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しおりを挟む一平はベジタブルバーガーが気に入ったらしく、あっという間に間食した。繭子の注文した定食も野菜が美味しく、どれもやさしい味わいで大満足だった。
一平が席を外している間、繭子は先ほど智久から来ていたメッセージをチェックしていた。
「あっ…可愛い~」
思わず声に出して笑ってしまった。
今日は日陰でゴロンと気持ちよさそうに涼んでいるおデブな猫ちゃんの画像だ。
"外出先で見かけた。ああ、俺も一緒にゴロンとしたい…"というメッセージ付で。
確かに気持ちよさそう……。繭子の顔が緩む。
彼から時々このようにクスっと笑えたり癒されたりするような画像が送られてくる。これを見るのが繭子の楽しみの1つだ。繭子も最近読んだ面白い本や観た映画などを紹介したり、他愛ないメッセージのやり取りをしている。
席に戻りながら、一平はスマホを見ながら微笑む繭子を見ていた。
随分嬉しそうな表情をしている……さっきの男からのメッセージか?
繭子の柔らかな笑顔に、また心がざわついたが、無理やりその気持ちを抑え込んだ。
食後のドリンクを飲みながら、一平はこれまでに古時計であった色々なハプニングや面白エピソードを披露して繭子を笑わせてくれたり、美沙絵が初めて駿を店に連れてきた時の話をしてくれた。
「それまでずっと1人で来ていたから少し驚いた。しかもあんな、男から見ても超イケメンな男と一緒だったからね。外から見てても分かるくらい美沙絵ちゃんは駿君にドキドキしてて可愛かったな。あ、俺が言ったこと彼女には内緒だよ。彼も美沙絵ちゃんを見つめる目が優しくてね。あの時点ではまだ付き合っていなかったけど、2人の感じからこれは絶対に両思いだなって確信していた。その通り、あの後想いが通じ合って今に至るんだけどね」
「そうなんですか、ああ、私もその場で見たかったな~、ってこんなこと言うと私も彼女に怒られそうですけど。あの2人は本当に美男美女のお似合いカップルですよね~。うらやましいです」
「うん、そうだね。……あのさ」
「はい?」
「あ、イヤ、何でもない。彼女たち、結婚してますます幸せそうだし、本当によかったよ」
ドリンクを飲み終わった後、店を出た。
「旨かった。ありがとう、いい店に連れてきてくれて」
「こちらこそ、ありがとうございました。ごちそうさまでした。美味しかったですね! 教えてくれた美沙絵さんに感謝です」
楽しい時間ってあっという間に過ぎてしまうんだな、こんな風にマスターと2人きりで出かける機会なんてもうないだろうな…。
胸に走った寂しさを抑えながら、駅に向かって歩き出そうとすると、一平が言った。
「ねえ、もしまだ時間があったらついでにライティングデスクを見に来ない?」
まだ一平といられる嬉しさが込み上げたが、申し訳なさもあった。
「え、でも、定休日でマスターも何か用事とか色々やることがあるんじゃないんですか…?」
「大丈夫だよ、用事があれば最初から誘わないから」
「…分かりました。では、お言葉に甘えて見させていただきます」
一平の自宅に着くと、すぐにライティングデスクが置いてある場所に案内された。
「わぁ…素敵……!」
繭子は感嘆のため息をついた。
イギリス製のカントリー風のデザインがとても素敵で重厚感があり、よく使い込まれていたらしい、いい味が出ている。コンパクトなサイズだが折り畳み式の天板を開けると中に棚や小さな引き出しが付いている。繭子は一目で気に入ってしまった。
「どう? 使えそうかな?」
「とっても素敵です! それに私みたいな素人でもいい物だって分かりますし、重厚感があって格調高くて、うっとりしちゃいますね……」
一平が微笑んだ。
「よかった、気に入ってくれて。じゃあ、貰ってくれる?」
繭子はギョッとして首を横にブンブン振った。
「いえいえ! こんな素晴らしいものタダでは頂けません! 譲って頂ければと思いますが、今の私の収入では……。申し訳ありません」
「いいんだよ、そんなこと気にしなくて。俺は使わないし、繭子さんなら大事に使ってくれると思うから貰ってくれると嬉しいな」
一平の気持ちはありがたかったが、やはり即答はできずに、ちょっと考えさせてほしい、と保留にさせてもらった。
「今日は本当にありがとうございました。とても楽しかったです! 近いうちにまた店に行きますね」
繭子が弾けるような笑顔で再度今日のお礼を言ってお暇しようと玄関に向かうと、引き留められた。
何だろう、と思いながら一平を見上げると、その顔に笑みが消えていた。
「……ねえ、さっき、俺のためにできることがあれば何でもすると言ったよね…?」
「…? はい」
一平が一歩近づいて来た。漆黒の瞳にじっと見つめられて繭子は身動きできなくなってしまった。
繭子の頬に一平の吐息を感じ、ビクッとなった瞬間、一平に強く抱きしめられ、彼の唇が繭子の唇に熱く重なった。
「…っ!」
あまりに突然のことで、繭子は身体を硬直させた。
だんだんとキスが深まっていくにつれて身体の力が抜けていく…。だが、どうしていいか分からず、一平の腕の中で混乱と闘いながらただじっとキスを受けることしかできなかった。
どれほど時間が経ったのか分からなかったが、ようやく唇が離れて抱きしめられていた腕が緩んだ。
繭子は放心したままボーっと立ち尽くしていた。
一平も自分がしたことに自分でも驚いていたが、それ以上に、困惑していた。身体を固くさせてぎこちなく自分のキスを受けていた……。もしかして…彼女は初めてだったのか…? じゃあ、あの広岡という男とは……? 一平は食事をしている間も繭子と広岡の関係を知りたくてたまらなかったが、結局聞けなかった。スマホを盗み見したと誤解されたくなかったし、彼女にそんなことを尋ねる義理もなかったし、何より本当のことを知るのが怖かったからだ。どうして怖かったのか? 一平はその理由をもうハッキリと認めざるを得なかったが、それより今は罪悪感で一杯になった。勝手に勘違いして、付き合っている男がいながら俺のために何でもすると言った彼女にモヤモヤして衝動的にこんなことをしてしまったとは……。
「…ごめん…申し訳ない…」
謝られてようやく繭子は自分が何をされたのかを改めて思い出し、恥ずかしさのあまり俯いた。そしてこの場にいるのがいたたまれなくなり、
「い、いえ…失礼します」
と言うや否や頭を下げて家から飛び出した。
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