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1章 たとえ、誰を灰にしようとも

6.兄様と、秋の季節 -2-

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 わたくしの憂鬱さを嘲笑うように、マルグリット様とジスラン様をお迎えする本日の空模様は、清々しいほどの秋晴れ。
 マルグリット様は気立ての良い方で、わたくしを「噂に聞いていた通り、雪の妖精のように愛らしくてびっくりしましたわ」と、優しく声をかけてくださった。
 うっ、マルグリット様こそ、花のように可憐で可愛らしい。
 アラサー日本人としては、お世辞にしては持ち上げ過ぎでは!? とびびりまくる一方で、ヲタクとしては、わかるロリレミニシアたんマジ可愛いよね! という、何とも微妙な心境です。
 当のマルグリット様の顔面偏差値も、目映いほどに高いし。
 つまるところ、マルグリット様は非の打ち所がないご令嬢で、わたくしは自分の醜さをますます痛感する羽目になった。

「ジスラン様、当家の図書室をご案内しますわ」
「それは興味深いですね。よろしくお願いします」

 兄様とマルグリット様は、お庭で親睦を深めるようなので、わたくしはジスラン様を図書室にご案内することにした。
 あっ、どうしてジスラン様をお名前で呼んでいるのかと言うと、マルグリット様が「家族になるのかもしれないのですし、そうでなくとも、歳が近いのですから、名前で呼んでくださいな」と仰ったからです。天使かな。

「どうぞ、こちらです」
「これはまた、立派な図書室ですね」

 我が家の蔵書に、目を輝かせるジスラン様。
 よしよし、そのまま本に夢中になってくださいませ。
 実を言うと、わたくしは余りジスラン様が好きではないので。
 と、言うのも、兄様が《魔の王》であると告発される原因の一端を、ジスラン様が担っているからだ。
 ジスラン様は、ヴィクス公国直属魔術研究機関、通称《魔術塔》に最年少研究員として選ばれるほど、魔術の才に溢れている。
 けれど、そんなジスラン様を遥かに上回る才を持っていらっしゃるのが推し、もとい兄様。
 兄様の性格に難があること、兄様の出自の問題、そしてジスラン様が幼いレミニシアに淡い恋心を抱いていたこともあり、ジスラン様とレミニシアは手を組んで、兄様の正体を暴くことに決めた。
 ジスラン様のフォローをするなら、公子殿下の御側に得体が知れない人物を置いておけない、と判断するのは、当然と言えば当然のこと。
 かつて《魔の王》を封じたという《聖女》と同じ、光属性のヒロインに近付き、彼女の力を利用することで、兄様は自身すらも知らなかった秘密を、白日の下に晒されることとなった。
 因みにジスランルートだと、レミニシアとヒロインの間で揺れ動くことになる。まあ、長年抱き続けた劣等感は拭うことは叶わなかったのだけど。
 結果的に、イクシスとレミニシア、二人の命が失われたことで、自責の念に苛まれたジスラン様は国を捨て、贖罪の旅に出ようとする。
 そんなジスラン様の旅に付いて行こうとするヒロインを、最初は追い返そうとするも、彼女の熱意に根負けして「例え、茨の道と分かっていても、諦めきれないのです……どうか、僕と一緒に不幸になってくださいませんか」と、跪いて懇願する様は、顔面がべしょべしょになるほど涙を誘った。
 何都合の良いこと言ってんの!? という声もない訳ではないけど、それはそれで、これはこれってやつです。

「……あれ?」

 そういえば、ジスラン様って幼いレミニシアに初恋泥棒される訳だけれど、それってどのタイミングで?
 もしや今日? そんな恋に落ちるような、スチルイベントあった?
 例えばそう、今まさに、眼下で、兄様とマルグリット様が二人寄り添い、庭を散策しているような――――。

「あなた、何を覗き見ているんです?」
「わひょっ!」

 後ろから声を掛けられて、驚きの余り変な声が出て、ジスラン様に「貴族令嬢とは思えぬ悲鳴ですね」と鼻で嗤われた。
 ゲーム中でも思ったけど、ジスラン様、さては性格がよろしくないのでは? 兄様のこと、言えた義理ではないのでは?

「……ああ、姉上とイクシスのことを見ていたのですか」
「は、はい。上手くいくかどうか、気になったもので」
「上手くいく筈がないでしょう。あなた、実はバカなのでは?」

 なんとなく分かっていたことだけれど、これは恋に落ちるようなスチルイベント、ないな。
 多分、ジスラン様が恋をしたのは、ゲーム内の、ネグレクト野郎に見捨てられ、屋敷内の居場所を兄様に奪われ、悲しみに暮れる儚い美少女レミニシアであって、貴族令嬢らしからぬ悲鳴を上げるわたくしではない。

「……そう思われる理由を、お聞かせ願えますか?」
「第一に、侯爵の実子ではなく、それどころか娼婦の胎から生まれた卑しい出自の人間と、《魔術塔》最高位に座するガブリエル伯爵の娘である姉上とで、どうして釣り合うと思うんです?」
「なッ!」
「確かに、イクシスの才は認めましょう。ですが、彼の人格には看過できない問題があります」

