いつかはまだ遠い青

宇土為名

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 きらきらしてる。
 すごくきらきらしてる。
 大きなクリスマスツリーが学内に飾られている。
「うわすごー、なにあれどっからやって来たん?」
「なんか工学サークルの連中が作ったっぽいよ」
 美しく飾られたイルミネーションをたくさんの学生が足を止めて見ている。
 講堂の前、三階まで吹き抜けの小広間の真ん中にそれはあった。
「本物だ…」
 土台の樅木はゆうに三メートルはある。囲いの近くまで近づいて手を伸ばし伸びきった先端の葉に触れると、それは確かに本物の木だった。
「おお凄え」
 成瀬と一緒になって木の円錐状になった頂上を見上げた。まだ囲いの向こうで作業しているサークルの連中が、大きな脚立に乗って枝に飾りを取り付けていた。
 んん、と成瀬が伸びをした。
「無事課題の提出も終わったし、明日から冬休みだし! なんか美味いもんでも食いに行こーぜ」
 うちの大学は最近増えてきた三学期制となっている。今日は二学期の最終日だった。
 あー…、とおれはツリーを見上げたまま言った。
「今日は無理」
 頬に視線を感じて横を向くと、じっと成瀬がおれを見ていた。
 目が合った途端、成瀬ははっとした顔をする。
「あ、そっか」
「このあと待ち合わせだからさー、おれ」
「そうだったねえ」
「おまえは? 誰かと待ち合わせとかじゃないの」
 成瀬が誰か特定の人と付き合っているというのは聞いたことがない。
 案の定気怠い声で成瀬が言った。
「オレ? そーゆー面倒くさいのはいいわ」
「どの口が言ってんだよ」
 くすっと成瀬は笑った。
「みんなでわいわいやってる方が楽しい」
「……それは言える」
 おれの小指の爪よりも小さなLED電球がちかちかと瞬いた。それはやがて樅木全体を包むように光りはじめる。
 すごく綺麗だ。
 綺麗だな。
「これさ、こんなにしてどうすんのかな」
 明日から長い休みなのに。
「院生は休みないし、大学に用のあるやつなんてたくさんいるだろ。四年生は卒論で休んでる暇もないだろうし、それに冬休み中にまたオープンキャンパスするらしいしな。うちを受けるかもしれない高校生たちにさ、見せるんじゃね?」
「ふうん、またやるんだ」
 今年の夏から秋にかけての四ヶ月余り、大学内は一般開放されていた。たくさんの高校生たちを学内で見かけたことを憶えている。おれもよく話しかけられてたな。
 どこの大学も学生を集めたくてあの手この手を駆使している。うちのようにそこまで有名でもない大学なら尚更か。
 俊臣はどこを受けるんだろうな。
 ふと顔を思い出して苦い気持ちになった。
「立夏さあ、…」
「ん?」
「いや、なんでもねえわ」
「は? 変だなおまえ」
「まあ今日は、がんばって」
 何かあったら連絡してきな。
 意味深に笑って成瀬はおれの背を叩いた。
「何かってなんだよ」
 言いたいことはなんとなく分かったが、おれはため息だけを返しておいた。

