枕元の赤いベルを鳴らすとき

壺の蓋政五郎

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枕元の赤いベルを鳴らすとき 4

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「薬は間違っていないけど量が違ったかも、蕎麦つゆでもストレートと濃縮三倍があるでしょ、間違って濃縮三倍につけるとしょっぱいでしょ、あれに近い間違い。でも黒のウイルスが進入するよりはいいでしょ」
 春が軟膏を塗って包帯を巻き始めた。前屈みになるとピンクの看護服の下からハイレグの下着がちらちら見える。大袈裟だから絆創膏でいいと言おうとした史朗だが下着から目が離れずに言葉を呑んだ。院長室を出ると、黒は痺れが取れたのか身体を震わせて階段を駆け上がって行った。黒と変わって階段から若い男が降りてきた。丸顔の坊ちゃん刈りで白衣を着ている。身長は低いしまん丸と太っていて首がない。史朗には高校生が理科の実験でもしているように見えた。しかしどうしてこんな所で実験なんか?まさかという不安に全身の毛が逆立った。若い男はアイフォンに集中していて、階段を下りきったところで立ち止まりガッツポーズをした。流行のゲームに熱中していて納得の結果だったようだ。すぐ後ろにいる史朗には気がついていない。史朗はこの男を追い越したくなかった。このまま玄関から出て行ってくれればいいと念じた。
「堀田先生、またゲームに夢中になって、院長先生に叱られますよ」
 史朗のあとから春が出てきて史朗の前を歩く男に声をかけた。男が振り向いた。
「春ちゅわん、そこにいたんだ。僕さあ、僕さあ、さっき院長先生に叱られたよ」
 史朗の悪い予感は的中率が高い。
「竹中さん、紹介しておきます。出川先生の助手で堀田先生です。まあ出川先生は東京の大学病院で忙しいからほとんど来ないし、事実上の主治医と言っても過言ではないわ。ご挨拶しておいたら」
 史朗はじっと堀田を見詰めた。こんなに人をまじまじと見詰めたのは学生の頃出入したストリップ劇場の看板ダンサーのマリーにウインクをされて以来のことだ。
「どうかしたのおじさん。やだよゲームのやり過ぎだなんて、院長先生みていに叱ったりしたら」
 史朗はその場に立ち尽くしたまま身体を震わせている。寒いとか怖いわけではなかった。怒っているのだ。目の前の真ん丸い童顔の医者にというより、勘の良さと運の悪さにだ。史朗は震えた腕を持ち上げて堀田の首を絞めた。もうどうなってもいいと思った。春と関野が仲裁に入った。それを見ていた芳枝はまたソファーにゆらゆらと倒れた。
「院長先生、院長先生」
 春の声が階段を駆け上がり二階のベランダでビールを飲んでいた院長の耳に届いた。先に黒が飛び降りてきて四人の足元をほえながらぐるぐると回り始めた。院長が史朗の後ろに回り、こぶしの人差し指の第二間接を矢のように尖らせて史朗のこめかみをグリグリした。
「痛い、痛い」
「これをこめかみグリグリと言います。ご存知ですか?」
「痛いじゃないですか院長先生、それにそのまんまじゃありませんか、私だってこめかみグリグリぐらいわかりますよ」
