結婚して3年経っても子供ができないという理由で離縁されたエマは、前世の記憶を思い出して幸せになる。周りが勝手に復讐してくれました。

山田 バルス

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第36話 フランセ王の断罪

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フランセ国王視点 ――崩れゆく王座

 
 夕刻、いつもの仕事を終え、私は執務室を退室しようとしていた。

 窓の外は、重たい雲に覆われている。
 まるで、この国の行く末を暗示するかのようだった。

「陛下」

 宰相ローデリックが、足早に入室する。
 その顔色は、先ほどまで以上に硬い。

「申せ」

「国境沿い――二オール侯爵領に、スカイドラゴンが出現しました」

 スカイドラゴンだと……。
 それが二オール侯爵家に現れたとなれば一大事だ。
 側妃アンネットの実家にして、王国北東部を守る要衝。
 そこを抜ければ、王都まですぐの距離になる。
 
 王都にスカイドラゴンが襲い掛かってくる可能性もある。

「状況は」

「騎士団の第一報によれば、災厄級。飛行高度も高く、通常の弓では届きません」

 私は拳を握った。
 
 最近、不運が続いている。
 王子と王女の婚約破棄や解消。そこからの外交の亀裂。
 貴族たちに不審な動きがあるというい情報。
 そして、国境に現れた天災。

 まるで、誰かが計ったかのように重なっている。

「侯爵は動いておるのだな」

「すでに自ら指揮を執っております」

 アンネットの父、二オール侯爵は老いてなお剛毅な男だ。
 武門の誉れ高く、民からの信頼も厚いと報告を受けている。

 ――頼む、持ちこたえてくれ。

 私はそう祈るしかなかった。

 ◇

 三日後。

 朝の報告は、私の背骨を凍らせた。

「……二オール侯爵、戦死」

 言葉が、空気に溶ける。

「スカイドラゴンの襲撃の中、
 侯爵は名誉の戦死を――」

 そこから先は、聞かずとも分かった。

 きっと、老侯爵は最後まで逃げなかったのだ。

 私は立ち上がったが、足元がふらつく。
 机に手をつき、辛うじて体を支えた。

「……また、失ったか」

 第一王子と正室を事故で失った、あの日のことが蘇る。

 馬車の転落。
 崖下に転がる車輪。
 血に濡れた紅いドレス。

 あの時からだ。
 城の空気が、変わったのは。

 廊下の灯りが暗く感じるようになり、
 人々の声はひそやかになった。

 誰も口にはしないが、皆がどこかで思っている。

 ――何かが、狂っている。

 私は窓の外を見る。

「……呪い、か」

 王家に、あるいはこの国に。

 どこかの愚か者の選択が積み重なって、
 形を持って襲いかかってきているのではないか。

 王として、そんな弱音を吐くべきではない。
 だが、胸の奥に巣食う不安は消えなかった。

「アンネットを、見舞おう」

 ◇

 側妃アンネットの部屋は、静まり返っていた。

 扉を開けると、彼女は黒衣に身を包み、窓辺に立っていた。
 いつもは華やかな装いの彼女が、これほど地味な姿をしているのは初めて見る。

「……陛下」

 振り返ったその瞳は、赤く腫れている。

「父は、最後まで戦ったと」

「ああ」

「それなら……誇りです」

 声は震えていたが、涙は見せなかった。

 こんな時でも美しい女だ。
 だからこそ、私は彼女を側妃に迎えた。

「しばらく、喪に服します」

「無理をするな」

「陛下のお心遣い感謝します」

 彼女は深く頭を下げた。

 私は一歩近づき、そっと肩に手を置く。

「この国は、そなたを必要としている。
 余も、だ」

 一瞬だけ、彼女の唇が動いた。
 だが、何も言わなかった。

 その沈黙に、なぜか胸がざわついた。

 ◇

 さらに数日後。

 城内が騒然となった。

「陛下!」

 ローデリックが駆け込んでくる。

「帝国軍が、二オール侯爵領へ侵入!」

「なに?」

「スカイドラゴンを討伐したとの報告が入っております」

 言葉を失う。

 帝国軍が、我が国の領地で魔物を討つ?

「無断侵入だぞ」

「……しかし、民は歓迎しております。
 被害を止めた英雄として」

 胸が軋む。

 そこへ、さらに報告が重なる。

「王女マリーナ様が――帝国軍と共に挙兵」

「……は?」

「民を苦しめるアルベルト=フランセ国王を討つと声明を」

 頭の中が、真っ白になる。

「どういうことだ……」

 娘のマリーナ王女。
 虚栄心は強いが、愚かな娘ではない。
 それが、帝国と手を組む?

「アンネットはどこだ」

 嫌な予感が、全身を駆け巡る。

 私は玉座の間を出ようとした。

 だが――

 廊下の先に、城兵が整列している。

 剣を抜き、私を囲む形で。

「……何の真似だ」

 前に出たのは、ローデリックだった。

「陛下。これ以上の混乱を防ぐため、しばし御身柄をお預かりいたします」

「拘束だと?」

「王国のためです」

 兵が腕を掴む。

「離せ! 余は国王だぞ!」

 怒声が響く。

「こ、これはどういうことだ!」

 その時。

 奥の扉が、静かに開いた。

 黒衣の女が、ゆっくりと歩み出る。

「……アンネット」

 彼女は、静かな微笑を浮かべていた。

 あの日、喪に服すと言った時と同じ装い。
 だが、目の奥に宿る光は、別物だった。

「復讐の時が、参りましたわ」

 その言葉が、冷たい刃のように胸を貫く。

「何を……言っている」

「父は、王命により、わたくしの元婚約者アンソニーを殺しました。
 そして、絶望するわたしくをあなたは自分の物にしたと思ったでしょう。
 でもたとえ身を奪えようとも、わたくしの心までは奪えませんわ」

