73 / 97
第54話 教会の囁き ― 噂の拡散
教会の囁き ― 噂の拡散
数日後。
王都の広場を歩けば、誰もが口にする名前があった。
――ローゼ嬢。
第二王子エリオット殿下の婚約者として正式に発表されたばかりの彼女は、まるで舞台に立つ女優のように注目を集めていた。
だが、人々の口からこぼれる言葉は称賛ばかりではない。
むしろ、毒を含んだ噂が次第に広がりつつあった。
「聞いた? ローゼ様って、本当は殿下の気持ちを無理やり縛ったらしいわ」
「ええ、しかも――殿下は聖女様のことを想っていたんですって」
「かわいそうに、殿下……」
その根源にいたのは、教会の小さな集会室だった。
エリシアはそこで信徒たちに囲まれていた。
彼女は白衣の裾を握りしめ、まっすぐな瞳で語る。
「わたしは……知っているのです。殿下は本当は、教会に心を寄せてくださっていました。清らかで、互いに祈りを重ねる関係を望んでくださっていたのです」
信徒たちは目を輝かせ、口々にささやいた。
「まあ……」「やはりそうだったのね」
「けれど……ローゼ様がそれを阻んでしまったのです。殿下のお心を、自分のために縛りつけてしまった……。本当に、それが許されてよいのでしょうか?」
その声には涙ぐむような響きがあった。
純粋で、疑う余地がないように聞こえる。
信徒の一人が感極まって言葉を投げた。
「第一聖女様……。わたしたちは、あなたを信じます」
エリシアは小さくうなずき、祈りの姿勢を取った。
だが、集会室の奥で壁にもたれかかっているセミーナは、目を細めて笑っていた。
その夜、教会の中庭。
月明かりの下、セミーナは一人の男と会っていた。
紫の髪を夜風になびかせる、アーケン。
「順調だな。エリシアはまるで自ら炎に飛び込む蝶のようだ」
彼はくぐもった声で言い、手にした封筒を弄ぶ。
セミーナは小さくため息をついた。
「……あたい、少し怖いよ。エリシア様は本当に純粋で……。利用するなんて、あたい、そんな……」
「愚かだな。純粋だからこそ利用できるのだ。真実を示す必要はない。ただ、信じたいことを囁けばいい」
アーケンの口元が吊り上がる。
「やがて王都の民は信じるだろう。『第二王子は聖女を想っていた』とな。そうなれば、ローゼは孤立する。……王国の安定は崩れ、帝国の思うままになる」
セミーナは一瞬だけ眉を曇らせたが、やがて「はい」と頷いた。
翌日。
市場に立つ果物売りの老婆は、客と囁き合っていた。
「ねえ聞いた? 殿下は本当は、教会の聖女を……」
「まあ、やっぱりそうだったのね!」
鍛冶屋の前でも、酒場でも。
噂は風に乗るように広がっていった。
「ローゼ嬢は、自分のために殿下を縛ったんだとさ」
「だが殿下は本当は……」
「かわいそうになあ」
事実かどうかなど、もはや誰も問わない。
甘美で悲劇的な物語は、人々の心をあっという間に掴んでしまうのだ。
一方その頃、シリウスはその流れを鋭く感じ取っていた。
彼は街を歩き、耳を澄ませるたびに胸の奥がざわつく。
「……動きが早すぎる。誰かが意図的に噂を流している」
アーケンの仕業に違いない。
だが、このまま広まれば取り返しのつかないことになる。
ローゼ嬢は誤解され、殿下までもが「哀れな人」として見られてしまう。
エリシアの名は清らかな響きとともに持ち上げられる。
――完全に、敵の狙い通りだ。
教会の一室。
エリシアは祈りを終え、椅子に腰を下ろしていた。
その胸には確かな使命感が灯っている。
「わたしが殿下を救わなければ……。ローゼ様の鎖から、殿下を解き放つのはわたししかいない」
そう呟いたとき、背後で足音がした。
振り返れば、セミーナが立っていた。
「エリシア様……。あたい、嬉しいよ。エリシア様は、殿下を本当に愛しているんだね」
その瞳には涙が浮かんでいるように見えた。
エリシアは思わずその手を握り返した。
「ええ。だからこそ、わたしは立ち上がらなければならないの」
セミーナはうつむき、小さく微笑んだ。
その笑みは、誰にも気づかれないまま闇に溶けていった。
王都はざわついている。
民の声は波のように広がり、宮廷にも届き始めていた。
「殿下は本当は聖女を……」
「ローゼ嬢は……」
それは、嵐の前触れだった。
――次に何が起こるか、まだ誰も知らない。
数日後。
王都の広場を歩けば、誰もが口にする名前があった。
――ローゼ嬢。
第二王子エリオット殿下の婚約者として正式に発表されたばかりの彼女は、まるで舞台に立つ女優のように注目を集めていた。
だが、人々の口からこぼれる言葉は称賛ばかりではない。
むしろ、毒を含んだ噂が次第に広がりつつあった。
「聞いた? ローゼ様って、本当は殿下の気持ちを無理やり縛ったらしいわ」
「ええ、しかも――殿下は聖女様のことを想っていたんですって」
「かわいそうに、殿下……」
その根源にいたのは、教会の小さな集会室だった。
エリシアはそこで信徒たちに囲まれていた。
彼女は白衣の裾を握りしめ、まっすぐな瞳で語る。
