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第四章 魔導国首都ヘレネス
4-7 神域からの逃走
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外界と隔絶した空間、神域。
その領域の一部であり、女神ミネルヴァの支配する一帯“パレルモ岬”で、ロウは鉛のゴブレットを傾け、琥珀色のワインをちびちびと飲んでいた。
「──それで、酷いんですよ。ウィルムのやつ、俺の話を一切聞かないで、全力全開で殺しにきましたからね。俺、別に、ドレイクからは、襲われただけなのに……」
〈汝は生まれていなかったようだが、一昔前に竜と魔神とは大規模な争いがあったのだ。我としては『青玉竜』の行動も、大いに理解できるところだな。して、どうなった?〉
「ガハハハ。けちょんけちょんにしてやりましたよ。当然、殺しちゃないですけどね」
ロウが飲んでいたのはアルコール度数の低いワインではあったが、彼は既に一時間以上も飲んでいた。流石に飲み過ぎて酔っ払ってしまったのか、あるいは敵対者たる神とはいえ、目が眩むほどの美女と会話しているからなのか。彼は大層機嫌よく語っている。
[青玉竜といえば、若き竜たちの中でも特に力を持ち、更に荒い気性の持ち主として知られているね。君が以前襲われた『枯色竜』と、力も性格も似通っているようだ。同時期に生まれた知己であるという話も、聞き及んでいるよ]
小皿のような盃に口を付け、こくこくとワインを飲んでいた女神の眷属グラウクスが、ウィルムについて補足説明をする。
「そうなんですか? う~ん……」
それを聞いて、塩辛いイカの干物を噛みながら唸り声をあげるロウ。
〈妙な反応だな。我もグラウクスと同じ認識だったが、ロウの認識は異なるということか?〉
「そうなりますかねえ。確かにウィルムの力は凄まじく、竜たるに相応しいものでしたが……。ドレイクの魔法は、ウィルムが使っていたものとは、力の桁が違っていたように思います」
〈ほう……興味深いな〉[ロウよ、それは一体、どれほどの差があったのだろうか?]
三つの瑠璃色の瞳から覗かれ、少年は青玉竜が創り出した極寒の凍土や巨大な氷柱、そしてかの枯色竜が形成した溶岩地獄を頭に思い浮かべる。
「ウィルムの魔法がグラウクスの飲む盃としたら……ドレイクの放った『炎獄』は、この大理石のテーブルくらいの規模でしたね。あいつらの吐くブレスは、どちらも大体似たようなものだったんですけど」
〈それほどの差があるのか? これなら確かに桁の違うという表現となるだろうが、とても同じ若き竜とは思えんな〉
[恐ろしくも興味深い話だね。ロウの言う通り、実際に魔力の制御力に大きく差があるのか、それとも、青玉竜が大魔法を放たなかっただけなのか]
「戦っている最中、ウィルムは手加減している風ではなかったんですよね。まあ、いずれにしてもウィルムの魔力制御が拙いということはないですよ。アレがねぐらとして創った氷の城なんて、人のが数十年かけて造る様なものが、こうして俺たちが酒を飲んだ時間くらいで、完成しちゃいましたからね……。完成品を見た時はビックリしましたよ」
自身の眷属たちから(ジェスチャーで)聞いた話を思い出しながらロウが語ると、ミネルヴァとグラウクスの動きがピタリと止まる。
どうしたのかとロウが問いかける前に、一つ目をぐりぐりと回す神の眷属が遮るように言葉を発した。
[ロウよ、君の言葉をよく消化できなかったのだけれど。青玉竜がねぐらを創るところを見たということは、君は青玉竜を打ち倒した後でも、かの竜と交流があるのかな?]
