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しおりを挟む仕事を終えた美沙絵は、職場の大学図書館を出て帰る道すがら夕飯を家で食べるか外食するか迷っていた。今夜、夫の駿は教師仲間と飲み会なのだ。
今日はとても忙しかったし疲れた…やっぱり作るの面倒だからどこかに寄ろう、と決めて繁華街の駅で途中下車した。どこに行こうかな、オーガニックの店はこの前駿さんと行ったばかりだし、古時計は…あ、今日は月曜だから休みだ…どうしようかな…と考えていると、美沙絵の少し先の方で体をふらつかせながら歩いている女性の後ろ姿が目に入った。美沙絵は妙に気になった。大丈夫かな…倒れそうだな…。心配になって自然と後を追う形になった。女性は古時計の方角に向かっているようだった。そして、古時計に着いた瞬間、倒れこんだので美沙絵は急いで駆け寄った。
「あの、大丈夫ですか!?」
呼びかけても反応がないし顔色が悪い。救急車を呼んだ方がいいかも、とすぐにスマホを出して119番通報をしようとした時、
「…だ、大…丈夫…で…す…ただの…か、過、呼吸…です…の、で、すぐ、に、お、さまり、ま、す…」と苦し気に女性が言った。
とりあえず会話ができる状態にホッとした美沙絵は、確か過呼吸を治めるには…と思い出すと、体を抱き寄せてゆっくりと背中をさすりながら、
「落ち着いて…ゆっくり、ゆっくり、呼吸してください…そうです…その調子です…大丈夫ですよ…」と、ひたすら女性が落ち着くまで優しく声を掛け続けた。
一平が自宅のリビングで寛いでいると、外から何やら声が聞こえた。
「…ん? 何だろう、誰かいるのかな…」
気になってドアをそっと開けると、店の前で座り込んだ美沙絵が女性を介抱していた。一平はすぐさま駆け寄った。
「美沙絵ちゃん、どうしたの!?」
美沙絵が顔を上げた。
「あ、マスター! この女性が店の前で倒れたんです。過呼吸を起こしてしまったようなのですが、だいぶ治まってきましたのもう大丈夫そうです」
その女性が繭子だと分かると一平は繭子を抱き上げていた。
その行動にびっくりしていた美沙絵に一平が言った。
「ありがとね、美沙絵ちゃん。彼女もウチの常連さんなんだ。とりあえず家で休んでもらうから、美沙絵ちゃんもよかったら上がって。申し訳ない、ドアを開けてくれる?」
美沙絵に玄関のドアを開けてもらうと、一平は繭子をリビングに運んでソファにそっと寝かせた。
「でもお休みのところ申し訳ないですし、これからご販食べに行こうと思ってて。今夜駿さんは学校の同僚と飲み会なので」
「ならちょうどいい。俺もそろそろ夕飯を作ろうと思ってたところなんだ。よかったら一緒に食べようよ。あ、ちゃんと駿君に知らせて許可貰ってからね」
「え、いいんですか? では、お言葉に甘えて…。私も支度手伝いますので」
一平に促されて美沙絵もリビングに入って行った。
しばらくしてやっと症状が治まった繭子はゆっくりと起き上がると、徐々に今の状況を把握し始めた。
まず、親切に介抱してくれた女性があの美沙絵という人だと分かって驚いた。それから、自分がマスターの家のリビングのソファに寝かされていたことに、別の意味でまた過呼吸を起こしそうになった。
美沙絵は、起き上がった繭子に心配そうに声をかけた。
「具合はどうですか、大丈夫ですか?」
「あ…も、もう大丈夫です…ありがとうございました」
繭子は深く頭を下げた。
「ああ、よかった…。マスター!」
美沙絵はキッチンにいた一平に声を掛けると、すぐに一平は繭子の側にやってきた。
「繭子さん、よかった…」
目の前の2人は安堵の表情を浮かべた。繭子はこんな醜態をさらしてしまったことが恥ずかしくなり、
「とんだご迷惑をお掛けしてしまいまして本当に申し訳ありませんでした。あの、後日改めてお2人にはきちんとお礼をさせていただきますので、私はこれで失礼いたします」
立ち上がり一礼してから急ぎ足で玄関に向かおうとすると、一平に腕を掴まれた。
「待って! まだ帰らないで。念のため、もう少しここで休んでいって。迷惑でもなんでもないから。頼むから」
リビングに連れ戻され、強く引き留められてしまった繭子は、俯きながらまたソファに座った。
隣で自分を見つめていた美沙絵に繭子は改めてお礼を言った。
「本当にご親切にありがとうございました。お礼をしたいのでご連絡先を教えていただけますでしょうか」
美沙絵は首を横に振った。
「そんな、いいんですよ。気にしないでください」
「でも、それでは私の気が済みませんので」
そこにアイスティーが入ったグラスを持ってきた一平が助け船を出した。
「じゃあ、今度店で繭子さんが美沙絵ちゃんに何か飲み物でもご馳走するというのはどうかな」
「あ、そうですね。飲み物だけではなく食事もご馳走させてください」
「美沙絵ちゃん、それでいい?」
「…じゃあ、飲み物だけお願いします」
「だそうです、繭子さん」
「それだけでは…せめてケーキとかデザートも一緒にご馳走させてください」
そこで一平がパンッと手を合わせた。
「はい、それで決定! この話はもうお終い。じゃあ、夕飯を作るとするか。2人はゆっくりしてて」
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