「わたしは……知っているのです。殿下は本当は、教会に心を寄せてくださっていました。清らかで、互いに祈りを重ねる関係を望んでくださっていたのです」
信徒たちは目を輝かせ、口々にささやいた。
「まあ……」「やはりそうだったのね」
「けれど……ローゼ様がそれを阻んでしまったのです。殿下のお心を、自分のために縛りつけてしまった……。本当に、それが許されてよいのでしょうか?」
その声には涙ぐむような響きがあった。
純粋で、疑う余地がないように聞こえる。
信徒の一人が感極まって言葉を投げた。
「第一聖女様……。わたしたちは、あなたを信じます」
エリシアは小さくうなずき、祈りの姿勢を取った。
だが、集会室の奥で壁にもたれかかっているセミーナは、目を細めて笑っていた。
その夜、教会の中庭。
月明かりの下、セミーナは一人の男と会っていた。
紫の髪を夜風になびかせる、アーケン。
「順調だな。エリシアはまるで自ら炎に飛び込む蝶のようだ」
彼はくぐもった声で言い、手にした封筒を弄ぶ。
セミーナは小さくため息をついた。
「……あたい、少し怖いよ。エリシア様は本当に純粋で……。利用するなんて、あたい、そんな……」
「愚かだな。純粋だからこそ利用できるのだ。真実を示す必要はない。ただ、信じたいことを囁けばいい」
アーケンの口元が吊り上がる。
「やがて王都の民は信じるだろう。『第二王子は聖女を想っていた』とな。そうなれば、ローゼは孤立する。……王国の安定は崩れ、帝国の思うままになる」
セミーナは一瞬だけ眉を曇らせたが、やがて「はい」と頷いた。
翌日。
市場に立つ果物売りの老婆は、客と囁き合っていた。
「ねえ聞いた? 殿下は本当は、教会の聖女を……」
「まあ、やっぱりそうだったのね!」
鍛冶屋の前でも、酒場でも。
噂は風に乗るように広がっていった。
「ローゼ嬢は、自分のために殿下を縛ったんだとさ」
「だが殿下は本当は……」
「かわいそうになあ」
事実かどうかなど、もはや誰も問わない。
甘美で悲劇的な物語は、人々の心をあっという間に掴んでしまうのだ。
一方その頃、シリウスはその流れを鋭く感じ取っていた。
彼は街を歩き、耳を澄ませるたびに胸の奥がざわつく。
「……動きが早すぎる。誰かが意図的に噂を流している」
アーケンの仕業に違いない。
だが、このまま広まれば取り返しのつかないことになる。
ローゼ嬢は誤解され、殿下までもが「哀れな人」として見られてしまう。
エリシアの名は清らかな響きとともに持ち上げられる。
――完全に、敵の狙い通りだ。
教会の一室。
エリシアは祈りを終え、椅子に腰を下ろしていた。
その胸には確かな使命感が灯っている。
「わたしが殿下を救わなければ……。ローゼ様の鎖から、殿下を解き放つのはわたししかいない」
そう呟いたとき、背後で足音がした。
振り返れば、セミーナが立っていた。
「エリシア様……。あたい、嬉しいよ。エリシア様は、殿下を本当に愛しているんだね」
その瞳には涙が浮かんでいるように見えた。
エリシアは思わずその手を握り返した。
「ええ。だからこそ、わたしは立ち上がらなければならないの」
セミーナはうつむき、小さく微笑んだ。
その笑みは、誰にも気づかれないまま闇に溶けていった。
王都はざわついている。
民の声は波のように広がり、宮廷にも届き始めていた。
「殿下は本当は聖女を……」
「ローゼ嬢は……」
それは、嵐の前触れだった。
――次に何が起こるか、まだ誰も知らない。
あなたにおすすめの小説
無一文で追放される悪女に転生したので特技を活かしてお金儲けを始めたら、聖女様と呼ばれるようになりました
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
スーパームーンの美しい夜。仕事帰り、トラックに撥ねらてしまった私。気づけば草の生えた地面の上に倒れていた。目の前に見える城に入れば、盛大なパーティーの真っ最中。目の前にある豪華な食事を口にしていると見知らぬ男性にいきなり名前を呼ばれて、次期王妃候補の資格を失ったことを聞かされた。理由も分からないまま、家に帰宅すると「お前のような恥さらしは今日限り、出ていけ」と追い出されてしまう。途方に暮れる私についてきてくれたのは、私の専属メイドと御者の青年。そこで私は2人を連れて新天地目指して旅立つことにした。無一文だけど大丈夫。私は前世の特技を活かしてお金を稼ぐことが出来るのだから――
※ 他サイトでも投稿中
婚約破棄ですか???実家からちょうど帰ってこいと言われたので好都合です!!!これからは復讐をします!!!~どこにでもある普通の令嬢物語~
tartan321
恋愛
婚約破棄とはなかなか考えたものでございますね。しかしながら、私はもう帰って来いと言われてしまいました。ですから、帰ることにします。これで、あなた様の口うるさい両親や、その他の家族の皆様とも顔を合わせることがないのですね。ラッキーです!!!