「あッ!」
神の眷属に問われ、幼い魔神は若葉色の上位精霊が言っていた「魔神が竜を捕えるなど前代未聞」というような言葉を思い出した。
これまで上機嫌で昔話を話してきたロウだったが、流石に戦いの詳細や空間魔法については語っていない。
ウィルムやエスリウからの話でその特異性を認識していた故であるが、それもつい先ほどの発言で綻びが出てしまったのだ。
心地よい酩酊感が吹き飛ぶほどのうっかりである。
〈……まさか、竜を魔界に捕えでもしたのか? 竜を捕えておける場所など、そう無いはずだが〉
「魔界は行ったことがないので分からないですけど、似たようなもんですかね。捕えているというより、あいつが他の竜に、魔神に負けたということが知られたくなくて、出たがらないだけなんですけど」
[竜を捕えるというより、飼いならしているということかな。ロウよ、君は実に恐ろしいことをする]
「いやいやいや、飼いならしてないですって!」
何だか雲行きが怪しくなってきたぞとロウが焦り、女神とその眷属も訝しむような視線を向けだした──その時。
〈──あら、ミネルヴァ? 珍しいですね、あなたがここに客人を招くなんて〉
テラスに一陣の風が吹き、純白と白銀、そして金色で構成された美少女が、煌めく銀の魔力と共に顕れる。
外界とは隔絶されている神域にいともたやすく侵入したこの少女は、先ほどロウたちが話していた枯色竜の創りし溶岩地帯の冷却にあたっていた、妖精神イルマタルであった。
〈イルマタルか。これはまた、何とも言いがたい妙な時に来たものだな〉
[これはこれは、妖精神よ、己が主神の友よ。こうして主神を訪ねてくれるのは、とても嬉しいことなのだけれど、こうも急であるならば、己は過労で倒れてしまうよ]
〈ふふっ、ごめんなさいね、グラウクス。でも大丈夫よ? あなたが倒れてしまっても、きっとミネルヴァが癒してくれるはずですからね〉
疲れの色が濃く滲む声音で青き眷属が語れば、甘い芳香を振り撒く妖精神は、ころころと笑いながら恐ろしい言葉を口にする。
神というものは眷属を使い潰すものだった。
ロウは彼女の言動に戦慄しながらも機を見るに敏。素早くこの場を離脱する決断を下し、「こんなところにいられるか! 俺は帰らせてもらう」と行動に移る。
友人に災難が降りかかろうとしているにもかかわらずフォローすらしない、自分本位極まる決断である。
他人事のように考えている彼も本質的には、やはり神の性質を備えていた。
「なんだかグラウクスがとても不憫ですね。とにかく、他の神が来たのなら俺は邪魔になっちゃいそうですし、お暇します。さよなら!」
すくっと立ち上がり、口を挟む暇がないほどの早口で宣言したロウは、身体強化を全開にして紅の魔力を振り撒き、脱兎のごとく出口へと駆けて行った。
その間、僅か五秒である。
〈──迅いっ!? ……もう見えなくなってしまうとは。ミネルヴァ、あの子は一体?〉
〈ああ、汝にはあの魔力の色が見えないのか。紅の魔力を持ち竜すら打ち倒す。そんな恐ろしくも幼い魔神だよ〉
〈魔神っ!? そんなものを神域に招くなんて、一体何を考えているんですかっ!?〉
ロウが去っていった方向を見据えていたミネルヴァが気だるげに語れば、泡を食って問い質すイルマタル。そんな彼女に、知恵の女神は宥めるように話しかける。
〈あれは汝も調査をしている、竜が創り出した溶岩地帯に関連した存在だ。元々あの馬鹿げた大魔法は、枯色竜があの幼き魔神を見つけ、あれに向けて放ったものらしい〉
〈……! あの子が、ドレイクやシュガールの言っていた魔神でしたか。見た目は完全に幼子なのですね〉
〈その通りではあるが。汝も似たようなものだと思うがな〉
ミネルヴァは鉛の盃を呷り、イルマタルを頭の天辺からつま先まで観察する。
ロウより少しばかり背は高いものの、おおよそ似たような体躯である彼女。背から生える薄翅と長く尖った耳を除けば、人間族の少女そのものだ。美しさこそ人外の域ではあるが。
〈わたしはまあ、老いも育ちもしない神ですからね……。それよりミネルヴァ、あなたはその魔神をどうしてこの神域へ招いたのですか?〉
〈元々あの魔神は、我の眷属と友好関係にあったのだ。我はグラウクスに信を置いているが、如何せん相手は魔神だ。直接見定めておきたいと考え、ここへ呼び寄せ話を聞いたというわけだ〉
〈なるほど……。しかし、よく魔神を神域に連れ出せましたね? 神の領域など、魔神は絶対的に不利でしょうに〉
