枕元の赤いベルを鳴らすとき

壺の蓋政五郎

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枕元の赤いベルを鳴らすとき 6

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「院長先生達も刺身で食っていたじゃないか」
「あれは不要な部分を切り取って食べたんだよ。全部食ったら健さんの肝臓どうすんだ、アルコールを分解出来なくなるぞ。それでもいのかね」
 しかしいくら関野と黒を叱っても健さんの肝臓は元に戻らない。院長は鉄っつぁんに耳打ちした。
「そうですかい。覆水盆に返らず、肝臓膿盆に戻らず」
 鉄っつぁんは頭を抱えた。C型肝炎全取っ替え手術をした意味がない。
「すいませんが、路地市場の肉屋で豚の肝臓が売っています。誰か買って来てください。そう、そのまま切らないでもらって」
 堀田先生が走って買いに行った。帰りに転んで肝臓を落としてしまった。自転車に轢かれた肝臓は潰れてしまった。
「まあいいでしょう。堀田先生、AEDをお願いします」
 堀田先生が潰れた肝臓にAEDを当てる。
「離れて」
 みなが後退る。
「もう一度、離れて」
 堀田先生が首を傾げる。
「肝臓は沈黙の臓器と言われている。私が変わろう」
 院長先生が変わった。
「離れて」
 そのとき鉄っつぁんが動いた。肝臓に指を当て舐めた。
「さすが院長先生、肝臓が生き返りましたよ」
 鉄っつぁんは手術を再開した。健さんの臓器をナマケモノに、ナマケモノの臓器を健さんに移植した。ナマケモノの臓器は健さんの物より一回り小さいので腹の中に空間が出来た。
「発泡スチロール」
 見習いが千切って渡した。
「もう少し大きめに」
 健さんの臓器の間に発泡スチロールが散りばめられた。そして三枚に開いた半分を見習いと二人で被せた。
「よいしょ」
 縫合する。そして盆の窪に刺した包丁を抜いた。そして上半身を起こし灯油ポリタンクに取り置いた血液を抱えて揺さ振った。
「ようく振れよ、赤血球と白血球が分離してると通りが悪いからな」
 そして灯油ポンプを盆の窪に差し込み血液を体内に戻した。全部入ると健さんが起き上がった。みんなから拍手が湧いた。そして鉄っつぁんはナマケモノに向かう。逆に健さんの臓器では大き過ぎて腹に収まり切れない。
「よし、外付けにしよう」
「外付け」
 みんなが一斉に驚いた。
「そう、外付け。心臓と肺、直腸以外は外付け」
「問題はないのかね?」
 さすがの院長も疑問を投げ掛けた。
「院長先生の疑問は具体的になんでしょうか?」
「例えば寝返りを打つ際に邪魔くさい。まだある、消化される段階が一部始終見えて気になる。特に小腸は七メーターもある。歩くときに足が絡まって躓く」
 堀田先生が院長の鋭い質問に感心した。
「邪魔で収まりが悪いと寝返りは自然と打たなくなります。人と言うのはそういうもんです。それから消火段階が丸見えで困る、これはペイントでどうにでもなります。そして小腸の長さの問題、どうでしょう、金目鯛用の大きなリールを付けて巻取り式にすればいい。寒い時は首に巻いてマフラー替わりってのもお洒落じゃありませんか」
 史郎以外みなが納得した。自前のリールだと鉄っつぁんは惜しんでいたが手術の成功には欠かせないと諦めた。そして体内に収めた直腸と繋いで終了。盆の窪に刺した錐を抜いて血液を注入する。ナマケモノは上半身を起こした。首を左右に振る。前後に振る。
「みなさん、ありがとうございます」
 ナマケモノが喋った。史郎は唖然とした。全取っ替え手術とは内臓だけではなく人そのものを替えてしまうものだった。だが分からない。脳まで、意識まで入れ替えるにはこの手術では無理がある。
「どうして健さんがナマケモノに、おかしいじゃないか」
 史郎は憤りを隠せない。激しく思いをぶつけた。