***

 二葉と付き合って別れて、それからも何人かの女の子と付き合ったことはある。告白されることは多かったし、それを拒むこともしなかった。俊臣への気持ちを隠すのにはとても──都合がよかったから。
『あんた何考えてんの』
 その度に、氷のように冷たい目で二葉はおれを蔑んだ。
 好きな人がいるくせに何をしているのかとおれを詰った。
『そんなことやってるんだったら告白でも何でもすればいいでしょ』
『…は? おまえに関係ねえだろ』
 二葉に対しては取り繕うこともしない。おれが強い口調で言ってもほんの少しもたじろがないからだ。他の女の子たちはおれが少しでも荒い口調で喋ると、すぐに傷ついた目で見る。
 理想とは違うと思うのだろうか。
『皆あんたのことが好きなのに、それを玩具にするのはやめなって言ってんの』
『玩具になんかしてねえだろ』
『その気もないのに付き合ってんのがそうなのよ』
『ないわけじゃねえよ』
 嘘つき、と二葉は言った。
『じゃああんたキス出来るの?』
 誰もいない部室の端と端、部活の日誌をつけていたおれはゆっくりと顔を上げた。
 二葉はにこりともせずにおれを見ていた。
『出来るだろ』
『出来ないよ、立夏』
『そ──、んなこと、なんでおまえに』
『私に出来なかったでしょ』
『そ…っ』
『キスするとき、その人の顔が浮かぶんでしょ』
 おれが息を呑んだのを、二葉は見逃さなかった。
『相手がその人に見えるから出来ないんでしょ』
『違う』
『違わないよ。私のときもそうだったよ。立夏は別のところを見てた』
 言い返した俺の言葉に被せるようにして二葉が淡々と言った。寄りかかっていた入り口横の壁から身を起こして、きれいな姿勢で立つ。
『その人になんで言わないの』
 言えるわけがない。
『言えばいいじゃん』
『言えるわけねえだろ』
 絶対に言えない。
 言えないんだよ、二葉。
『わかんないでしょ、その人だって立夏の事好きかもしれないじゃん』
『それはねえよ』
『なんで言い切れんのよ』
『ねえから。そんなの絶対にねえんだよ』
『馬鹿みたい』
 二葉は乾いた声で笑った。
『ずっとそうやって自分で決めつけて思い込んでその人が好きな自分を隠して、好きな人を思い出しちゃって誰にも手が出せないで、そんなの馬鹿みたいって自分で思わないの? 他の人で自分を誤魔化すなら、いっそその人に手を出してみようって少しでも思わないの?』
『何言ってんの、おまえ…』
 酷い言い草におれは冷たい水を被った気持ちになった。
『手なんか出せるわけねえだろ』
 じっと睨み合ったあと、先に目を逸らしたのはおれのほうだった。二葉には俊臣のことは知られていないと分かっていても、おれを見るまっすぐな視線に後ろめたさを感じた。
 いけないことをしてるわけじゃない。でも、誰にも言えないから。
 ごめん、と二葉が言った。
『冗談きつかった』
『分かってんなら、二度とそんなこと言うな』
 視界の端でゆっくりと二葉がこちらに近づいてくるのが見えた。おれは日誌の続きを書こうと、途中まで書いた自分の字の続きに意識を集中させた。
 不意に、二葉の腕がおれの顔を掠めた。机についたその手がノートを押さえた。ぎし、と机が鳴った。
『なんだよ、…?』
 顔を上げると、すぐそばに二葉の顔があった。鼻先を掠める甘い髪の匂い。
 おれは驚いて目を丸くした。
『な、に』
 手にしていたペンが落ちる。
『…立夏』
 妙に潜めた声で二葉が言った。

***

 夕暮れの中、目の前を多くの人が行き交っている。
 今日はクリスマスイブで、街中が浮足立っている気がした。
 楽しそうに笑い合う人たちの流れを見ながら、おれはぼんやりと二葉とのやりとりを思い出していた。
 睫毛が触れそうな距離まで顔を近づけてきた二葉は、あのあと結局、おれを笑い飛ばしたのだった。
 思ったんだけど──このままじゃあんた童貞のままだね、と。
「……くそ」
 なんでこんなこと思い出したんだか。
 昼間の成瀬との会話のせいか。おれはため息をついた。
 嫌な思い出だ。
 あのとき二葉に指摘されたことは間違っていない。
 でも──ひとつだけ違うことがある。
 たったひとつだけ。
「あ、立夏くん」
 人通りの向こうに、遠亜の姿があった。待ち合わせをする人でごった返している小さな広場に置かれた彫刻の台座に寄りかかっていたおれは、体を離して手を振った。
 遠亜が嬉しそうに笑って手を振り返す。
 すごく、男のおれから見てもすごく可愛い格好をしていた。見ただけで可愛いねと、言われるようなそんな服。
 今日この日のために用意したんだろうか。
「ごめんね、遅れて。すごい人で…」
「いいよ全然。それ可愛いね」
「え、ほんと?」
「すごく似合ってる」
「あ…、ありがとう」
 照れたように笑う遠亜にちくりと胸が痛んだ。
「じゃあいこっか」
「うん」
 歩き出した途端、遠亜がおれの手を掴んだ。手を握る感触に、びくりと肩が跳ねるのをどうにか我慢する。
 振りほどきたい、でも、離しちゃだめだ。
 だめだ、と自分に言い聞かせる。
「行こう」
 とおれは笑った。


