上 下
77 / 273
第二章 工業都市ボルドー

2-55 人外たちのお茶会

しおりを挟む
 良く晴れた日の昼下がり。アーリア商店三階にある瀟洒しょうしゃな喫茶店にて。

「おい、あの子たちは何の集まりだ?」
「すげえ。滅茶苦茶可愛い子ばっかりじゃん」
「姉妹なのかな? 弟っぽい男の子、拗ねてて可愛いな~」

 やんごとなき人物であることを窺わせるたおやかな象牙色の美少女に、彼女に付き従い彫像のように表情を固定する若葉色の美女。興味深そうに店内を見回す金のメッシュが特徴的な竜胆色りんどういろの美女に、彼女の妹分のように付いて回る異国情緒溢れるシアンブルーの美女。

 そしてカラフルな美女たちに囲まれるも、どこか悄然しょうぜんとした雰囲気を滲ませる、珍しい黒髪を持つ褐色の美少年。

 喫茶店に入ったロウたちは、その並外れた容姿のために多くの人目を集めることとなった。

「あらあら、注目されてしまいましたわ。困ってしまいますね、ロウさん?」
「エスリウ様、そんなに警戒しなくても逃げませんよ。だからそんなに密着しないで、もう少し離れてください」

「見よシアン、店内にある椅子や円卓は宿にあるものよりずっと小綺麗で品が良い。これが小洒落た喫茶店というやつだ」
[──?]

「……」

 そんな中でも各人が好き勝手に行動するため、収拾がつかなくなっている現状にただ一人頭を抱える常識人(精霊)、マルト。彼女がロウたち三人が全て人外であることを知らないのは、幸運だったのかもしれない。

 ただでさえエスリウが魔神であることを隠さねばならないのに、目の前で話す相手は魔神に魔物、人外である。疑われる要素が倍々ゲームとなっていることを知れば、彼女はたちまち卒倒してしまったことだろう。

 さておき、席へ着いたロウたちは紅茶と軽食のセットを注文していく。

 セルケトと共にメニューを見るシアンを眺めたロウの脳裏に、ふと「飲み物はともかく、シアンはパンケーキを食べられるのだろうか?」という疑問がよぎる。

 とはいえ一人注文無しとするわけにもいかず、考えるだけ無駄だと彼は思考を打ち捨てた。

「うふふ、セルケトさんとシアンさんは本当に仲良しなのですね。何だか姉妹の様に見えてきました」
「ふむ。我もシアンには気を許しているし、姉妹がいればこのようなものなのかもしれんと感じていたところだ。友と姉妹の関係性がどのように異なるかは知らんがな」
[──]

 セルケトの素直な言葉に面はゆそうな表情を浮かべて身動ぎするシアン。

 彼女の反応で温かな空気となる中、柔らかく微笑むエスリウの内面では──。

(──ほんの僅かしか漏れ出てないけど、間違いない。赤系統の魔力……! 魔神か眷属けんぞくかは分からないけれど、濃さから見てワタクシと同程度か、もしかしたらそれ以上? 何でこんなところに魔神に連なるものが? ……シアンさんがセルケトさんの友人ということは、まさかセルケトさんも?)

 シアンから僅かに漏れ出ている魔力を自身の持つ「魔眼」で見てしまったがため、エスリウは混乱の真っ只中にあった。

 ──エスリウが母親である魔神バロールから継承している魔眼は三つある。

 一つはロウやグラウクスのように、魔力の性質を感じ取り“色”を見抜く「しんの魔眼」。この魔眼の力によって、エスリウはシアンが魔神の魔力を持つ存在だと気が付くことができた。

 二つ目は「じゃくの魔眼」。生物の精神を惹き付けるのみならず、物理的な引力を伴って物体を引き寄せることが可能な魔眼である。

 物理的な引力は、地球の概念でいえば橋梁きょうりょうの改修工事などで使う油圧ジャッキの十倍ほど──500MPaメガパスカルほどの作動圧力にもなる。高速度で引き寄せることこそ出来ないが、彼女にかかれば眼力だけで鉄橋の工事が出来てしまうほどだ。

 一方精神面の惹き付け効果は、エスリウとの距離を縮めたくなる、親密になりたくなるという、ある種恋心を錯覚させるようなものだ。これも使いようによっては非常に強力な力となる。

 しかし、この魔眼の効果は対象の関心が向いていない状態、または警戒心が薄い状態でなければ効力を発揮しない。ロウのように猜疑心さいぎしんまみれていると無用の長物となってしまうのだ。

 話を戻し、最後の魔眼である。

 残る一つは「ぎょうの魔眼」と呼ばれ、あらゆるものを硬直させ、凝り固まらせ、静止させてしまうものだ。

 魔眼の効果としてはポピュラーなもので、バロールだけではなく蛇や蜥蜴とかげの魔物の中にも似たような力を持っているものがいる。

 しかし、バロールのそれは生物のみならず無機物や大気すら対象とする恐るべき魔眼であり、魔物たちの持つものとは根本が異なっている。単純に対象を固めるだけではなく、壁に防御に妨害にと、応用性に富んだ力でもあるのだ。