壮大なストーリーで奏でる、感動的なファンタジーアドベンチャーです!!!!!最後の涙の理由とは???
一度完結といたしました。続編は引き続き書きたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
【完結】帳簿令嬢の答え合わせ ~その不正、すべて帳簿が覚えています~
Lihito
ファンタジー
公爵令嬢アイリスは、身に覚えのない罪で婚約破棄され、辺境へ追放された。
だが彼女には秘密がある。
前世は経理OL。そして今世では、物や土地の「価値」が数字で見える能力を持っていた。
公爵家の帳簿を一手に管理していたのは、実は彼女。
追い出した側は、それを知らない。
「三ヶ月で破産すると思うけど……まあ、私には関係ないわね」
荒れ果てた辺境領。誰も気づかなかった資源。無口な護衛騎士。
アイリスは数字を武器に、この土地を立て直すことを決意する。
——追い出したこと、後悔させてあげる。
※毎日18時更新
※表紙画像はAIにて作成しています
※ 旧題:婚約破棄された令嬢ですが、帳簿があれば辺境でも無双できます
トカゲ令嬢とバカにされて聖女候補から外され辺境に追放されましたが、トカゲではなく龍でした。
克全
恋愛
「アルファポリス」「カクヨム」「小説家になろう」に同時投稿しています。
「アルファポリス」「カクヨム」「小説家になろう」に同時投稿しています。
リバコーン公爵家の長女ソフィアは、全貴族令嬢10人の1人の聖獣持ちに選ばれたが、その聖獣がこれまで誰も持ったことのない小さく弱々しいトカゲでしかなかった。それに比べて側室から生まれた妹は有名な聖獣スフィンクスが従魔となった。他にもグリフォンやペガサス、ワイバーンなどの実力も名声もある従魔を従える聖女がいた。リバコーン公爵家の名誉を重んじる父親は、ソフィアを正室の領地に追いやり第13王子との婚約も辞退しようとしたのだが……
王立聖女学園、そこは爵位を無視した弱肉強食の競争社会。だがどれだけ努力しようとも神の気紛れで全てが決められてしまう。まず従魔が得られるかどうかで貴族令嬢に残れるかどうかが決まってしまう。
時が巻き戻った悪役令嬢は、追放先で今度こそ幸せに暮らしたい
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【その断罪、待っていました!】
私は侯爵令嬢オフィーリア・ドヌーブ。王太子アシル・バスチエの婚約者だった。良い国母になる為、日々努力を怠らなかった。そんなある日、聖女を名乗る女性ソネットが現れ、あっという間にアシルは彼女に夢中になってしまう。妃の座を奪われることに危機感を抱いた私は、ありとあらゆる手段でソネットを陥れようとして失敗。逆に罰として侯爵家から除籍され、辺境の地へ幾人かの使用人達と共に追放されてしまう。追放先の村での暮らしは不便だったが、人々は皆親切だった。けれど元侯爵令嬢というプライドから最後まで私は素直になれなかった。そんな自分に後悔しながら長い時を孤独に過ごしていたある日。不思議な懐中時計の力によって、何故か断罪の真っ最中に時が巻き戻っていた。聖女への嫌がらせは無かったことに出来ない。それなら今世はおとなしく追放されて和やかに過ごそう。今度こそ幸せに暮らす為に——
※他サイトでも投稿中
姉の方を所望していたと言った婚約者に、突然連れ帰られて気づいたら溺愛されています
もちもちほっぺ
恋愛
侯爵家の地下室に住み、姉の食べかけで飢えをしのぎ、婚約者には初対面で「老婆のようだ、姉の方がよかった」と言われた令嬢リリアーナ。
ある日その婚約者に問答無用で公爵邸に連れ帰られた。
庭の恵みを口にするたびに肌が輝き、髪が艶めき、体に力が満ちていく。首に巻いたお守りの秘密、十数年続く国の不作の真実、虐げられ続けた令嬢の出生の謎。
全てが明かされる時、地下室令嬢の逆転劇が始まる。
なお婚約者は今日も庭でグルメリポートを最後まで聞いている。
大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!
古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。
その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。
『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』
昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。
領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。
一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――
転生先がヒロインに恋する悪役令息のモブ婚約者だったので、推しの為に身を引こうと思います
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【だって、私はただのモブですから】
10歳になったある日のこと。「婚約者」として現れた少年を見て思い出した。彼はヒロインに恋するも報われない悪役令息で、私の推しだった。そして私は名も無いモブ婚約者。ゲームのストーリー通りに進めば、彼と共に私も破滅まっしぐら。それを防ぐにはヒロインと彼が結ばれるしか無い。そこで私はゲームの知識を利用して、彼とヒロインとの仲を取り持つことにした――
※他サイトでも投稿中