神域は外界と隔絶しているだけではなく、神性を帯びた領域でもある。神性を帯びているということは、その場にある神に利するということだ。
神の持つ力を更に増幅したり、無尽蔵の魔力を供給したり、細胞一つから再生できるような不死性を与えたり。その恩恵は様々である。
いわば、絶対的な優位が神へともたらされる領域なのだ。
そんな領域へ魔神がのこのこやってくるなど、イルマタルにとって俄かには信じられないことだった。
〈ロウは幼い故に、神域や魔界についての知識が欠落しているようだったからな。神と魔神との敵対構造については、幾らか知っているようではあったが。警戒心が薄いのか、よほどの自信があるのか。竜をも打ち倒す力を持つならば、後者だろうか〉
〈そういえば、あの子は青玉竜ウィルムを打ち倒したのでしたね。かの竜の安否について、彼は言及していましたか?〉
〈詳細は分からぬが、どこかに匿っているようだな。ロウが言うには、青玉竜は他の竜たちに魔神に敗北したという事実を知られたくないが故に、そこから出たがらないようだ。あれの言葉を信じるなら、という但し書きが付くがね〉
〈う~。あの高飛車なウィルムの性格を考えるに、あり得そうな言動ではありますが〉
グラウクスが出現させた鉛の盃を傾けワインを飲みながら、イルマタルはどうしたものかと嘆息する。
そもそも、彼女がここへやってきたのは、枯色竜ドレイクや月白竜シュガールが会ったという魔神について、知己たるミネルヴァに尋ねるためだった。
結果としては上々、想定以上の情報を得ることは出来たが、それ故に新たな問題も浮上している。
〈あの子は一体、何が目的なのでしょうか〉
〈さてな。我には量りかねる。これといった目的もなく、漫然と生きているだけのようにも見えるが、それでいて竜と奇妙な縁があるようだ〉
〈彼が竜と親交を深めるだけで済めば良いですが、他の魔神がそれに目を付けるとなれば、世界にとって火種になりそうです。動向を監視すべきかもしれませんね〉
飲み干すたびに注がれる琥珀色のワインを浴びるように飲みつつ、妖精神は憂鬱そうな表情で語る。それに対し、知恵の女神は片眉を上げて疑問を呈した。
〈悪戯好きの童女のような汝が監視を行うというのは、些か不安であるな。どこぞを彷徨っている太陽神の所在が分かれば、奴こそ適任なのだが……うん? 確か汝はあの枯色竜と、それらに従っている亜竜たちとを監視しているのではなかったのか?〉
〈ああ、あなたにはまだ伝えていませんでしたね。わたしはドレイクに嫌われているようですから、水神ヴァルナに役割を交代してもらったんですよ。潤いを司る彼なら、あの溶岩を冷やすのも大気を操るわたしよりずっと効率的でしょうし。彼もわたしと違い暇そうでしたから〉
〈……体よく押し付けたというわけか。汝が嫌われる所以であるぞ、それは〉
〈あら、酷いことを言うのね〉
白銀のショートヘアを揺らし可愛らしく頬を膨らませる妖精神ではあるが、言動や行動は中々に外道である。腐れ外道で名の通る魔神ロウと、良い勝負だと言えよう。
その後も彼女たちは、相談やら愚痴やら幼き魔神についての情報やらを議題に酒を飲み続け、知恵の女神が酔い潰れてしまうまで、酒盛りは続いた。
当然その間、グラウクスはせっせと給仕にお酌にと天手古舞である。
[……ロウよ、己が友よ。己も君のように、雷霆の如く離脱できていれば、このように干乾びてしまうこともなかったのだろうか]
外界での仕事と神域での給仕によって萎びてしまったグラウクスの嘆きが、虚しく響く神域だった。
◇◆◇◆
萎びた神の眷属が地に伏す、その数時間前。
紫電のように神域を駆け、巨石の門を空間魔法ですり抜けたロウは、そのまま走って距離をとる。
神たちが追ってくる気配のない事を知るとようやく安堵の息を吐き、身体強化を解除した。
「グラウクスが心労でぶっ倒れそうなのが気がかりだけど、何とか脱出できたか。いやー……神ってそう簡単に出会える存在じゃないと思ってたのに、分からないもんだな」
いくら心臓に毛が生えている少年であっても、流石に魔神の敵対者である神との対談は神経をすり減らすような時間だった。
妖精神イルマタルが顕れた時など、彼の理性はほとんど吹き飛び、体裁をかなぐり捨てて逃げの一手を打ったものだ。魔力の全力解放など敵対行動とみられてもおかしくないものだったが、それほど彼には余裕がなかったのである。
激しく運動したことで急激にアルコールが巡り、足元がぐらつくような感覚や軽い吐き気を伴う不快感を覚えつつも、ロウは来た道をなぞっていく。
