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二章
7.二人と一人
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安達は仕事のため、このまま再び外出するらしい。
聞くと、香澄に先ほどの案件について確認するために帰社したのだと言う。
わざわざ時間を取らせてしまったことを再度謝ると、メールでもよかったけど直接顔見て話したかった、つまりこれは自分の我儘だから決して気にしないようにと念押しされた。
そんなところも、やっぱり優しい人だと思う。
安達との会話で元気づけられ、コンビニでドリンクを購入して総務の執務フロアに戻った香澄だが、そこで今度は思いがけない二人に出会った。
ふと見やった廊下の先にいたのは――永瀬と櫻木だ。
二人は営業一課に入る扉のすぐ近くで何やら話をしている。
距離があるので、会話の内容までは聞こえない。
でもその景色を見ただけで胸がぎゅっと痛んで…思わず泣きそうになって、香澄は咄嗟に視線を逸らした。
とはいえ、ここで立ち止まったり引き返すのも不自然だ。
総務に入る扉は二人が立っている場所を通り過ぎたところにあるので、足元に視線を向けつつ、その横を通り過ぎようとしたのだが――。
「…話は一旦ここまでにしよう。また連絡する」
「はい」
会話が聞こえる距離まで香澄が近づくと、二人は突然会話を切り上げた。
まるで知られるとまずいことを話していたかのように見えるのは、考えすぎだろうか。
廊下に他の社員はいない。会話を中断したのは、他人に聞かれたくない話だから?それとも…外ならぬ香澄だから?
(何を話していたの…)
怪しい二人に疑惑が増していく。
だけどそれを絶対に勘づかれたくなくて、すれ違いざまに小さく会釈だけすると足早に二人の横を通り過ぎた。
櫻木はそのまま扉を開けて執務スペースに入って行ったようだが、永瀬の足音があろうことか後ろから近づいて聞こえてきたものだから、嫌な予感に香澄の胸がざわめいた。
(うそ、まさか私に話しかけたりしないよね?嫌だ…やめて、今はまだ無理)
とその時、執務スペースから数人の社員たちが出てきた。
一秒でも早く永瀬から逃げたいが、走っては悪目立ちしてしまう。
かといってこのまま進んだところで、横並びで談笑する彼らの脇をすり抜けるには少し速度を落とさなければならず、すぐ永瀬に追いつかれるだろう。
それよりはすぐそこにある女子トイレの方が早く避難できるかもしれない――そう思った香澄だが、それは行動を先読みした永瀬によってあっけなく阻止された。
「久遠さん。ちょっといい?」
女子トイレを目前にして、香澄は弾かれたように立ち止まった。そうせざるを得なかった、他の社員がいるところで営業一課課長から名前を呼ばれては、さすがに無視できない。
彼女は諦めたように小さく息を吐くと、仕事モードの顔で振り返った。
それでも目を合わせたら冷静を保てる自信がなくて、視線はネクタイの辺りに留めおく。今の彼女には、それが精一杯の抵抗だった。
「…おつかれさまです、永瀬さん。何か御用でしょうか」
「先日の件なんだけど、状況を整理したくて。今日どこかで話す時間あるかな」
「今日、ですか」
「うん。そんなに時間を取らせるつもりはない。久遠さんの都合に合わせるけど、必ず今日中がいい」
配慮の中に見える、断固とした意思。
永瀬が言わんとしていることを察して、香澄は言葉に詰まった。
先日の件とは、香澄が彼の家を一人で出たあの日のことだろう。
それはここ数日、香澄の思考を支配しているもの。永瀬との距離をぎこちなくさせているもの。まだ覚悟を、決められずにいるもの…。
――実は、メッセージ上でその話題になると香澄は途端に話題を逸らしていた。
加えて、電話や直接会うことも様々な理由をつけて拒み続けている。
短時間でもいいから話したい、香澄の家に行くから会って話したい、という永瀬の譲歩すら受け入れない。
だって声を聞いたりその顔を見てしまったらどうしても感情が揺らぐし、話題を逸らすのも難しくなる。
しかも相手は営業として百戦錬磨の永瀬、気付かないうちに誘導され、あっという間に逃げ道を塞がれてしまうだろう。そうなったとき、香澄は彼に太刀打ちできない。
もちろん、いつまでも逃げてばかりいられないことは分かっている。
でもあの日のことは、まだ自分の中で消化しきれていないというのが現実だ。
まずは目の前の仕事をさばくことが何より最優先なので、それが落ち着いたらゆっくり考えるつもりだったのだが…どうやら永瀬はそこまで待つつもりはないらしい。
敏い彼のことだ、香澄に避けられていることにはとっくに気付いているだろう。香澄自身、そろそろ言い訳が苦しくなってきたと思い始めていたほどである。
おそらくこのままでは埒があかないと悟った永瀬は、敢えて周囲の目があるところで接触してきた。こうすれば彼女が拒めないと分かっているから。
そしてその判断は正しかったと言える。
すれ違う他の社員達の視線を感じて、香澄は断る理由を完全に失っていた。
「…かしこまりました。では後ほど、追って時間をご連絡いたします」
「うん、よろしく」
結局一度も視線を合わせられないまま、香澄は会話を切り上げると永瀬に一礼して背を向けた。
そうして、努めて冷静を装いながらトイレへと逃げ込む。
鏡越し、ふと視線が合った自分の瞳は、不安で大きく揺れていた。
聞くと、香澄に先ほどの案件について確認するために帰社したのだと言う。
わざわざ時間を取らせてしまったことを再度謝ると、メールでもよかったけど直接顔見て話したかった、つまりこれは自分の我儘だから決して気にしないようにと念押しされた。
そんなところも、やっぱり優しい人だと思う。
安達との会話で元気づけられ、コンビニでドリンクを購入して総務の執務フロアに戻った香澄だが、そこで今度は思いがけない二人に出会った。
ふと見やった廊下の先にいたのは――永瀬と櫻木だ。
二人は営業一課に入る扉のすぐ近くで何やら話をしている。
距離があるので、会話の内容までは聞こえない。
でもその景色を見ただけで胸がぎゅっと痛んで…思わず泣きそうになって、香澄は咄嗟に視線を逸らした。
とはいえ、ここで立ち止まったり引き返すのも不自然だ。
総務に入る扉は二人が立っている場所を通り過ぎたところにあるので、足元に視線を向けつつ、その横を通り過ぎようとしたのだが――。
「…話は一旦ここまでにしよう。また連絡する」
「はい」
会話が聞こえる距離まで香澄が近づくと、二人は突然会話を切り上げた。
まるで知られるとまずいことを話していたかのように見えるのは、考えすぎだろうか。
廊下に他の社員はいない。会話を中断したのは、他人に聞かれたくない話だから?それとも…外ならぬ香澄だから?