「君、言葉を慎みなさい。世界でも鉄っつぁんを置いて他にこの全取っ替え手術を行える人はいない。健さんは姿こそナマケモノで、内臓も外付けだけど、しっかりと機能している。素晴らしいじゃないか」
 院長が史郎に反論した。そして健さんの身体をしたナマケモノも立ち上がった。
「股間のバッキンが垂れ下がっていますけど立ち直るんでしょうか?」
 世話役の多恵さんが訊いた。
「ええ、術後ですからね、これでひとっ風呂浴びてキュッと冷たいビールでも一杯引っ掛けりゃまた元のようにバッキンとくるでしょう。安心なさい」
 鉄っつぁんは親指を立てた。
「ヒュオア」
 健さんになったナマケモノが囁いた。
「あそう、眠いの、ちゅかれたのかなあ。さあ、二階に戻りましょう」
 春ちゅわんが病室に誘う。健さんとナマケモノは手を繋いだ。
「すっかりいい仲になっちまって、憎いよこの」
 鉄っつぁんは包丁を仕舞いながら後姿の二人に声を掛けた。二人は繋いだ手の上で首だけ振り返り鉄っつぁんに一礼した。
「健さん、お風呂、それともビール?」
 多恵さんが言った。
「そうだなあ、ざぶんと浴びてからキュッと行きたいね」
 ナマケモノになった健さんが三つ指で猪口型をまねて言った。
「あんまり飲み過ぎちゃまた肝臓いかれちゃうよ」
 健さんは湯船に浸かる。
「いい湯だな、あっはは♪」
「健さんは術後なのにやさいい顔してるね、さあ背中流すよ」
 外付けの内臓に気遣いながら湯から出てスケベ椅子に座る。多恵さんが健さんの背中を流す。毛深いから泡立ちがいい。小腸も外付けだから風呂場の床に長く伸ばしてたわしで擦った。
「ああ気持ちいいね。内臓を直に洗ってもらえるなんて思ってもなかった。あー極楽極楽」
 一方の健さんになったナマケモノは食事を用意されたが食が進まない。
「ナマケモノさん、少しは食べないと駄目だよ、術後の回復が遅れるよ」
 丸山さんが心配した。丸山さんは二週間前に全取っ替え手術をした。その相棒が日本猿だったの猿の姿になってしまった。相棒の猿は残念ながら術後の合併症で亡くなった。病院の裏の空き地に猿を埋め、『猿肝臓居士』と戒名を付けた。丸山さんはナマケモノに元気がないのが気になった。もしも猿のように合併症でなくなったら可哀そうでならない。なんとしても生き抜いて欲しかった。薫子ちゃんが股間のバッキンに噛み付いた。
「ヒュオア」
 意味が分からない。しかしバッキンは勢いよく天井をぶち抜いた。
「ほら来た」
 春ちゅわんが跨った。
「ヒュオア、ヒュオアヒュオアアアアアーアーア」
 ナマケモノもこういう事には怠けていない。しっかりと満足している。史郎はベッドに座りじっと窓の外を眺めている。眺めていると言うより動けなかった。健さんがタオルで頭を擦りながら風呂から戻って来た。改めてみんなが祝福した。史郎も手を叩いたがナマケモノになった健さんの本当の気持ちを確かめたかった。健さんは小腸にタオルを当て滑らすように汗を拭いた。
「ところで健さん、健さんの姿になったナマケモノさんは何処で寝るんだい」
 猿の姿の丸山さんが尋ねた。
「もう俺の分身みたいなもんだからさ、俺と一緒に寝るさ。それに生活保護の身でベッド二つは借りれねえし、なっ」
「ヒュオア」
 健さんはナマケモノの頭を掻いた。ナマケモノが健さんの頭を掻いたように錯覚する。
「健さんちょっと」
 史郎は健さんをベランダに呼んだ。
「どうしたい竹中さん、浮かない顔して」
 背が低いのでベランダの手摺に腕を寄り掛けられなくなった。仕方なくアルミの隙間から商店街を見下ろした。
「健さんはこの手術に満足しているんですか?」
 史郎はストレートに質問した。その時小腸が手摺の隙間から垂れ下がってしまった。それをヨイショヨイショと巻き上げる。
「こうしてると生まれ故郷で漁師をしていた頃を想い出すぜ」
「あっ、じっとしてて」
 史郎は健さんの外付けの膵臓にたかった蚊を平手で叩いて潰した。