「首の絞め方がなっていませんね、あれでは往生できませんよ」
「いやすいません、私としたことが、頭に血が上ってしまいまして」
 史朗は堀田に深く詫びた。
「おじさん、死ぬかと思ったよ。今度こんなことしたら、お尻に太い注射しちゃうぞ」
「太い注射なら私にしてよ」
 春が尻を突き出して掌で二度叩いた。
「そうかそうか、それならわしのぶっとい自慢の注射をぶち込んでやろうかのう、ははっは」
 院長は春の後ろに回りいやらしく腰を振った。堀田がそれを動画撮影している。関野がまっ黄色の歯を剥きだして黒とキスをしている。
「黒とキスをするなと言ったろ、他の人なら人が心配だが君だと黒が心配になる。私は知っているぞ、黒の好物を盗み食いしているのを」
 キスを見て院長が腰振りを止めて黒の短い尻尾をつまんで関野から離した。
「最近焼き肉屋でもレバ刺し置いてないしさ、黒が美味そうに食っているのを見たら我慢出来なくなっちゃうんだ」
「一昨日のはB型肝炎だぞ、C型ならいいが君はB型の恐ろしさを知らないのかね。今度C型が出たら少し分けてあげるから辛抱しなさい」
 院長に叱られた関野はシュンとして階段を上って行った。黒が『カウカウ』と追いかける。芳枝が気絶から目覚めた。史が隣に座った。
「面白い病院だろ」
「どこがですか?止めてくださいここだけは、他の何処でもいいから、絶対にここだけは止めて、一生のお願い」
 芳枝の七回目の一生のお願いは今までになく迫力がある。しかしもう手続きしてしまった。あの春がキャンセルなどしてくれるだろうか。しかし芳枝を悲しませたくはなかった。私は春に相談した。
「申し訳ないが、妻が混乱している。入院治療の件はキャンセル出来ないだろうか?」
「はい、ちょっと待ってね、残念、これから巧くやれると思っていたのに」
 春が額にとまった羽蟻に舌を延ばしてぺたんと叩いて潰した。
「舌が長いね春ちゅわんは」
 堀田が感心している。
 春は算盤を出して計算を始めた。そんなにキャンセル料の計算に時間が掛かるのだろうか。それに算盤の真ん中辺りまで弾いている。
「二百七十四万三千四百五十二円。端数はいいよ」
 何を計算間違いしているのだろうか。史郎はポカンと出された算盤を見ていた。
「悪いがもう一度計算してくれない、間違ってない?それと内訳とか」
 芳江が立ち上がり史郎の横に立った。
「あの、私は高校が商業科で算盤と簿記二級なんですけど宜しかったら代わりに弾きましょうか?」
 芳江は受付の女が算盤が苦手で計算ミスをしたのだと気遣いそう言った。
「それじゃ奥さんやってよ」
 春がふて腐る。芳江が昔取った杵柄を発揮する。
「後破算で願いましては、二百七十四万」
「ちょっと待って」
 史郎が止めた。
「最初の二百七十四万て何?それが気になるんだけど」
「キャンセル料。残りの三千四百五十二円が今日の治療費、竹中さんは国民健康保険だから三割負担、普通でしょ」
「治療費は初診にしてはむしろ安いぐらいだけどそのキャンセル料って?」
「だから入院すればいいのよ。私はそれを心配してたの。入院手術なら高額医療制度も適用出来るし保険も入られているんでしょ。だったら身銭切る事ないわよ」
 そして史郎は明日から入院することとなってしまった。

