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第5羽 マルセイユの琴音
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そして声を上げる間もなく次の瞬間、投げ出された。
体は仰向けになり落下してゆく、漆黒の闇は灰色に変わりつつあった。
その灰色の空に、とてつもなく巨大な鳥が翼を広げ浮かんでいるのが見えた。
そして異変が悠を襲った。
最初に感じたのは呼吸だった。
自らの意思とは関係なく強制的に肺が呼吸させられているのに悠は驚いて目を開ける。
白い天井が見え、口と鼻を覆っている器具が僅かに見えた。
医療ドラマでよく聞く、呼吸マスクの音や医療機械の定期的な電子音が聞こえてくる。
目のほかに首がほんの申し訳程度に動く以外、まったく体は動かなかった。
悠の頭の中は何も考えられず真っ白になった。
そこへドアの開く音がして一人の女性が部屋に入ってくるのが見えた。
その女性に悠は見覚えがあった、
両親を亡くした三年前、親戚同士が兄と自分の引き受けでもめているとき、黙ってタバコをふかしていた父方の叔母である琴音だ。
――――祐樹の引き受け手は賢三叔父が真っ先に名乗り出たのですんなり決まったが、悠はそういかなった。
親戚達はいろいろ家庭の事情とやらを持ち出してはお互い牽制し合い、あまつさえ兄弟喧嘩の様相を見せ始めたときだった。
手に持ったタバコを灰皿でもみ消しながら「ぐだぐだみっともねぇな!もういい、あたしが面倒みるよ」と琴音が言い放ったのだ。
もともと六人兄弟の中で一番歳下の琴音は学生時代から喧嘩で警察にお世話になったり、高校を卒業するなりふらりとアジアを単身で放浪して現地の男性と結婚、離婚したりと昔から兄弟内でも鼻つまみ者だった。
そんな鼻つまみ者に一喝されたうえ、借りを作られたのでは兄弟達も立つ瀬が無いと思ったのだろう、渋々と妥協案を出し始めた。
結局、祐樹のお願いでババ抜きのババを引かずに済んだ親戚一同は胸を撫で下ろすこととなるのだが悠の脳裏に琴音叔母は印象強く残ったのだった。
「うぉ」
悠が目を開けているのに気づいた琴音はオレンジジュースのペットボトルを片手に声をあげた。
「見える?わかる?」
ペットボトルをゆっくり上下させながら尋ねる琴音に悠はかすかにうなずいた。
にこりと琴音は笑うと悠の側に駆け寄り、ベッド脇のナースコールを押した。
◆
「世界規模で広がっているカラスの襲撃に、各国では対策に頭を悩ませています」
室内のテレビには黒煙の上がっている家から血まみれでぐったりしている白人男性を抱える救助隊員が映り、次いで右上にイギリスBBCとテロップされたスタジオが映し出され女性キャスターが英語で喋り始めた。
字幕を悠が読んでわかったのは多数のカラスの襲撃によりイギリスではもう二百人以上が死んでいる、ということだった。
同じように報道している中国の中央テレビやアメリカのCNNも映され、カラスによる世界的被害を報じていた。
それを側らのイスに座り、共に見ていた琴音は鼻を鳴らしてこう言った。
「十日間意識が戻らなかったあんたは知らないだろうけど、この一週間日本でもカラスに襲われて死ぬ人間がどんどん増えているんだ。口ばしで首を貫かれて死んだり、集団で突かれて穴だらけになって死んだりね。今じゃみんなカラスを見ただけで逃げ出す始末さ。そんなのにあんたの母親、付き添いをあたしに押し付けて京都旅行だってさ。昔から気に入らないババアだったけどここまでバカとはね」
言い終えて、悪口相手の娘の前であらいけない、といった風に舌を出して笑ったので悠もつられて顔がほころんでしまった。