 ぷつん、と何かが切れるような音がした。ジスラン様が何か――ベルリオース侯爵実子であるあなたを閉じ込めるなど、言語道断です――と言っているけれど、よく聞こえなかったし、聞き返したいとも思わない。

「ッ、兄様は、お優しい方です!」
「はァ? 優しい? 冷血人間の間違いでしょう。姉上の幸せを願うならば、イクシスとの婚約は賛成できません」
「~~~~ッ!」
「ベルリオース家の、あなたの今後を考えるならば、彼を追い出した方が…………って、な、なんで泣いてるんですか」

 ジスラン様に言われて初めて、自分が泣いていることに気付いた。道理で、目の周辺がじんわりと熱い訳だ。
 感情を昂らせるなんて、貴族令嬢の振る舞いとして、決して褒められたものではない。
 でも、それでも良いと思った。兄様に呆れられたって、今、言い返さなかったら、わたくしは絶対に後悔する。自分のことを許せなくなる。

「に、兄様がっ、どれだけ、努力なされているかも、知らないくせに……!」
「ど、努力していることは、認めていますよ。イクシスは優秀な方ですし……」
わたくしだって、兄様に、幸せになって、ほしいのにっ……なんで、兄様のこと、悪く言うの……!」

 揺れる視界の中で、ジスラン様が目を白黒させている。
 きっと、同じ年頃の女の子を泣かせたことなんて、未だかつてなかったのだろう。
 わたくしだって、同じ年頃の男の子に泣かされるなんて初めてだけれど。
 というか、こんなに号泣したの、お母様が亡くなって、お父様が帰って来なくなった、あの頃以来かもしれないなぁ、とどこか冷静なわたくしが思う。

「ジスラン様、嫌い! 大嫌い!」
「なッ!」

 これは、言っちゃいけなかった気がする。女の子が泣きながら「大嫌い」なんて、卑怯も卑怯。例え、わたくしにも非があっても、完全にジスラン様だけを悪者にしてしまった感。
 でも、暴風雨のような感情は収まる気配がまるでなくて、もっと酷いことを言ってしまいそうで、激情のままに走り出した。
 頬がぐっしょり濡れている気がする。奥歯を噛み締めていないと、大声でわんわん泣いてしまいそう。
 ふと、ぼやけた視界で捉えた姿に、堪らず抱き付いた。

「セシル!!」
「お、お嬢様!? まさか、泣いていらっしゃるのですか!?」

 ごめんなさい、セシル。ぐしゃぐしゃの顔で抱き付いたから、きっとお洋服を汚してしまったわ。
 でも、セシルはそんなわたくしを叱ったりせず、頭を何度も撫でてくれて、優しく声をかけてくれるから、ますます涙が溢れてきた。

「……レミニシア?」

 世界から、一瞬で音が消え去った。
 どうして、なんて。兄様は、お庭でマルグリット様と一緒にいる筈なのに。
 ああ、そんなことはどうでも良い。こんなにみっともない姿を、よりにもよって、兄様に見られるなんて。
 きっと、また呆れられてしまう。また、不快だって、煩わしいって、思われてしまう。
 どうして、こうなんだろう。兄様に幸せになって欲しいのに、お役に立ちたいのに、お側にいたいのに、いつも空回ってばっかりで。

「おいで、レミニシア」

 予想していたよりも、兄様の声はずっとずっと優しかった。
 涙でぐしゃぐしゃの顔なんか見せたくないのに、兄様の声にふらふらと引き寄せられてしまいそう。
 セシルの手よりも小さくて、ほんのり冷たい体温が、わたくしの手を優しく包み込んだ。兄様はもう一度「レミニシア」と囁く。

「何故、泣いている。何かあったのか」
「……にいさまぁっ」

 呆れてない? 煩わしくない?
 兄様の優しい声に堪えきれなくなって、兄様にぶつかるように抱き付いた。
 兄様の腕はわたくしを優しく抱き締めてくれて、それが嬉しくて、ますます涙が溢れてきて。

「――――ジスラン・エメ・ガブリエルに、何かされたのか」
「ち、ちが! 僕はただ、その……あなたのことを、レミニシア嬢の前で、悪く言ってしまって……」

 後ろの方で、ジスラン様の声がする。大方、わんわん泣き出したわたくしを放ってもおけないから、追いかけてきたのだろう。
 ジスラン様の声を聞いたら、もっと悲しくなって、それ以上に腹も立ってきた。

「ジスラン様、嫌いっ……兄様のこと、悪く、言う……!」
「……レミニシア」

 ふわり、と浮いた身体。びっくりして顔を上げたら、兄様の紫色の瞳がいつもよりも少しだけ下にあった。

「マルグリット嬢、レミニシアを部屋に連れて行きます。しばしお待ちいただけますか」

 呆然としているうちに、わたくしは自分の部屋に戻ってきていて。
 未だにぽろぽろ泣いているわたくしに「少し待っていなさい」と、兄様が頭を撫でてくれて。
 そして、5分もしないうちに、兄様がまた来てくれた。

