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雨とともに烟るもの
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時間が感情の昂りを鎮めるのをしばらく待ってから、ユージーンはアリシアの置かれる現在の状況を一つ一つ丁寧に説明した。
発見が早く、本人の対処とジュノー達の処置が功を奏し、このまま修道院での治療が上手くゆけば後遺症の問題も恐らくは避けられるだろうと告げれば、公爵夫人は漸く頭を上げて祈るように謝辞を口にした。
「あの子は、諦めなかったのですね……」
謝辞の後にぽつりと呟かれた言葉に、ユージーンは頷いて見せた。
アリシア・フィルハーリスの為人について、ユージーンは未だ多くを知らない。
それでも、例え受けてきた教育の賜物であれ、年若い娘が一人きりで咄嗟に毒の対処をするなど、容易では無いだろう事は想像がつく。
「これまでにも、このような事は?」
席に付き少し落ち着きを取り戻した夫人に問えば、夫人は首を横に振る。
「いいえ。常に警護もおりましたし、……本来であれば、毒味もつけておりました。でも、実際に毒を盛られた話など、これまで、一度も……」
ややあって、公爵が口を開いた。
「立場上、政敵と言える相手は少なくない。だが、昨今の我が国においては戦いの場といえば専ら議会。用心はすれども、謀殺が罷り通る時勢ではもう無い」
悔恨を滲ませた青い顔のままで、しかし口ぶりは毅然としていた。
「しかし、閣下は先程、アリシア嬢の身を危険に晒すと仰った。何か、そう懸念すべき要因があったのでは?」
「……っ! それ、は……」
公爵はまるでたった今何かを思い出したように目を見開く。
青ざめた顔で動揺を見せるそれは、昨晩の王太子レオンの反応に似ていた。
言葉の先を待つ沈黙は、しかし慌ただしい足音と共に訪れた公爵家の私兵により破られた。
「急ぎの報せゆえ、御無礼をお詫びします。公爵邸から、火の手が上がっています」
◇◆◇
急を要する事態に面会は打ち切られ、公爵は私兵と共に状況の確認と采配の為に急ぎ城を後にした。
降り掛かる凶事が続いたせいか、憔悴し倒れてしまった公爵夫人は、そのまま客間の寝室に運ばれた。
事のあらましが公爵家の遣いから知らされたのは、随分と遅い昼食を摂っていた頃だった。
「民衆による暴動、か。想定はしていたが……予想より早いな」
報告によれば、雨が幸いして焼け落ちたのは館の一部に留まりはしたものの、軽傷を負った者も出ているという。
水の枯渇という、生活だけでなく命にも関わる事態に、聖堂の倒壊という精神的な畏れが上乗せされれば、遅かれ早かれ起きたであろう事だ。
とはいえ、事態が発覚してから早々に暴動が起こるほど、この国の王都は無秩序な街には見えなかった。
「人の心理は、悪い事ほど重要に、大袈裟に捉えます。特に、災害時などはそれが顕著になります」
ユージーンの傍らでメイアが淡々と告げる。
事務方にあたる彼女の得意分野は情報の収集・分析と行動心理分析だ。
「……そういった市井の負の感情の矛先が、アリシア嬢やフィルハーリス公爵家に真っ先に向かうほど、彼らは何かをしたのだろうか」
先程何か言いかけた公爵の顔を思い浮かべて、ユージーンは訝しげな顔をして考え込む。
(あの表情は、何かあるのか何も無いのか、どちらかな……)
その横で、メイアが調査報告書の束を取り出した。
「地震の前日から城下の調査に当たっていた者の報告によれば、市井に広がる風説でそれらしきものに該当するのは、昨晩宰相閣下が告げたものと差異はありません」
ユージーンは片眉を上げ困惑した顔をする。
「では、たったそれだけの事で……?」
あの時アルフレッドが口にしたのと似た台詞を、同じ心境で声にする。
「猊下、悪事を犯した者を糾弾するという行為は、時として、民衆の無意識下で娯楽と成りうるのをご存じですか?」
「……娯楽、か」
「はい。民衆の全てがそれに興じる訳ではありません。しかし、一定数において、過失を理由に対象を糾弾する行為には、その心理に愉悦や快楽を生じる場合が見られます」
「なるほど、過失を犯した者に対しては、その一点に置いては誰しもが優位に立てる」
メイアはこくりと頷いた。
「対象の立場や身分が上であれば、例えばそこに生じる優越感も肥大化しやすい。時には過失内容の大小を問わなくなる傾向すらあります」
そうした過程を経て大袈裟に浸透した認知が、何かを引き金に過剰な暴力性を持って噴出する。
「……そこに更に、崇拝と正義が生む大義名分や、そこから更に生じる攻撃性が加われば」
メイアの言わんとするところを察して、ユージーンは眉間に皺を寄せ苦笑いを浮かべた。
「神の愛子と、それを害する悪女、という構図か」