本っ当にそうだよね! という強い思いを押し殺しながら。
飛び下りで出来た怪我は多数の打撲に両足首骨折、右大腿部の複雑骨折、肋骨四本の骨折など計二ヶ月の入院生活と悠は教えられた。
そしてこの一週間、病室に顔を見せたのは事情聴取に来た警察と義父の賢三で、尚美に遼は一度も顔を見せなかった。
琴音は毎日お昼近くになると病室へ顔を見せ、
マルセイユというスナックでホステスをしていると琴音は悠に話した。
週替わりでチャイナ服やセーラー服などの服装で接客するのが特徴の店で、時にはアニメのコスプレもするという。
「全然マルセイユじゃないよね、っていうか幕張?」と眉間にシワをよせる琴音に悠は笑い声をあげたが怪我の傷に響いたので苦痛の声に変わってしまった。
慌てて謝る琴音に悠は思い切って兄、祐樹のことを尋ねたがやんわりと話をそらされたのだった。
入院三週目、ようやく起こせるようになった上半身をクッションに預け、差し入れで読んだ漫画の感想を悠が話してしたときだった。
唐突に琴音が「悠、あんたあの家で何かされた?」と尋ねた。
突然のことに戸惑い、押し黙る悠に「家の話題って一回もしてないよね、その話題になりそうになると顔色変わるし。まあ、あの性悪女が義理の母親じゃ大体のこと想像できるけどさ」と言い、琴音はちょっとおどけた顔を近づけた。
悠はぽつりぽつりと話し出した。
女王が尚美、サッカー王子は遼、この両名による奴隷制度のことを。
風邪をこじらせても薬のひとつも与えられなかったこと、兄が稼いだバイト料を奪われたこと、そして遼にレイプされそうになったことを。
最後の方は涙を流し、しゃくりあげながら話した。
それを琴音はゆっくり頷きながら真剣な眼差しで聞いた。
「このこと、誰にも話さないでください」
琴音から受け取ったティッシュで涙を拭きながら悠は言うと、「話しゃしないよ、じゃあまた明日来るわ」にっこりと琴音は笑い、額に当てた人差し指と中指を悠に向けた後、部屋を出て行った。
つづく
体は仰向けになり落下してゆく、漆黒の闇は灰色に変わりつつあった。
その灰色の空に、とてつもなく巨大な鳥が翼を広げ浮かんでいるのが見えた。
そして異変が悠を襲った。
最初に感じたのは呼吸だった。
自らの意思とは関係なく強制的に肺が呼吸させられているのに悠は驚いて目を開ける。
白い天井が見え、口と鼻を覆っている器具が僅かに見えた。
医療ドラマでよく聞く、呼吸マスクの音や医療機械の定期的な電子音が聞こえてくる。
目のほかに首がほんの申し訳程度に動く以外、まったく体は動かなかった。
悠の頭の中は何も考えられず真っ白になった。
そこへドアの開く音がして一人の女性が部屋に入ってくるのが見えた。
その女性に悠は見覚えがあった、
両親を亡くした三年前、親戚同士が兄と自分の引き受けでもめているとき、黙ってタバコをふかしていた父方の叔母である琴音だ。
――――祐樹の引き受け手は賢三叔父が真っ先に名乗り出たのですんなり決まったが、悠はそういかなった。
親戚達はいろいろ家庭の事情とやらを持ち出してはお互い牽制し合い、あまつさえ兄弟喧嘩の様相を見せ始めたときだった。
手に持ったタバコを灰皿でもみ消しながら「ぐだぐだみっともねぇな!もういい、あたしが面倒みるよ」と琴音が言い放ったのだ。
もともと六人兄弟の中で一番歳下の琴音は学生時代から喧嘩で警察にお世話になったり、高校を卒業するなりふらりとアジアを単身で放浪して現地の男性と結婚、離婚したりと昔から兄弟内でも鼻つまみ者だった。
そんな鼻つまみ者に一喝されたうえ、借りを作られたのでは兄弟達も立つ瀬が無いと思ったのだろう、渋々と妥協案を出し始めた。
結局、祐樹のお願いでババ抜きのババを引かずに済んだ親戚一同は胸を撫で下ろすこととなるのだが悠の脳裏に琴音叔母は印象強く残ったのだった。
