労災調査士『ファイル22 墜落(レッコ)』

壺の蓋政五郎

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「佐久間と申します」
 高品は既に洋二から墜落災害の一部始終を聞いていた。
「何ですか保険屋さんの調査員が」
 津軽訛の高品は午後三時過ぎであるのに酒を飲んでいた。
「はい、実は保険金の支払額を調整する作業がありまして、高品さんに伺いたいことがあります。ご協力をお願いします」
「何だい?あの人とは付き合いもないしよく分からないよ」
「はい。被害者は岡田健吾、実は本名田岡健吾だったことはご存知でしょうか」
「倅から聞いた」
「それに年齢も実際より三つ下の五十八歳で登録されています。実年齢満六十一歳でした。これもご存知でしょうか?」
 高品は頷いた。
「あの、俺ビール飲んでもいいでしょうか?」
 関野が割って入った。
「ああどうぞどうぞ、失礼しました」
 関野は笑ってビールを注文した。
「俺ともう一人瀬田さんと言うのがいてさ、俺達二人は田岡さんよりずっと長く二和建設に勤めているわけよ。はっきり言って仕事も上。この作業所を外されたのは年齢のせい、つまり六十以上は省かれた。それを騙してさ、齢誤魔化して俺達を出し抜いた、そう俺は思っているよ。死んだのは可哀そうだが自殺した藤木さんの恨みじゃねえか、俺はそういうこと信心深いからさ」
「藤木さんといいますと?」
 私は恨みが気になった。
「俺等の大先輩で自殺したんだ、やっぱりこの作業所を外されて」
「それはどういうことですか?」
 私は新たな展開に驚いた。
「関野、話してやれ」
 高品は関野に経緯を話すように言った。そして保土ヶ谷の作業所で藤木が災害に遭い、労災隠しをして僅かな見舞金で決着を計った大竹建設の実態を掴んだのでした。
「それじゃ藤木さんは職を失いそのショックで自らの命を絶たれたのですか」
 二人が頷いた。
「ご家族はどうされました?」
「奥さんは田舎に帰った。その日は新調した腰道具を玄関に置いて、二子新地の現場まで来たんです。大師の久寿餅を持ってきた藤木さんは俺達が仕事をしているのを見て唖然としていました」
 関野が当日の様子を話した。
「それじゃ藤木さんは現場が稼働していることを知らなかったんですね半年も?」
「その日、俺に仕事のことで注意してくれました。他の人はばつが悪いのか顔も合わせませんでした」
 高品と同僚の瀬田、そして自殺した藤木は不案内のまま待機していたことになる。
「あの親方はいつもそうだ、はっきりと言わないで自然と忘れて行くのを待ってんだ。でも藤木さんはショックだったんだろうよ。一言でいいから年寄りは駄目だとはっきり引導渡せばそれなりに諦めたのに。藤木さんの奥さんは新調した腰道具を縁起が悪いと言ってゴミで捨てたらしい」
 高品が言い終えて酒を頼んだ。ここまで残念ながら田岡健吾を擁護する言葉は聞けなかった。私は二人に礼を言い、内緒で店主に一万円を渡して店を出ました。

(十二)

 田岡夫人には災害後ずっと会えずにいました。一度自宅に伺いましたが留守で、二時間待ちましたが諦めました。そしてやっと会えたのが通夜の席でした。焼香を終え若い坊主が説教をしていましたが弔問客はほとんど聞いていませんでした。通夜振る舞いの席で夫人に声を掛けると背の高い男が割って入りました。
「どういったことでしょうか?彼女は日本語が堪能ではありませんので私が代人としてお話を伺っております」
 こういう仕事を長く続けていると人を読む癖が身に着いてしまいます。この人は信用出来る、出来ないを一見で判断してしまうのです。残念ながらその結果は分からず仕舞いですが、この男は出来ない方、それもかなりレベルの高い基準値でした。
「失礼しました、以前故人に世話になった者です。喪主に一言お悔やみを申し上げたくて声掛けをさせていただきました」
 夫人は泣き腫らした目をしていた。そして私は保険屋であることを隠した。田岡本人が契約した夫人宛ての保険、満額が認められても五百万ですが何かと使いやすい金額が残ります。夫人の人となりを確認して、私の価値観に適う方であれば細かいチェックを省いて満額を支払うつもりでいました。ですが代人を名乗る男がどうしても立ちはだかる。もしかしたら労災保険もこの男に持って行かれてしまうのではないかと疑ってしまいました。私はここで保険の話をするのを控えました。落ち着いたら夫人を訪ね支払い手続きをしようと決めました。

