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第29話
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京哉が自室に籠城して二十時間近くが経過していた。それを知ったオルファスも無理に外出したいとは言い出さなかった。だがそれよりも京哉である。
ノックし、チャイムを鳴らすたびに返事はするので中で倒れている訳でもなく、それだけに却って本人の意思を無視して強引に開けることもできない。しかし朝食と昼食も抜きでもう夕食の時間だ。それでも籠城を続ける京哉に霧島も苛立ちを隠せなくなっていた。
今枝やメイドたちも心配を募らせ、インターフォンに声を掛けては促すのだが、頑として京哉は、「放っておいて下さい」と「大丈夫です」を繰り返すばかりである。
御前までが出てきて声を掛けたが同じことで、いい加減に霧島はキレかけた。
「京哉、出てこい! 幼稚な子供じみた真似は止せ!」
「放っておいて下さいと言っているでしょう!」
「ここにいる皆がお前を心配しているんだぞ。家族同然の者たちにすまないと思わんのか?」
「それより貴方はオルファスに謝ったんですか?」
「それとこれとは別問題だろう!」
「別でも何でも構いません。僕は貴方が謝るまでここから出ない、それだけです!」
そこからは同じ会話のループとなる。互いに頑固と知っているだけに厄介だった。そこで今枝がドアのマスターキィを持ってくる。渡されたキィを手に霧島はドア越しに怒鳴った。
「自分で出てこなければ強制執行するぞ! 恥ずかしい思いをするのはお前なのだからな!」
「強制執行したら、僕は貴方を許さない――」
「二十時五分、執行!」
京哉の意志より京哉の躰だと思い、霧島は問答無用でロックを解除するとためらいなくドアを引き開けた。踏み入った霧島の背後から皆がドドドッと続く。悲痛な声が響いた。
「だめです、部屋から出て! みんなにうつっちゃう!」
ベッドで上体を起こしたパジャマ姿の京哉に霧島は声を失くして駆け寄る。京哉があまりに憔悴していたからだ。単純に食事まで抜いて籠城したからだとは思えないほど酷く力ない表情で目の下にどす黒いクマを作り、声も嗄れた京哉は霧島に抱き締められる。
「あああ、忍さん、離れて下さい……僕、間違いなくインフルエンザですう……」
霧島との諍いと高熱で混乱し上手く説明する能力すら蒸発してしまった京哉の目論見は崩れ去った。待機していた医師命令で皆がうがいと手洗いに走り散ってゆく中、霧島は殴りつけたい思いと愛しく切ないような想いを抱えて京哉の汗に濡れた髪を撫でる。
もう京哉も霧島を拒否せず諦めてウイルスを共有することにしたらしい。
「すみません、忍さん。ご心配をおかけしました……ゴホッ、ゲホッ!」
「やはり声も酷いな。だが本当に子供のような真似をしてくれるな」
「何だかぼーっとして他に何にも方法を思いつかなくて……ゲホゲホゲホッ!」
「病人が飯も食わずにいてどうする。こじらせたらまた肺炎だぞ?」
「分かっていたんですけど、忍さんだけには感染させたくなくて……ゲホッ、でも途中から本当に訳が分からなくなってきちゃって……ゴホゴホッ!」
赤い頬に霧島が触れると京哉は燃えるように熱かった。ナイトテーブルに置かれていた救急箱から体温計を出して熱を測らせると、四十度二分もあって霧島は眉をひそめる。
「すぐに医師が点滴を持ってくるだろうから、それまでの我慢だ」
「それと鎮痛剤もお願いします。関節が痛くて眠れなくて……ゴホゲホゲホッ!」
救急箱の解熱鎮痛剤は飲んでしまったらしく空箱が入っていた。自分でどうにかできる事態でないのは明らかなのに、霧島一人にうつしたくないばかりに独り耐えていたのだ。
横になった細い躰を毛布の上から抱き、京哉の熱を切なく感じる。
まもなく医師と看護師がマスクをしてやってきて診察を始めた。簡易検査でA型インフルエンザと確定し、まずは鎮痛剤が処方されて京哉はグラスの水で飲み下す。
霧島と再び横になった京哉に医師がパキパキと申し付けた。
「言わずもがなですが、鳴海さまにはこの部屋での籠城を続行して頂きます。そして接触した忍さまにおかれましても、この部屋からお出になりませぬよう。宜しいですね?」
医師が喋っている間に京哉は左腕に点滴をセットされる。白い細腕が痛々しく霧島はまた切ない想いに駆られた。いつまでこの想いを抱えていたらいいのか訊く。
「どのくらいで治るんだ?」
「現在はインフルエンザの治療薬も良いものが数種類ありますから。しかしこれは発症して四十八時間以内に使い始める薬が殆どです。いつ頃から症状が現れたのか分かりませんが、治療が遅れた事実からして薬が効かない可能性があるのも否めません。ですから長ければ一週間は掛かる覚悟をしておいて下さい」