「うぉ」
悠が目を開けているのに気づいた琴音はオレンジジュースのペットボトルを片手に声をあげた。
「見える?わかる?」
ペットボトルをゆっくり上下させながら尋ねる琴音に悠はかすかにうなずいた。
にこりと琴音は笑うと悠の側に駆け寄り、ベッド脇のナースコールを押した。
◆
「世界規模で広がっているカラスの襲撃に、各国では対策に頭を悩ませています」
室内のテレビには黒煙の上がっている家から血まみれでぐったりしている白人男性を抱える救助隊員が映り、次いで右上にイギリスBBCとテロップされたスタジオが映し出され女性キャスターが英語で喋り始めた。
字幕を悠が読んでわかったのは多数のカラスの襲撃によりイギリスではもう二百人以上が死んでいる、ということだった。
同じように報道している中国の中央テレビやアメリカのCNNも映され、カラスによる世界的被害を報じていた。
それを側らのイスに座り、共に見ていた琴音は鼻を鳴らしてこう言った。
「十日間意識が戻らなかったあんたは知らないだろうけど、この一週間日本でもカラスに襲われて死ぬ人間がどんどん増えているんだ。口ばしで首を貫かれて死んだり、集団で突かれて穴だらけになって死んだりね。今じゃみんなカラスを見ただけで逃げ出す始末さ。そんなのにあんたの母親、付き添いをあたしに押し付けて京都旅行だってさ。昔から気に入らないババアだったけどここまでバカとはね」
言い終えて、悪口相手の娘の前であらいけない、といった風に舌を出して笑ったので悠もつられて顔がほころんでしまった。
本っ当にそうだよね! という強い思いを押し殺しながら。
飛び下りで出来た怪我は多数の打撲に両足首骨折、右大腿部の複雑骨折、肋骨四本の骨折など計二ヶ月の入院生活と悠は教えられた。
そしてこの一週間、病室に顔を見せたのは事情聴取に来た警察と義父の賢三で、尚美に遼は一度も顔を見せなかった。
琴音は毎日お昼近くになると病室へ顔を見せ、
マルセイユというスナックでホステスをしていると琴音は悠に話した。
週替わりでチャイナ服やセーラー服などの服装で接客するのが特徴の店で、時にはアニメのコスプレもするという。
「全然マルセイユじゃないよね、っていうか幕張?」と眉間にシワをよせる琴音に悠は笑い声をあげたが怪我の傷に響いたので苦痛の声に変わってしまった。
慌てて謝る琴音に悠は思い切って兄、祐樹のことを尋ねたがやんわりと話をそらされたのだった。
入院三週目、ようやく起こせるようになった上半身をクッションに預け、差し入れで読んだ漫画の感想を悠が話してしたときだった。
唐突に琴音が「悠、あんたあの家で何かされた?」と尋ねた。
突然のことに戸惑い、押し黙る悠に「家の話題って一回もしてないよね、その話題になりそうになると顔色変わるし。まあ、あの性悪女が義理の母親じゃ大体のこと想像できるけどさ」と言い、琴音はちょっとおどけた顔を近づけた。
悠はぽつりぽつりと話し出した。
女王が尚美、サッカー王子は遼、この両名による奴隷制度のことを。
風邪をこじらせても薬のひとつも与えられなかったこと、兄が稼いだバイト料を奪われたこと、そして遼にレイプされそうになったことを。
最後の方は涙を流し、しゃくりあげながら話した。
それを琴音はゆっくり頷きながら真剣な眼差しで聞いた。
「このこと、誰にも話さないでください」
琴音から受け取ったティッシュで涙を拭きながら悠は言うと、「話しゃしないよ、じゃあまた明日来るわ」にっこりと琴音は笑い、額に当てた人差し指と中指を悠に向けた後、部屋を出て行った。
つづく
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