螺旋の階段。終端が見えないほど長い廊下。石像の乱立する大広間に、魔力を発する本ばかりが収まる怪しげな書架。
どう考えても図書館の面積以上の距離を踏破して、少年はミネルヴァの石像があるホールへ戻ることに成功した。
「あれ? 石像、ちゃんとあるんだな。まさかこれも、動き出すのか?」
ミネルヴァが動き出したことで不在となったはずの石像の存在に、ロウは首を捻って呟く。
──ロウは知らぬことだが、女神ミネルヴァは神域に入った時点で仮の体を抜け出し、石像に対し元の位置へ戻るよう魔法で動かしていた。
神域の異様さに圧倒されていたこと、彼女の尻へ無意識の内に釘付けとなっていたことで、彼は戻っていく石像に気が付かなかったのだ。
「う~ん。不気味だけど、気にしても仕方がないか。結構時間が経ってるはずだし、早く閲覧室に戻ろう」
神のことなど理解不能だと思考を打ち切り、ロウは閲覧室へ向かう。
戻った先でジト目となっていたヤームルや、ご満悦といった表情のセルケトから昼食の提案を受けた少年は、魔術大学の寮にあるという食堂へ向かった。
その領域の一部であり、女神ミネルヴァの支配する一帯“パレルモ岬”で、ロウは鉛のゴブレットを傾け、琥珀色のワインをちびちびと飲んでいた。
「──それで、酷いんですよ。ウィルムのやつ、俺の話を一切聞かないで、全力全開で殺しにきましたからね。俺、別に、ドレイクからは、襲われただけなのに……」
〈汝は生まれていなかったようだが、一昔前に竜と魔神とは大規模な争いがあったのだ。我としては『青玉竜』の行動も、大いに理解できるところだな。して、どうなった?〉
「ガハハハ。けちょんけちょんにしてやりましたよ。当然、殺しちゃないですけどね」
ロウが飲んでいたのはアルコール度数の低いワインではあったが、彼は既に一時間以上も飲んでいた。流石に飲み過ぎて酔っ払ってしまったのか、あるいは敵対者たる神とはいえ、目が眩むほどの美女と会話しているからなのか。彼は大層機嫌よく語っている。
[青玉竜といえば、若き竜たちの中でも特に力を持ち、更に荒い気性の持ち主として知られているね。君が以前襲われた『枯色竜』と、力も性格も似通っているようだ。同時期に生まれた知己であるという話も、聞き及んでいるよ]
小皿のような盃に口を付け、こくこくとワインを飲んでいた女神の眷属グラウクスが、ウィルムについて補足説明をする。
「そうなんですか? う~ん……」
それを聞いて、塩辛いイカの干物を噛みながら唸り声をあげるロウ。
〈妙な反応だな。我もグラウクスと同じ認識だったが、ロウの認識は異なるということか?〉
「そうなりますかねえ。確かにウィルムの力は凄まじく、竜たるに相応しいものでしたが……。ドレイクの魔法は、ウィルムが使っていたものとは、力の桁が違っていたように思います」
〈ほう……興味深いな〉[ロウよ、それは一体、どれほどの差があったのだろうか?]
三つの瑠璃色の瞳から覗かれ、少年は青玉竜が創り出した極寒の凍土や巨大な氷柱、そしてかの枯色竜が形成した溶岩地獄を頭に思い浮かべる。
「ウィルムの魔法がグラウクスの飲む盃としたら……ドレイクの放った『炎獄』は、この大理石のテーブルくらいの規模でしたね。あいつらの吐くブレスは、どちらも大体似たようなものだったんですけど」
〈それほどの差があるのか? これなら確かに桁の違うという表現となるだろうが、とても同じ若き竜とは思えんな〉
[恐ろしくも興味深い話だね。ロウの言う通り、実際に魔力の制御力に大きく差があるのか、それとも、青玉竜が大魔法を放たなかっただけなのか]
「戦っている最中、ウィルムは手加減している風ではなかったんですよね。まあ、いずれにしてもウィルムの魔力制御が拙いということはないですよ。アレがねぐらとして創った氷の城なんて、人のが数十年かけて造る様なものが、こうして俺たちが酒を飲んだ時間くらいで、完成しちゃいましたからね……。完成品を見た時はビックリしましたよ」
自身の眷属たちから(ジェスチャーで)聞いた話を思い出しながらロウが語ると、ミネルヴァとグラウクスの動きがピタリと止まる。
どうしたのかとロウが問いかける前に、一つ目をぐりぐりと回す神の眷属が遮るように言葉を発した。
[ロウよ、君の言葉をよく消化できなかったのだけれど。青玉竜がねぐらを創るところを見たということは、君は青玉竜を打ち倒した後でも、かの竜と交流があるのかな?]