「ありがとよ、膵臓蚊に喰われたのは世界広しと言えども俺ぐらいだろ」
 そう言って笑った。
「さっきの質問だけどよ、そりゃ俺だって元の姿で戻って来たかった。しかししょうがねえんだ。肝硬変になってから、国の情けで面倒看てもらい、三度三度の飯食って、上げ膳据え膳でさあ、確かに味は今一だけど、たまにゃ商店街で鰻でも食ってさ、それを悪口言ったら罰当たりだぜ」
 ナマケモノ顔だから笑っているように見えるが定かじゃない。
「健さん何がそんなに嬉しいの」
 史郎は顔の真意を確かめた。
「いや寂しいんだ」
 やはり笑いは顔には反映されていなかった。
「それより竹中さん、相棒を決めたかい?」
「相棒って?」
 不思議な時は不思議顔した。
「何やってんだよ早く相棒決めないと病院側で安いの見繕っちゃうよ。丸山さんは早いうちから日本猿にしてたんだよ。これはここだけの話だよ。日本猿はコストが高いから千葉のゴルフ場で捕獲した台湾猿を使ったらしい。春ちゅわんから聞いた。駄目だよ丸さんに言っちゃ」
「それでどうして私に相棒が必要なんですか?」
「分からない人だねえ、ここに入院したら死ぬか全取っ替え手術をすることになってんだよ。ちゃんと読んだかい、入院の手引き、小さい字だけどそう書いてあるよ」
 史郎は受付に走った。受付のテーブルに置かれている入院の手引きを開いた。七頁の真ん中に入院の心得が記されている。
1. 食事は残さないように
2.    お酒はほどほどに、目安としてビールは5本、日本酒は6合、焼酎は甲種のみ4合まで
3. セックスはいいがシーツを汚さないこと
4. 入院二日目の朝、相棒を決め提出すること(未提出は病院側で手配)
5. 身体の動く患者は毎朝6時のラジオ体操に参加すること
    (スタンプ30毎に退院を一日延ばせる特典あり)
6. どうしても、どうしても涙が止まらない時は枕元の赤いベルを鳴らすこと

 書いてある。書いてあるが補足がなければさっぱり意味の分からない内容である。入院時に説明があって然るべき重要な心得である。もしこれを聞いていればこんなへんてこな病院などで受付しない。家内が推薦した聖クリスチャンセバスチャン赤坂ヒルホスピタルを迷わず選んでいた。それにC型肝炎というだけで、あんな大掛かりな手術が必要なのか。検査入院だけで後は通院と春ちゅわんは言っていた。史郎は春ちゅわんを捜して歩いた。院長室から怪しい声が聞こえる。史郎はノックもせずドアを開けた。あろうことか院長が春ちゅわんの乳を吸っていた。
「どうしたの竹中さん、変な顔して」
「そんな顔にもなりますよ。一体何をされているんですか、昼間から恥ずかしい、こともあろうに院長室ですよ、患者も来る診察室でもあるじゃないですか」
 院長が春ちゅわんの乳から口を離した。スッポンといい音がした。
「何か竹中さん勘違いしている、いやらしい」
「じゃ何ですか今のスッポンて音は、吸い尽くしているから出る音ですよ」
 院長が椅子に座り直した。
「定期的ながん検診だよ。乳がん予防は徹底的にやらなければならない。ましてや春ちゅわんのような未婚の女は特にね」
「それは大切でしょう、しかしそれが診察ですか」
「触診だよ君、私は手指より敏感な舌と歯茎で診察する。見て分からんかね」
 医者と患者が触診と言うなら史郎に反論する道義はない。
「入院の手引きにある入院の心得4番、相棒は入院二日目の朝に決定しろとあるがあれはどういうことだね。健さんから聞いた、死ぬか全取っ替え手術以外に選択肢はないというのはどういうことだね、説明してもらいたい」
「あら竹中さんさすが、もう相棒を決めたの、パンフレットも見ずに、凄い。さあこっち来て」
 史郎の手を引いて受付カウンターまで行く。春ちゅわんの手は柔らかく暖かい、それに滑っている。アソコの感触がする。史郎は顔を赤らめた。
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