「余を……まさか、恨んでいるのか――」

「当然ですわ。この愚か者が……」

 激しい怒りの叫びが続く。

「第一王子も、正室様も。
 もちろん、わたくしの計画の邪魔なので消えてもらいましたわ」

 私は言葉を失った。

「ですから、今までの不幸な出来事は、呪いではありません」

 彼女は一歩、近づく。
 そして、私の額を指で軽く突いて、無情に告げた。

「この足りない頭に刻み込んでください。復讐のためですわ、陛下」

 背後で、城門が開く音がした。

 遠く、帝国軍の旗がはためく。

 王都の民衆の歓声すら、聞こえる。

 私は膝をつかされた。

 玉座の間で、王が。

「余を……どうするつもりだ」

 アンネットは、薄く微笑んだ。

「復讐しますわ」

 それが何を意味するのか、理解した瞬間。

 すべてが、繋がった。

 二オール侯爵領への帝国軍侵入。
 マリーナの挙兵。
 城兵の動き。

 ――最初から、仕組まれていたのか。
 この城は、すでにアンネットに掌握されていたのだ。

 王冠が、石床に転がる。

 重く、乾いた音を立てて。

 ◇

 王冠が石床を転がる音は、やけに大きく響いた。

 乾いた音が、玉座の間の静寂を裂く。

 私はその音を、まるで他人事のように聞いていた。

「陛下をお連れしなさい」

 アンネットの声は、氷のように冷たい。

 兵たちが私の両腕を取り、玉座の間から引き立てる。
 抵抗する力は、もう残っていなかった。

 廊下を歩かされながら、窓の外に目をやる。

 王城の門が開かれ、見慣れぬ軍旗がなびいていた。
 黒と金の意匠――帝国の紋章。

 帝国軍が、整然と城内へ進軍してくる。

 その先頭に立つのは、銀髪の筋肉に包まれた力強い若き皇子。

 帝国第二皇子、エルマノ。

 かつては外交の席で顔を合わせたこともある。
 礼儀正しく、穏やかな笑みを浮かべる男だった。

 だが今は違う。

 勝者の顔だ。

 ◇

 私は城の王族用の牢ではなく、地下牢へと連れて行かれた。

 湿った石壁。
 鉄格子が目の前にある。
 王であった男の末路としては、あまりにあっけない。

「しばらく、ここでお過ごしください」

 ローデリックが目を伏せたまま告げる。

「裏切ったな……」

「王国を守るためです」

 その言葉に、もはや怒りすら湧かなかった。

 鉄扉が閉まる。

 重い音が、すべての終わりを告げた。

 ◇

 その頃、王都の広場では。

 帝国軍が整列し、壇上にはマリーナ王女が立っていた。

 黄金のドレスに、王家の宝冠。

 その隣に並ぶのは、エルマノ皇子。

 彼は堂々と宣言した。

「本日をもって、アルベルト=フランセ国王は退位する!」

 ざわめきが走る。

「新たな統治者は、マリーナ女王陛下である!」

 一瞬の静寂。

 そして、爆発する歓声。

 マリーナは一歩前へ出た。

「これまでの重税と圧政は終わります」

 その声は、よく通った。

「税率は帝国本土と同水準に引き下げます!」

 民衆の顔が、みるみるうちに明るくなる。

「商人への不当な取り締まりも廃止。
 徴兵制度も見直します!」

「おおおおっ!」

 歓声が、地鳴りのように広場を揺らす。

「帝国万歳!」

「マリーナ女王万歳!」

「悪政は終わった!」

 誰かが叫び、それが波のように広がる。

 帝国軍の兵たちも、誇らしげに旗を掲げた。

 エルマノ皇子が、マリーナの手を取る。

「ここに、両国の永遠の友好を誓う」

 そして宣言された。

「マリーナ女王とエルマノ皇子の婚姻を!」

 再び、歓声。

 花びらが舞い、鐘が鳴る。

 祝祭の空気が、王都を包み込む。

 ◇

 地下牢の小窓から、かすかに歓声が届く。

 何の騒ぎかは、聞かずとも分かった。

「……そうか」

 私は壁にもたれ、目を閉じる。

 民は喜んでいるのだ。

 税が軽くなり、戦乱が終わるならば。
 王が誰であろうと構わぬのだろう。

 いや。

 それが正しいのかもしれぬ。

 王とは、民を守れぬ時点で資格を失う。

 私は守れなかったのだろう……。

 王妃も。
 第一王子も。

 そして、民心も。

 足音が近づく。

 鉄格子の向こうに立ったのは、アンネットだった。

「城は平定されましたわ」

 その声に、感情はない。

「マリーナは女王として即位。
 エルマノ皇子は王配として王都に留まります」

「……そうか」

「この地は帝国の庇護下に置かれます。
 実質的な併合ですわ」

 あっさりと告げる。

「見事だな」

「これで復讐は終わりましたわ」

 彼女は静かに言った。

「運が良ければ、あなたは帝国へ引き渡されます」

 見せしめか、あるいは政治的な取引材料か。

 どちらでもいい。

 すでに、王冠は私の頭にはない。

 遠くで、再び歓声が上がる。

「帝国万歳!」

「マリーナ女王万歳!」

 その歓声は、かつて私に向けられていたものだ。

 皮肉なものだな。

 私は、小さく笑った。

「……これで、国が安らぐならば」

 それだけを呟く。

 石床の冷たさが、膝に染みる。

 かつて王であった男は、暗い牢で静かに頭を垂れた。

 こうしてフランセ王国は、ほとんど血を流すことなく平定された。

 王冠は転がり、
 新たな時代が、歓声とともに始まったのだった。
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