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しおりを挟む最初の仕事の以降、少しずつではあるが依頼が来るようになった。同じようなアンケート結果の集計だったり、住所録の作成だったり。先日は初めてICレコーダーに録音された30分程度の講演内容を文章にするテープ起こしという仕事を行った。慣れない作業で大変だったが、寝る間も惜しんで必死に取り組み、早めに納入することができた。
こうした繭子の早くて正確な仕事ぶりが評価され、さらに依頼が増えていった。それに伴い収入も徐々にアップしていったので、当面は在宅ワーク一本でやっていこうと思った。
忙しくなるにつれて、なかなか古時計に行く時間が取れなくなった。最後に行ってから3ヶ月近く経つ。最近は仕事の充実感から体調がいい。久しぶりに店に行きたくなった。
先ほどデータ入力の仕事を終えたばかりだった。もう日が暮れようとしていた。確か夜の営業は18時から。よし、お腹も空いたし夕飯を食べに行こう。繭子は早速出かける支度を始めた。
しかし、すっかり失念していた。今日が月曜日だということを。
マスターに会える……繭子の胸が高鳴った。
今日はどんな話をしてくれるだろうか、また面白い話をしてくれるといいな。自然と足取りが軽やかになる。
せっかく街に出たのだし店に行く前に本屋さんに寄って新刊本のチェックをしよう、と大通りにある大きな書店に向かっていたその時――。
少し先の通りにいたスーツ姿の男女がこちらの方に向かって歩いて来た。
え、あれは…! 気づいた瞬間、繭子は固まって動けなくなってしまった。どんどんお互いの距離が縮まっていく……。
すると、女の方が繭子に気づいた。
「あなた、坂井さんよね!? 久しぶり、元気?」と話しかけてきた。
「……」
動揺のあまり何も言えなくなっている繭子を気にせず女は続ける。
「仕事帰り? 私たちもなの。お客様のところを回っていたの。ほら、坂井さんが前に担当していた――」
と、以前繭子が担当していた会社名を言った。
そういえば…あの会社はこの街にあるんだった。
「今は私も営業の方もやっているの。忙しいけど楽しくてね!」
「……そうですか」
繭子がやっとその一言だけ口に出した。
「久しぶりに会ったのに随分つれないのね。まあ、いいわ。さてと、まだ仕事が残っているから急いで会社に戻らないと。今はあなたの仕事も含めて他にも色々任されてるからもう大変! じゃあね!」
と言うと、フッ…と鼻で笑うような態度で男と去っていった。男の方は繭子を覚えていないようだった。
繭子は呆然と立ち尽くしていた。
高橋亜希……。一番会いたくなかった人とこんなところで再会するなんて……。何が、今はあなたの仕事も含めて色々任されてる、よ。私の仕事のやり方に口出ししケチをつけ、勝手に仕事を奪って、挙句の果てに私を孤立させ心身ともにボロボロにして退職せざるを得ない状況に追い込んで…! ねえ、私があなたに何をしたっていうの? 私に何の恨みがあるっていうの? 私は自分のやるべき仕事をきちんとこなし、あなたが来るまでは何も問題なく会社の歯車として働いてきた。それなのに、あなたのせいで私はっ……!
体が震え出し、動悸が激しくなり、呼吸も乱れてきて、胸が苦しくなってきた。
どうしよう、こんなところで倒れるわけにはいかない…でも苦しい…。
家に帰らなくては、という思いとは裏腹に、無意識に繭子の足は古時計に向かって行った……。
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