 これらの魔眼を持ち、更には膨大な魔力までも有しているエスリウは正に敵なしだが、相手が魔神やその眷属ともなれば話が変わる。

 眷属は単に神の流れを汲んでいるというだけではなく、主たる神より力を譲渡されている存在である。すなわち、エスリウが母親より魔眼を継承したように、眷属もまた神より何らかの能力を受け継いでいるものなのだ。

 神の力は多様極まる。

 エスリウの魔眼のように物体に作用するものもあれば、物理運動や作用反作用など世界のことわりに作用するもの、空間に作用し破壊や創造を成すものもある。戦闘に対し向き不向きは有れど、いずれも魔法すら逸脱した能力だ。

 そんな恐るべき神の力を持つ存在が相手となれば、魔神の娘たるエスリウでも迂闊うかつには手を出せない。ましてやそれが一人ならず二人、三人ともなれば、言うに及ばずである。

 ちなみに、ムスターファ家にいるロウの眷属マリンは、能力抑制・燃費向上の一環で体外への魔力放出を制限しているため、エスリウがマリンの持つ紅の魔力に気が付くことはなかった。

 ロウは使用人たちの邪魔にならないように縮小処理を施しただけだったが、意図せずして魔神エスリウの目をあざむいていたのである。

(──少なくともシアンさんが魔神か、その眷属なのは確定。近しい雰囲気のセルケトさんも相当に怪しいし、今の今まで魔力の一切を感じ取れていないロウさんも同様に疑わしい。くっ、先日ロウさんの精霊魔法の訓練を見損ねたのは痛恨の極みね)

 話は戻り現在。

 セルケトたちとの雑談に興じながら、エスリウは内心歯噛みしていた。

 もし二日前の訓練中にロウの魔力を「審の魔眼」で確認できていれば、彼の親戚であるセルケトの正体も明かすことができたはずだった。悔やみきれぬ判断ミスである。

「──お嬢様? 何か不都合がございましたか?」
「……いえ。少し、ね」

 あの時、マルトの言葉に注意を逸らされていなければ──と考えたところで思わずジト目となり、視線の先に居たマルトから首を傾げられてしまうエスリウ。

 彼女に責任を追及などしても詮無いことだと、小さく息を吐き意識を切り替えたところで、注文していたパンケーキが彼女たちの元へと運ばれてきた。

「おおっ! ロウよ、上に何やら液体がかけられているぞ!」
蜂蜜はちみつか? いや、香りがするし色も飴色あめいろとは違うし、砂糖水を煮詰めたシロップか……? これはこれで中々」
[──♪]

 エスリウの内心など露知らず、パンケーキをめつすがめつ鑑賞する三人衆。そんな彼らのあまりにも子供っぽい様子に、エスリウもフっと素の笑みを零してしまう。

「では、温かいうちに頂きましょうか」
「そうですね」「うむ!」[──]

 自分の皿のパンケーキを音を鳴らさず優雅に切り分けて美しく食事を行うエスリウと、手づかみでばくりと噛みつきパンケーキに見事な三日月を作るセルケト。卓上で繰り広げられる対照的な光景に苦笑いを浮かべながら、ナイフで切り分けて食べていくロウ。

「セルケトさんは随分と豪快な食べ方をするんだね」
「田舎だとこういう洒落た喫茶店もないし、上品なお菓子なんて食べる機会が無いからな。大目に見てやってくれ」
「その割には、シアンさんの方は随分と手慣れているようだけれど」

 マルトは隣にいるロウと会話しながらパンケーキを食べ進む。カット方法は例の如く神速のナイフ捌きである。

 彼女の腕がかすむほどの切り分けに、彼女たちの卓を観察していた者たちは大きくどよめく。が、パンケーキに夢中だった当人らがそのざわめきに気付くことはなかった。

「シアンはお行儀がいいんだよ。裁縫さいほうも出来るし器用なところが出たんじゃないかな」

 セルケトと同様の田舎出身のはずなのに、というマルトの問いに、ロウは内心ヒヤリとしながら言葉を濁す。

「お裁縫ですか。そういえばシアンさん、公国ではあまり見かけない服装でしたものね。ご実家は遠いところなのですか?」
「あのガイヤルド山脈の向こう側ですからね。超遠方ですよ」
「まあ! そんな遠方からいらしていたのですね。ロウさんもそちらから?」
「いえ、俺は生まれも育ちも公国ですよ。外見から分かる通り、セルケトとはあくまで遠縁ってだけですから」

