妖精王の住処

穴澤空

文字の大きさ
34 / 38

34

しおりを挟む
「ちょっ」
「食べ過ぎたか? いつもより出ている気が」
「そういうのは気付いても黙ってて! 夕飯が美味しすぎたんだから、仕方がないでしょうが」
「そうかそうか。夕飯旨かったか。良いよなぁ、弥生は。俺は食べてないのに」

 なるほど、それで拗ねているのか。私の腹にある手をぽんぽんと叩く。

「仕方ないじゃないの。社員旅行で突然オルが大きくなって登場するわけにはいかないし、だからといって、大広間で皆で食べるのに、部屋食にすることもできないし」

 オルもわかってはいるらしい。うん、と小さい声で返事がきた。

「帰りのバスが、今日寄った富楽里に寄るらしいのよ。そこで夕飯にでた干物、買ってあげるよ。お家で一緒に食べよ?」
「本当か?」

 急に声が明るくなる。妖精王だというのに、その頭に犬の耳が見えたような気がした。そうか、今更だけどオルはワンコ系王だったのね。ワンコ系王ってなんだ。
 ご機嫌になったオルは、それでも私の腹を少し締め付けたまま、手を緩めない。お腹のぽっこりがわかりやすくなるから外してほしいけど、オルなら別にぽっこりがばれても問題ないか、なんて思い直した。

 そのまま、私たちは海をぼんやりと見る。
 月明かりが海に落ち、波を光らせては陰らせていく。すぐそこに見える岩場には、もしかしたらローレライがいて、歌っているかもしれないと思うくらいに、幻想的だった。千葉の海にローレライがいたら、たまったものではないけれど。

「海に巣くう妖精がいるのを知っているか」

 同じタイミングで、オルがそんなことを言い出した。海の妖精といえばローレライですよね! はい、今ちょうどそんなことを思ってました。

「ローレライでしょ」

 意気揚々と答えるも、オルは意外そうな顔をする。え、私が答えられると思ってなかった?

「クリオネって言い出すかと思ってた」
「そういえば、そういう子もいたね。でもクリオネは、水族館にいるじゃない」
「弥生にとっての妖精とそれ以外は、そういう区別なのか」

 苦笑いを浮かべるオルに、他にある? と返せば、それで良いと言われた。

「だが残念。セイレーンだ」
「え、ローレライじゃないの」
「やってることは大体同じだが、ローレライは川の妖精だな」

 なるほど。淡水がローレライ、海水がセイレーンということか。

「やってることは大体同じということは、やはり歌を?」
「ああ。岩や島で歌い、その声で船乗りを惑わせ魂を食らう」
「魂を食べても、妖精なんだ」

 それってどちらかというと、魔物みたいな類いの生き物かと思っていた。まぁ、妖精と魔物がどう違うのか、とか、そもそも魔物なんてものがいるのかとかはおいておくとしてだね。

「花の蜜を食するのも、人の魂を食するのも、人の作った食事を食するのも、どれも妖精だ」
「え、じゃぁオルも人の魂を」
「俺は食べないから安心しろ」

 特に心配はしていなかったけど、ついノリで聞いてしまった。

「魂を食する妖精はかなり珍しい。それに、ローレライもセイレーンも、それしか食べられないわけじゃないからな。最近では人の魂があまり美味しくなくなった、なんて言って食べなくなっている」

 なんだか、ものすごくホラーな話をされている気がするんだけど。当然のような口調で話さないでくれるかなぁ。目の前に暗い海があると、余計にホラーに感じる。

「そ、それは人間がまずくなってきてるって、こと?」

 とりあえず質問をすれば、オルは小さく笑った。

「科学が発展し、人が恐怖を感じにくくなったかららしい。俺は食べないから、よくわからないが、この間そうやってセイレーンとローレライが二人でぼやいていた」

 セイレーンとローレライの女子会って、結構エグい気がする。

「ちなみに、どちらも人魚みたいに思ってるかもしれないが、セイレーンの下半身は鳥のタイプと人魚と両方いる。ローレライは人魚タイプだけだな」
「え、嘘でしょ。鳥、ってことは足は分かれてるけどペタペタする、いわゆる鶏でいうところのモミジって部位がついてるわけ」
「モミジがどれかはわからん」
「ほら、足先の、紅葉に似ている形のところ。あれ、コラーゲンたっぷりでラーメンの出汁とかで使われるんだよね」
「まさか、そんなに役に立つ部位だったのか、セイレーンの足は」

 いや、妖精王自らが、そんな風に言ってしまわないで。ちょっと可哀想な気がする。ここの会話はオフレコにしてもらおう。

「でも、人魚みたいに魚の足もいるんでしょ?」
「半々だな」

 それが、もしかしたら人魚姫の物語になったのかもしれない。

「それで、なんで急にセイレーンの話を?」
「弥生は俺の姿を見ることができているからな。もしもセイレーンの姿を見たとしても、近付くなよ、と言っておこうかと思って」
「なるほど。でも多分、千葉の海にセイレーンは出てこないから大丈夫だよ」
「……まぁ、そうだよな」

 オルの瞳が、少し横にある大きな岩に走る。魚がいたようで、ぴしゃん、とやけに大きな音がした。

「何かの魚がはねたみたい」
「ああ。かなり大きな魚だろうな」
「そろそろ帰ろうよ。冷えてきた」

 オルが後ろから支えてくれているから、彼の体温で大分冷えは防げているけれど、前からくる風に、少し寒くなってきた。

「そうだな。もう一度風呂に入ってから、寝た方が良いぞ」
「確かに。せっかくの温泉だしねぇ」

 ホテルの手前で、オルは小さなサイズに戻り、私の頭の上でくつろいでいた。まったく。人の髪の毛を、絨毯と勘違いしているのではないだろうか。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

処理中です...