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48:前の職場の
しおりを挟む「……バレンタインデー企画は覚悟してたけど、まさかホワイトデー企画にも選ばれるなんて」
そう雛子が呟いたのは職場の自分のデスクでのこと。
配られた資料を眺めながらの呟きに、隣に座って仕事をしていた後輩が「おつかれさまでーす」と暢気な声で返してきた。
まったくもって他人事な口調である。だが事実、ホワイトデー企画のメンバーに選ばれていない彼女にとっては他人事なのだろう。それでも雛子が忙しくなるとさり気なくサポートをしてくれているので文句は言うまい。
ホワイトデー商戦に雛子が選ばれたのは一月の終わり、世間ではそろそろバレンタインデーに向けて盛り上がり始めていた頃である。
その時はまだバレンタイン企画が進行していたものの、雛子の仕事は既にひと段落ついていた。あとは仕上がったものの確認を……、というところでの選出である。
そうしてバレンタインデーが終わるや否や、仕事も気分も一瞬にしてホワイトデーに塗り替えられて今に至る。
「まぁでも、ホワイトデーとバレンタインデーは企画も似てるし、そこまで大変じゃないから良いんだけど。でもなにか違うことをしたい気もするのよねぇ」
「羽柴先輩は仕事熱心ですね。……あ、定時だ」
「帰るわ。じゃぁお疲れさま」
見ていた書類をさっと引き出しに戻し、机の上を片付けると同時にパソコンをシャットダウンさせる。
仕事熱心といわれた矢先にすぐさま帰宅の準備を始めれば、その変わりようが面白かったのか後輩が楽しそうに笑って見送ってくれた。
さすがに普段はここまで駆け足で退社することはない。
定時になったら残っていたお茶を飲みながらのんびりと帰宅の準備をする。時には更衣室で長々とお喋りをしてしまう事もあり、時計を見て「こんな時間!」と慌てて会社の入っているビルを後にするのだ。――その時に話し足りない時は駅前のカフェに寄ったりもする―ー
だが今日は違う。颯斗と夕食を共にする予定があり、それも彼は用事があって既に近くに来ているのだ。『仕事が終わるまで待ってるからいつでもいい』と言ってくれたが、既にこの時間でも待たせてしまっている。
「ここまで来てもらっても良いお店ないし、いっそ駅で待ち合わせした方が分かりやすいしお店も探しやすいかな」
そうしよう、と独り言ちながら携帯電話を片手に会社が入っているビルを出る。
手早く連絡を入れて、ひとまず駅へと向かおうと歩き出した瞬間……、
「あれ、羽柴さん?」
声を掛けられた。
そこに居るのは数人の男女。誰もが意外そうな顔をしてこちらを見ている。
覚えのある集団。記憶に蘇る数年前のこと……。
前の会社で働いていた者達だ。
ひゅっ、と雛子の喉が細い音をあげた。
手足が一瞬にして冷たくなった気がする。
「羽柴さん凄い久しぶりだね。こんなところで会うなんて思ってなかったからビックリしちゃった!」
「そ、そうですね……。皆さん、お元気そうで……」
「退職してからの話聞かないけど、誰かと連絡とってる? たまに飲み会に退職した人が来るけど、羽柴さんって来たことあったっけ? 今度おいでよ」
「それは……、あの、会社を辞めた後に携帯電話が壊れちゃって。……だから、連絡がとれなくて、それで……」
「そうだったんだ。ねぇ羽柴さんは今は何やってるの? まだデザインの仕事?」
「えっと……はい……。そうです」
矢継ぎ早に質問され、雛子の返答はどれもしどろもどろになってしまう。
誰の質問から答えれば良いのか、何を返せば良いのか分からない。自分の鼓動が早まり、心音が体の中で響き渡る。呼吸がうまく出来ない。手足が冷たくなって感覚が薄れていく。
皆は自分に向けて話をしている、自分もまたそれに返している。なのにすべての声が幕を通したようにうまく聞き取れず、自分が何を言っているのかすらよく分からない。自分ではない誰かが自分の口を使って話しているような違和感が湧く。
だがそんな靄掛かるような不快感を、たった一言、一人の声が掻き消した。
「雛子?」
と、自分の名を呼ぶ声。
振り返ればそこには颯斗の姿。不思議そうに小首を傾げながらこちらに近付いてくる。
「雛子、どうした?」
「……颯斗」
彼が目の前に立ち、ようやく雛子は自分の声が喉から出た気がした。自分でもおかしいと分かるか細い声、だけど以前はこんな声で話していた気もする。
颯斗も雛子の様子に気付いたようで、改めるように「何かあったのか?」と尋ねてきた。わけが分からないと不思議そうに、雛子と、そして前職の同僚達を交互に見やる。
対して前職の同僚達はと言えば突然の彼の登場に驚いた様子で、中には二人の関係を勘繰ってるのか色めき立つ者すら居た。女性達がそわそわと落ち着きを無くすのは颯斗の格好良さを前にしてだろうか。
だが今の雛子にはそれらの変化にも、関係性を聞きたそうにしている者達に応えてやる余裕もない。自分を案じてくれている颯斗に説明することすらできない。
それでもこのままでは駄目だと考えて、彼のジャケットの端をぎゅっと掴んだ。そうでもしないと碌に話せそうにない。
「前の……、前の職場の人達なの。それで、偶然、……ここで会って、それで話をしてて」
たどたどしく説明すれば、颯斗が「そうか」と呟いて再び前職の同僚達へと視線をやった。
その表情に警戒の色が見えるのは、きっと雛子の異変に気付き、そしてそれが今対峙している者達のせいだと考えたのだろう。
雛子が慌てて彼のジャケットを引っ張った。「違うの」と掠れる声で伝えるが、その声は自分でも分かるほどに悲壮感に満ちている。
だけど違う。颯斗が考えているような事はなにも無かった。
それをどう伝えればいいのか分からずにじっと見上げれば、颯斗が見つめて返すと同時に困惑したように眉尻を下げた。
そんな中、一人が「そういえば」と話題を変えた。
視線を向けるのは先程雛子が出て来たばかりのビル。つられて他の者達もそちらへと顔を向ける。
「さっき羽柴さんこのビルから出てきてなかった? ここで働いてるの?」
「え、それは……その……」
「あ、ここに入ってる会社名のってる。えーっと……」
ビルの出入口に掲げられている看板を見つけて一人が読み上げれば、それに興味を抱いた数人が検索しようと携帯電話を取りだす。
雛子の心臓がドクリと嫌な音を立てた。さぁと血の気が引くのが自分でも分かる。
オフィスビルゆえ入っている会社は一つや二つではない。上階こそ系列会社だが、別の階はまったくジャンルの違う会社だ。
だから分かるわけがない。……だけど。
「この階は、えっと……」
「違うの!!」
自社の名前をあがりかけた瞬間、咄嗟に声をあげてしまった。
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