つきせぬ想い~たとえこの恋が報われなくても~

宮里澄玲

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 その日から最低でも週に一度は店に行った。ここには自分を知る人は誰もいない。意地悪なことや陰口などを言う人もいない。誰も繭子のことを気に留めたりしない。オドオドしたりビクビクしたりしなくてもいい。ここで過ごすことが繭子の安らぎになっていた。 
 
 マスターともだいぶ打ち解けてきた。世間話をするくらいだったがそれでも楽しかった。マスターは自分の話はするが、繭子のことを根掘り葉掘り聞いたりすることは一切ない。今の繭子にはそれがとてもありがたかった。

 驚いたことに、元々マスターは商社に勤めるサラリーマンだったという。小学校の高学年の頃からお父様の命でお店を手伝っていたものの、お店を継ぐことにあまり興味がなかったそうだ。でも一人っ子だったのでいずれは継ぐことになるのは分かっていたので、その前に一度普通に就職して会社勤めの経験をしたいと、お父様の許しを得て30歳までという条件でサラリーマン生活を送り今に至るとのことだった。会社を辞めた後、お父様から先代から受け継いだ料理のレシピを徹底的に叩き込まれ、閉店後や定休日も本人曰く「鬼のしごき」を受け、お父様が病気で倒れるまで続いたという。
 「本当に父は厳しくて、しょっちゅう殴られましたし、怒鳴り合いの喧嘩も数えきれないほどありました。店をさっさと潰してまたサラリーマンに戻りたいと何度思ったことか」
 マスターは笑いながら当時のことを話してくれた。  
 え、あの、とても優しい上品な紳士という感じの先代のマスターが…。
 「…でも、お父様はマスターにおじい様から続いているこの店の味を守り続けてもらいたいという強い願いから心を鬼にして厳しくご指導されたのだと思います」 
 「そうですね。そのおかげで何とかこうして独り立ちして店を続けられています。寝たきりになってしまってからもベッドの中からあれこれ指図するのには参りましたけどね」
 マスターが少し俯き加減でフッ…と笑った。少し寂しそうに見えた。繭子は慌てて別の話題に切り替えようと、今、飲んでいるラベンダーティーに目を向けた。
 「あの、このラベンダーティー、香りが強すぎず弱すぎず絶妙で、ほっと優しい気分にさせてくれてリラックスできます。メニューにあるハーブティーはどれも美味しいですが、中でもこれが一番好きかもしれません」
 繭子の言葉に、マスターが顔を上げ、驚いたような顔をした。
 え、私、何か変なこと言った…? 内心不安に思っていると、すぐに元の穏やかな表情に戻った。
 「ありがとうございます。こちらはフランスから取り寄せているドライハーブなんですが、香りが強すぎると飲みにくいし弱すぎると味気ないので、蒸らし時間などを色々試したんです。お気に召していただけてよかったです。ラベンダーは、落ち込んだ気分を和らげてくれてリラックス効果があって不眠にも効果があると言われているんですよ。紅茶の専門店はもちろんですが、大きいスーパーでも買えますよ」 
 今の私にピッタリなお茶だ…。早速スーパーで探してみようかな。でも…。
 「そうなんですか。家でも気軽に飲めるんですね。それもいいのですが、私、ここで、この店内の素敵な雰囲気の中でこのラベンダーティーを飲みたいです」
 それにマスターにも会えるし…もちろんそんなこと口に出せなかったが。
 「嬉しいです。これからも末永くご愛顧いただきますよう、よろしくお願いいたします」
 「はい、これからも末永くご愛顧させていただきます」
 お互いに頭を下げちょっとおどけたように言うと、フフフッと笑い合った。

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