「いらっしゃい、竹中さん。病室を案内します」
 史郎はお腹の大きなおばさんの後に続いて階段を上がった。エレベーターは故障している。九階建ての病院の六階まで歩かされた。薄暗い階段に灯はない。
「エレベーターは何時直るんですか?」
「黙って上がらんかい」
 一見虫も殺さぬ温厚そうなおばさんが史郎を睨み付けた。
「そういう口の利き方はないだろう、あなたは何なんだ、院長に言いつけてやるぞ」
「ニャッハッハ、美味そうな顎して。顎の骨の食感がたまらんのよね」
 不気味な老婆だ。初めから嫌われては居づらくなる。史郎は笑ってごまかした。六〇一号室のドアを開けた。
「よっ、新人、分からねえことがあったら何でも俺に相談しなよ」
 上半身裸で一面に刺青をしている中年男が言った。
「健さんおはよう、どう、あそこの様子は?」
 おばさんが毛布の中に手を突っ込んで言った。
「そうれ、この通りさ、欲しけりゃいつでも試してみなよ」
 男が笑って言った。おばさんが手を突っ込んだところが盛り上がっている。その盛り上がりが膨らんで天井を突き破った。割れたコンクリートのガラがぱらぱらとベッドに落ちてきた。
「ここまでくりゃ退院も近いな」
 おばさんが笑って手を抜いた。
「これも多恵さんのお陰さ。長い間世話になったな」
 二人は別れを惜しんでいるようだった。
「あなたは肝臓ですか?」
 後ろのベッドから声がするが姿は見えない。
「ここですよここ」
 するとベッドの下から小さな男が出てきた。史郎の腰ほどの上背である。身体中茶色の毛で覆われていておむつを付けている。
「あ、竹中と申します。一週間ほど世話になります。宜しくお願いします」
「丸山と言います。一週間とはお寂しい、長くいらしてください」
 冗談じゃない一日でも早く抜け出てやる。手術と言っても肝臓の検査だけで後は服薬治療だ。本来なら入院なんて必要ない。こんな化物屋敷にいつまでもいられるか。史郎は丸山と握手しながら決意した。
「あなたはそこ」
 多恵さんが指差した。史郎がカーテンを開けると若い女がいた。史郎のベッドで何かを食っている。魚肉ソーセージにケチャップをたっぷりかけてある。
「ここって、間違いじゃないですか?」
 史郎は若い女を見つめながら言った。すると多恵が女のソーセージを取り上げてスカートを捲り上げドラム缶より太い腹にめり込んだパンツの中に隠してしまった。
「薫子ちゃん、そのベッドはこの人の、あなたのベッドは隣でしょ」
 薫子ちゃんは史郎のベッドから自分のベッドに飛び移った。そのベッドは魚肉ソーセージを包むビニールの皮が散乱していた。ケチャップは一面に零れそれが寝返りの度に塗りたくられている。薫子ちゃんはそのベタベタの布団にもぐった。
「多恵さんもベタベタしない?」
 史郎はソーセージをパンツの中に入れた多恵に聞いた。
「歩くたびにベタベタヌルヌルがこれまた気持ちいいのよ」
 こうして四人部屋の患者と初対面を果たした。史郎は汚れた布団カバーを取り替えるように多恵に言ったが口笛を吹いて出て行ってしまった。仕方なくカバーを外して窓から捨てた。
「竹中さんとか言ったね、あんたも肝臓かい?そうだろうなあ、まだ症状は軽いようだが俺みたいにならないように気を付けなよ。これから手術だ」
 健さんが寂しそうに言った。
「さっきはあれほど元気で天井まで突き破っていたじゃないですか」
「ああ、あれはあれさ、肝臓とは違う生き物さ。あの多恵ばあさんは俺のアレが好きでさ、こないだなんか差し込んだら口から先が出てそれを愛撫してくれたよ。それより心配があるんだ。それをあんたにお願い出来ないかな」
 史郎は不安になったが興味もあった。
「な、なんですか?」
「もし、手術中に膨れ上がったらぎゅっと下に押え込んで欲しいんだ。真ん中が柱みたいに尖がっていたんじゃ手術の邪魔になるからねえ」
「でも押え込めるもんですか?」
 健さんは立ち上がった。寝巻は半ズボンで先っぽが膝から出ている。その先が史郎を向いて笑った。
「悪い奴じゃねえ、ただグレちまってよ。言う事聞かねえんだ。いいかい、こう脇の下に先っぽ挟み込んで梃子の要領で体重掛けて後ろへ引っくり返るんだ」
 一回練習しようと健さんが仰向けに寝た。
「薫子ちゃん、悪いがちょっと摩ってくれないか」
 薫子ちゃんはケチャップの付いた唇で先っぽに噛み付いた。するとみるみる膨れ上がり天井まで伸びて見得を切った。
「よっ、野々宮屋」
 丸山さんが大向こうになった。そして史郎はベッドに立ち上がり首根っこを脇に挟んだ。そして梃子の要領で思い切り体重を乗せて後ろに反らせた。ゆっくりだが四五度まで傾いた。
「まあそれくらいでいいでしょう。手術の邪魔にさえならなけりゃ、スタッフの皆さんにご迷惑掛けちゃ申し訳ねえからさ。竹中さん宜しくたのんます」
「でも全身麻酔で意識がないのでは?」
「あっしは麻酔ちゅうのが大嫌いでね、傷の痛みはいくらでも我慢出来るんですよ。ただ明日の手術は全取っ替えって春ちゅわんが言ってました」
「全取っ替えって肝臓だけじゃないんですか?」
 史郎は驚いた。麻酔もせずに内臓を入れ替える手術に耐えられるのか、不思議でならない。
「全取っ替えはいいんですよ、術式は先生にお任せだ。ただ相棒が悪い」
「どしたんですか、その相棒って」
 健さんは丸山さんをチラと見た。丸山さんは寂しそうにベッドの下に隠れた。史郎にはその意味がよく分からない。
「相棒って全取っ替えの相手のことですよね。何か問題があるんですか?」
 健さんは涙を浮かべた、すると股間の一物が伸びて先っぽが健さんの零れ落ちる涙をペロッと舐めた。
「ばか野郎、おめえまで泣くんじゃねえよ」
 健さんは一物の額に指パッチンをした。

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