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1.敏腕悪女は2回目の婚約も失敗した
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「だから悪女だなんて言われるんですよ!?」
本来は婚約破棄なんてされたらメソメソ泣いているか喚いているか。とにかくお嬢様の心など晴れたものではない。面目は丸潰れであるし、行く先が不安で気を揉む。しかしながら、数刻前に婚約破棄されたお嬢さまの部屋ではかれこれ1時間ほど使用人のお説教が響き渡っていた。当人は平然とした面持ちでその説教を聞いている。
『本当に悪女』にえらく引っかかった鏡花は、帰り際に男性の使用人を1人とっ捕まえて言葉の真相を聞きだした。その使用人は鏡花の気迫にびくびくしながら――少し嬉しそうにもしながら――鏡花が性悪の悪女であるという噂を優雅が真に受けていたと話した。その噂は以前から鏡花の耳にも届いてはいた。しかし対話術にちょっとばかり長けていて、値切るのが上手くて、ほんのすこーし、守銭奴であることに尾ひれがついているだけなのだ。まさか5年以上婚約していた婚約者がそんな噂を真に受けているとは。
「かよ。でもね、私がその着物を着るのはなめられないようにだといつも言っているでしょう?」
「うう、そうはおっしゃいますが……」
かよは長年鏡花のお世話をしてくれている使用人だ。鏡花とは使用人の枠を超えた友人である。そんなかよが先ほどから「これが婚約破棄されてしまった原因なのでは」と見せているのは深紅の着物。いわゆる勝負服である。
経営をする以上、相手と接する機会が必ずある。しかしまだ女性がバリバリ働くのはあまり理解されない。よって必要以上にモダンな女性で攻め入らなければならない。なめられないようにだ。
かよが持っている深紅の着物は最近のお気に入りだ。大きな花柄がモダンだ。ここにぴしっと白色の帯を合わせる。さらに黒色の飾り紐やレース手袋、パンプスなどを揃えると一気に引き締まる。強そうな女の完成だ。たしかにこの見た目が悪女要素を増長させていると言われれば、まあそうかもしれないけれど。
「ですが、優雅さまと会うときはこれに似たお着物を着ているではないですか! それって優雅さまにはお嬢さまの素を見せていないということですよね!」
「だって彼とは仕事のパートナーであって、それ以上でも以下でもなかったから……仕事のパートナーというのも微妙だけれどね」
「もう! 優雅さまがお可哀想!」
ツンと顔を背けた鏡花にかよはわざとらしく泣いてみせる。実際かよが優雅を可哀想と思っているかは定かではないが、雰囲気的にはおふざけである。鏡花もそれが分かっていて「ええ、あんな男こっちから願い下げよ」と噂通りの悪女っぷりの笑みを浮かべてみせた。
「でも、お嬢さまがお家ではこんな可愛い袴姿で過ごしていることも、実は乙女なことも、素敵なものに目がないことも知らないなんて、損な方ですね」
「……彼も私には興味なかっただろうし、いいんじゃない?」
鏡花が自分の藍紫の袴に視線を落とすと、かよは小さく溜息をついた。
鏡花は実際噂とは打って違って乙女なのだ。部屋もおしゃれにまとめてはあるがくまのぬいぐるみやピンクの小物が置いてあったりする。しかし鏡花はそれをあまり知られたくはないようだった。優雅が白羽家を訪れたときもぬいぐるみは仕舞い込んでいたくらいだ。
「はあ、そんな可愛らしいお嬢さまが今から旦那さまに怒られてへちょへちょになるなんて……」
「…………要件はなるべく早く伝えなさいよ」
鏡花はじとりとかよを見る。おそらく鏡花を呼んでくるよう言われたことをすっかり忘れていたのだろう。ぺろっと舌を出したかよを横目に鏡花は部屋を出たのだった。
静まった部屋に父と向かい合わせに座る。数刻前のデジャブのようだわ、と鏡花は乾いた笑みを浮かべる。表情からして父は怒っているわけではなさそうだった。鏡花がけろっとしていたのは父が婚約が破談になったところで怒るような人間ではないことが分かっていたからだ。
「ずいぶんとその、けろっとしてるな」
