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利奈を除いて俺たちはあぶれた。
実家に帰らず、就職もせず、東京の住まいも引き払った。アルバイトをしながら、ここでの共同生活で食いつないでいく道を選んだ。
近場の駅、商店街に出向くにしても、車を使って一時間。アルバイトをこなすにしても、決して便利な環境ではなかったが、俺たちはこの屋敷を離れようとしなかった。
祭りの太鼓はやんでいる。宴に饗された銀の器も片づけられた。俺たちもそれに気づいていた。気づいてはいたが、手で目をふさいで気づかないふりをしていただけだ。
やがて深い虚無感と諦め、喪失感が俺たちを侵食し始めた。
最初それは紫色の煙の姿で、俺たちの心に忍び込んできた。退廃の中の陶酔と幸せ。渦巻く煙が俺たちの傷をそっと優しく労わってくれた。
当然違法の魔法ではあるが、その時の俺たちにはその甘い香りの紫煙が必要だったのだ。
持ち込んできたのは十文字だった。トレーニングジム関係者からの調達だった。
アトリエをたゆたっていた紫の煙は、いつしか白い結晶に変わった。たまには粉にも錠剤にも。スプーン、アルミ箔、アルコールランプ、注射針……。
破滅を知りながら俺たちは、地獄がくれる背徳の黒い蜜の味に溺れていった。
すべてが溶け合う幸福な世界。前後左右、上も下も、清も濁も、闇も光も、正義も悪も、男も女も、神も悪魔も関係ない。
アトリエの板間に敷かれたペルシア織りの絨毯とラグ。その上で俺たちは、ただの液体に、肉に変わって交じり合った。
十文字だけは、自身制作のオリジナルベッド、十文字一号をいつも使った。
その上に誰かを四つん這いにして、うしろからきつく抱きすくめる。それが彼の愛し合うスタイルだった。彼はその動物的で野蛮な体位を好んで使った。
戯れが始まると、キイキイキュウキュウ、ウグイス張りの廊下のように、大きく滑稽な音がする。
ハイになっている俺たちは、それを見ながら、聞きながら、腹を抱えてゲラゲラ笑った。
だがそれすらも、じつはかつてのヒッピー文化の焼き直しにすぎない。サイケデリックのリバイバル。俺たちはどこまでいっても本物になれなかった。
事故の後遺症が悪化して亜沙美が実家に帰っていった。
なんだかんだと俺たちにつき合ってくれていた利奈も、仕事が忙しいからといって、あまり姿を見せなくなった。
バイトのお金が貯まったから写真旅行に出かけるわ。真利亜も俺たちに愛想をつかして出ていった。
広く大きく透明な窓から、次第に角度と輝きを増して、燦々と初夏の日差しがアトリエの広間に降りそそいでいた。
なのにそこは暗闇だった。
俺たち男三人は、すでに服を着ることすら億劫になって、怠惰で無気力な死にかけの動物のように、一日中、全裸でダラダラと寝てすごすことが多くなった。
このままでいいのか?