「あッ!」
神の眷属に問われ、幼い魔神は若葉色の上位精霊が言っていた「魔神が竜を捕えるなど前代未聞」というような言葉を思い出した。
これまで上機嫌で昔話を話してきたロウだったが、流石に戦いの詳細や空間魔法については語っていない。
ウィルムやエスリウからの話でその特異性を認識していた故であるが、それもつい先ほどの発言で綻びが出てしまったのだ。
心地よい酩酊感が吹き飛ぶほどのうっかりである。
〈……まさか、竜を魔界に捕えでもしたのか? 竜を捕えておける場所など、そう無いはずだが〉
「魔界は行ったことがないので分からないですけど、似たようなもんですかね。捕えているというより、あいつが他の竜に、魔神に負けたということが知られたくなくて、出たがらないだけなんですけど」
[竜を捕えるというより、飼いならしているということかな。ロウよ、君は実に恐ろしいことをする]
「いやいやいや、飼いならしてないですって!」
何だか雲行きが怪しくなってきたぞとロウが焦り、女神とその眷属も訝しむような視線を向けだした──その時。
〈──あら、ミネルヴァ? 珍しいですね、あなたがここに客人を招くなんて〉
テラスに一陣の風が吹き、純白と白銀、そして金色で構成された美少女が、煌めく銀の魔力と共に顕れる。
外界とは隔絶されている神域にいともたやすく侵入したこの少女は、先ほどロウたちが話していた枯色竜の創りし溶岩地帯の冷却にあたっていた、妖精神イルマタルであった。
〈イルマタルか。これはまた、何とも言いがたい妙な時に来たものだな〉
[これはこれは、妖精神よ、己が主神の友よ。こうして主神を訪ねてくれるのは、とても嬉しいことなのだけれど、こうも急であるならば、己は過労で倒れてしまうよ]
〈ふふっ、ごめんなさいね、グラウクス。でも大丈夫よ? あなたが倒れてしまっても、きっとミネルヴァが癒してくれるはずですからね〉
疲れの色が濃く滲む声音で青き眷属が語れば、甘い芳香を振り撒く妖精神は、ころころと笑いながら恐ろしい言葉を口にする。
神というものは眷属を使い潰すものだった。
ロウは彼女の言動に戦慄しながらも機を見るに敏。素早くこの場を離脱する決断を下し、「こんなところにいられるか! 俺は帰らせてもらう」と行動に移る。
友人に災難が降りかかろうとしているにもかかわらずフォローすらしない、自分本位極まる決断である。
他人事のように考えている彼も本質的には、やはり神の性質を備えていた。
「なんだかグラウクスがとても不憫ですね。とにかく、他の神が来たのなら俺は邪魔になっちゃいそうですし、お暇します。さよなら!」
すくっと立ち上がり、口を挟む暇がないほどの早口で宣言したロウは、身体強化を全開にして紅の魔力を振り撒き、脱兎のごとく出口へと駆けて行った。
その間、僅か五秒である。
〈──迅いっ!? ……もう見えなくなってしまうとは。ミネルヴァ、あの子は一体?〉
〈ああ、汝にはあの魔力の色が見えないのか。紅の魔力を持ち竜すら打ち倒す。そんな恐ろしくも幼い魔神だよ〉
〈魔神っ!? そんなものを神域に招くなんて、一体何を考えているんですかっ!?〉
ロウが去っていった方向を見据えていたミネルヴァが気だるげに語れば、泡を食って問い質すイルマタル。そんな彼女に、知恵の女神は宥めるように話しかける。
〈あれは汝も調査をしている、竜が創り出した溶岩地帯に関連した存在だ。元々あの馬鹿げた大魔法は、枯色竜があの幼き魔神を見つけ、あれに向けて放ったものらしい〉
〈……! あの子が、ドレイクやシュガールの言っていた魔神でしたか。見た目は完全に幼子なのですね〉
〈その通りではあるが。汝も似たようなものだと思うがな〉
ミネルヴァは鉛の盃を呷り、イルマタルを頭の天辺からつま先まで観察する。
ロウより少しばかり背は高いものの、おおよそ似たような体躯である彼女。背から生える薄翅と長く尖った耳を除けば、人間族の少女そのものだ。美しさこそ人外の域ではあるが。
〈わたしはまあ、老いも育ちもしない神ですからね……。それよりミネルヴァ、あなたはその魔神をどうしてこの神域へ招いたのですか?〉