 流れるように会話へ乱入してきたエスリウに対し、ロウは事前に決めておいた設定でもって対抗する。

 峻険しゅんけんなるガイヤルド山脈に阻まれた公国の南方は、整備された街道もなく危険な魔物も数多く生息しているため、およそ人の行き来というものがない。

 そのために、公国ではガイヤルド山脈以南の情報というのはあまり入ってこないものであった。ロウはそこに目を付けセルケトたちの設定をでっち上げたのである。

「そうでしたか。ロウさんもセルケトさんも、どことなく雰囲気が似ていらっしゃるものですから、兄妹のような近い親類なのかと思っていました」
「むっ? 我とロウが似ているか? こやつを見てきた身としては、とてもそうは思えぬが」
「セルケトが俺の何を見てきたかは知りませんが、確かに似てるとは思えないですね」
「……そういう反応は似てるかもしれない」

 揃って心外だと反論するロウとセルケトを見てのマルトの呟き。反論中だった二人は顔を見合わせ何とも言えない表情となった。

「ふふっ。似ていると言えば、セルケトさんはロウさんと同程度の実力なんですよね? ひょっとすると、お友達のシアンさんも相当な実力者なのですか?」

 ナッツや柑橘かんきつ類の皮が入ったスコーンを食べながら、エスリウは踏み込んだ質問を投げかける。

 この質問により、少なくともシアンがロウやセルケトとどのような力関係にあるのか、その一端が現れるはずである。無論、力の底などは知れないだろうが、上下関係くらいは窺えるはずだとエスリウは踏んだのだ。

「そうですね。シアンは俺と同じ拳法……体術を修めてますから、戦闘技術そのものはセルケトより上だと思いますよ。精霊魔法を絡めるとどうなるかは分かりませんが」
「むうっ」[──]

「あら、セルケトさんも精霊使いなのですか?」
「はい。本人の気性も相まって相当大味なものですが、力任せに放った時の規模は凄いですよ」
「ふんっ。貴様とて我が奥の手の前には体勢を崩したろうが。貴様でなくシアンならば、生まれた隙を突いてそれで仕舞いだ」
[──、──]

 ロウの言葉に憤慨しシアンなど問題にならぬと言い放つセルケトに、その言葉を受けてむっと口を尖らせ不機嫌な空気を滲ませるシアン。

 スコーンを頬張りながら睨み合う、そんな両者を眺めるエスリウは、少年の回答を吟味していく。

(ロウさんは自分とシアンさんとの力関係には言及していないけれど、セルケトさんはロウさんでなくシアンさん相手なら勝つ自信がある。実際はどうか分からないけれど、少なくともロウさんが力関係では最上位にあることは間違いない。魔神の眷属と同等以上に戦えるという存在に、その存在が力及ばぬと公言する存在……頭が痛くなってきたわ)

 分析を終えたエスリウは嘆息したい気分をグッと押し止める。

 元よりロウのことを警戒してきた彼女だが、セルケトにシアンにと立て続けに規格外の戦力が彼の周りに現れたのだ。迂闊な対応をせずに助かったと思う反面、今後のことを考えると頭痛にさいなまされるのも当然の成り行きだった。

(彼の動向を監視していきたいところだけれど……逆鱗に触れればワタクシでも危険なのは間違いない。今くらいの距離感を維持して、何とか正体を暴くところまではこぎつけたいものね)

 エスリウが現状維持方針を固めたところで、主の意思をくみ取ったマルトがシアンの今後についての問いを発する。

「──なるほど。セルケトさんと同等の実力がある、と。シアンさんは今後どうされるのですか? 護衛の旅に同行しないようですが」
[──、──]
「しばらくボルドーを見て回るみたいです。予定は細かく決めていないようですね」

 マルトの問いに口元に指をあてて考えるそぶりを見せたシアンだったが、隣にいるロウの近くによって耳元に何事かをささやき、彼に言葉を代弁をしてもらう。実際には話すことができないことを誤魔化すための“振り”でしかないが。

「あらあら! そうなのですね。ですが、ロウさんともとても仲がよろしいようですから、一人置いていかれると、シアンさんも寂しいのではないですか?」
[──?]
「元々は離れて暮らしていましたし、そうでもないと思いますよ」

 ロウとシアンのお互いの肌が触れ合うような距離感に、思わず好奇心がうずいたエスリウが再確認する様に聞くが、ロウは特に動じることなくサラリと受け流す。

 彼とてエスリウの問いに含まれる「なんか距離近くない?」というニュアンスは嗅ぎ取っていた。それでもシアンの態度は飼い猫が飼い主にすり寄ってくるようなものだと考えていたため、問いかけにも動揺しなかったのだ。

 そんな淡泊な反応にエスリウは──。

(出来ればシアンさんの動向も確かめておきたかったけど、この分だと難しそうね。こちらに来るときにマルトと二人きりでなければ彼女の動きも確かめられたのに……ままならないわ)

 にこやかな表情の裏でまたも嘆息していた。女性の笑顔の裏というのはかくも恐ろしいものである。

 表面上は和やかに、しかし水面下では正体を探らんと鋭く観察する。息の詰まるような魔神たちのお茶会は、空が茜色あかねいろに染まる刻限まで続いたのだった。
しおりを挟む

処理中です...