 災害は故人の安全帯を使用していないことが第一原因として決着がされました。墜落した故人に過失があるにせよ労災保険に影響はありません。大手ゼネコンが監督署からきつく叱られ、公共事業であれば入札制限等の処罰が科せられ、たくさんの職人が路頭に迷うことになるのです。
 私は災害から一週間後に高品洋二を訪ねました。予めコンタクトを取っておいたので彼は晩酌を我慢して待っていてくれました。彼からどうしても聞きたいことがあります。それは田岡健吾が墜落する際に皮手袋が引っ掛かっているのが見えなかったのか、声が聞こえなかったのか、この二点です。正直に話してくれるかどうかは分かりません。もしそうだとしても高品洋二に責任を押し付けることはしません。真実を知りその元を正していく、その道標にしたいと思いました。木造の二階家アパートでした。田岡の家もそうでした。私はこの手の調査で職人の家に訪問することが頻繁ですが、職人さんが持ち家に住んでいることはあまりありません。一日の手間は高くても、月平均にすれば同年代のサラリーマンより下がる。年収計算をするとさらに差が広がる。そして社会的信用がどうしても得られない。それ故に銀行が融資しない。この馬鹿げた仕組みを改善しなければ職人のマイホームは実現しないでしょう。
「あんまり時間ないんだけど」
「ありがとうございます。二三お聞きしたいだけです」
 丸いちゃぶ台の上には酒の肴でしょうか乾き物が中身を少しずつ残したまま口が輪ゴムで止められています。
「ビールしかねえけど」
 私は遠慮しました。
「お時間の節約です。単刀直入にお聞きします。あなたは田岡さんの叫びは聞こえませんでしたか?」
 私は彼の表情の変化を見たかった。
「聞こえないよ」
「それでは田岡さんの皮手袋が引っ掛かっているのを見ませんでしたか?」
「見ていないよ」
 私は嘘を吐いていると直感しました。
「そうですか失礼しました。そうするとあなたをあの作業の担当に据えた織田さんに過失がありますね」
「どうして織田の親方が悪いんだよ」
「どうして?それはあの作業には技術不足のあなたを専任したからです。私は下りていた足場ブロックの片端に立ちました。あなたが合図をしていた側です。そこから田岡さんの立ち位置はどうしたって視界に入る。それを見えないと言うのであればあなたの未熟がこの災害を招いた。そしてあなたを専任した親方の判断ミスです」
 高品洋二は口をとがらせている。故意か技術不足かどちらにしても責任が問われる。
「洋二さん、先日お父さんから色々教えていただきました。藤木さんは残念なことになりました。親父さんと同僚の方は還暦を過ぎていると言うことで二子新地の作業所就労を省かれています。田岡さんは齢と名前を誤魔化して就労にあり付いていることを非難しておられました。そのお気持ちも痛いほど分かります。一瞬の迷いを責めるつもりはありません。この災害を無くすにはその元を正さなければならないからです。始まりは保土ヶ谷作業所の藤木さんの災害からです。藤木さんが高齢である故、省かれた。そしてあなたのお父さんと同僚も省かれた。技術は田岡さんより上だと自負されていた。だとすると藤木さんやお父さんが合番者ならこの災害は無かったかもしれない。私は藤木さんの奥さんが茨城の実家に戻られたのを聞きました。明日にでも行って事情を聴いて来ます。そして大竹建設と交渉を再開するつもりです」
 私ははした金で藤木の墜落災害を揉み消した大竹建設と下請けの二和建設が許せませんでした。表に出さなくとも遺族に十分な見舞金を支払わせる。それが私の仕事です。
「声が出なかったんだ」
 高品洋二が答えてくれました。
「声?」
「ストップって声が出なかったんだ」
「クレーンの運転手さんが『右旋回』と復唱したのを覚えていました。その後に墜落後の大騒ぎが無線に入ってきたそうです」
 高品洋二からこの答えが引き出せたのは収穫でした。災害の裏には必ず人生の営みが絡んでいる。
「ありがとうございます。これで私の調査は終了します。毎日が命懸けの作業されるあなた方にはくれぐれも気を付けていただきたい」
 私はこの一連の人間模様をファイル22に反映する気はありません。

(終)

 私は一月後に田岡健吾の妻、李 麗仙を訪ねました。川崎の韓国クラブを辞めて仕出し弁当屋に勤めていました。
「ご主人があなた宛ての保険に加入していますけどご存知ですか?」
 聞いていないのか、理解していないのか彼女は首を横に振った。
「保険契約書はありませんか?」
 彼女は棚の引き出しから封の切っていない封筒を全部出して私の前に置きました。
「失礼します」
 私は薄い鼠色の封筒だけを選んで他を返しました。その中に契約書がありました。
「開封しますよ」
 私は五百万を指差して夫人に渡した。
「その五百万が振り込まれます」
 彼女は契約書を抱いて泣き出しました。
「あの代人の男の方はどうされました」
 夫人は通帳を私に見せました。総額七千万が振り込まれていました。しかし私の人を読む悪い癖がこのケースではドンピシャと当たっていました。全て持ち逃げされたのです。あの時もう少し踏み込んでいたらと思うと悔しくてなりません。私は念のため、新しい口座を開くことを薦めました。
「振込までに二週間は掛かると思います」
「ありがとうございます」
「これからどうされるんですか?」
「韓国に帰ります」
「日本にはどれくらいいたんですか?」
「十五年です」
 身体を汚す商売をして、好きな男と数年暮らして、経った五百万を持って帰郷する彼女が哀れでした。私は増々腹が立ちました。命綱を掛けずに落下したのは単なる結果に過ぎません。保土ヶ谷の災害を揉み消したことがそのネックなのです。
 一月前より随分と進んでいる二子新地の現場事務所を訪ねました。
「池田所長に会いたい」
 事務の女は所長室に電話しました。
「あのどちら様でしょうか。コンタクト取られていますか?」
「保土ヶ谷作業で飛び降り自殺したことでお話があります」
 これでもかと言うぐらい大きな声で言いました。広いプレハブの事務所員全員が私を見つめました。
「保土ヶ谷作業所で揉み消した災害のことで相談に参りました」
 誰もが驚いて固まっているのでもう一度念を押しました。
「さあどうぞ」
 緑の腕章をした中年の職員が出迎えてくれました。池田は目を丸くしていました。
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