「ええ、だって好きじゃなかったもの。それに交易ルートはもう手に入れたんだから婚約している必要なんてなかったでしょう? それに、家同士の婚約を勝手に破棄してきたのはあちら。私には何の落ち度もないわ」
「そうだが……もうちょっと落ち込んでいてもいいんじゃないか」
鏡花は父の言うことが理解できず首を傾げた。婚約が無しになったことをどう悲しめというのだろう。白羽家は婚約が破談になったところで落ちぶれるような家ではない。よって鏡花は行く先を案じる必要がなかった。
もともと優雅とは城森家が保有する交易ルートを白羽家が得るための政略結婚だ。向こうから婚約破棄したとなれば無理に白羽家に返還を要求してくることもないだろう。それに帝都有数の商家である白羽家との縁談が無しになったことに打撃を食らうのは城森家の方だ。へちょへちょに怒られているのは優雅の方。しかも白羽家の損失はほぼゼロなのだから。父がわざとらしい大きな溜息をつくのを見て鏡花は顔をしかめる。
「私は娘のお前が心配なんだよ。早く嫁に行って幸せになってほしい……孫も見たいし」
「お父さまには優雅さんとの婚約が私にとって幸せである、とそう思っていたのね?」
「…………そう言われると微妙だな」
父が考えるように腕を組んだ。それを見て今このタイミングなら、と鏡花はかねてより考えていたことを口に出そうとする――が。父の動きの方が一足早かった。突如机の上に並べられた写真たちが縁談用のものであることに気がつくと鏡花は露骨に顔を歪めた。
「そう嫌がるな。鏡花には嫁いで早く幸せになってもらいたいんだ」
「でも……!」
「白羽家を継ぐのは兄の深月なのだから。もちろん鏡花の腕の良さは認めているよ」
父に褒められると、なんだか強く出れなくなってしまう。おそらく本当に娘の幸せを願っての行動なのだろう。この際相手は誰でもいいから、というように写真に映る男性たちを紹介し始める。婚約破棄されて数時間でもうこれだけの縁談の数。気が滅入りそうな鏡花だったが、それだけ白羽家は周囲に与える影響が大きい家なのである。
おまけに鏡花はものすごい美人だ。本人があまり気にしていないだけなのだ。悪女の噂が出回っているのも鏡花にすごまれるのは迫力があるからなのだろう。強いて残念な点を上げるとすれば背が低いことくらいだろうか。おかげさまで鏡花は高いヒールのある靴が手放せない。
鏡花は仕方なしに写真に目を向ける。どれも太眉でやたらとキリッとした目つきの男たちばかり。軍上がりの者もいれば、同じような商家の息子もいる。興味はそそられない。その中で唯一、目を引く写真があった。モノトーンでも分かる整った顔立ち。肌はおそらく真っ白なのだろう。ほりが深いのか、眉下には影が落ちている。
「この方は?」
「その方は碧澄家の次期当主だよ。彼、なかなかいい男だろう」
「ええ。お父さま、私この方に致しますわ」
「おお、よしよし……可愛い孫が生まれるだろうな」
さっそく取り決めようとテキパキ動き出した父をにこにこ見守りながら鏡花はもう一度写真に視線を落とした。
碧澄家は最近めきめきと成長している宝石商である。そして鏡花がこの家を選んだのにはわけがある。
それは――百貨店を開くという夢があるから。
白羽家は父の言う通り兄の深月が継ぐことになっている。最初は鏡花も悔しがったが兄もなかなかに優秀なのである。そこで思いついたのが百貨店を開くこと。白羽家はさまざまな家との繋がりがある。和菓子職人や、高級呉服屋など。しかしどうしても宝石商との繋がりだけが持てなかった。百貨店に宝石を使ったアクセサリーは必須。さらに鏡花はアクセサリーが大好きなのだ。
それもこれも宝石商である碧澄家の次期当主と婚約すれば、叶う。
***
……そんな欲でいっぱいだったからだろうか。
まさか2回目の婚約相手も失敗するとは思わなかった。
「今、なんて?」
聞き返したのはまだ彼の澄ました表情とその口から飛び出た言葉よりも自分の耳を疑いたかったからだ。彼は溜息を小さくつくと「今度は理解してくれ」と言わんばかりにもう一度、しかも今度ははっきりと「貴女には」と強調して告げた。
「俺の宝石たちとの時間を邪魔しないでいただきたい」