 遠亜が行きたいと言ったのはすごく洒落た料理を出す店だった。彼女曰く、SNSでよく見る店だそうで、とても美味しかったけれど、生活費を賄うためにバイトに明け暮れる大学生には少し敷居が高過ぎた。
 よく分からない名前のついた料理を食べる。しきりに写真を撮りたがるのはどの女の子も同じみたいだ。
 おれは水族館に行きたかったな。
 予約を取るのに四苦八苦するようなところじゃなく──今回は遠亜が何かしらのコネを使って席を取ってくれたけれど。
 もっとこんな、こんなのじゃなくて。
 ゆらゆら揺れる青い光の中を歩きたい。
 真空みたいにぎゅっと耳の中が詰まったようになるあの空間。
 あの夜の水族館なら、手を繋いでも嫌じゃないのに。
「美味しかったねー、めちゃくちゃいい写真撮れちゃった」
 見て見て、と遠亜が自分のスマホの画面をおれに見せる。
 ずらりと並んだ料理の写真は美味しそうに見えるように上手く計算されて撮られていた。
「ほんと、写真撮るの上手いね。これ、湯気が良い感じ」
「でしょー」
 ふふ、と遠亜が笑う。
 寒空の下、暖かい店から出たばかりの彼女の頬は綺麗なピンク色をしていた。
「次どこ行く? なんかイルミネーションとか綺麗だって、あっちのほう──」
 するりと、遠亜の手がおれの指に絡んできた。
 柔らかな体が寄り添ってくる。
 甘い匂い。
 二葉とは違う、これは香水の匂いだ。
 ね、と遠亜が言った。
「立夏くんち、ここから近いんだよね…?」
 上目におれを見る目がうっすらと潤んでいる。
「行ってみたい。だめ?」
 絡んだ指がぎゅっと握られた。
 おれは遠亜の顔を見下ろして、駄目だとは言わなかった。
 遠亜の手を引いて、アパートへ向かう。
 今度は出来るかもしれないという期待がどこか自分の中にずっとあった。
 俊臣から離れて、あいつへの気持ちが、少しは薄らいできたと思っていた。
 繋いだ手の違和感は考えないようにした。
 慣れてないだけ。
 ただそれだけだ。
 人の体温が、ちょっと、苦手なだけ。
「立夏くん」
 アパートの階段下で、遠亜がおれの手を引いた。
 おれの首に腕を回し、抱きついてくる。
「待って、ここ外…」
「ね、ぎゅってして?」
 驚いたおれの耳元に口を寄せ、遠亜が囁いた。甘ったるい声に、ぞく、と背筋が震えた。
「ね…?」
 甘く蕩けた顔が口づけをねだる。
 ゼリーのように濡れた唇が近づいてくる。
「──」
 あのとき。
 あの部室の中で、二葉がおれに言っていたことは当たっている。
 その人の顔が相手の顔に浮かぶんでしょ。
 そうだ。
 でも、ひとつだけ違っている。
 それは、浮かんでいるのは、おれの顔だということだ。
 誰かとそういうことをしようと、そうなる度に、相手の女の子はおれになる。
 俊臣にキスされたいと思うおれに。
 甘く、溶けるような顔で。
「立夏くん…?」
 動けなくなったおれを遠亜が急かすように名前を呼んだ。おれを見ていた潤んだ瞳が、ふと何かに気づいたように焦点がずれ、おれの背後で目を見開いた。
「…きゃ…っ」
 小さく悲鳴を上げた遠亜がおれの胸に縋りついてきた。
「え?」
 そこに誰がいるのか、おれはどこかで分かっていたような気がする。
 ゆっくりと後ろを振り向いた。
 思うよりもずっと近くに、俊臣が立っていた。
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