「分かった、そうしよう」
ノックし、チャイムを鳴らすたびに返事はするので中で倒れている訳でもなく、それだけに却って本人の意思を無視して強引に開けることもできない。しかし朝食と昼食も抜きでもう夕食の時間だ。それでも籠城を続ける京哉に霧島も苛立ちを隠せなくなっていた。
今枝やメイドたちも心配を募らせ、インターフォンに声を掛けては促すのだが、頑として京哉は、「放っておいて下さい」と「大丈夫です」を繰り返すばかりである。
御前までが出てきて声を掛けたが同じことで、いい加減に霧島はキレかけた。
「京哉、出てこい! 幼稚な子供じみた真似は止せ!」
「放っておいて下さいと言っているでしょう!」
「ここにいる皆がお前を心配しているんだぞ。家族同然の者たちにすまないと思わんのか?」
「それより貴方はオルファスに謝ったんですか?」
「それとこれとは別問題だろう!」
「別でも何でも構いません。僕は貴方が謝るまでここから出ない、それだけです!」
そこからは同じ会話のループとなる。互いに頑固と知っているだけに厄介だった。そこで今枝がドアのマスターキィを持ってくる。渡されたキィを手に霧島はドア越しに怒鳴った。
「自分で出てこなければ強制執行するぞ! 恥ずかしい思いをするのはお前なのだからな!」
「強制執行したら、僕は貴方を許さない――」
「二十時五分、執行!」
京哉の意志より京哉の躰だと思い、霧島は問答無用でロックを解除するとためらいなくドアを引き開けた。踏み入った霧島の背後から皆がドドドッと続く。悲痛な声が響いた。
「だめです、部屋から出て! みんなにうつっちゃう!」
ベッドで上体を起こしたパジャマ姿の京哉に霧島は声を失くして駆け寄る。京哉があまりに憔悴していたからだ。単純に食事まで抜いて籠城したからだとは思えないほど酷く力ない表情で目の下にどす黒いクマを作り、声も嗄れた京哉は霧島に抱き締められる。
「あああ、忍さん、離れて下さい……僕、間違いなくインフルエンザですう……」
霧島との諍いと高熱で混乱し上手く説明する能力すら蒸発してしまった京哉の目論見は崩れ去った。待機していた医師命令で皆がうがいと手洗いに走り散ってゆく中、霧島は殴りつけたい思いと愛しく切ないような想いを抱えて京哉の汗に濡れた髪を撫でる。
もう京哉も霧島を拒否せず諦めてウイルスを共有することにしたらしい。
「すみません、忍さん。ご心配をおかけしました……ゴホッ、ゲホッ!」
「やはり声も酷いな。だが本当に子供のような真似をしてくれるな」
「何だかぼーっとして他に何にも方法を思いつかなくて……ゲホゲホゲホッ!」
「病人が飯も食わずにいてどうする。こじらせたらまた肺炎だぞ?」
「分かっていたんですけど、忍さんだけには感染させたくなくて……ゲホッ、でも途中から本当に訳が分からなくなってきちゃって……ゴホゴホッ!」
赤い頬に霧島が触れると京哉は燃えるように熱かった。ナイトテーブルに置かれていた救急箱から体温計を出して熱を測らせると、四十度二分もあって霧島は眉をひそめる。
「すぐに医師が点滴を持ってくるだろうから、それまでの我慢だ」
「それと鎮痛剤もお願いします。関節が痛くて眠れなくて……ゴホゲホゲホッ!」
救急箱の解熱鎮痛剤は飲んでしまったらしく空箱が入っていた。自分でどうにかできる事態でないのは明らかなのに、霧島一人にうつしたくないばかりに独り耐えていたのだ。
横になった細い躰を毛布の上から抱き、京哉の熱を切なく感じる。
まもなく医師と看護師がマスクをしてやってきて診察を始めた。簡易検査でA型インフルエンザと確定し、まずは鎮痛剤が処方されて京哉はグラスの水で飲み下す。
霧島と再び横になった京哉に医師がパキパキと申し付けた。
「言わずもがなですが、鳴海さまにはこの部屋での籠城を続行して頂きます。そして接触した忍さまにおかれましても、この部屋からお出になりませぬよう。宜しいですね?」
医師が喋っている間に京哉は左腕に点滴をセットされる。白い細腕が痛々しく霧島はまた切ない想いに駆られた。いつまでこの想いを抱えていたらいいのか訊く。
「どのくらいで治るんだ?」
「現在はインフルエンザの治療薬も良いものが数種類ありますから。しかしこれは発症して四十八時間以内に使い始める薬が殆どです。いつ頃から症状が現れたのか分かりませんが、治療が遅れた事実からして薬が効かない可能性があるのも否めません。ですから長ければ一週間は掛かる覚悟をしておいて下さい」
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