今度こそ聞き間違いではない。鏡花は理解できない言葉にフリーズしてしまったのだった。
本来は婚約破棄なんてされたらメソメソ泣いているか喚いているか。とにかくお嬢様の心など晴れたものではない。面目は丸潰れであるし、行く先が不安で気を揉む。しかしながら、数刻前に婚約破棄されたお嬢さまの部屋ではかれこれ1時間ほど使用人のお説教が響き渡っていた。当人は平然とした面持ちでその説教を聞いている。
『本当に悪女』にえらく引っかかった鏡花は、帰り際に男性の使用人を1人とっ捕まえて言葉の真相を聞きだした。その使用人は鏡花の気迫にびくびくしながら――少し嬉しそうにもしながら――鏡花が性悪の悪女であるという噂を優雅が真に受けていたと話した。その噂は以前から鏡花の耳にも届いてはいた。しかし対話術にちょっとばかり長けていて、値切るのが上手くて、ほんのすこーし、守銭奴であることに尾ひれがついているだけなのだ。まさか5年以上婚約していた婚約者がそんな噂を真に受けているとは。
「かよ。でもね、私がその着物を着るのはなめられないようにだといつも言っているでしょう?」
「うう、そうはおっしゃいますが……」
かよは長年鏡花のお世話をしてくれている使用人だ。鏡花とは使用人の枠を超えた友人である。そんなかよが先ほどから「これが婚約破棄されてしまった原因なのでは」と見せているのは深紅の着物。いわゆる勝負服である。
経営をする以上、相手と接する機会が必ずある。しかしまだ女性がバリバリ働くのはあまり理解されない。よって必要以上にモダンな女性で攻め入らなければならない。なめられないようにだ。
かよが持っている深紅の着物は最近のお気に入りだ。大きな花柄がモダンだ。ここにぴしっと白色の帯を合わせる。さらに黒色の飾り紐やレース手袋、パンプスなどを揃えると一気に引き締まる。強そうな女の完成だ。たしかにこの見た目が悪女要素を増長させていると言われれば、まあそうかもしれないけれど。
「ですが、優雅さまと会うときはこれに似たお着物を着ているではないですか! それって優雅さまにはお嬢さまの素を見せていないということですよね!」
「だって彼とは仕事のパートナーであって、それ以上でも以下でもなかったから……仕事のパートナーというのも微妙だけれどね」
「もう! 優雅さまがお可哀想!」
ツンと顔を背けた鏡花にかよはわざとらしく泣いてみせる。実際かよが優雅を可哀想と思っているかは定かではないが、雰囲気的にはおふざけである。鏡花もそれが分かっていて「ええ、あんな男こっちから願い下げよ」と噂通りの悪女っぷりの笑みを浮かべてみせた。
「でも、お嬢さまがお家ではこんな可愛い袴姿で過ごしていることも、実は乙女なことも、素敵なものに目がないことも知らないなんて、損な方ですね」
「……彼も私には興味なかっただろうし、いいんじゃない?」
鏡花が自分の藍紫の袴に視線を落とすと、かよは小さく溜息をついた。
鏡花は実際噂とは打って違って乙女なのだ。部屋もおしゃれにまとめてはあるがくまのぬいぐるみやピンクの小物が置いてあったりする。しかし鏡花はそれをあまり知られたくはないようだった。優雅が白羽家を訪れたときもぬいぐるみは仕舞い込んでいたくらいだ。
「はあ、そんな可愛らしいお嬢さまが今から旦那さまに怒られてへちょへちょになるなんて……」
「…………要件はなるべく早く伝えなさいよ」
鏡花はじとりとかよを見る。おそらく鏡花を呼んでくるよう言われたことをすっかり忘れていたのだろう。ぺろっと舌を出したかよを横目に鏡花は部屋を出たのだった。
静まった部屋に父と向かい合わせに座る。数刻前のデジャブのようだわ、と鏡花は乾いた笑みを浮かべる。表情からして父は怒っているわけではなさそうだった。鏡花がけろっとしていたのは父が婚約が破談になったところで怒るような人間ではないことが分かっていたからだ。
「ずいぶんとその、けろっとしてるな」
「ええ、だって好きじゃなかったもの。それに交易ルートはもう手に入れたんだから婚約している必要なんてなかったでしょう? それに、家同士の婚約を勝手に破棄してきたのはあちら。私には何の落ち度もないわ」