〈元々あの魔神は、我の眷属と友好関係にあったのだ。我はグラウクスに信を置いているが、如何せん相手は魔神だ。直接見定めておきたいと考え、ここへ呼び寄せ話を聞いたというわけだ〉
〈なるほど……。しかし、よく魔神を神域に連れ出せましたね? 神の領域など、魔神は絶対的に不利でしょうに〉
神域は外界と隔絶しているだけではなく、神性を帯びた領域でもある。神性を帯びているということは、その場にある神に利するということだ。
神の持つ力を更に増幅したり、無尽蔵の魔力を供給したり、細胞一つから再生できるような不死性を与えたり。その恩恵は様々である。
いわば、絶対的な優位が神へともたらされる領域なのだ。
そんな領域へ魔神がのこのこやってくるなど、イルマタルにとって俄かには信じられないことだった。
〈ロウは幼い故に、神域や魔界についての知識が欠落しているようだったからな。神と魔神との敵対構造については、幾らか知っているようではあったが。警戒心が薄いのか、よほどの自信があるのか。竜をも打ち倒す力を持つならば、後者だろうか〉
〈そういえば、あの子は青玉竜ウィルムを打ち倒したのでしたね。かの竜の安否について、彼は言及していましたか?〉
〈詳細は分からぬが、どこかに匿っているようだな。ロウが言うには、青玉竜は他の竜たちに魔神に敗北したという事実を知られたくないが故に、そこから出たがらないようだ。あれの言葉を信じるなら、という但し書きが付くがね〉
〈う~。あの高飛車なウィルムの性格を考えるに、あり得そうな言動ではありますが〉
グラウクスが出現させた鉛の盃を傾けワインを飲みながら、イルマタルはどうしたものかと嘆息する。
そもそも、彼女がここへやってきたのは、枯色竜ドレイクや月白竜シュガールが会ったという魔神について、知己たるミネルヴァに尋ねるためだった。
結果としては上々、想定以上の情報を得ることは出来たが、それ故に新たな問題も浮上している。
〈あの子は一体、何が目的なのでしょうか〉
〈さてな。我には量りかねる。これといった目的もなく、漫然と生きているだけのようにも見えるが、それでいて竜と奇妙な縁があるようだ〉
〈彼が竜と親交を深めるだけで済めば良いですが、他の魔神がそれに目を付けるとなれば、世界にとって火種になりそうです。動向を監視すべきかもしれませんね〉
飲み干すたびに注がれる琥珀色のワインを浴びるように飲みつつ、妖精神は憂鬱そうな表情で語る。それに対し、知恵の女神は片眉を上げて疑問を呈した。
〈悪戯好きの童女のような汝が監視を行うというのは、些か不安であるな。どこぞを彷徨っている太陽神の所在が分かれば、奴こそ適任なのだが……うん? 確か汝はあの枯色竜と、それらに従っている亜竜たちとを監視しているのではなかったのか?〉
〈ああ、あなたにはまだ伝えていませんでしたね。わたしはドレイクに嫌われているようですから、水神ヴァルナに役割を交代してもらったんですよ。潤いを司る彼なら、あの溶岩を冷やすのも大気を操るわたしよりずっと効率的でしょうし。彼もわたしと違い暇そうでしたから〉
〈……体よく押し付けたというわけか。汝が嫌われる所以であるぞ、それは〉
〈あら、酷いことを言うのね〉
白銀のショートヘアを揺らし可愛らしく頬を膨らませる妖精神ではあるが、言動や行動は中々に外道である。腐れ外道で名の通る魔神ロウと、良い勝負だと言えよう。
その後も彼女たちは、相談やら愚痴やら幼き魔神についての情報やらを議題に酒を飲み続け、知恵の女神が酔い潰れてしまうまで、酒盛りは続いた。
当然その間、グラウクスはせっせと給仕にお酌にと天手古舞である。
[……ロウよ、己が友よ。己も君のように、雷霆の如く離脱できていれば、このように干乾びてしまうこともなかったのだろうか]
外界での仕事と神域での給仕によって萎びてしまったグラウクスの嘆きが、虚しく響く神域だった。
◇◆◇◆
萎びた神の眷属が地に伏す、その数時間前。
紫電のように神域を駆け、巨石の門を空間魔法ですり抜けたロウは、そのまま走って距離をとる。
神たちが追ってくる気配のない事を知るとようやく安堵の息を吐き、身体強化を解除した。