(何を話していたの…)
怪しい二人に疑惑が増していく。
だけどそれを絶対に勘づかれたくなくて、すれ違いざまに小さく会釈だけすると足早に二人の横を通り過ぎた。
櫻木はそのまま扉を開けて執務スペースに入って行ったようだが、永瀬の足音があろうことか後ろから近づいて聞こえてきたものだから、嫌な予感に香澄の胸がざわめいた。
(うそ、まさか私に話しかけたりしないよね?嫌だ…やめて、今はまだ無理)
とその時、執務スペースから数人の社員たちが出てきた。
一秒でも早く永瀬から逃げたいが、走っては悪目立ちしてしまう。
かといってこのまま進んだところで、横並びで談笑する彼らの脇をすり抜けるには少し速度を落とさなければならず、すぐ永瀬に追いつかれるだろう。
それよりはすぐそこにある女子トイレの方が早く避難できるかもしれない――そう思った香澄だが、それは行動を先読みした永瀬によってあっけなく阻止された。
「久遠さん。ちょっといい?」
女子トイレを目前にして、香澄は弾かれたように立ち止まった。そうせざるを得なかった、他の社員がいるところで営業一課課長から名前を呼ばれては、さすがに無視できない。
彼女は諦めたように小さく息を吐くと、仕事モードの顔で振り返った。
それでも目を合わせたら冷静を保てる自信がなくて、視線はネクタイの辺りに留めおく。今の彼女には、それが精一杯の抵抗だった。
「…おつかれさまです、永瀬さん。何か御用でしょうか」
「先日の件なんだけど、状況を整理したくて。今日どこかで話す時間あるかな」
「今日、ですか」
「うん。そんなに時間を取らせるつもりはない。久遠さんの都合に合わせるけど、必ず今日中がいい」
配慮の中に見える、断固とした意思。
永瀬が言わんとしていることを察して、香澄は言葉に詰まった。
先日の件とは、香澄が彼の家を一人で出たあの日のことだろう。
それはここ数日、香澄の思考を支配しているもの。永瀬との距離をぎこちなくさせているもの。まだ覚悟を、決められずにいるもの…。
――実は、メッセージ上でその話題になると香澄は途端に話題を逸らしていた。
加えて、電話や直接会うことも様々な理由をつけて拒み続けている。
短時間でもいいから話したい、香澄の家に行くから会って話したい、という永瀬の譲歩すら受け入れない。
だって声を聞いたりその顔を見てしまったらどうしても感情が揺らぐし、話題を逸らすのも難しくなる。
しかも相手は営業として百戦錬磨の永瀬、気付かないうちに誘導され、あっという間に逃げ道を塞がれてしまうだろう。そうなったとき、香澄は彼に太刀打ちできない。
もちろん、いつまでも逃げてばかりいられないことは分かっている。
でもあの日のことは、まだ自分の中で消化しきれていないというのが現実だ。
まずは目の前の仕事をさばくことが何より最優先なので、それが落ち着いたらゆっくり考えるつもりだったのだが…どうやら永瀬はそこまで待つつもりはないらしい。
敏い彼のことだ、香澄に避けられていることにはとっくに気付いているだろう。香澄自身、そろそろ言い訳が苦しくなってきたと思い始めていたほどである。
おそらくこのままでは埒があかないと悟った永瀬は、敢えて周囲の目があるところで接触してきた。こうすれば彼女が拒めないと分かっているから。
そしてその判断は正しかったと言える。
すれ違う他の社員達の視線を感じて、香澄は断る理由を完全に失っていた。
「…かしこまりました。では後ほど、追って時間をご連絡いたします」
「うん、よろしく」
結局一度も視線を合わせられないまま、香澄は会話を切り上げると永瀬に一礼して背を向けた。
そうして、努めて冷静を装いながらトイレへと逃げ込む。
鏡越し、ふと視線が合った自分の瞳は、不安で大きく揺れていた。
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