「そうだが……もうちょっと落ち込んでいてもいいんじゃないか」
鏡花は父の言うことが理解できず首を傾げた。婚約が無しになったことをどう悲しめというのだろう。白羽家は婚約が破談になったところで落ちぶれるような家ではない。よって鏡花は行く先を案じる必要がなかった。
もともと優雅とは城森家が保有する交易ルートを白羽家が得るための政略結婚だ。向こうから婚約破棄したとなれば無理に白羽家に返還を要求してくることもないだろう。それに帝都有数の商家である白羽家との縁談が無しになったことに打撃を食らうのは城森家の方だ。へちょへちょに怒られているのは優雅の方。しかも白羽家の損失はほぼゼロなのだから。父がわざとらしい大きな溜息をつくのを見て鏡花は顔をしかめる。
「私は娘のお前が心配なんだよ。早く嫁に行って幸せになってほしい……孫も見たいし」
「お父さまには優雅さんとの婚約が私にとって幸せである、とそう思っていたのね?」
「…………そう言われると微妙だな」
父が考えるように腕を組んだ。それを見て今このタイミングなら、と鏡花はかねてより考えていたことを口に出そうとする――が。父の動きの方が一足早かった。突如机の上に並べられた写真たちが縁談用のものであることに気がつくと鏡花は露骨に顔を歪めた。
「そう嫌がるな。鏡花には嫁いで早く幸せになってもらいたいんだ」
「でも……!」
「白羽家を継ぐのは兄の深月なのだから。もちろん鏡花の腕の良さは認めているよ」
父に褒められると、なんだか強く出れなくなってしまう。おそらく本当に娘の幸せを願っての行動なのだろう。この際相手は誰でもいいから、というように写真に映る男性たちを紹介し始める。婚約破棄されて数時間でもうこれだけの縁談の数。気が滅入りそうな鏡花だったが、それだけ白羽家は周囲に与える影響が大きい家なのである。
おまけに鏡花はものすごい美人だ。本人があまり気にしていないだけなのだ。悪女の噂が出回っているのも鏡花にすごまれるのは迫力があるからなのだろう。強いて残念な点を上げるとすれば背が低いことくらいだろうか。おかげさまで鏡花は高いヒールのある靴が手放せない。
鏡花は仕方なしに写真に目を向ける。どれも太眉でやたらとキリッとした目つきの男たちばかり。軍上がりの者もいれば、同じような商家の息子もいる。興味はそそられない。その中で唯一、目を引く写真があった。モノトーンでも分かる整った顔立ち。肌はおそらく真っ白なのだろう。ほりが深いのか、眉下には影が落ちている。
「この方は?」
「その方は碧澄家の次期当主だよ。彼、なかなかいい男だろう」
「ええ。お父さま、私この方に致しますわ」
「おお、よしよし……可愛い孫が生まれるだろうな」
さっそく取り決めようとテキパキ動き出した父をにこにこ見守りながら鏡花はもう一度写真に視線を落とした。
碧澄家は最近めきめきと成長している宝石商である。そして鏡花がこの家を選んだのにはわけがある。
それは――百貨店を開くという夢があるから。
白羽家は父の言う通り兄の深月が継ぐことになっている。最初は鏡花も悔しがったが兄もなかなかに優秀なのである。そこで思いついたのが百貨店を開くこと。白羽家はさまざまな家との繋がりがある。和菓子職人や、高級呉服屋など。しかしどうしても宝石商との繋がりだけが持てなかった。百貨店に宝石を使ったアクセサリーは必須。さらに鏡花はアクセサリーが大好きなのだ。
それもこれも宝石商である碧澄家の次期当主と婚約すれば、叶う。
***
……そんな欲でいっぱいだったからだろうか。
まさか2回目の婚約相手も失敗するとは思わなかった。
「今、なんて?」
聞き返したのはまだ彼の澄ました表情とその口から飛び出た言葉よりも自分の耳を疑いたかったからだ。彼は溜息を小さくつくと「今度は理解してくれ」と言わんばかりにもう一度、しかも今度ははっきりと「貴女には」と強調して告げた。
「俺の宝石たちとの時間を邪魔しないでいただきたい」
今度こそ聞き間違いではない。鏡花は理解できない言葉にフリーズしてしまったのだった。
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