いいはずはなかった。
最後の正気が残っているうちに。骨まで黒く染め抜かれる前に。俺は警察に通報した。
警官たちが屋敷に押しかけてきた。俺たちはロープでつながれ、檻に入れられ、法廷で裁かれた。無論、利奈も、亜沙美も、真利亜も。
『みんなの未来を守るためだったんだ。ここで引き返しておかないと二度と現実に戻れなくなると思ったんだ』
そんな綺麗ごとのいい訳で、今さら自分を取り繕おうとは思わない。
俺は裏切り者だった。
自分の身を切ったにしても、自分かわいさに、みんなの未来を売ったのは事実だ。それどころか、みんなを水底に沈めておきながら、自分だけが陸に上がって、澄んだ空気を呼吸している。爛れた過去を葬り去って……。
憎まれても呪われても、場合によっては殺されたって、文句は言えない筋合いだった……。
実家に帰らず、就職もせず、東京の住まいも引き払った。アルバイトをしながら、ここでの共同生活で食いつないでいく道を選んだ。
近場の駅、商店街に出向くにしても、車を使って一時間。アルバイトをこなすにしても、決して便利な環境ではなかったが、俺たちはこの屋敷を離れようとしなかった。
祭りの太鼓はやんでいる。宴に饗された銀の器も片づけられた。俺たちもそれに気づいていた。気づいてはいたが、手で目をふさいで気づかないふりをしていただけだ。
やがて深い虚無感と諦め、喪失感が俺たちを侵食し始めた。
最初それは紫色の煙の姿で、俺たちの心に忍び込んできた。退廃の中の陶酔と幸せ。渦巻く煙が俺たちの傷をそっと優しく労わってくれた。
当然違法の魔法ではあるが、その時の俺たちにはその甘い香りの紫煙が必要だったのだ。
持ち込んできたのは十文字だった。トレーニングジム関係者からの調達だった。
アトリエをたゆたっていた紫の煙は、いつしか白い結晶に変わった。たまには粉にも錠剤にも。スプーン、アルミ箔、アルコールランプ、注射針……。
破滅を知りながら俺たちは、地獄がくれる背徳の黒い蜜の味に溺れていった。
すべてが溶け合う幸福な世界。前後左右、上も下も、清も濁も、闇も光も、正義も悪も、男も女も、神も悪魔も関係ない。
アトリエの板間に敷かれたペルシア織りの絨毯とラグ。その上で俺たちは、ただの液体に、肉に変わって交じり合った。
十文字だけは、自身制作のオリジナルベッド、十文字一号をいつも使った。
その上に誰かを四つん這いにして、うしろからきつく抱きすくめる。それが彼の愛し合うスタイルだった。彼はその動物的で野蛮な体位を好んで使った。
戯れが始まると、キイキイキュウキュウ、ウグイス張りの廊下のように、大きく滑稽な音がする。
ハイになっている俺たちは、それを見ながら、聞きながら、腹を抱えてゲラゲラ笑った。
だがそれすらも、じつはかつてのヒッピー文化の焼き直しにすぎない。サイケデリックのリバイバル。俺たちはどこまでいっても本物になれなかった。
事故の後遺症が悪化して亜沙美が実家に帰っていった。
なんだかんだと俺たちにつき合ってくれていた利奈も、仕事が忙しいからといって、あまり姿を見せなくなった。
バイトのお金が貯まったから写真旅行に出かけるわ。真利亜も俺たちに愛想をつかして出ていった。
広く大きく透明な窓から、次第に角度と輝きを増して、燦々と初夏の日差しがアトリエの広間に降りそそいでいた。
なのにそこは暗闇だった。
俺たち男三人は、すでに服を着ることすら億劫になって、怠惰で無気力な死にかけの動物のように、一日中、全裸でダラダラと寝てすごすことが多くなった。
このままでいいのか?
いいはずはなかった。
最後の正気が残っているうちに。骨まで黒く染め抜かれる前に。俺は警察に通報した。
警官たちが屋敷に押しかけてきた。俺たちはロープでつながれ、檻に入れられ、法廷で裁かれた。無論、利奈も、亜沙美も、真利亜も。
『みんなの未来を守るためだったんだ。ここで引き返しておかないと二度と現実に戻れなくなると思ったんだ』
そんな綺麗ごとのいい訳で、今さら自分を取り繕おうとは思わない。
俺は裏切り者だった。
自分の身を切ったにしても、自分かわいさに、みんなの未来を売ったのは事実だ。それどころか、みんなを水底に沈めておきながら、自分だけが陸に上がって、澄んだ空気を呼吸している。爛れた過去を葬り去って……。
憎まれても呪われても、場合によっては殺されたって、文句は言えない筋合いだった……。
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