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第132話 クレメント・ユーグ ……あのとき、なぜ、私は――
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かつてこの国が、かくも脆く、醜く崩れかける日が来ようとは――。
クレメント・ユーグは、古びた執務机の上に視線を落としながら、ひとり夜の思索に沈んでいた。筆記具も巻物も、もう何も手につかぬ。いま王城を覆う空気が、腐臭めいて胸を押しつけてくるのだ。
「……これが我が尽力した末路か。まるで滑稽だな」
彼は、かつて“賢宰”と呼ばれた。先王に忠義を誓い、法の整備を進め、貴族たちの横暴を押しとどめ、民のための政治を志した。
だが、先王の崩御と若き王の即位――その混乱に乗じて、貴族連合と一部の軍部が勢力を伸ばした。清廉な王子であったアリスター殿下は冤罪を被せられ、追放。民草の支持を集める王族は危険と見なされたのだ。
「……あのとき、なぜ、私は――」
彼は、アリスターが追放される日、王宮の中でただ唇を噛み締めるしかなかった自分を思い返す。
“我ら中立は、口を出すな。火種になるぞ”
“正義では国は救えぬ。生き延びることこそ知恵だ”
そんな声があちこちから聞こえた。だがそれは、言い訳だった。自分が臆していただけなのだ。
──あの子は、まだ若かった。だが、眼だけは先王そっくりだった。
剣ではなく知恵で、力ではなく理で人を導こうとしたあの王子。法の重みを誰よりも理解していた。クレメントは、幼い頃からアリスターを見守ってきた。その真摯さを、誰よりも知っていた。
「私は、あの子を……見捨てたのだ」
責務とはいえ、その無念はずっと胸に残っていた。だからこそ、先王が遺した“密書”を見た瞬間、胸に火が灯ったのだ。
──王子アリスターが再び現れた、と聞いたとき、半ば信じられなかった。
亡霊か、狂人の成りすましか。そう思った。だが、扉の前で聞こえたあの声を、クレメントは忘れてはいなかった。低く、冷静で、けれど決意を含んだ声。
「ボクです、アリスター=テオドリック」
扉を開けた時、そこに立っていた青年は、確かにあの王子だった。かつてより痩せ、顔つきは幾分険しくなっていた。だが、目は……あのままだった。曇りなきまなざし。人を裁くのではなく、見つめ、理解しようとする眼差し。
彼が差し出した密書には、確かに先王の筆跡があった。
“真実の精霊と契約した王子に、協力せよ”
──王家の血を引く者のみが通れる「石室」。そこで王子が契約を果たしたというなら、それは天命だ。歴代王の血が導いた意思だ。
クレメントは決意した。
「……殿下。私は、再びあの約定に従いましょう。真実のために、王家の理を支えるために」
老いぼれが今さら何を、と笑う者もいるだろう。それでも構わぬ。これは、かつて果たせなかった贖罪であり、唯一の矜持なのだから。
政敵たちは日々増長している。“紅の仮面”と名乗る怪しき集団が宮中に影響を及ぼしていることも、彼は察知していた。だが証拠がない。内通者がいる可能性すらある。
「……殿下が、真実を暴ける存在ならば。……その力が、正義の名に値するものであるならば」
そのときこそ、自らの全てを賭けてでも、支える覚悟がある。
なぜなら――
「あの王子こそが、テオドリックの“再生”を担う唯一の光なのだ」
彼は静かに立ち上がり、机の引き出しから封印された鍵束を取り出した。
それは、王城の奥深く、“記録の間”へと通じる鍵。真実を探し、証拠を手にするために必要な唯一の道。
自らの命よりも重き責務を、この夜、再びその手に掴み取ったのだった。
クレメント・ユーグは、古びた執務机の上に視線を落としながら、ひとり夜の思索に沈んでいた。筆記具も巻物も、もう何も手につかぬ。いま王城を覆う空気が、腐臭めいて胸を押しつけてくるのだ。
「……これが我が尽力した末路か。まるで滑稽だな」
彼は、かつて“賢宰”と呼ばれた。先王に忠義を誓い、法の整備を進め、貴族たちの横暴を押しとどめ、民のための政治を志した。
だが、先王の崩御と若き王の即位――その混乱に乗じて、貴族連合と一部の軍部が勢力を伸ばした。清廉な王子であったアリスター殿下は冤罪を被せられ、追放。民草の支持を集める王族は危険と見なされたのだ。
「……あのとき、なぜ、私は――」
彼は、アリスターが追放される日、王宮の中でただ唇を噛み締めるしかなかった自分を思い返す。
“我ら中立は、口を出すな。火種になるぞ”
“正義では国は救えぬ。生き延びることこそ知恵だ”
そんな声があちこちから聞こえた。だがそれは、言い訳だった。自分が臆していただけなのだ。
──あの子は、まだ若かった。だが、眼だけは先王そっくりだった。
剣ではなく知恵で、力ではなく理で人を導こうとしたあの王子。法の重みを誰よりも理解していた。クレメントは、幼い頃からアリスターを見守ってきた。その真摯さを、誰よりも知っていた。
「私は、あの子を……見捨てたのだ」
責務とはいえ、その無念はずっと胸に残っていた。だからこそ、先王が遺した“密書”を見た瞬間、胸に火が灯ったのだ。
──王子アリスターが再び現れた、と聞いたとき、半ば信じられなかった。
亡霊か、狂人の成りすましか。そう思った。だが、扉の前で聞こえたあの声を、クレメントは忘れてはいなかった。低く、冷静で、けれど決意を含んだ声。
「ボクです、アリスター=テオドリック」
扉を開けた時、そこに立っていた青年は、確かにあの王子だった。かつてより痩せ、顔つきは幾分険しくなっていた。だが、目は……あのままだった。曇りなきまなざし。人を裁くのではなく、見つめ、理解しようとする眼差し。
彼が差し出した密書には、確かに先王の筆跡があった。
“真実の精霊と契約した王子に、協力せよ”
──王家の血を引く者のみが通れる「石室」。そこで王子が契約を果たしたというなら、それは天命だ。歴代王の血が導いた意思だ。
クレメントは決意した。
「……殿下。私は、再びあの約定に従いましょう。真実のために、王家の理を支えるために」
老いぼれが今さら何を、と笑う者もいるだろう。それでも構わぬ。これは、かつて果たせなかった贖罪であり、唯一の矜持なのだから。
政敵たちは日々増長している。“紅の仮面”と名乗る怪しき集団が宮中に影響を及ぼしていることも、彼は察知していた。だが証拠がない。内通者がいる可能性すらある。
「……殿下が、真実を暴ける存在ならば。……その力が、正義の名に値するものであるならば」
そのときこそ、自らの全てを賭けてでも、支える覚悟がある。
なぜなら――
「あの王子こそが、テオドリックの“再生”を担う唯一の光なのだ」
彼は静かに立ち上がり、机の引き出しから封印された鍵束を取り出した。
それは、王城の奥深く、“記録の間”へと通じる鍵。真実を探し、証拠を手にするために必要な唯一の道。
自らの命よりも重き責務を、この夜、再びその手に掴み取ったのだった。
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