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第54話 教会の囁き ― 噂の拡散
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教会の囁き ― 噂の拡散
数日後。
王都の広場を歩けば、誰もが口にする名前があった。
――ローゼ嬢。
第二王子エリオット殿下の婚約者として正式に発表されたばかりの彼女は、まるで舞台に立つ女優のように注目を集めていた。
だが、人々の口からこぼれる言葉は称賛ばかりではない。
むしろ、毒を含んだ噂が次第に広がりつつあった。
「聞いた? ローゼ様って、本当は殿下の気持ちを無理やり縛ったらしいわ」
「ええ、しかも――殿下は聖女様のことを想っていたんですって」
「かわいそうに、殿下……」
その根源にいたのは、教会の小さな集会室だった。
エリシアはそこで信徒たちに囲まれていた。
彼女は白衣の裾を握りしめ、まっすぐな瞳で語る。
「わたしは……知っているのです。殿下は本当は、教会に心を寄せてくださっていました。清らかで、互いに祈りを重ねる関係を望んでくださっていたのです」
信徒たちは目を輝かせ、口々にささやいた。
「まあ……」「やはりそうだったのね」
「けれど……ローゼ様がそれを阻んでしまったのです。殿下のお心を、自分のために縛りつけてしまった……。本当に、それが許されてよいのでしょうか?」
その声には涙ぐむような響きがあった。
純粋で、疑う余地がないように聞こえる。
信徒の一人が感極まって言葉を投げた。
「第一聖女様……。わたしたちは、あなたを信じます」
エリシアは小さくうなずき、祈りの姿勢を取った。
だが、集会室の奥で壁にもたれかかっているセミーナは、目を細めて笑っていた。
その夜、教会の中庭。
月明かりの下、セミーナは一人の男と会っていた。
紫の髪を夜風になびかせる、アーケン。
「順調だな。エリシアはまるで自ら炎に飛び込む蝶のようだ」
彼はくぐもった声で言い、手にした封筒を弄ぶ。
セミーナは小さくため息をついた。
「……あたい、少し怖いよ。エリシア様は本当に純粋で……。利用するなんて、あたい、そんな……」
「愚かだな。純粋だからこそ利用できるのだ。真実を示す必要はない。ただ、信じたいことを囁けばいい」
アーケンの口元が吊り上がる。
「やがて王都の民は信じるだろう。『第二王子は聖女を想っていた』とな。そうなれば、ローゼは孤立する。……王国の安定は崩れ、帝国の思うままになる」
セミーナは一瞬だけ眉を曇らせたが、やがて「はい」と頷いた。
翌日。
市場に立つ果物売りの老婆は、客と囁き合っていた。
「ねえ聞いた? 殿下は本当は、教会の聖女を……」
「まあ、やっぱりそうだったのね!」
鍛冶屋の前でも、酒場でも。
噂は風に乗るように広がっていった。
「ローゼ嬢は、自分のために殿下を縛ったんだとさ」
「だが殿下は本当は……」
「かわいそうになあ」
事実かどうかなど、もはや誰も問わない。
甘美で悲劇的な物語は、人々の心をあっという間に掴んでしまうのだ。
一方その頃、シリウスはその流れを鋭く感じ取っていた。
彼は街を歩き、耳を澄ませるたびに胸の奥がざわつく。
「……動きが早すぎる。誰かが意図的に噂を流している」
アーケンの仕業に違いない。
だが、このまま広まれば取り返しのつかないことになる。
ローゼ嬢は誤解され、殿下までもが「哀れな人」として見られてしまう。
エリシアの名は清らかな響きとともに持ち上げられる。
――完全に、敵の狙い通りだ。
教会の一室。
エリシアは祈りを終え、椅子に腰を下ろしていた。
その胸には確かな使命感が灯っている。
「わたしが殿下を救わなければ……。ローゼ様の鎖から、殿下を解き放つのはわたししかいない」
そう呟いたとき、背後で足音がした。
振り返れば、セミーナが立っていた。
「エリシア様……。あたい、嬉しいよ。エリシア様は、殿下を本当に愛しているんだね」
その瞳には涙が浮かんでいるように見えた。
エリシアは思わずその手を握り返した。
「ええ。だからこそ、わたしは立ち上がらなければならないの」
セミーナはうつむき、小さく微笑んだ。
その笑みは、誰にも気づかれないまま闇に溶けていった。
王都はざわついている。
民の声は波のように広がり、宮廷にも届き始めていた。
「殿下は本当は聖女を……」
「ローゼ嬢は……」
