまい、新たな酸素を求めて口を開くが上手く呼吸ができない。吐き出す空気もないのに咳き込むと空気の代わりに赤黒い血が口腔に溢れた。身体は動く、背骨は折れていない。が、肋骨が何本か折れているようだ。身じろぎする度に激痛が走る。吹っ飛んでいる最中に背中から魔力を放出して激突の衝撃を和らげていたからこの程度で済んだ。
「なぜ、動け……まさか……!」
口の端から紅い筋を流しながら、ラチラサの瞳が見開かれる。
「まさか、狼人族がこれほどまで愚かな種族だったとは……!せいぜい人間共に尻尾を振って、滅びへの道を歩むがいい……!」
ラチラサが小さく呪文を呟く。次の瞬間にはその身体がすぅっと空気に溶けるように姿が消えた。
「……匂いが遠ざかっていく。立ち去ったか」
その言葉を聞いた瞬間、ふっとシェサの意識が途切れた。張りつめていた緊張の糸が切れたのだ。その小さな身体をテヴォの大きな身体が優しく抱き留めた。
「は、はは!なんだよ親父!心配させやがって!ぴんぴんしてんじゃねぇか!」
そう気安く言うが、ディナの表情は嬉しいやら安堵したやらで泣き笑いだ。実際のところ、不安で不安で仕方なかったのだ。
シェサを早く助けねばという焦燥、父親が死んでしまうのではないという恐怖。それらから解放された今、早く父の胸に飛び込んでその温もりを肌で感じたかった。
「――ディナ」
だが、抱きしめられるほど近くへやってきた娘を父が抱きしめようとはしなかった。
「シェサ連れて、こっから離れろ」
「は?」
テヴォの言葉に意味が分からないとディナは首を傾げた。もう危険は去ったのだ。この場を離れる必要などどこにあるのか。
「早く、しろ……!」
何かを堪えるように小刻みに震えだすテヴォ。その切羽詰まった声色にますます訳が分からずディナはその顔を覗き込む。
「親父……?」
すぐ側にやってきたディナにテヴォは強引に気を失っているシェサを押し付けた。
荒い呼吸がかかるまで近づいたディナは、ようやっと、気付く。
「――親父、怪我、どこだ……?」
その黒い毛皮には紅い鮮血がまとわりついている。が、あれほど激しく動いたというのに新しい血潮が流れている様子がない。何より、毛の薄い箇所に見えていたはずの傷口が、ない。
「に……逃げろォ!ディナア、あ、あ!?」
血走った眼で痙攣する父のただならぬ様子に、娘は一つ思い至る。
それは、練魔行を教わっている時に耳にタコができるほど聞かされた話。絶対に犯してはならないと嫌という程教えられた禁忌。
「親父、親父まさか!?」
――まさか、狼人族がこれほどまで愚かな種族だったとは……!
先ほど長指族が言った言葉は、このことを言っていたのだ。なぜならそれは、魔力を扱う者にとって何よりも恐れるべき越えてはならない境界線を示しているからだ。
「ガあぁあアアぁアアァアあアあアッ!?」
テヴォが天に向かって絶叫した。まるで、神を冒涜するかのように。
ボコリ、と。
テヴォの腕の一部が盛り上がり、そして、破裂した。
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