「マルグリット嬢とジスランには、お帰りいただいた」
「ごめんなさい……せっかく、顔合わせの日でしたのに」
「問題ない。元より、気乗りのしない顔合わせだった」

 ベッドの上で膝を抱え、中々泣き止まないでいるわたくしを、兄様は呆れたりしなかった。それどころか、何度も頭を撫でてくれた。

「……お前は、私を悪く言われたから泣いたのか? たった、それだけのことで?」
「わ、わたくしには、それだけのことでは、ありません……!」

 せっかく落ち着きかけていた激情に、再び火が灯った。
 夜遅くまで、兄様の部屋には明かりが点いているのだ。寝る間を惜しんで知識を蓄え、侯爵代理としての仕事を覚えようとしていることを、わたくしはちゃんと知っている。
 知っているからこそ、兄様を悪く言う人を許せなかった。それが例え、兄様自身であったとしても。
 ぼろぼろ大粒の涙を流しながら怒るわたくしに、兄様は小さく溜息をついた。
 今度こそ、呆れられたかもしれない。それでも、兄様を悪く言う人を許すより、呆れられる方が百万倍はマシだ。

「――――レミニシア」

 これまで聞いた中で、一番優しい声だった。
 兄様に抱き付いたことは何度かあったけれど、抱き寄せられたことは、これが初めてだった。

「いい加減に泣き止みなさい」
「え、あの、兄、様……?」
「羽虫の羽ばたきなぞ、レミニシアが耳を傾ける価値もない。放っておけ」

 は、羽虫ってもしかしてジスラン様のこと? いや、ジスラン様だけじゃないのだろうけれど、兄様にとってはジスラン様も羽虫ってこと……?
 兄様がそう仰るならという気持ちと、承服しかねる気持ちで揺れ動いていたら、兄様が「どうしても許し難いのであれば、出来る限りのことはしてやるが」と嗤う。
 心臓がひゅんっと縮んだ。ばっと兄様から離れる。
 じょ、冗談を言っているような顔には見えないのですが!?

「兄様のお手を、煩わせたくありませんので、いいです!」
「そうか」

 ぶんぶん、と勢いよく首を横に振る。わたくしの気持ちは伝わったと信じたい。
 その割りには、つまらなさそうに聞こえたけど。きっとわたくしの気の所為。そう、多分きっと気の所為。がくぶる。

「……それから、此度の婚約は断ることにする」
「えっ!? も、もしや、わたくしの、所為ですか……?」
「マルグリット嬢が好ましくなかっただけだ。お前の件も、口実にはちょうど良い」

 あ、あんなに、花も恥じらうほどに愛らしくて、気立ての良いマルグリット様をして、好ましくなかったと評する兄様、理想が高すぎるのでは?
 でも、わたくしの口から発せられた言葉は、兄様を諌める言葉ではなく、もっとずっと醜くて、自分勝手な言葉だった。

「……じゃあ、もう少し、わたくしだけの、兄様でいてくださいますの?」

 わたくしの言葉に、兄様は僅かに目を瞠ったようだった。
 戸惑っている、と言うよりは驚いている?
 どこか気まずそうな様子は、いつもの兄様らしくない。ややあって、兄様がぽつりとこぼした。

「てっきり……お前に嫌われたかと、思っていたのだが」

 嫌われたかと思った? 誰が? 誰に?
 兄様が、わたくしに、嫌われたと思っていた?

「それだけは有り得ません!!」

 わたくしが、兄様を嫌いになるなんてこと、世界がひっくり返っても有り得ないことだ。魂を賭けても良い。何せ、前世から推しているのだから。何なら、ネグレクト野郎の魂も賭ける。
 けれど、兄様は胡乱な眼差しでわたくしを見る。信じていただけていない、だと。

「……このところのお前は、私に近付こうともしなかった」
「兄様に、これ以上嫌われたくなくて……」
「私がいつ、お前を嫌っていると言った?」
「それはその、ご面倒ばかりかけていますから……」
「お前を嫌っているなら、そもそも面倒を見たりしない」

 そ、それだとまるで、兄様がわたくしを少なからず好意的に見てくださっている、と仰っているような?
 半ば、呆然と兄様を見つめ続けていたら、兄様の紫水晶の瞳がすっと逸れた。
 目許が、ほんのりと赤い。も、もしかして、照れてらっしゃる!?

「……兄様、大好きです!」

 推しのデレの凄まじさよ。心のスクリーンショットが止まらないわ。
 後、勢い余って抱き付いてしまったけど、仕方ないと思う。許して。

「もうしばらくだけ、わたくしだけの兄様でいてくださいませね!」
「お前以外、私を望む者などいると?」
「もちろんですわ! きっと、兄様を心から愛してくださる方が現れます! きっと、兄様もその方を好きになりますわ!」
「……お前以上に、私を好きだと言う者が現れるとは思えないが」

 推しのデレ最高! この世の春では!? と内心大わらわなわたくしへ。

 翌朝に兄様の寝顔をドアップで拝む羽目になるので、今から遺書をしたためておくことを勧めます。

 翌朝のわたくしより。
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