「グラウクスが心労でぶっ倒れそうなのが気がかりだけど、何とか脱出できたか。いやー……神ってそう簡単に出会える存在じゃないと思ってたのに、分からないもんだな」
いくら心臓に毛が生えている少年であっても、流石に魔神の敵対者である神との対談は神経をすり減らすような時間だった。
妖精神イルマタルが顕れた時など、彼の理性はほとんど吹き飛び、体裁をかなぐり捨てて逃げの一手を打ったものだ。魔力の全力解放など敵対行動とみられてもおかしくないものだったが、それほど彼には余裕がなかったのである。
激しく運動したことで急激にアルコールが巡り、足元がぐらつくような感覚や軽い吐き気を伴う不快感を覚えつつも、ロウは来た道をなぞっていく。
螺旋の階段。終端が見えないほど長い廊下。石像の乱立する大広間に、魔力を発する本ばかりが収まる怪しげな書架。
どう考えても図書館の面積以上の距離を踏破して、少年はミネルヴァの石像があるホールへ戻ることに成功した。
「あれ? 石像、ちゃんとあるんだな。まさかこれも、動き出すのか?」
ミネルヴァが動き出したことで不在となったはずの石像の存在に、ロウは首を捻って呟く。
──ロウは知らぬことだが、女神ミネルヴァは神域に入った時点で仮の体を抜け出し、石像に対し元の位置へ戻るよう魔法で動かしていた。
神域の異様さに圧倒されていたこと、彼女の尻へ無意識の内に釘付けとなっていたことで、彼は戻っていく石像に気が付かなかったのだ。
「う~ん。不気味だけど、気にしても仕方がないか。結構時間が経ってるはずだし、早く閲覧室に戻ろう」
神のことなど理解不能だと思考を打ち切り、ロウは閲覧室へ向かう。
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これは雑用係に成り下がった【最強】回復術士フールと"ケモ耳美少女"達が『伝説』のパーティだと語られるまでを描いた冒険の物語である!
(160話で完結予定)
元タイトル
「雑用係の回復術士、【魔力無限】なのに専属ギルドから戦力外通告を受けて追放される〜でも、ケモ耳少女とエルフでダンジョン攻略始めたら『伝説』になった。噂を聞いたギルドが戻ってこいと言ってるがお断りします〜」
最遅で最強のレベルアップ~経験値1000分の1の大器晩成型探索者は勤続10年目10度目のレベルアップで覚醒しました!~
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勤続10年目10度目のレベルアップ。
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なんと1回のレベルアップのステータス上昇が通常の1000倍に。
チートスキル【ステータス上昇1000】を得た宮下はこれをきっかけに、今まで出会う事すら想像してこなかったモンスターを討伐。
探索者としての知名度や地位を一気に上げ、勤めていた店は討伐したレアモンスターの肉と素材の販売で大繁盛。
万年Fランクの【永遠の新米おじさん】と言われた宮下の成り上がり劇が今幕を開ける。
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基本は腹を抱えて笑えるコメディだが、物語は時に、世界の運命を賭けた、手に汗握るシリアスな戦いへと突入する。絶体絶命の状況の中、試されるのは仲間たちとの絆。そして、主人公が示すのは、愛する人を、仲間を守りたいという想いこそが、どんなチート能力にも勝る「最強の力」であるという、熱い魂の輝きだ。笑いと涙、その緩急が、物語をさらに深く、感動的に彩っていく。
王道の異世界転生、ハーレム、そして最高のドタバタコメディが、ここにある。最強の力は、一途な愛! 個性豊かすぎる仲間たちと共に、あなたも、最高に賑やかで、心温まる異世界を旅してみませんか? 笑って、泣けて、最後には必ず幸せな気持ちになれることを、お約束します。
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