5 / 59
5
しおりを挟む最後の客を見送り、扉に掛けてあるプレートを『CLOSE』に返し、残っている洗い物や店内の掃除を簡単に済ませ、売り上げの締めをして問題がなければ、大学生のアルバイトの子が「お先に失礼します、お疲れ様でした~」と帰っていく。
何事もなくいつもの1日が終わった。
一平はほっと一息つくとコーヒーを淹れ、余った食材で適当に夕飯を作り始めた。これもいつもの日常だ。
店は昼間の営業が11時から14時、夜が18時から21時まで。定休日は毎週月曜と毎月15日。時々臨時休業することもある。夜の営業時間はカフェレストランにしては短くしている。昼は主婦のパートさん、夜は大学生のアルバイトを1人ずつ雇っているが、料理やドリンクは基本的に一平が全て作っていてメニューも多めなので、食材の仕入れや料理の仕込みなど色々考えて自分の代から営業時間を変更した。常連客がほとんどだし、人通りが少ない目立たない場所にあることから満席になることは滅多にないが、店は持ち家で家賃がなく人件費もそれほどかかっていないのでなんとかやっていけている。
残ったビーフシチューとササッと作ったエビピラフを食べていると、ふと、坂井繭子という女性のことが頭をよぎった。
先月、見慣れない顔の、折れそうなくらい痩せ細った女性が店に入ってきた。久しぶりのいちげんさんだと思ったが、親父のマスター時代に何度か来たことがあるという。昔から出しているアップルパイを懐かしげに見つめながら顔を綻ばせて美味しそうに味わってくれていたのが印象的だった。親父のことを聞かれたので亡くなったと告げると、いけないことを聞いてしまったという顔をしてすぐに謝ってきた。謝る必要なんて全くなかったのに。
ちょっと気になったのが、じいちゃんの写真を見せた時だった。一瞬だが、表情が曇り悲痛な顔をしたのだ。何か辛いことを抱えているかのように…。すぐにまた明るい調子に戻ったが空元気なのがありありと見えた。
それからはだいたい平日に週に一度くらいのペースで来店してくれている。
いつもカウンター席に座り、コーヒーの時もあるが、ハーブティーを頼むことが多い。
これまで接していて気づいたのは、静かに1人でいる時も自分と他愛ない話をしている時でも、ふとしたことで表情が翳ることが何度かあることだ。それに、余計なお世話かもしれないが、明らかに痩せすぎなことも気になる。何か病気でもしているのだろうか…大丈夫だろうか…。こういうことにはつい敏感になってしまう。
だが気になっていても自分から聞くようなことはしない。店に来てくれるお客さんと色々な話をするのは楽しいが、それでもきちんとけじめをつけるところはつけ、自分からむやみにお客さんのプライバシーに土足で踏み込むようなマネはしないと決めているからだ。もし何か思い悩んでいることがあるなら話を聞くぐらいはできるのだが…。
そこでハッとする。どうしてそんなに彼女のことが気になるんだ? ただの常連客の1人じゃないか。
でも……。
彼女のことでもう1つある。
今日、ラベンダーティーのことに触れた時のことだった。
彼女が口にした感想に、思わず動揺が走った。
"一平が淹れるラベンダーティー、香りが強すぎず弱すぎずホントに絶妙ね。ほっと優しい気分にさせてくれてリラックスできる。ここのハーブティーはどれも美味しいけど、中でもこれが一番好きよ"
同じことを言ったのだ……あいつと。
0
あなたにおすすめの小説
灰かぶりの姉
吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。
「今日からあなたのお父さんと妹だよ」
そう言われたあの日から…。
* * *
『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。
国枝 那月×野口 航平の過去編です。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
苺の誘惑 ~御曹司副社長の甘い計略~
泉南佳那
恋愛
来栖エリカ26歳✖️芹澤宗太27歳
売れないタレントのエリカのもとに
破格のギャラの依頼が……
ちょっと怪しげな黒の高級国産車に乗せられて
ついた先は、巷で話題のニュースポット
サニーヒルズビレッジ!
そこでエリカを待ちうけていたのは
極上イケメン御曹司の副社長。
彼からの依頼はなんと『偽装恋人』!
そして、これから2カ月あまり
サニーヒルズレジデンスの彼の家で
ルームシェアをしてほしいというものだった!
一緒に暮らすうちに、エリカは本気で彼に恋をしてしまい
とうとう苦しい胸の内を告げることに……
***
ラグジュアリーな再開発都市を舞台に繰り広げられる
御曹司と売れないタレントの恋
はたして、その結末は⁉︎
15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~
深冬 芽以
恋愛
交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。
2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。
愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。
「その時計、気に入ってるのね」
「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」
『お揃いで』ね?
夫は知らない。
私が知っていることを。
結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?
私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?
今も私を好きですか?
後悔していませんか?
私は今もあなたが好きです。
だから、ずっと、後悔しているの……。
妻になり、強くなった。
母になり、逞しくなった。
だけど、傷つかないわけじゃない。
『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』
鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、
仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。
厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議――
最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。
だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、
結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。
そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、
次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。
同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。
数々の試練が二人を襲うが――
蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、
結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。
そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、
秘書と社長の関係を静かに越えていく。
「これからの人生も、そばで支えてほしい。」
それは、彼が初めて見せた弱さであり、
結衣だけに向けた真剣な想いだった。
秘書として。
一人の女性として。
結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。
仕事も恋も全力で駆け抜ける、
“冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる