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1滴の泥を落とされた楽園であっても

異変の序章

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「名乗るのが遅れたな、私はマキーリュイ。その辺でブラブラしてたら事件の解決を任されることになったただの兵士だ」

 現場へと向かいながらトレイルの師匠は簡素な自己紹介を済ませる。

「え…っ?」

「師匠…?」

 二人は最初、張り過ぎる気を緩ませる冗談か何かを言ったのだと思った。

「今必要な情報だ。つまり、あまり戦闘の指揮には期待するな。危ないと感じたら逃げるか防御に徹してくれ…。特にキスア」

「は、はい…!」

 変わった自己紹介は戦闘に必要な情報を端的に伝えただけであった。そしてそれは戦闘に対する二人の認識の相違を浮き彫りにし、マキーリュイはそれに気がついた。

「戦闘になる。始まってから武器を用意する暇はない…今のうちに用意しておけ。トレイルも、どのような相手が来ても対応できるよう、いくらか戦闘の予測をしておけ。今のお前に必要なことだ」

「了解ス!」

 戦闘に対する二人の考え方の違いは、マキーリュイの言葉を聞くたびに正され、覚悟を改めさせていった。


 キスアは髪を数本抜き、右手全体をその髪を押し当てながら撫でる。青白い光を腕に纏い、籠手型の武装を装着した状態で出現させる。

 そして懐から小瓶を取り出し、中にある球体を籠手の穴へ装填する。

 トレイルは手足に魔力を込めて力と速さを高め、いつでも抜刀と回避を行えるようにし、ついでに腰に携えた剣にも魔力を込めた。

 指示通りに、戦闘をする準備は万端だ。


「あの、現場の状況は…」

 緊張の面持ちのキスアが右に、やる気に満ちた表情をするトレイルが左に、マキーリュイを挟むように並んで歩く。

「…報告では見慣れない獣が突如クランカ通りに現れ、何名か民間人が負傷したようだ。近くにいた衛兵が対応した際に同士討ちが発生し、混乱が起きている。たまたま近くにいた人形の魔女が対処しようとしたようだが…そちらも突然衛兵に攻撃を仕掛け始め、より混沌を極める事態になっているようだ」

「それって…」

 嫌な予感を感じ、キスアはそれ以上言葉に出せなくなった。

「報告から読み取れることは、その獣の外見は未だわかっていないということ。それから同士討ちが発生したことから精神系の魔術、あるいは認識を歪めるなんらかの攻撃が考えられること。そして、厄介なことに人形の魔女がその影響を受けてしまっていることだ」

「そんな獣…今まで聞いたこともないっスよ」

「私の見聞きした中でもそのような事例は出たことがない…。だが、その情報に似た話を見たことはある…」

「それって…もしかしてあの本の…」

「……偶然一致した特徴なだけかもしれん。状況なだけに報告の情報に誤りがあるとも限らん」

「…」

「キスアさんも師匠も、何の話っスか…」

「―――単なるお伽噺。あるいは歴史にあった出来事を誇張した物語。いずれにせよ、空想の伝説を描いたと言われる本。『出ズル神ノ崩壊譚』に現れた獣、アカラ・ルラクルタというものに、性質が似ているという話だ」

 一人話についていけず拗ね始めるトレイルを横目に一瞥、表情を崩さずマキーリュイは口を開く。

 内心はトレイルの頭をポンポンと撫でたいところであったが、場と状況は弁えなければならない。武器を持ち現場へ赴くということはつまり、死地へ向かい、危険に自ら身を置くということなのだから。

 顔の緩みは心の緩み…緊張を失えば傷つくことになるだけでは済まない。


「お伽噺の…」

「杞憂であればいいがな」

(誤報であってほしいものだ…)ため息をつきそんな事を考え、マキーリュイはしかし、そんなことは無いだろうとかぶりを振って考えを消そうとしたが、仮にもその予感が的中した場合を想定しておく必要もあると、頭の片隅に可能性を残した。

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 現場に近づくにつれ、人通りが少なくなり、静けさが辺りを漂い始めた。

「こんな明るい昼間なのに人が少ないと、不気味じゃないスか…?」
  
 報告の内容と違うこの異様な雰囲気に耐えきれず、トレイルが話を振った。

「おかしい……先に向かっている衛兵がこの辺りにいる筈…誰もいないどころか、戦闘の痕跡すら見当たらん…」

 しかしトレイルの救いを求める声は、疑問を呟くマキーリュイには届かず、キスアも、アカラ・ルラクルタの話が出て以降何かを考えているようで反応は無かった。

「あ~もう~こう言うの~…苦手だよ~…」

 どうしようもない不安な気持ちを誰とも分かち合えず、ただただトレイルは唸りながら、横に並んでいた筈が、いつの間にかキスアとマキーリュイを前にして後ろを着いて歩いていた。

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 しばらく歩き続け、報告にあった現場へと着いたが、そこは何ら変わりのない通りの只中であった。

 ただ一点、三人以外誰ひとり居ないことを除いては。






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