ユージーンは呟くと遠くを見た。その眼に映るのは、王城の一室の、質の良い壁や天井に調度品。窓の外には昏い雨雲。
彼の眼だけが捉えることの出来る、異質なものは今も尚、何処にも見当たらない。
発見が早く、本人の対処とジュノー達の処置が功を奏し、このまま修道院での治療が上手くゆけば後遺症の問題も恐らくは避けられるだろうと告げれば、公爵夫人は漸く頭を上げて祈るように謝辞を口にした。
「あの子は、諦めなかったのですね……」
謝辞の後にぽつりと呟かれた言葉に、ユージーンは頷いて見せた。
アリシア・フィルハーリスの為人について、ユージーンは未だ多くを知らない。
それでも、例え受けてきた教育の賜物であれ、年若い娘が一人きりで咄嗟に毒の対処をするなど、容易では無いだろう事は想像がつく。
「これまでにも、このような事は?」
席に付き少し落ち着きを取り戻した夫人に問えば、夫人は首を横に振る。
「いいえ。常に警護もおりましたし、……本来であれば、毒味もつけておりました。でも、実際に毒を盛られた話など、これまで、一度も……」
ややあって、公爵が口を開いた。
「立場上、政敵と言える相手は少なくない。だが、昨今の我が国においては戦いの場といえば専ら議会。用心はすれども、謀殺が罷り通る時勢ではもう無い」
悔恨を滲ませた青い顔のままで、しかし口ぶりは毅然としていた。
「しかし、閣下は先程、アリシア嬢の身を危険に晒すと仰った。何か、そう懸念すべき要因があったのでは?」
「……っ! それ、は……」
公爵はまるでたった今何かを思い出したように目を見開く。
青ざめた顔で動揺を見せるそれは、昨晩の王太子レオンの反応に似ていた。
言葉の先を待つ沈黙は、しかし慌ただしい足音と共に訪れた公爵家の私兵により破られた。
「急ぎの報せゆえ、御無礼をお詫びします。公爵邸から、火の手が上がっています」
◇◆◇
急を要する事態に面会は打ち切られ、公爵は私兵と共に状況の確認と采配の為に急ぎ城を後にした。
降り掛かる凶事が続いたせいか、憔悴し倒れてしまった公爵夫人は、そのまま客間の寝室に運ばれた。
事のあらましが公爵家の遣いから知らされたのは、随分と遅い昼食を摂っていた頃だった。
「民衆による暴動、か。想定はしていたが……予想より早いな」
報告によれば、雨が幸いして焼け落ちたのは館の一部に留まりはしたものの、軽傷を負った者も出ているという。
水の枯渇という、生活だけでなく命にも関わる事態に、聖堂の倒壊という精神的な畏れが上乗せされれば、遅かれ早かれ起きたであろう事だ。
とはいえ、事態が発覚してから早々に暴動が起こるほど、この国の王都は無秩序な街には見えなかった。
「人の心理は、悪い事ほど重要に、大袈裟に捉えます。特に、災害時などはそれが顕著になります」
ユージーンの傍らでメイアが淡々と告げる。
事務方にあたる彼女の得意分野は情報の収集・分析と行動心理分析だ。
「……そういった市井の負の感情の矛先が、アリシア嬢やフィルハーリス公爵家に真っ先に向かうほど、彼らは何かをしたのだろうか」
先程何か言いかけた公爵の顔を思い浮かべて、ユージーンは訝しげな顔をして考え込む。
(あの表情は、何かあるのか何も無いのか、どちらかな……)
その横で、メイアが調査報告書の束を取り出した。
「地震の前日から城下の調査に当たっていた者の報告によれば、市井に広がる風説でそれらしきものに該当するのは、昨晩宰相閣下が告げたものと差異はありません」
ユージーンは片眉を上げ困惑した顔をする。
「では、たったそれだけの事で……?」
あの時アルフレッドが口にしたのと似た台詞を、同じ心境で声にする。
「猊下、悪事を犯した者を糾弾するという行為は、時として、民衆の無意識下で娯楽と成りうるのをご存じですか?」
「……娯楽、か」
「はい。民衆の全てがそれに興じる訳ではありません。しかし、一定数において、過失を理由に対象を糾弾する行為には、その心理に愉悦や快楽を生じる場合が見られます」
「なるほど、過失を犯した者に対しては、その一点に置いては誰しもが優位に立てる」
メイアはこくりと頷いた。
「対象の立場や身分が上であれば、例えばそこに生じる優越感も肥大化しやすい。時には過失内容の大小を問わなくなる傾向すらあります」
そうした過程を経て大袈裟に浸透した認知が、何かを引き金に過剰な暴力性を持って噴出する。
「……そこに更に、崇拝と正義が生む大義名分や、そこから更に生じる攻撃性が加われば」
メイアの言わんとするところを察して、ユージーンは眉間に皺を寄せ苦笑いを浮かべた。
「神の愛子と、それを害する悪女、という構図か」
ユージーンは呟くと遠くを見た。その眼に映るのは、王城の一室の、質の良い壁や天井に調度品。窓の外には昏い雨雲。
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