それは、嵐の前触れだった。
――次に何が起こるか、まだ誰も知らない。
数日後。
王都の広場を歩けば、誰もが口にする名前があった。
――ローゼ嬢。
第二王子エリオット殿下の婚約者として正式に発表されたばかりの彼女は、まるで舞台に立つ女優のように注目を集めていた。
だが、人々の口からこぼれる言葉は称賛ばかりではない。
むしろ、毒を含んだ噂が次第に広がりつつあった。
「聞いた? ローゼ様って、本当は殿下の気持ちを無理やり縛ったらしいわ」
「ええ、しかも――殿下は聖女様のことを想っていたんですって」
「かわいそうに、殿下……」
その根源にいたのは、教会の小さな集会室だった。
エリシアはそこで信徒たちに囲まれていた。
彼女は白衣の裾を握りしめ、まっすぐな瞳で語る。
「わたしは……知っているのです。殿下は本当は、教会に心を寄せてくださっていました。清らかで、互いに祈りを重ねる関係を望んでくださっていたのです」
信徒たちは目を輝かせ、口々にささやいた。
「まあ……」「やはりそうだったのね」
「けれど……ローゼ様がそれを阻んでしまったのです。殿下のお心を、自分のために縛りつけてしまった……。本当に、それが許されてよいのでしょうか?」
その声には涙ぐむような響きがあった。
純粋で、疑う余地がないように聞こえる。
信徒の一人が感極まって言葉を投げた。
「第一聖女様……。わたしたちは、あなたを信じます」
エリシアは小さくうなずき、祈りの姿勢を取った。
だが、集会室の奥で壁にもたれかかっているセミーナは、目を細めて笑っていた。
その夜、教会の中庭。
月明かりの下、セミーナは一人の男と会っていた。
紫の髪を夜風になびかせる、アーケン。
「順調だな。エリシアはまるで自ら炎に飛び込む蝶のようだ」
彼はくぐもった声で言い、手にした封筒を弄ぶ。
セミーナは小さくため息をついた。
「……あたい、少し怖いよ。エリシア様は本当に純粋で……。利用するなんて、あたい、そんな……」
「愚かだな。純粋だからこそ利用できるのだ。真実を示す必要はない。ただ、信じたいことを囁けばいい」
アーケンの口元が吊り上がる。
「やがて王都の民は信じるだろう。『第二王子は聖女を想っていた』とな。そうなれば、ローゼは孤立する。……王国の安定は崩れ、帝国の思うままになる」
セミーナは一瞬だけ眉を曇らせたが、やがて「はい」と頷いた。
翌日。
市場に立つ果物売りの老婆は、客と囁き合っていた。
「ねえ聞いた? 殿下は本当は、教会の聖女を……」
「まあ、やっぱりそうだったのね!」
鍛冶屋の前でも、酒場でも。
噂は風に乗るように広がっていった。
「ローゼ嬢は、自分のために殿下を縛ったんだとさ」
「だが殿下は本当は……」
「かわいそうになあ」
事実かどうかなど、もはや誰も問わない。
甘美で悲劇的な物語は、人々の心をあっという間に掴んでしまうのだ。
一方その頃、シリウスはその流れを鋭く感じ取っていた。
彼は街を歩き、耳を澄ませるたびに胸の奥がざわつく。
「……動きが早すぎる。誰かが意図的に噂を流している」
アーケンの仕業に違いない。
だが、このまま広まれば取り返しのつかないことになる。
ローゼ嬢は誤解され、殿下までもが「哀れな人」として見られてしまう。
エリシアの名は清らかな響きとともに持ち上げられる。
――完全に、敵の狙い通りだ。
教会の一室。
エリシアは祈りを終え、椅子に腰を下ろしていた。
その胸には確かな使命感が灯っている。
「わたしが殿下を救わなければ……。ローゼ様の鎖から、殿下を解き放つのはわたししかいない」
そう呟いたとき、背後で足音がした。
振り返れば、セミーナが立っていた。
「エリシア様……。あたい、嬉しいよ。エリシア様は、殿下を本当に愛しているんだね」
その瞳には涙が浮かんでいるように見えた。
エリシアは思わずその手を握り返した。
「ええ。だからこそ、わたしは立ち上がらなければならないの」
セミーナはうつむき、小さく微笑んだ。
その笑みは、誰にも気づかれないまま闇に溶けていった。
王都はざわついている。
民の声は波のように広がり、宮廷にも届き始めていた。
「殿下は本当は聖女を……」
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それは、嵐の前触れだった。
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